No.15 情報屋――Doubt
「えーと……左腕の失い君は――一宮の息子かぁ? ふーん……」
髪を肩ぐらいまで伸ばし、目元を覆い隠すような前髪の男は口を歪めて、愉しそうに俺の方を見た。
こいつは俺の心を読んでいる最中なのだろうか……? いや、読んでいるのだろう。何故なら、俺の苗字を知っていたから。
龍雅の言っていた千里眼を開眼してる奴が俺の目の前にいるそいつだろう。そして、その目は薄暗い中、光を発していた。しかし、俺にはまだ、目の前にいる奴が千里眼を開眼している事を信じる事ができないでいた。
「僕を疑っているのかい? 面白いガキだねぇ……」
瞬間、俺の心を本当に読んだかのように目の前の男が呟いた。
じゃあ……本当にこいつが……?
「それに……君は本当に面白い過去を持ってるねぇ。母親をその手で殺し、親とも言える人を目の前で人形に殺されてしまったぁ……それでも、君はそれを背負って、立ち上がろうとする……本当に、なんて真っ直ぐな心で――吐き気がする心なんだろうねぇ。そして、君の目の前で自らに刃を突き立てて、眠ったままの女。この女なんだい? 自分に刃物を向けるなんて、ただの――莫迦なのかぁ……?」
目の前で笑いながら語るその男への怒りが俺の中に込み上げていた。
こいつ……唯の事を――!
俺が目の前の男へと殴りかかろうと、足を前に踏み出そうとした時、龍雅によって肩を掴まれ、俺の行動は止められた。
「翔……ここは抑えてください!」
しかし、そんな龍雅の様子を目の前のずんだれた座り方をし、前髪を垂れ伸ばしにした男が嘲笑うかのように呟いた。
「龍雅……別に止めなくても、良いんじゃないかい? 所詮はその翔ってガキが僕に喧嘩を売ろうとしてるだけの事なんだからさぁ? 唯っていう莫迦な女の事に腹を立ててねぇ?」
その発言を聞いた瞬間、俺の怒りは頂点にまで達し、肩を掴んでいる龍雅の手を振り払いながら、俺は唯の事を莫迦にしたそいつの元へと足を向け、そのまま、右手を振りかぶりながら助走で勢いをつけようとした。しかし、俺が男の目の前にまで来た瞬間に俺の世界は反転した。
男に向けていたはずの目線が、今では薄暗い蛍光灯の並んだ天井へと向いている。蛍光灯としての意味を成しているのか分からないくらいの薄暗さだ。
どういう……ことだ……?
今の状況を理解できないまま、起き上がろうとした時、髪を肩まで伸ばした男が俺の上へと圧し掛かってきた。
「怒りで足下が見えていなかったようだねぇ? それに“あの人形との一戦での傷”もまだ、癒えていないんじゃないかい? ほら、起き上がってみなよぉ?」
くそ! こいつ……!
俺は男の挑発に乗って、起き上がってみせようと、腹筋に力を入れるが、起き上がれない。
俺……こんなにも……衰えて……
俺は自らの筋肉の衰えを痛感した。そして、俺の上に圧し掛かったままの笑みを浮かべるそいつは相手を腹立たせる口調で疑問符を投げかける。
「あれれぇ? さっきまでの威勢はどうしたんだい?」
俺はその言葉を聞いて、自らの懐からそれを取り出した。――――ナイフ。
それを見ても尚、男はその表情を変える事はなく、逆に挑発的な言葉を俺に投げかけてきた。
「やってみればぁ? そんな“おもちゃ”で僕を傷つける事ができるんならねぇ?」
だったら――お望みどおりにしてやるよ!
俺は男の挑発に応じて、ナイフを俺の上に圧し掛かった男に向けて、振るった。しかし、そのナイフは男を掠る事も無く、空を斬った。いや、厳密に言ったらそれは違った。
俺の持っていたナイフは男を掠る前に男によって、奪われたのだった。
俺は驚愕の表情で自分の上に圧し掛かっている男を眺め、その後、睨みつけた。
こいつ……俺のナイフをいつの間に……どうやって奪ったんだ……?
疑問が募るが、今はそんな場合ではなかった。
「こんな“おもちゃ”だとしてもぉ……君に向ければ、死んじゃうよねぇ?」
そのナイフが俺に向けて、大きく上へと振り上げられた。だが、俺はその刃を避ける術を持ち合わせてはいない。
――!? やばい……!?
俺に考える時間は無く、そのナイフは俺へとすぐに振り下ろされる事となった。
誰かの肌を貫く音がして、血が周りに飛び散る音も同様にした。
俺は瞬間に眼を瞑ってしまった瞼を開けて、確認する。
刺されたのは俺ではなかった。
なら、誰が――
その瞼を開けた瞬間、目の前に入って来た光景は誰かの手がナイフによって串刺しになっている光景だった。そして、そのナイフに串刺しになってまで、防いでいたのは――
「痛ッ――――――――!?」
――天谷の手だった。
ナイフが手を貫いた痛みで床に倒れてもがく天谷。その手には未だ、ナイフが刺さっており、血を床へと垂れ流していた。
圧し掛かっていた男の体重から逃れられるのと同時に、俺は天谷の元へと駆け寄った。俺と同様に龍雅と白井も。
「おい! 大丈夫か!?天谷!」
その声に天谷は反応を見せずに苦しい表情を浮かべて、床の上をもがくだけだった。しかし、天谷の代わりに髪を肩まで伸ばした男が元の椅子に座った状態で言葉を発した。
「大丈夫。すぐに手当てしてあげますよぉ~?」
その男は自らの指をパチンッと鳴らして、一人の女性を呼んだ。その女性は天谷の元へと近寄って、手に持った箱から何かを取り出していく。
こいつの言う事なんか……信じられるかよ!
そう思った俺はその女性がしようとしている事を止めようとした時、龍雅にまたもや、その肩を掴まれ、阻まれた。
「何すんだよ! こいつは俺にナイフを振るおうとして。天谷を傷つけた奴だぞ!? そんな奴の言う事なんて、信じられるわけがねえだろうが!!」
俺が怒りに任せて叫んだ瞬間、やはり、その男はムカつく笑みを浮かべて、言葉を紡ぐ。
「そう……僕を見方だなんて、勘違いも甚だしいよぉ? 僕は中立だぁ。代価を払ってくれれば、どちら側にでも僕の知り得る“情報”を提供する。たとえ、君たちの敵であるPersonaだったとしても、金を払ってくれれば、君たちの情報をPersonaに提供する。だから、僕を信用しない方が、身の為だと思うよぉ? この――――“情報屋”である僕の事なんかねぇ……?」
「……情報屋……?」
俺はその単語を繰り返した。
こいつは……情報屋だと言うのか……?
俺も“元”殺し屋と言う職業柄か、情報屋は何回か活用した事がある。だが、こんな奴は初めてだった。
情報屋と言うのは信頼こそが、生きる道であり、客に信頼してもらってこそ、初めて一人前の情報屋になれると言う職業だ。だが、さっきのこいつの発言はこれの全くの逆であった。
“僕を信用しない方が、身の為だと思うよぉ?”
俺にはその発言の意味が理解できなかった。しかし、龍雅の言葉によって、その意味の理解へと辿り着く。
「紹介するのが遅れましたね。この人が私の言っていた千里眼を開眼している人物――情報屋のDoubtです」
そうか!? 千里眼を開眼しているんだった!
俺はその事をすっかり、怒りで忘れ去っていた。男は千里眼で人の心が読め、未来が読め、情報を得る事ができる。
だから、今の俺の情報はこいつにダダ漏れだ。そして、千里眼のおかげでこいつには客の信用はいらない。
俺が茫然と考えていたその時間で女性によって、天谷の手当ては終わったようであった。
「天谷大貴は休んでいた方が良いだろうねぇ……奥のベッドに連れてってあげなよぉ」
「いえ……大丈夫……ですから……」
包帯のされた右手を苦しそうに左手で押さえながら、天谷は立ち上がった。
「ふーん……まあ、平気なら別にいいけどぉ……」
笑みを消して、残念そうに呟いた男はもう一度、その顔に笑みを浮かべて、こちらを向いた。
「でさあ、君たちは一体、僕に何の用なんだい?」
千里眼で俺たちの心を読んでいるので知っているであろう事をあえて、男は尋ねてきた。
その尋ね掛けに答えたのはやはり、龍雅だった。
さっきから何も動きを見せていない白井は、というと、俺や天谷と同様に、初めて目の前の男と会ったようで、戸惑いの表情は見せなかったが、押し黙っている事からバレバレであった。
「私たちは千里眼を開眼する方法をあなたに聞きに来たんですよ。代償は――」
瞬間、龍雅は自らの手にずっと持っていたトランクを男の座っている目の前の机上に置いた。そして、トランクを開けて、その中を見せつけた。そのトランクの中には大量の福沢諭吉が写っていた。しかし、男はそれを見ても、何の歓声も上げずに当たり前だと言わんばかりの表情でそのトランクを閉じて、自分の横へと持って来た。
「千里眼の開眼方法はねぇ……――」
男は笑みを浮かべて、はっきりと言い放った。
「――そんなもの――――分かるわけが無いよぉ?」
俺は訝しげな表情でそう言い放った男を見たが、男はますます、その口元を歪めて、言葉の続きを紡いだ。
「藍堕権介は確か、十二歳? そのくらいの歳で千里眼を開眼したようだったけど、それでもどうやって千里眼の開眼に至ったのかは分からない、と言っていたよぉ? それなのに物心ついた頃にはもう既に千里眼を開眼していた僕がそんな方法、知っているわけがないよぉ……」
俺は溜息を吐いた。
これで俺の左眼の死角を補う方法は無くなった、と言っても過言ではなかった。
「けど、まだ、諦めるには早いよぉ? 翔」
俺の今の心境をその眼で読んだのだろう。
男は言葉を続ける。
「大丈夫だよぉ? 僕の眼には君が千里眼を開眼する事はちゃんと、視えているからねぇ……」
「本当か!?」
俺が確認の為に言葉を発すると、男は頷いた。
……俺は……千里眼を開眼できるのか……!
俺は嬉しさを隠せなかった。しかし、男は「けど……」と言葉を続けた。
「千里眼は君の命を削って、発動すると言う事を忘れてはいけないよぉ……? ホントに……千里眼は情報屋として使うのが一番、利口な使い方だと思うんだけどねぇ? 翔、君も情報屋になったらどうだい?」
「断る」
俺はそう即答した。
すると男は、「そう答えると思っていたよぉ」と笑みを浮かべたその表情を保たせながら、言った。
そして、男はその千里眼で何を視たのか、話題を切り替えた。
「それよりも……勘違いをしてはいけないよぉ? ――――心の傷が癒えるのには、君が思っている以上の時間が掛かるんだよぉ?」
その言葉は俺の胸に突き刺さった。
何故、この人はそんな事を言ったのだろうか……? 俺の心を読んだ上で……そんな事を言ったのか……?
疑問を募らせるが、分からない。
俺は男が自らの口元をずっと、歪めたままだったのが妙に気がかりで、不気味だった。
「さあて、お金もこんなにもらった事だし、君たちには少し、これからの事について、話した方が良いかもしれないねぇ? まあ、詳しい事を言う事できないけど……――明日、大きな出来事が君たちを待っているよぉ?」
大きな……出来事だと……?
俺は心中でその言葉を繰り返して、男を眺めた。すると、男は天谷の方にその目を向けているように俺には見えた。
――!? 気の……せいか……?
「その『大きな出来事』とは、何なのですか?」
龍雅が男に対して、尋ねかけたが、男は首を振って答える。
「さっきも言ったようにこれ以上、詳しい事は言えないんですよぉ。それよりも、その大きな出来事が起こった時に、落ち着いて対処してくださいねぇ? 絶対に自分の身を第一に考えてくださいよぉ? でないとぉ――」
男は一息置いて、その言葉を紡ぎ出した。
「――――君たちの全てを失う事になり兼ねませんよぉ? 勿論、自分の命も含まれますよぉ?」
笑みを消した男の表情は真剣そのものであった。
大きな出来事……どんな事なんだ……?
俺は心中で不安を膨らませながら、黙って立ち尽くした。
不安と同時に俺の中では、もう一つの男の言葉が鳴り響いていた。
“心の傷が癒えるのには、君が思っている以上の時間が掛かるんだよぉ?”
俺の中にある犬塚さんの死による心の傷……それはまだ、男の言うとおり、確かにこの胸の内に残っていた。
「では、皆さん。もう、行きましょうか?」
その龍雅の一言によって、俺は薄暗い部屋の出口へと向かった。しかし、その部屋を出ようとした瞬間、男に声を掛けられ、その足を止めざるを得なくなる。
「ちょっと、いいかい? 翔」
俺はその男の微笑んだ表情の顔を見た。それはさっきまでのムカつく笑いではなく、本当の微笑みのようだった。
「……なんだよ?」
「君はその心の中で『殺し屋を辞める』と決意したよねぇ?」
俺はその質問に対して、頷いた。
その質問を俺の後ろで聞いていた三人はと言うと、その目を大きく見開かせているようだった。
そう言えば、三人にはまだ、言ってなかったな……ちゃんと、あとで説明しとかないとな。
「そうかい……その決意を絶対に忘れては駄目だよぉ? 君はもう、殺し屋じゃあない。ただの無職の人間って事をねぇ」
無職の人間と言われた事が気に食わなかった。そして、俺は男の言っている事の意味が良く理解できなかったが、頷いてみせた。
◇
大貴、翔、龍雅、白井の去ったその部屋には一人の人物――情報屋のDoubtの姿しかいなくなってしまった。
そんなDoubtは尚も、自らの口を綻ばせながら、机上に行儀悪く、足を乗せて椅子に座っている。
瞬間、Doubtは自らの指をパチンと鳴らして、先に大貴を手当てしていた“少女”を呼び出した。
「お呼びですか?」
「ああ。君に少しばかり、頼みたい事があってねぇ……引き受けてくれるかい?」
その質問に対して、少女はその首を横に振って答えた。
「全てを引き受ける事はできません。その内容によります」
「フフフッ……やっぱり、君は僕が見込んだだけの女ではあるよねぇ。それにしても、天谷は君の事に全然、気付いていなかったようだけどぉ?」
Doubtは机の引き出しから、無造作に棒付きの飴玉を取り出して、覆っているビニールを外し、舐め始めた。
「無理もない事です。私と天谷君は“クラスが違いましたから”。けど、私の方は“了汰”からいろいろと話を聞かされていました」
その少女が口にした了汰と言う名前は浦議の下の名前と一致していた。すると、Doubtの目の前にいる少女は浦議と何らかの接点があるようだった。
「了汰くん……浦議くんは本当に災難だったねぇ……天谷と一緒にいたおかげで、巻き込まれて、今じゃ車椅子生活。そりゃあ、君も恨んでるよねぇ……? 天谷の事を?」
その質問に対して、少女は即答した。
「当たり前ですよ。私は――――“了汰の恋人”なんですから……それより、私に頼みたい事って、何なんですか?」
その少女は自らの事を浦議の恋人だ、と言った。
そんな少女を見ながら、Doubtはその口元を歪めて、愉しそうに言葉を紡ぐ。
「君に、天谷に接触して欲しいんだよねぇ……あっ! でも、いくら恨んでるからって、天谷を殺すのだけはNGだよぉ?」