No.28 天下無双
2011年10月30日
四日と言う時が経った今日、翔の体は辛うじて歩ける状態にまで回復はしたが、それはあくまでも、“辛うじて”であった。
翔は、足を手術したばかりでリハビリしている人のような歩き方、速さでしか進む事ができない。それに加え、全身に走る痛みも四日前と、あまり変わってはいないようだった。
この四日間、翔は情報屋のDoubtから様々な話を聞かされていた。
殺し屋を利用する政府。政府と殺し屋をつなぐパイプ役――Bystanderの存在。そのBystanderを利用しようとする殺し屋。その殺し屋の黒幕――Persona。
殆ど龍雅に話したものと同じ内容をDoubtは翔にも、話した。
やはり、翔の頭はそれについていけずに混乱したが、それでも受け入れた。そして、今、翔たちがいるのは福岡の某マンションだった。
Doubtに何の意図があって、東京から九州にまで後退したのかは定かではない。しかし、翔にとって、助けてもらえただけで、十分だった。
その某マンションの廊下を一歩一歩踏みしめながら歩いていく翔が向かっているのは、翔が寝ていた部屋と同じ階でその部屋の近くにある会議室だった。
今日はなにやら、そこで龍雅とDoubtと翔で話をするらしい。
くそ……病人に歩かせるなよー……短い距離だけど、きつい……
心中で愚痴を零しながらも歩みを進めていく翔。すると、翔はその人物に会い、思わずその目を逸らしてしまった。
龍雅……!? 俺……ホントに龍雅を刺したんだよな……どんな会話すればいいのか、分からない……
申し訳なさそうな表情を浮かべる翔を慰めるように龍雅は口を開いた。
「気にしなくても大丈夫ですよ。もう、あまり痛みも感じませんし、私だって、あなたの左眼と左腕を失わせてしまいましたからね。まあ、今はその左腕も元通りになってますが……」
しかし、そんな龍雅の言葉だけで、翔の中にある罪悪感は消える事はなかった。
殺人快楽……俺が招いた惨事……
「ごめん……俺、もう、呑まれないから……殺人快楽なんかには、呑まれねえから!」
自分自身に言い聞かせるように龍雅の前で宣言した翔は頭をできるだけ、深く下げる。
謝るのと同時に決心を言う事しか、今の翔にはできなかった。
そんな翔の頭に龍雅の手が優しくのった。
「頼りにしてますよ、翔。では、入りましょうか?」
翔は龍雅のその言葉と共に頭をゆっくりと上げて、その会議室へと足を踏み入れた。
そこは二つの部屋の壁をぶち抜いて無理やりに広くしたような一つの部屋だ。そして、そこには異様な空気を放っている人物が飴玉を銜えて、待っていた。
「遅かったねぇ……まぁ、しょうがないかなぁ?」
翔は笑っているその顔を少し睨みながら、椅子へと腰をかけた。安堵の息を吐く自分を情けなく感じながら。
「話とはなんです? もう、全てを聞かされたようにも、思えましたが……?」
「一つ、重要な話をするのを忘れてたよぉ。君たちにとって、ホントに重要な話をねぇ……Bystanderを利用しようとする殺し屋については話したよねぇ?」
翔の方を向いて、尋ねてきたDoubtに翔は頷いた。
「その殺し屋を殺すように龍雅に頼んだんだけどぉ……」
翔はその事を聞かされてはいなかったが、そこまでの驚きはなかった。「ふーん……そうだったのか」くらいに受け流したようだった。
「その殺し屋はぁ、唯って少女に恋してるらしいんだよぉ」
翔は自らの口をぽかんと開けて、拍子抜けしていた。
これが……重要な話……?
翔は思わず、ふきだしそうになった。何故なら、それまでにDoubtが話した事実が驚きの連続であったからだ。
「あれぇ? どうでも良い話だったかい?」
いや……どうでも良くは無いけど……
と、自分の本心が分からなくなる翔に、
「言い方が悪かったのかなぁ……まあいいやぁ。それで、その殺し屋は唯って子が辻斬りをした時にその現場に偶然、居合わせた。そして、唯って子が殺さなかった人々を何の意図があってかは分からないけどぉ――――殺したんだぁ」
とDoubtは相変わらず、その顔に笑みを浮かべたまま、呟いた。
その時、翔の頭の中に唯の言葉が蘇ってきた。
“俺はお前とは違う。俺はあの人形以外を殺したことなんて一度もない”
あの言葉は……本当だったのか……? そうだ……あの倉庫街の時だって……
大貴が、翔が初めて殺し屋だと知った場所での事を思い出す。その時の翔は唯が殺さなかった者たちを殺した覚えがあった。そして、そんな覚えは何個も存在していた。
「……重要な話ってのは……それだけか?」
唯への申し訳ない気持ちを溢れさせながら、Doubtに尋ねる翔は自らの左腕を右手で触れた。
「そう……だねぇ……けど、君にはいろいろと話したいことがあるから、龍雅はもう、出て行っていいよぉ?」
「分かりました」
ニコリと微笑んで、その部屋から出て行こうとする龍雅に対して、Doubtはその言葉を吐き捨てた。
「この福岡に地に来た意味……君はちゃんと理解してくれてるよねぇ?」
一瞬、足を止めた龍雅だったが、何事も無かったかのようにその部屋から出て行った。
「フフフ……本当は腸が煮えくり返りそうなくせにぃ。見栄っ張りだねぇ……」
変な笑い方をするDoubtを見ながら、翔はその首を傾げた。
「この福岡と龍雅に何の関係があるんだ……?」
「千里眼を使って、確認してみればぁ?」
そのDoubtの発言は尤もだったのだが、翔は千里眼を使うのを戸惑った。
千里眼……
翔の心臓の鼓動が段々と速くなっていく。
そんな翔の様子を見て、Doubtは「やっぱりねぇ」と呟いた。
「千里眼を使うのが怖いのかい?」
Doubtから目を逸らす翔。
フフ……千里眼なんて使わなくても、君は態度を見ただけで分かってしまうよぉ。
「他人の過去、思っている事を知り、相手、自分を傷つけるのが怖いのかい? 君の過去のように」
翔は何も答えない。
「左腕は元に戻ったぁ。けど、君の左眼の視力が戻ることは無い。だったら、君はその左の死角をどうすればいいのかなぁ?」
翔自身も分かっていた。しかし、踏み出せずにいた。
「分かってる……俺には千里眼が必要だってことぐらい……ちゃんと……」
だけど……やっぱり怖い……
その様子を見ていたDoubtは溜息を吐いて、話を変えた。
「もういいよぉ。ただ、使わなかったら、君が死ぬだけだしぃ、他の人々が傷つくだけだしねぇ。で、君にも龍雅と同様にやってもらいたい事があるんだよぉ?」
「……それって、前に言ってた血戦の事か?」
その質問に対して首を振るDoubt。
「違うよぉ。けどぉ、あの先手を打たれるって話には関係してるけどねぇ……君には――逆に先手を打って欲しいんだよぉ」
先手を……打つ……?
「何を……すればいいんだ……?」
「天谷大貴は警視庁の地下に拘束されてる。君は真正面から、警視庁に突っ込めばいいだけだよぉ」
翔は暫くの間、その表情を固まらせてから、眉をひそめた。
「……どういう事だ?」
「その言葉通り、君はただ警視庁に突っ込んで行って、天谷大貴を堂々と連れて帰ってくれば、いいだけの話しだよぉ」
翔はその首をより一層、傾げた。そんな翔へと説明を付け加えようとするDoubtは、口の中に入れていた飴玉を翔に向ける。
「だから、千里眼とその殺人快楽を思いのままにできてないとぉ……君――――死ぬよぉ?」
翔に寒気が襲った。
それはDoubtの殺気によって、齎されたものだった。
「あんたは……本当に情報屋なのか……?」
「……自分で確かめれば、いいんじゃないかい?」
そう言われても、翔はやはり、千里眼を使う気になれなかった。
「じゃあ、怪我が全快してから、行ってもらうとしようかぁ」
◇
2011年11月10日
回復は段々としてきている。動かす時の痛みも無くなり、リハビリをする人のような歩き方でもなくなった。
全快とはいかないが九割は回復していると思う。
そんな自分の回復力の速さに感心しつつ、俺は唯の古刀をその手に取った。
人形対殺し屋。その戦いに麻奈も来るのだろうか……? 記憶を消し去られ、弱くなった麻奈も。それに……
翔の頭の中に映る化物に変貌する人形の少女。
それと呼応するように殺人快楽が翔の頭に浮かんで来た。
……過去を受け入れた。思い出した。けど……それで殺人快楽を受け入れる事ができたのかは……わからない。怖い。
俺はベッドの枕へとその顔を埋めた。
千里眼……使ってみるかな……
そう一瞬思った。そして、俺は眼を閉じて、勢い良く見開いた。
見える景色は普段となんら変わりなかった。しかし、次の瞬間、頭の中に映像が流れ込んできた。
「なっ……なんだ……!?」
急な出来事にパニックになる俺を唖然とさせるような映像がその眼に流れた。
「……意味……わからねぇ……」
そう。意味が分からなかった。
映像で流れてきたのは龍雅の姿。血だらけで、壁のようなところによりかかっているその姿を俺は視た。
過去……なのか? 龍雅の…………いや、未来か!?
その答えに至った瞬間には俺はベッドの上から飛び起きて、すぐさま服を着替えて、走り出していた。
血だらけ……血だらけの龍雅……くそ! そんなはず無い! そんなはず無い! けど、千里眼で視てしまった……
そして、俺は一つの部屋の扉を勢い良く開けた。
「りゅ、龍雅は!?」
そこにDoubtがいると分かっていて、俺はその扉を開け、尋ねた。
「どこかへ行ったようだねぇ……僕の居場所を見つけたように“千里眼”で見つければぁ?」
Doubtの言うとおり、俺は千里眼を使ってDoubtの場所を見つけた。しかし、今の俺は動揺しすぎていて、龍雅を見つけるために千里眼を使うことまで、頭が回らなかった。
俺はその部屋から出て、千里眼を発動させながら、走った。
龍雅がよりかかってるの……墓標……? 墓場か!?
俺はこのマンションから出ようと、エレベーターのボタンを押したのだが、俺の寝ていた病室に刀を置いていた事を思い出し、急いで走って来た道のりを戻っていく。
くそ! 早くしないといけねえ時に!
袋に入った刀を手にとって、俺はエレベーターには乗らずに階段を降りていった。
き……つい……
ここ数日間、怪我のせいで運動をしていない分、体力は凄まじいほどの低下をみせていた。しかし、だからと言ってその足を止めるわけにはいかなかった。
その最中、俺の頭ではDoubtの言葉が連呼されていた。
“ただ、使わなかったら、君が死ぬだけだしぃ、他の人々が傷つくだけだしねぇ”
他人が傷つく……俺が千里眼をもっと、早くに使ってれば、防げたかもしれない事態なのか……?
「く……そ……」
過呼吸になりながらも、懸命に走った。
俺の眼に映った墓場へと着いた頃には、俺の肺胞は破裂しそうな勢いだった。
息を整えながら、俺は墓場の奥へと足を進めていく。
――そして、俺は言葉を失った。
そう。千里眼で視た光景と同じものがそこには広がっていたのだった。
墓に背を預けた龍雅。腹から大量の血を吐き出し、あたり一面に広がっている光景。
俺は膝を着いて、唖然とした。
千里眼……俺はこの眼で、この先……何を視るんだ……?
「くそ……龍雅……」
……誰が龍雅を……
千里眼で視ようとしたその瞬間だった。
「君は……どこかで見たことのあるような面持ちだ」
後ろから声が聞こえ、俺は瞬時に振り返った。千里眼を発動させたまま。
「その光る眼は……千里眼……」
俺の眼に映る刀を持った男の正体は俺の怒りを最大にさせた。
「お前が……龍雅を!」
怒りが込み上げてくる。
その感覚は“あの時”に似ていた。
天谷を奪われた日の記憶がなくなる直前の時。それから頭の中が真っ白になって、ベッドで寝ていた。
駄目だ……呑まれちゃ駄目だ! 約束したんだ……もう殺人快楽に飲まれないって!
俺は自分を落ち着かせて、男へと尋ねる。
「一つ……問いたい……なんで龍雅をその刀で……」
「理由を尋ねてるのか? そんなもの――――ある筈ないだろう? 僕はただ――“天下無双”を目指してるだけなんだからさ」