No.18 砕けた飴玉
「じゃあ、戻った方がいいよ。天谷くんがPersonaに捕まったら、世界は終わってしまうんだよ? それとも、自分の周りにいる人たちの方が世界の人々の命よりも大事?」
俺だって、世界が終わってしまう事ぐらい、分かってるんだ……だけど――
「――俺には……二つを天秤にかける事なんて、できない。たとえできたとしても、俺は――――世界の人々の命よりも俺の周りにいる大切な人の命を選ぶ」
それは俺の本音だった。
世界の人々なんて、アバウトすぎてよく分からない。俺はただ、俺の世界を守りたいだけなんだ。
地面に落ちた銃を手にとって、バッグの中へと押し込む。
「天谷くんはそれで全てを納得できるの? 世界の人々が天谷くんのせいで死んでも、後悔したり、重荷になったりしない? どちらにしても、世界の人々が死ぬって言う事は天谷くんの周りにいる人たちも全員、死ぬ事になるって事だよ?」
それは尤もな意見で、俺は意表を突かれて、平原から目を逸らした。
なんでそこまで、頭が回らなかったのか、疑問に思ったが、それもすぐに消え失せた。
ああ……俺はそんなにも、追い詰められていたのか……
客観的に俺を見てみると、分かった事実に、俺は少し、安堵した。
世界の人々が自分には関係ない存在だと思った自分は冷静さを失っていて、決して、本音で思ったわけではなかったのだ。
「分かった……俺、戻るよ……」
そういった瞬間に平原は、にこりと微笑んだ。
「そうした方が良い。天谷くんにとっても、みんなにとっても、ね」
すると、その言葉を聞いた時、俺の脳裏に一つの疑問が湧き出てきた。
――何故、平原はこんなにも、優しく接してくれるのだろうか?
「なんで、俺なんかに……そんな風に接するんだよ……浦議を下半身不随にしたのは、俺のせい、なのに……?」
瞬間、平原の笑顔が固まった。
「……あんたとこんな風に優しく接してるのは――ただ単に、私がDoubtに命令を受けただけの話。あの人の命令は私にとって、“絶対”だから」
Doubtの命令が、絶対……?
「なんで、そこまでDoubtの事を慕ってるんだ?」
その質問に平原は答えるまでに時間を要した。そして、数分後に答えを紡ぎ出す。
「『了汰の足を治してくれる』って言うから」
俺はその目を大きく見開いた。
Doubtが……浦議の足を治す……? それって――
「――ただ、利用されてるだけじゃ、ないのか……?」
「…………」
平原はそれ以上、何も語る事はなかった。そして、「じゃあ、ちゃんと行きなよ?」と言って、懐中電灯を片手に闇の中へと消えていった。
その後、俺は何本も地から生える木々の中で、一夜を過ごした。
◇
某ファーストフード店
スイッチを切った懐中電灯を片手に携えた平原は、そこへと足を進めた。
エレベーターへと乗り込んで、手馴れた手つきで五階のボタンを押して、その階の廊下を歩いていく。そして、平原は一つの扉の目の前に辿り着き、その扉を開けて、中へと入っていった。
「意外と早く済んだねぇ……憎き相手の顔は、十分に拝めたかい?」
部屋の明かりは蛍光灯を消して、机上の蝋燭の火の明かりだけだった。
そんな部屋で棒付きの飴玉を舐めながら、笑みを浮かべる肩まで髪を伸ばした人物――情報屋――Doubt。
そんな彼の、平原の怒りを誘うような言葉を平原はあっさりと無視して、尋ねかける。
「本当にあれだけで良かったんですか? 私には、彼の気持ちが変わったのかよく分かりませんでした」
「あーいいのいいのー……あのまま、君が行かなかったら、天谷大貴はすぐにPersonaの元に渡っていたからねぇ? あんな発表をPersonaにしちゃったんだから、もっと、面白くしなくちゃあ勿体無いからねぇ」
その言葉に平原は少し呆れながら、その部屋の奥の扉を開けようとしていた。するとそんな時にDoubtは平原へと声を掛けた。
「心配しなくてもいいよぉ? 僕は約束した事はちゃあんと守るからさぁ?」
平原は自らの心を見透かされたと言う事に少し、ドキッとした。しかし、それを表には出す事無く、平静を装ったままの状態で扉を開けて、その部屋から奥の部屋へと入っていった。
「シャイでかわいーねぇ……」
不気味な笑みを浮かべながら、Doubtは自らの口の中から飴玉を取り出す。
「人の心は――少しの衝撃を加えただけでも、粉々に砕け散ってしまう……ホントに扱いが難しくて――」
そのまま、手から棒付きの飴玉を放した。
自由落下運動をした飴玉は床と接した瞬間に大小と粉々に砕け散った。
「――面白いよぉ……」
◇
2011年10月17日
朝日が俺の照らし、眩しかったが為に俺は目を覚ました。
最初、自分がどこにいるのが、分からなかったが、鳥の囀りや周りの木々や草の茂みで思い出す。
ああ……俺は今、山の中にいるのか……
頭を掻きながら、大きく伸びをして、その場で立ち上がった。
寒いな……でも、大丈夫だ。俺はまだ、捕まってない。
安堵の息を吐きながら、俺は傍の樹に寄り掛かって、腰を下ろした。
俺はまだ、決められずにいた。頭の中ではちゃんと、分かっているのに体が動こうとはしない。
俺が捕まったら、そこで――ゲームオーバーなんだ……
するとその瞬間、俺のお腹が泣き声を上げた。
バッグの中にある非常食に使われそうな缶詰や栄養調整食品を手に、俺は苦笑した。
理由は分からないが、今の自分の立場が物凄く、惨めな感じがした。
バッグの中にあったその食料のおかげで、俺の腹は少しだけだが膨らんだ。しかし、腹はまだ、空いている。
皆、今、俺の事を心配してくれているのだろうか……? 戻ったら、白井か翔に殴られそうだな……
そんな事を考えることができた俺。やっぱり、俺はあの場所の居心地が良かったのだ。
皮肉だ……俺の血がDeicidaじゃなかったら、翔や白井や師匠にだって、会う事はなかった……
「そうだ……Personaの元に寝返るのはまだ、早い。捕まりにいくなんて手はもっと、抗って、大切なものを失いそうになった時に使えばいいんだ」
最終手段として……使えばいいんだ……!
俺が二日かかって、辿り着いた答えがそれだった。
翔や師匠なんかに相談していれば、もっと早く、この答えに辿り着いていたかもしれない。
矢崎の言葉を俺はもう一度、痛感した。
“そうやって、お前は! これからもそいつらの命を全部、背負って生きていく気なのか! お前のその小さな体で! 心で!”
重みは話す事で、誰かと共有していかなきゃいけないんだ。
だから――
「――戻ろう……」
そう決断した直後には俺はもう、立ち上がっており、その足を前に踏み出していた。
◇
某マンション
その一室で翔は自らの頭を抱えていた。
くそ……なんで、逃げたりなんかしたんだ……天谷……
翔は自分にも何かしらの責任があると、大樹がマンションから逃げ出してから今まで、ずっと、大貴の事を探していた。勿論、寝る間も惜しんで。しかし、その努力も虚しく、大貴を見つける事はできなかった。
翔としてはまだ、探していたかったのだが、怪我がまだ、完全には治っていない。また、いつ筋肉が裂けるかも分からない状態の翔に白井や龍雅が長い間、大貴を探す事を許すはずが無かった。
そして、そんな二人も重傷を負っていた身。彼らもまた、白井のマンションへと引き返したのだった。
俺の莫迦野郎……
自分を責める翔だったが、それは皆、同じであった。白井やその仲間、龍雅。その全員が自分を責めている。自分のせいで世界の人々が死んでしまうかもしれない、という恐怖に襲われながら。
そして、白井の仲間からは「大貴を拘束すべきだった」と言う意見も出た。だが、白井はそれに反対した。
『あいつは人間だ。殺人ウイルスなんかじゃない……たった一人の“天谷大貴”と言う人間だ。そんな天谷を拘束するなんていう奴こそが、人間じゃない。ただの人間の皮を被ったバケモンだ。お前らの中に良心があるんなら、それを最大限に搾り出して、考えろ』
『しかし、天谷の命一つと世界の人々の命は変えられません!』
『だったら、天谷がもう一度、ここに戻ってきた時には――――俺が二十四時間見張ってやるよ』
白井のその発言に誰も反論を言わなかった。
翔はその事を頭の中で思い出しながら、頭を抱えた状態から動こうとはしない。しかし、そんな彼に朗報が訪れた。
唐突に翔のいた一室の扉が開かれ、白井の仲間だと思しき男が声を張り上げた。
「天谷大貴が――戻ってきたぞ!!」
その声を聞いた瞬間に翔は抱えていた頭を上げた。
瞬時にその言葉の意味を理解できていない翔に男はもう一度、声を上げた。
「だから、天谷が此処に戻ってきたんだ!」
それでようやく、頭で処理ができた翔だったが、頭がその事を処理する前に翔の足は勝手に動きを進め、エレベーターへと向かっていた。
◇
某マンション ロビー
そこには大勢の人が一人の人物を取り囲んでいた。
一人の人物とは大貴。そして、エレベーターで降りてきた翔はその人だかりを見つけるや否やその人だかりに突っ込んだ。
人を何人も掻き分けながら、その中心へと向かう翔。そして、やっと、そこに辿り着いた。
「翔……ごめん……それに白井さんも師匠も……」
中心へと辿り着いた翔の隣にはいつの間にやら、白井と龍雅の姿もあった。
翔は大貴の姿を暫くの間、見て、そして――
――その腹を思いっきり殴った。
しかし、筋力がまだ、完全に戻っていない威力では、大貴を倒れさせるまでには至らなかったが、腹を押さえるには十分なほどの威力だった。
翔の不意打ちに少し、混乱した大貴だったが、すぐに平静に戻った。
「本当に……ごめん……今度から俺は、なんでも俺一人だけで考えすぎないようにしようと思うよ……それに、皆さんにもご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
その場にいた全員に詫びの言葉を入れて、頭を深々と下げた大貴。
「まあ、無事でなによりですね。大貴」
微笑みながら、それに答えた龍雅。
「今度こそ、ホントに拘束だな」
白井も冗談を言うような笑いを浮かべながら、答えた。そして、白井の仲間も大貴へと一斉に声を掛けていく。
――――しかし、そのロビーに集まった人々、全員がもう一度、集まる事は決して、ありはしなかった。
――そして、その時は訪れる。
◇
2011年10月18日 警視庁長官室
Personaは自分の身に纏う、スーツに着替えていた。
彼曰く、今日は記念すべき日だと言う。
俺の計画はこれで、大きく躍進する事となる……
心中で歓喜の感情が込み上げ、Persona――甚は口元を自然と歪ませる。そして、警視庁長官室の出入り口の扉を開けた。
そこで待っていたのは八人の男女たちであった。
『行くぞ、お前ら! パーティーの――――始まりだ』
そう声を張り上げたPersonaは八人の男女たちの先頭を歩き始めた。
八人の男女たちと言うのは正しく、DOLLの事であった。
翔に剣道を教えた麻奈。人形の女の子――吏夜。殺人快楽者――Kill。そして、先日、大貴と相対した人形の姿もちゃんと存在していた。
そんな九人の面子が警視庁の廊下を歩き、外に待っていた車に乗り込んだ。そして、その車の周りには――
――十数台の自衛隊の車が取り囲んでいた。
――そして、その十数台の車は大貴たちのいるマンションへと向かう為に、夜道を走った。