No.27 Bystander
2011年10月26日
「やはり、君は……もう、その眼に千里眼を宿していたんだねぇ……」
ベッドに横たわる俺に向けて、呟く情報屋――Doubt。だが、俺はその顔を見れなかった。いや、俺の顔をDoubtに見せることができなかった。何故なら、俺は――
「その涙は、まだとっておいた方が良いと思うけどねぇ」
――目から涙を溢れ出させていたからだった。
俺は母親を殺した。クラスメイト全員を見殺しにした。そして、殺し屋になってから、沢山の人をこの手で殺してきた。
この罪は消えない。何度、手を洗おうとも、この手にべっとりと付いた紅い液体はとれない。
なら、俺はもう、守るためなら、この手をどれだけ汚そうと構わない。俺は俺の為に生きると決めたんだ!
涙は消え失せた。
そんな俺を見て、笑みを浮かべるDoubtは告げる。
「君の左腕。元に戻っているよぉ?」
その言葉と同時に、左腕から伝わってくる久々の感覚に、俺は驚いた。
「なん……で……?」
そう。俺の左腕はちゃんと、そこに存在していたのだ。
「龍雅が君の腕を保存しておいてくれたみたいでねぇ……それで、人形を創る今の技術によって、君の腕をつなげる事ができたってわけだぁ。まあ、“政府”もちゃんとした実験結果が欲しいんだろうねぇ。快く引き受け入れてくれたさぁ」
政府……だと……?
「おい! どういう意味だよ……それ」
「そっかぁ……君は知らないんだねぇ。この“日本の裏”を」
何を言ってるんだ……? 俺たちが裏の人間じゃないのか? そんな俺たちでも知らない事をこいつは知ってるのか? いや、知る方法ならある。“千里眼”だ。
「まあ、その話は追々、話していく事にでもしようかぁ? それよりも、まず、君にやってもらい事があってねぇ」
やってもらいたい事……?
俺は寝た状態のまま、少し首を傾けた。
「君たちはいつも、Personaに先手を打たれて、後手に回ってきた。そして、次も君たちはPersonaに先手を打たれてしまうんだぉ」
先手を打たれる……?
俺はさっきから、Doubtの言葉に疑問を持ちっぱなしだ。
「人形対殺し屋の血戦が開幕するんだよぉ」
ポケットから棒付きの飴を取り出して、飴を包んだ袋を外したDoubtの言葉に俺は息を呑んだ。
「人形対殺し屋……」
いや、ちょっと待てよ……
「Personaはなんでそこまで、殺し屋にこだわる!」
飴をその口に銜えたDoubtは笑う。
「どっちにしろ、君には関係ないと思うけどねぇ……君はもう、殺し屋じゃないんだしぃ」
Doubtの言うとおりだった。俺は殺し屋を辞めると決意した。それなのに、俺は――その決意をすっかり忘れていた。そんな自分に腹が立つ。
「まあ、君は気にしないでいいからねぇ。詳細も後で話すことにするよぉ。今はめんどくさくなっちゃったからぁ」
そのまま、Doubtは俺に背を向けて、出て行ってしまった。
俺一人だけの部屋。
寝る前まで起こっていた出来事が夢のように思えてくる。だが、この全身の痛みがそれは夢ではなかったと言う事を物語っている。
そして、俺の左腕は元通り、存在している。左目は見えないままだが、左腕は在り、少しだけ、動かす事もできる。
もう、この左腕は人を殺す腕じゃないんだ……
俺は一度、目を瞑ってその後、その目をパッと開いた。
◇
Doubtが翔の寝ている部屋から出た時、その横には龍雅が廊下の壁に寄り掛かって立っていた。
「私も知りませんね……Personaが殺し屋にこだわる理由。“復讐”ではないのですか……?」
そんな龍雅の尋ねかけを嘲笑うような笑みを浮かべるDoubt。
「違うよぉ。Personaの復讐対象はあくまで、堆我の息子の翔とニコラス・ファルマンの息子の白井。そして――“楽園の使者”だよぉ」
「では、何の理由で?」
Doubtは龍雅を焦らすように答えるまでの間を空けた。
「少し、表の左右の話でもしようかぁ?」
龍雅はその言葉の意味が分からずに首を傾げようとした瞬間に、その意味を理解した。
「やっぱり、龍雅は頭が良いねぇ。普通の人はそれだけじゃあ、理解できないと思うよぉ?」
「聞いた一瞬は何言ってるのか理解しかねましたけどね」
少し、緊張の解れた会話のように見えたが、顔は真剣のままだった。
「で、左右がどうしたんですか?」
「日本は今、いつ革新が起きてもおかしくは無い状態だよねぇ……? あの“左翼を刺激するような出来事”のせいでさぁ」
龍雅もその一言ですぐに分かった。彼の頭の中にはそれに関連するような出来事が一つしか思い浮かばなかったからだ。
「あの暴力団の集団逮捕、殺害の件ですね?」
「ご名答だぁ。国会議員の中にも、左翼の連中がいないわけじゃあない。暴力団の一件と9.11によって、左翼は今後、活動を活発化させていくだろうねぇ。けど、左翼はあの二○○一の9.11の時から、活動を大きく活発化させていたんだぁ。なのに、右翼はなんら、その影響を受けていないんだよぉ」
ガリッと飴を噛む音が鳴り、その間に龍雅は考える時間を得た。
「――――政府は殺し屋を容認し、利用しているんだよぉ」
自分の中で何かの歯車が回りだしたのを龍雅は感じ取っていた。そして、Doubtの言っている事に心当たりが無いわけでもなかったのである。
龍雅は何人かの国会議員を依頼を受けて、その手で殺したことがあった。
「それに、Personaから聞いた事は無いかい? 『裏の世界を支配しているのは殺し屋だ』とかねぇ」
龍雅はその言葉をPersonaから聞かされた覚えがあった。裏世界を占めるのは暴力団やヤクザじゃなく、殺し屋である、と。
「ですが……私は政府の人間、本人からそんな依頼を受けた事は無いですが?」
「そこなんだよぉ。今からする話はそれの答えにもなるし、Personaの言った言葉が本当だった事も分かるんだよねぇ」
Doubtは自らの足を進め始め、龍雅にその後をついて来るように手招きをした。
「あなたは病人の私に……歩かせるんですね」
「そうも言ってられないでしょう? 現に今の状況は天谷大貴を奪われ、絶体絶命の状況だぁ。君にはすぐに働いてもらわないと困るんだよぉ?」
廊下を歩いていたDoubtは何号室か書かれたドアの前でその足を静かに止めた。
「ここは会議室として使ってるところだよぉ。遠慮せずに入ってねぇ」
とドアを開けたDoubt。
その会議室は二つの部屋の壁をぶち抜いて、一つの大きな部屋にしたようだった。
龍雅はその会議室へと足を踏み入れて、適当なところへとその腰を下ろした。
それに続いて、Doubtも適当な席へとその身を預け、続きを話し始めた。
「政府は殺し屋の動きを探るのと、その殺し屋へと依頼をするために殺し屋、一人、一人に監視役である――Bystanderをつけたんだ。だから、君はそのBystanderを経由して、依頼を受けたんだよぉ」
「バイス……タンダー……?」
龍雅はこの時、その監視役の事を始めて聞いた。そして、傍観者なのにも拘らず、普通に干渉してきている事に皮肉だ、と思った龍雅はその会議室を見回してみた。
「まあ、殺し屋の存在を知るのは政府の一割に満たない極少数だろうけどねぇ……その中でも、Bystanderの存在を知っているのは、そのまた極少数。内閣総理大臣は全く、無知だしねぇ……」
「総理が知らないのですか?」
「そうだよぉ。総理大臣は日本のリーダーだけど、裏ではそうもいかないんだぁ。裏で糸を引っ張ってる者がいるはずだよぉ。それよりかも、君が気にするべきはそのBystanderを利用しようとする殺し屋が現れたって事だよぉ」
龍雅は驚かずにその首を傾げた。
「どーゆー事か分かってないみたいだねぇ……Bystanderを利用する、つまりは日本政府を動かそうとしてる殺し屋が現れたって事だよぉ。そして、問題なのが、その殺し屋のバックにPersonaの存在があると言う事だよぉ」
龍雅はようやく、その話の重要性に気付き、目を大きく見開かせた。
「Personaは……政治にも参加をする気なのですか……?」
「いいや、彼の目的は多分――――日本中の殺し屋の連絡先を調べる事だろうねぇ……」
「……調べて、どうするんです……?」
その質問にDoubtは笑みを浮かべた。
「時期に分かることだよぉ……僕にとってはPersonaの動きよりも、その殺し屋の動きのほうが気になるんだぁ。だからさぁ……――」
Doubtは口に銜えた飴玉を粉々に噛み砕いて、
「――――君に、その殺し屋を殺して欲しいんだぁ」
と残った棒を口から出しながら、言葉を紡いだ。
それを聞いた龍雅はそっと立ち上がって、
「……分かりましたよ。その男を殺してくればいいんですね? で、その男はどこにいるんです? どうせ、東京なんでしょうが……?」
「ちょっと待ってねぇ。あと、忠告が一つ。伝えたい事が三つほどあるんだよぉ……忠告から、言わせてもらうけどぉ、一宮堆我、藍堕権介と死んでぇ、君は日本で一番の殺し屋になってしまったと言うわけだぁ。つまりは一番、殺しを失敗する確立の低い殺し屋と言うこ事ぉ…………だから、君はこれから、その身をもっと、暗く、奥の深いところへと引きずり込む事になる。だけど、忘れてはいけないよぉ? 君はそれが仕事であり、私情を絶対に混ぜない事を、ねぇ……」
その首を縦に振る龍雅を確認したDoubtは伝えたい事の一つ目を話し始める。
「伝えたい事の一つ目は君の本名と過去を知っていた人形の女の事だよぉ。彼女は君のBystanderだったんだぁ。だから、君の過去を知っていたんだねぇ」
龍雅は少し、驚きはしたものの、その後、すぐにほっとした。自らの過去がそう簡単に手に入るものではなかったと、改めて確認する事ができて。
「二つ目は殺し屋の順位についてだぁ。それを決めてるのも、Bystanderなんだよぉ。そして、三つ目。これが君にとっては、一番重要な事じゃないかなぁ……?」
Doubtに背中を向けていた龍雅だったが、Doubtへとその顔を向けた。
「君が殺しに行く殺し屋は週に一度、唯って女の子の病室を訪れてるよぉ。だから、その子の入院してる病院に行けば、会えるはずだぁ。それと、殺すのは十一月に入ってからでOKだからねぇ」
「分かりました。では、失礼させていただきます」
そう言って、再度、Doubtに背を向け、ドアノブに手を掛け、回した龍雅。
「その過去……君も受け入れた方がいいんじゃないかい?」
Doubtはその言葉を龍雅へと投げかけた。一瞬、動きを止めた龍雅だったが、すぐにそのドアを開けて、会議室から出て行った。
もう、私は……とっくに受け入れて、生きてますよ……
冷たい眼差しでどこかを見ながら、龍雅は廊下を進んでいった。
会議室に一人残ったDoubtは独りでに何かを思い出したように呟いた。
「あっ! もう一つ、言わなきゃいけない事があったんだったよぉ……まあ、翔が目覚めてからでも遅くないかなぁ……?」
◇
八草病院
その病院の五階にある病室。
そこには七月二十六日から眠り続けている少女が入院していた。そんな病室には少女――中森唯を警護するかのように一人の男が窓の外を眺めていた。
病室にいる人物は二人。そんな空間に一つの影がその身を投じた。
「誰だ、お前は?」
そう尋ねたのは病室にいた男だった。
「へぇ~やっぱ、変わっちゃったんだ。つまらないな……」
病室に入って来た男が何の話をしているのか分からない警備員はふと、その話題に気が付く。
「お前が、前の警備員を……唆したのか……?」
「……血の気の多い目をしてる。なんだったら、付き合ってあげようか?」
そう言って、警備員を病室から出るように動作する男だったが、警備員は挑発に乗る事なく、病室からは出ようとしなかった。
「はぁ……処理が大変だろうけど、ここで死にますか?」
壁に立てかけていた細長い袋から、一本の日本刀を取り出した男。それに対して警備員は銃を懐から抜いた。
「銃。そんなものは遅すぎるよ」
鞘を左手で持ち、その刀の柄を右手で握って、低い姿勢で構える男は瞬間、目で捉える事の適わない速さで鞘から刀を滑らせ、“居合い斬り”を警備員の銃の握る腕へと食らわせた。
宙を舞う銃を握る手が落ちたその時、警護の者は悲鳴を上げて、床へとその膝を着けた。その瞬間には――警備員の首は宙をすでに舞っていた。
何事も無かったかのようにその鞘に怪物――――雷切をしまう男は唯の方へと近寄る。
「ああ……やはり、君の姿は美しかった。早く、その目を覚ましてくれ。そして、もう一度、あの時のような姿をこの目に見せてくれ……そして、この手で殺させてくれ……本当に僕は――――君の事を愛してやまないんだから」
男の愛は完全に歪みきっていた。