No.14 パンドラの箱
2011年10月15日
目の前の黒い影は何も告げようとはしない。
黙ったまま、俺の行動を窺っているように見えた。
先手必勝とはよく言ったもので、人形相手では先に動いた方が負ける可能性が高い。かといってずっと佇んだままでは意味がない。
では、どうすればいいのか。
何もしてないように思わせてから攻める。
一般人程度の身体能力しか持ち得ない俺にはこれしかなかった。
「お前はもう終わりだ。人形」
漫画の主人公のような台詞を吐くが、それは嘘でもなんでもない。本当の事だった。
黒い影――人形の体中には無数のワイヤーが張り付いており、動こうとすれば、そのワイヤーは人形の肌へとめり込んで斬り裂く。
人形が動かせる事ができるのは指と口と眼くらいだった。
そして、人形はその動かせる口を使って初めて言葉というものを俺に告げた。
「天谷大貴……予想以上の男」
人形は不気味に口元をにやりと歪めた。
さっきまでの無感情の顔から感情を表面に出した人形の周りの空気が変わったような感じがした。
暗闇が人形のいるところだけより一層、闇を濃くしたような感じだった。
背中に妙な悪寒が走り、頬に冷や汗が垂れた。
「Personaもいい仕事を与えてくれた。最初は外れかと思っていたが……」
命令を下して、自分達を創った人物の名を呼び捨てにする人形は言葉を紡ぐ。
「大当たりと言う事か? なぁ……お前はちゃんと俺にとっての当たりでいてくれよ」
人形は自らの右腕を無理やりに動かそうと力を入れた。
当然、ワイヤーが皮膚に食い込み、切傷が刻まれる。だが、ワイヤーの強度にも限界があったらしく、人形の骨に当たったところでワイヤーはぶち切れた。
人形の右腕からは大量の血が流れ出る。だが、次の瞬間には右腕の傷は全て塞がっており、血も垂れ流さなくなった。
そんな様子を見て俺はなんの驚く素振りを見せない。それは当たり前の事だからだ。鳥が空を飛んでいて驚く人がいないように人形の傷が塞がるのを見ても驚かないのだ。
人形は自分を縛りつけているワイヤーをどんどんその方法で解いていく。
普通、今の俺の状況下ならば危機感を覚えるのだろうが、俺は全然と言っていいほど危機感を感じていなかった。
何故なら――
瞬間、人形がよろめきながら膝に手をついた。
息も荒く、汗もダラダラと垂れ落ちていく。
「お……おまえ……何をした……?」
人形は俺のほうを睨みつけながら、疑問を口にする。
俺は人形の疑問に対してあっさりと答えを述べた。答えを明かしたところで何もできやしないのだから。
「お前の体に巻きついてたワイヤー。それに毒が塗ってあっただけだ」
「だから……お前は――」
人形は瞬間、俺の両手を凝視した。
人形が俺の両手を見たのかは自分でも分かっていた。何故なら俺の両手には――
「そう。手袋してるんだ」
――白い手袋をはめていた。
俺はポケットから数本のワイヤーを取り出してもう一度液体を塗っていく。
そして、ワイヤーの先についた錘を街灯や木に投げて、人形の体に巻きつかせた。蜘蛛の巣のように絡みついたワイヤーは人形の動きを止めた。
まぁ、ワイヤーなんて無くても人形は毒で動く事ができない。
「さあて、問題です。ワイヤーに塗った液体の正体は何でしょうか?」
自分の言った事に自嘲的な笑みを浮かべながら、俺は両手の白い手袋を外した。
俺はポケットからあるものを取り出して人形に見せつける。
「まさか!?」
大きく目を見開かせた人形が見たものは――
「そう、ワイヤーに塗った液体は――油だ」
――俺の手にあるライター。
俺はカチッとライターの火を点けてワイヤーへと近づける。
瞬間、ワイヤーに吸い込まれるようにその火はワイヤーを伝っていった。
そして、人形に巻きついているワイヤーまで到達した瞬間に火は人形へと襲い掛かった。
「あああぁぁああ! ああああああぁぁぁ――ああああああ!」
叫びを上げる人形はワイヤーで縛りつけられ、もがく事も叶わずに火達磨となる。
マグマのように溶け出した皮膚や脂肪がどろどろと地面に垂れていく。
俺はその光景を見ていられなかった。
目を瞑ってその現実から目を背けた。
――俺が人間を焼き殺している現実。
人形=人間じゃないってのはちゃんと頭では理解している。
だが、第三者の目から見たら、俺は“人間”を焼き殺しているんだ。
その現実が俺を苦しめる。
俺は殺し屋じゃないし、自衛隊の人間でもない――――ただの高校生なんだ。
「あく、ま」
唐突に鳴り響いた声に俺は目を開けた。
火達磨の人形が俺の眼前にいる。醜い姿で。
「お前は、あく、まだ」
途切れ途切れの言葉で告げていく。
「人間と、いう名、の皮、をか、ぶった、悪魔、だ。にんげ、んを平気、で焼きころ、すなんて、のはにん、げんならた、えられない」
俺は何も応えられない。
人形が言っている事は事実だった。
人形を今日で二体目をこの手で殺そうとした。
その二回。たった二回だけで俺は人間から化物へと変貌していってるんじゃないかと思うようになった。
平気なんだ、人形を殺しても。
俺は人形に背を向けてその場から立ち去ろうとした。
師匠によれば、人形は人間の十倍の細胞分裂回数を誇るのだ。何百回と殺さないといけなくなる。
「にげ、るのか?」
人形が俺に向かって言った。
そう。俺は逃げ出す。
これ以上、化物にはなりたくない。人形を人形だと割り切る事ができない。
だから、俺は――その場から逃げ出した。
◇
警視庁長官室
警視庁長官室の机上にあるパソコン。そのパソコンのキーボードに指を走らせて、画面を凝視する人物がいた。
パソコンの脇にはいつも被っている筈の仮面が置かれている。そう。パソコンのキーボードに指を走らせている人物は警視庁長官である小堺甚――Personaであった。
そんな甚は深く溜息を吐いて、パソコンのキーボードと画面から手と目を離して、天井を見上げた。
一時の間、何も考えずにぼうっとしていた甚はもう一度、深い溜息を吐いて、考えに耽り始めた。
――浩市は失敗だったな……大貴にすんなりと壊された。原因は細胞分裂回数の減少か……
“大貴にすんなりと壊された”と言う事から甚がその前に言っている浩市と言う者の事だろう。それに細胞分裂の回数の話も出ている事から、浩市と言う人物が人形であると言う事が分かる。
そう推測すると、浩市と言う人形は、浦議を下半身不随にし、大貴のワイヤーによって肉塊にされた人形の事であろう。
――麻奈は俺の命令を聞かなかった……その後、もう一度、命令を効くように頭の中をいじくったが……失敗。全ての記憶を一度失い、もう一度復元したが、積み上げられてきた剣術の経験を忘れていた……だから、翔との一戦では簡単に敗れた。
翔に剣道を教えた麻奈は人形に連れて行かれ、Personaの元へと突き出された。そして、翔との接触の記憶を消す際に誤って、全ての記憶が消去されてしまったのだった。
記憶がなくなっても、経験は体が覚えていると言うが、麻奈は以前のような強さを取り戻す事はできなかった。
――来須は完全に失敗だった。復讐に捕らわれ、我を失った。
翔に腕を斬られた挙句に毒も盛られた人形――来須はPersonaの言うように復讐に駆られてしまった。
――俊は藍堕に殺された。
唯の入院している病院へと赴いた人形はPersonaの重要な目的を遂行しようとしているようだった。
「あと、人形は七人か……」
独りでに呟いた甚は一人、一人の名前を告げていく。
「麻奈、吏夜、栄太、沙由、隆、健兎。そして――」
甚は何の意図があってかその名前を告げる前に一息置く。
「――Kill……それに、首斬りもだから八人か……」
Killと言う名を告げた後、甚は警視庁長官室の天井を睨みつけた。
……人形に感情を与えて……正解だったのか……?
甚は自分の行動が自らの計画に対して、有意義なものだったのかを考える。その答えは定かではないが、甚の答えは間違いだった方にほんの少しだけ傾いていた。
首斬りとKill……比べるものじゃないが、感情のない首斬りの方が――
心中でPersonaが呟こうとした瞬間、警視庁長官室へと近づいてくる誰かの足音に気が付いた甚は、机上のパソコンの脇に置かれた仮面をすぐさま、その顔に付けた。
勢い良くドアが開かれ、ノックもせずに入ってきた人物は――
『Killか……』
――Personaが記者会見で全国の暴力団とヤクザを排除する事を表明した日に山のように積みあがった暴力団とヤクザの屍の上に佇んでいた人形がPersonaの目の前に存在していた。
その人形の血に餓えたような眼光はあの時と変わっておらず、Personaを睨みつけている。
「おぉい、仕事片付けたぞ! 早く次の仕事を言えよ」
Killはイライラとした態度でPersonaへと詰め寄る。
『そう焦るな。明後日……いや、もう明日か? 大きな仕事がある』
「はあ? ふざけてんじゃねえぞ、ペルソナァ!! その明後日でどんだけの奴らが殺せんだよ! 千人かぁ? それ以下なら俺ァは待てねえぞ!!」
Personaの胸倉を掴みかかろうとしたKillの手をPersonaは掴みかかる前にその手を掴んで止めた。
『そんな態度をとっても良いと思ってんのか? 俺は今すぐにお前の記憶を消して、操り人形にしてやってもいいんだがな……?』
その発言にはただならぬ殺気が篭められていた。機械で変えられたような声でも、分かるくらいの凄まじい殺気。
Killは自らの手を止めているPersonaの手を振り払った。
「チッ……分かったよ。んで、明後日は何人殺せんだ?」
落ち着いた声色を取り戻したKillだったが、その血に餓えた眼光に変わりはなかった。
そうさせたのはPersona。やはり、Personaの命令は人形に絶対、効くのであった。
『さあな……状況にもよるが、抵抗するんだったら――何人でも殺せ』
その言葉を聞いた瞬間にKillは喜びで自らの口元を歪めた。
「その発言、忘れんじゃねぇぞ、ペルソナァ?」
そんな捨て台詞を吐きながら、KillはPersonaに背を向けて、颯爽と部屋を後にした。
正に嵐のように荒々しく、すぐに去っていった人物であった。
『世話の焼ける野郎だ……』
Personaは溜息を吐いて、自らの仮面を外して、パソコンの画面の端に映し出された時刻を読んだ。
「午前の一時、二十三分……」
甚はその瞬間に自らの口元を歪めて、微笑んだ。
「甚としてじゃなくて、Personaとして会うのは二回目だな……大貴」
◇
午前八時
俺は人形から逃げてから、あのまま白井のマンションへと戻って、ベッドに着いた。気が付いた時にはもう、その眼を閉じて寝ていたようで今、目を覚ました。
いや、起こされたといった方が良いのかもしれない。俺を起こしてくれた人物はベッドからその身を起こした俺の目の前にいた。
「早く顔洗って下のロビーに来い。じゃあな」
俺を起こしてくれた人物はそう伝言を言って、部屋から出て行った。その人物とは翔だった。
俺は翔の去っていった部屋の入り口を見ながら、あくびをして、ベッドから降りる。大きく伸びをすると、すぐに目が覚めた。
今日は目覚めがいいな。
そんな事を思いながら、顔を洗ったり、歯磨きしたりといろいろと準備をしてから、部屋から出て行った。
◆
ロビーには白井、師匠、翔、矢崎がいた。しかし、矢崎は俺たちが行こうとしている所には一緒に行かないらしい。
これから俺たち四人は千里眼を持っているという人物の元へと向かう。皆、手ぶらのようだったが、龍雅だけはその手にトランクを持ち合わせていた。
三人の傷は普通に生活するくらいなら、支障が無いほどまでには回復しているが、走ったりするのはきついらしい。翔に至ってはまだ、走る事もできないようだ。
「気を付けてください」
と言う矢崎の一言に見送られて、白井のマンションを後にした。
俺はちゃんと、その顔にサングラスをかけている。犯罪者が歩いているなんて、バレたりしたら、偉い事になってしまうからだ。
師匠の背を追いかけながら進んでいくと、電車に乗ったりして、高いビルが沢山立ち並ぶ、都市にまで来てしまった。
人通りも多く、俺はバレてしまうんじゃないかと内心ドキドキしながら、顔を少し俯けて、師匠の後をついていった。
「さあ、目的地に着きましたよ」
師匠がそう言いながら、立ち止まった。俺は顔を上げて、その場所を確認しようとしたのだが、その場所を見て、首を傾げてしまった。その場所は――
「――ファースト……フード店……?」
首を傾げた状態で眺めるが、どこをどう見てもファーストフード店。高いビルと一緒になった、一階にあるファーストフード店。
ファーストフード店で俺が聞いた事の無い名前の店となると、あまり有名な店ではないのだろうか。
俺は少し戸惑いながら、師匠の後に続いて、店内へと足を進めた。
そこには普通のファーストフード店と同じく、カウンターが存在し、メニューもハンバーガーやポテト、セットメニューと他のファーストフード店となんら変わりなかった。そのカウンターの横には階段とエレベーターがある事から席は二階にあるのだろう。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」と笑顔で言うカウンターの店員に対して、師匠は折り曲げられた一枚の紙を渡した。
「何名様ですか?」
「四名です」
そうして、その店員から何かの紙を渡された師匠は「五階へお願いします」と店員に言われたため、カウンターの横のエレベーターへと向かう。
エレベーターが一階に降りてくるまでの少しの待ち時間、俺は師匠にふと、疑問に思った事を質問してみた。
「さっき、店員の人に何、渡してたんですか?」
「さっきの紙の事ですか? あれはただ、漢字で『憂鬱』と書かれただけ紙ですよ」
俺はその師匠の答えに納得がいかないまま、その事については考える事をやめた。何故なら、その先を質問しても師匠が答えてくれなさそうな顔をしていたからだった。
エレベーターに乗って、五階のボタンを押し、ビルの五階へと向かう。
……千里眼をその眼に宿したその人はどんな人物なのだろうか?
少し人物像を予想しながら、エレベーターが五階に着くのを待っていると、ほんの数秒で五階に着いてしまい、予想する時間が足りなかった。
エレベーターを降りて、薄暗くて、狭い廊下を歩いていくと、一人のスーツを着て、無愛想な表情をした男が立っている扉が右側に現れた。
師匠はその無愛想な表情の男に先ほど、店員に渡されていた紙を見せると、無愛想な表情の男は背にある扉を開けて、俺たちを中へと誘った。
その先には短い廊下が続いており、その廊下が終わるのと同時にもう一つの扉が現れる。
その扉へと歩み寄って、師匠がその扉のノブに手を掛けた。
――俺はその瞬間、開けてはならないパンドラの箱を開けたような、そんな気がした。
「やぁ、まさかこんな日に来るとは思ってもみなかったよぉ? 明日は……っと言わない方が良いかもねぇ……」
その声は男のものだった。
ホテルの一室、畳、十二畳くらいの広さはある部屋には薄暗い蛍光灯が何箇所かにしか点いていない。部屋は窓が無い分、暗かった。
扉から一番遠い場所に机があり、そこまでの道のりは樹海。全然、物が片付けられていない。そんな机の後ろの椅子にずんだれた状態で座っている人物がそこにはいた。
髪を肩くらいまで伸ばし、目元を覆い隠すような前髪。その口を愉しそうに歪めて、その男は言葉を続ける。
「えーと……左腕の失い君は――一宮の息子かぁ? ふーん……」