No.30 飛んで火に入る夏の虫
「龍雅! 龍雅!」
今にも泣きそうな顔でガラスの向こうに存在する龍雅へと声を掛ける翔は、頬にガーゼ、頭・額には包帯を巻きつけている。
「まあ、龍雅ならきっと、大丈夫だよぉ。ここは闇医者じゃないしぃ、設備も整ってるしぃ、それに……僕の顔も通ってるからねぇ」
そんな笑顔のDoubtへと腰を低くしながら、近づいてくる一人の人物。
「本当にいつもありがとうございます! ここの病院がこんな大きいものに存在したのも、あなたのおかげです!」
「フフフ……言葉よりも行動で示してもらいたいものだよねぇ。彼が死ぬようなことがあれば、僕がこの病院を潰すからぁ。わかったぁ?」
その笑みに恐怖を感じた病院の責任者と思われる人物はその言葉に頷くことしかできなかった。そんな二人の様子には目もくれない翔を見て、Doubtはその病院の責任者へと、どこかへ行くように手を使った動作で示した。
「さて……僕が勝手に君を指導するなんて、抜かしたけどぉ。君はどうなんだい? 望まないんなら迷わず切り捨てるけどぉ?」
翔はDoubtの方を向いて膝を着き、そのまま両手と頭を床につけた。
「俺に……千里眼の使い方を教えてください!」
「……礼儀は教えなくても、心得てるようだねぇ。じゃあ、早速、戻ってから指導するとしようかぁ? 時間も無い事だしねぇ」
時間が無い……? 血戦が近いのか……?
翔は床につけていた顔を上げて、千里眼で未来を視ようとしたのだが、Doubtの手によってその行動を止められた。
「まだ、視なくていいよぉ?」
首を傾げる翔だったが、Doubtの言う事を聞いて、視なかった。
◇
お決まりだ、とでも言うように滞在していたマンションの地下には広い空間が存在していた。
「まあ……別に驚くところじゃないよねぇ」
と軽々と述べるDoubtの言う事は当たっており、翔も驚きはしなかった。
「さあて、もう始めるよぉ? 本当に時間が無いしぃ、君はそこまで深い傷を負っていないからねぇ……」
翔は自分の左頬と包帯を触り、その目を下に向ける。
「本当に……あいつに敵うようになるのか……?」
「……それは君次第だよぉ? じゃあ、説明に入るけどぉ、君の殺人快楽の時の状態は、筋肉を百パーセント使い続けて、戦っているんだぁ。しかし、人間ってのは筋肉の力を百パーセント使ってない。良くても三十だよぉ。それを百まで持っていける力を君は持ってる。後は使い方の問題だねぇ……って事でぇ、僕がその切り替えができるように僕が指導してあげるからねぇ?」
笑顔を浮かべながらDoubtは自らの懐から銃を手に取り、その銃口を翔へと向けた。
「さて、ちゃんと避けてねぇ? 避けられないとぉ――――」
とその続きを述べる前にその引き金を引いたDoubt。銃から放たれた弾は翔の左胸に直撃した。のだが、
「――――絵の具塗れになっちゃうよぉ?」
Doubtの発言どおり、弾が当たった部分は赤く染まっただけで、翔は無傷だった。
「全部避けるか、刀で真っ二つに斬れるようになってねぇ? 千里眼も使っていいからさぁ!」
その瞬間、懐からもう一丁の銃を取り出し、左手にも銃を持ち、連続して銃の引き金を引いていった。走り回って逃げる翔を使って、Doubtは笑いながら、もはや――遊んでいた。
◇
2011年11月19日 警視庁長官室
そこの椅子で仮面を付けたまま、眠ってしまっているPersonaは、過去のある日の夢を見ていた。それは翔の父親である一宮堆我を殺した日の夢。
いや、本当は堆我はPersonaによって殺されたのではなく、ある意味――――自殺だった。
◆
2006年12月29日
闇夜の道は月明かりだけが照らし、辺りは静寂のみが支配している。
その月明かりが照らし出したのは一つの不気味な仮面の姿であり、その目の前で対峙している男の存在も同時に照らしていた。
『9.11……いや、その年の十二月二十五日以来、お前とは会っていなかったな。堆我』
「そんな世間話をしに来たわけじゃないだろう?」
笑みを浮かべる堆我に対して、Personaはあえて、口を開かずに黙っていた。
「お前の目的の優先順位は、俺への復讐が二番目。そして、楽園への復讐が一番目。まさか、本当にあの『旧約聖書』の内容が現実世界にあったとはな……」
『今更、何を言っている? 全部理解してたくせに。それとも、死期を悟って口数が多くなったか……? それに『旧約聖書』は千里眼を宿していたヘブライ人が創り出したものだ。そして、フィクションも混ざっているということを忘れてもらっては困る』
Personaはスーっとジャンバーの内ポケットから銃を取り出して、堆我へと向けた。
「……お前が楽園に復讐するためには、楽園へと行かなければならない……そして、楽園へと行くためには――彼女は消えてしまうんだろう?」
『彼女……?』
意味不明な言葉を繰り返したPersonaだったが、その後、すぐに理解したようだった。
『そうか……“お前が俺に教えた”女の事か……ああ、そうだ。彼女は消える。所詮は楽園への“鍵”に過ぎない存在だからな。で、話はそれだけかな?』
「後、もう二つかな。人形……それを創り始めたのも、楽園への対抗心からか?」
Personaは答えなかった。しかし、堆我は納得の表情を見せた。
「最後だ……――――楽園の使者は――ずっとお前の傍にいる」
『――ッ!?』
Personaの持っていた銃がその瞬間、大きく揺れ動いた。仮面によって塞がれたその内の表情は窺い知れないが、Personaはこの時、大きく動揺の表情を浮かべていたのかもしれない。
『……それは事実か……?』
「事実だよ。だが、期が来るまでは動きはしないだろうがね。てことで……――!?」
瞬間、その口から大量の血液を吐き出す堆我。
「あー……やっぱり……もう、無理か……」
地面に広がっていく血の量を見ながら、そう呟いた堆我は自らの懐から、歪な形のナイフを取り出した。
月明かりに照らされて光るナイフがPersonaには少し、不気味に思えた。
「もう一個だけ……質問しても……良いか?」
何の動作も見せないPersona。
「お前……俺を殺してから……人形にするつもりなんだろう……?」
『当たり前だ。お前の千里眼は他のとは違う、大きな未来も視る事のできる眼。それを手に入れないでどうする?』
淡々と答えるPersonaのその言葉を聞いた瞬間、堆我は声を上げて、笑い出した。
「ハハハハッ……! 本当に……千里眼を使わなくても、お前の考えなんて……誰でも分かる。それじゃあ、お前は死なないだろうが――――心中といこうか?」
ジャンバーを広げ、腹に巻きつけた爆弾を見せつけた堆我はPersonaによって、銃の引き金が引かれるその前に爆弾に接続されている一つのコードをナイフで切った。
瞬間、轟音と共に半径十メートル以内のもの全てが吹っ飛んだ。勿論、堆我とPersonaは爆発に巻き込まてしまった。
五分の時が経ったとき、爆発と同時に吹っ飛ばされたPersonaのその顔の仮面が地面に落ちている。Personaはその身を起こして、地面に落ちた歪な形のナイフを手に取った。
「さようなら……英雄…………フ、フフ……フフフッ……ハハハハハハ――――ッ!」
声を上げて笑うPersona――小堺甚はその顔を右手で覆う。
本当に……邪魔だったよ、堆我。色々と楽園について知ってたからなぁ……それに、彼女にも何か対策をしたようだが、もう遅い……
Personaはその笑みを濃くしながら呟いた。
「彼女は――――
――――中森唯はどう足掻こうが、消える」
◇
2011年11月19日
目を覚ましたPersonaはすぐさま、身を乗り出して、時計で今の時刻を確認した。
時刻は午前の十時。
はぁ……本当に嫌な夢だ……
溜息を吐くPersonaはもう一度、その身を椅子の背もたれへと預けた。そして、自らの携帯電話を手に取って、頻りにボタンを押し始めた。
一通り押し終えた様子のPersonaは、最後に決定ボタンを押して立ち上がり、伸びをした。その後、Personaは窓のカーテンを開け、窓の外を眺めながら、呟いた。
『楽園の使者……見ているのなら、早く出てきた方が良いんじゃないか? そんなに悠長に構えていたら――俺に喰われるぞ……?』
◇
新幹線内
マナーモードに設定していた携帯電話がバイブする。
座席に座って、眠ろうとした翔は完全にその目を覚まし、ポケットに入っていた携帯電話を手に取った。
なんだ……? 知らないアドレス?
あて先にはびっしりとメールアドレスが記されているそのメールに「ただの迷惑メールだろ」と思いながらも、その内容を確認するべく、決定ボタンを押した翔は、その目を大きく見開く事となった。
そのメールの内容はこんなものだった。
全国の殺し屋諸君。お前達には俺と一緒に、あるゲームに取り組んでもらいたい。
人形対殺し屋って言う簡単なゲームだ。
お前達が勝ったら殺人ウイルスのワクチンをやろう。
人形が勝ったら、世界は終わり。
このゲームの参加を拒否する事はできない。
拒否した場合、殺人ウイルスを世界中にばら撒く。
それか、俺の部下、DOLLを世界中に放す。
11月21日。
その日に詳細は伝える。
P.S.妙な行動は慎んでおけ
そして、最後に記されていた文字は『仮面』だった。
その瞬間、このメールがPersonaによって、送られて来たメールであると分かった翔は携帯電話を壊さんばかりに握り締めた。
「クソ野郎が……」
俺たちで……遊ぼうとしていやがる……
怒りと言う名の感情を必死に抑えこみながら、携帯電話をポケットへと押し込んだ翔はその目を手で覆う。
くそ……抑えろ。Doubtにも言われただろ? 俺はもう、殺し屋じゃねえって……
だが、そんな理由だけで納得できるほど、翔の腹の内は納まっていない。
俺は殺し屋じゃない……殺し屋じゃないんだ……
自分の決意と今の感情が犇めき合っている心。翔が答えを導き出すのは、困難であった。
◇
2011年11月20日
午前四時の警視庁前は静けさだけがただ、支配していた。
人も疎らで監視カメラ、センサーなどの防犯対策は万全なのにも関わらずに警備員は警視庁を守る門番のように構えている。
翔はそんな警視庁へと細い袋と手に持った“ある物”を携えて、訪れた。
冬の朝は暗く、吐く白い息でさえ闇の中へと吸い込まれていく。
警視庁の目の前でその足を止めた翔はゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出した。いろいろな事を頭の中で思い出しながら。
福岡から東京へと行く前にDoubtから言われた言葉。
『君は……“誰かの為に”を言い訳にしないって決意したようだけどぉ、僕は言い訳にしたって良いと思うよぉ?』
その言葉の意味を尋ねた翔に対して、Doubtは昔を思い返すような目をして告げた。
『誰かの為にを言い訳にしない人間なんて、人間じゃないからさぁ。人間は誰だって弱い。だから、その理由を他人に押し付けて、自分は逃げようとしてしまう。なら、押し付けられた人間はどうするのかぁ。重いからって払い除けたりはしないしぃ、重荷だとも思わない。人間とは助け合って生きる。そういうモンなんだよぉ?』
Doubtのその言葉を聞いて、翔も納得した。しかし、だからと言って「誰かの為に」を言い訳にしようとは思わなかった。
ただ、翔は少しだけ、翔の中に存在する重い何かが軽くなったような気がした。
考えた……ここ数日、ずっと考えた。俺の中に存在する殺人快楽。それをずっと、別のものみたいに扱ってた。けど、殺人快楽だって、俺自身なんだよ……
警視庁へと一歩、その身を近づける翔。
それが分かった。だが、明らかに殺人快楽は俺のもう一つの人格と言ってもいい……
また一歩、警視庁へと踏み出した翔は手に持った“ある物”を見た。それはこの頃になって、巷で普通に売られ始めたPersonaの仮面。
あくまで、もう一つの人格……
その仮面に付いた紐を頭の後ろへとまわし、翔はそのPersonaの仮面を顔に付けた。
「だから――」
細長い袋を手に持つ翔。
「――俺が本物の人格だって証明するために――俺はこの刃をてめえらに向けてやる! 人形! これが俺にとっての――――血戦だ!」
『飛んで火に入る夏の虫』とは正に、この事を示しているようだった。




