No.09 Don’t leave me alone
200X年 某日
「ねぇ、お母さん……私ね? 最初から殺しが好きだったわけじゃないんだよ?」
包丁を逆手で持った女の子が怯える表情で横たわる母親の上に乗っている。
彼女はこの事件により、少年院送りにされた少女。そして、Personaによって人形にされる四年生くらいの女の子であった。
その事件は大量殺人事件。その被害者の一人目が少女の目の前にいる自分の母親だった。
「でもね……私気付いたの。殺しってね? 楽しい事なんだよ?」
少女の発言に対して、首を激しく横に振る母親。
「違うわ……殺しはいけない事なのよ! 桃!」
「どうして……どうして認めてくれないの? どうして皆、私を否定するの?」
我が娘の問いに母親は答えられない。
その母親を見下ろす娘――Personaによって人形にされる女の子はその目の色を変えた。
「……嫌い」
包丁を天井へと振り上げる少女。
「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い!」
その瞬間、自らの手に握る包丁を振り下ろそうとした女の子を母親は蹴り飛ばした。
包丁を持っていようが力はまだ、小学生。大人の力に敵うはずがなかった。
床に叩きつけられる女の子の手から母親は包丁を取って、放り投げた。
手足をじたばたさせる女の子。だが、そんな女の子も母親の手によって制された。
「触らないで! 私……全部知ってるんだから!」
「――!? なに……を……?」
じたばたしなくなった女の子の前でその目を大きく見開く母親。
その反応に対して、女の子は不敵な笑みを浮かべて見せた。
「全部知ってるくせに……とぼけるだけなんでしょ!」
倒れている体を起こして、立ち上がる少女。その様子を母親は止めもせずにぼーっと見つめる。
「……へー……自分からは話してくれないんだー。お母さんも私を否定するんだ……」
「なに……なに言ってるのよ! 母さん、桃に隠し事なんて一切してな――」
「――うそつき!」
母親の言葉を遮った女の子の怒号は家の中に響き渡った。いや、外にも少しは聞こえていたかもしれない。
そんな娘の怒号を目の前で聞いた母親は体を強張らせた。
「うそつき! なんでうそつくの!? 私、ぜーんぶ知ってるんだから! 『あの子なんて死んでしまえばいいのに』ってあいつと話してたの……ぜんぶ知ってるんだからねっ!」
全てを口にした少女。
その言葉を聞き終えた母親はその顔に笑みを浮かべた。
「そうよ……あんたさえいなければ――」
次の瞬間、母親の両手が少女の首を捉えた。そのまま母親によって最大限の力が注ぎ込まれていく。
「あんたなんて……生まれてこなければ良かったのよ! 今すぐここで死ねばいいのよ!」
◇
三日前 学校
彼女は一人だった。いつも、いつも一人だった。
彼女は一人が好きというわけではなかった。いや、彼女は一人が寂しかった。
しかし、世界は彼女を否定する。
「死ねよ!」
その言葉は集中的に彼女だけに向けられた。
そう。彼女は同学年の生徒のストレス解消の存在として学校にいた。
人の性。自分よりも何か劣っているところがあればそれを棚に上げて、見下す。玩具にすると言っても過言ではなかった。
現に彼女は同学年の全員といってもいいほどの人数からストレス解消の玩具としてしか扱われていなかった。
そんな彼女に気付く事無く過ごす教師。そんな教師も彼女にとっては敵以外の何者でもなかった。
私は何もしてないのに……ただ、ひとりでいたくないだけなのに……
「お前……うざいんだよ!」
暴力が彼女を襲う放課後の帰路。
それに耐える彼女。
この仕打ちを彼女は一年前から受け続けていた。しかし、彼女は誰にもそれを話す事はしなかった。
ひとりぼっちにだけはなりたくない。
周りの人々から完全に無視される事を彼女は恐れた。それ故に耐え続けてきた。
しかし、彼女は全てを溜め込むだけで吐き出そうとはしない。いつか暴発する事は目に見えている事だった。
◆
次の日
教科書、ノート等の彼女の勉強道具への落書きは当たり前で、そのまま授業を受ける毎日。
昼休みにはいつもどおり、虐められる。
水をかけられる。こけさせられる。殴られる。蹴られる。唾を吐かれる。
私はまだ……ひとりじゃないんだ……
それが彼女の唯一の心の支えとなって、蓄積され続けるものを暴発させる事はなかった。しかし、学校からの帰路の途中、彼女はその男に会った事によって、その心の支えが折られる事となってしまう。
顔を俯かせながら歩いていた彼女はある男をぶつかった。
「す、すみません!」
すぐさま謝って、その場から立ち去ろうとした彼女だったが、そのぶつかった男の一言によってその足を止めた。
「君はただ、人から否定されているだけだよ? 暴力を振るうのは君の存在がうざいからだ」
呟かれた一言の言葉は彼女の胸の奥深くにまで突き刺さる。
「……どーゆーこと……?」
そっと俯けた顔を上げた彼女。その目に映るのは――
「意外と可愛い女の子だね」
――にこりと微笑む制服を着た高校生――小堺甚の姿であった。
少し、頬を赤らめた彼女だったが、すぐにもう一度、尋ねる。
「ねぇ……? どーゆー事なの?」
首を傾げている彼女のそんな姿を甚はさっきまでの微笑を消し去って、哀れみの目で見下した。
「俺の言ったとおりの事だよ。君はただ、皆に否定されているだけ。君は今、ひとりぼっちなんだよ」
「私……ひとりなの……?」
彼女の目の色が絶望の色へと段々と変化していく。そして、彼女の幼い体は震え始めた。
なんで……? じゃあ、私は何のためにいじめられてきたの……? どうして……? 私は……私は――
彼女は甚を振り切って、その場から走り去ろうとしたのだが、甚の手によって彼女の腕を掴まれた。
「放して!」
手足をばたつかせて、抵抗する彼女であったが、相手は高校生。彼女の力が甚の力を上回る事などなかった。
彼女の腕を掴んでいる甚は彼女を宥めるような口調でその言葉を紡ぎ出す。
「だが、君が一人ぼっちにはならない方法が一つだけならあるよ?」
その言葉を聞いた瞬間、彼女は大人しくなり、言葉の続きを甚が紡ぎ出すのを甚の目を見つめながら待ち望んだ。
「全てを壊してしまえばいいんだ。君の手で。いや、壊すんじゃなく、殺すんだ。否定した奴らをみんな、みんな君の手で殺してあげればいいんだよ」
その意味不明な言葉を口にした甚に向けて、尚も視線を送る彼女。
「『人を殺す』って意味を君は知らないのかい?」
「……息を……止める事……?」
そう口にした彼女の答えは正答であった。だが、その答えを甚は望んではいなかったらしく、溜息を吐いてみせた。
「違うよ……『人を殺す』って事はその人の命を背負ってこれから生きていく事。即ち、君の中に殺された人の命がそのまま宿るって事だよ。だから、君を否定した奴らを殺せば、その血を浴びる事やその命を背負う事でそいつらは君の中に命を宿す。これで君は晴れて、一人ぼっちではなくなるんだ」
それだけ言うと、掴んでいる彼女の腕を放し、甚は後ろを振り返ってその場から立ち去ろうとした。
「待って!」
彼女のその声によって、その足を止めた甚は彼女から尋ねかけられる。
「お兄ちゃんの……お兄ちゃんの名前は?」
甚は最初に彼女に向けた微笑で自らの名前ではなく、通称を口にした。
「……Persona」
甚は止めていた自らの足をもう一度、動かし始め、彼女の前から完全に去っていった。
ペル……ソナ……? 外人さんなのかな……?
Personaの意味を知らない彼女は独自にそう解釈して、甚の名前の事について考えるのを止めた。
“否定した奴らをみんな、みんな君の手で殺してあげればいいんだよ”
彼女が歩みを進め始めた時、彼女の頭に過ぎったのは甚のその言葉であった。
「私は今……ひとりぼっち……」
彼女はそのまま、歩みを止める事無く帰路を辿り、家へと帰った。
◇
次の日
彼女はいつもどおり学校へと登校し、席に着いて授業を受けた。しかし、昼休みが近づくにつれて、彼女は段々とオドオドし始めた。
また……いじめられる……
甚の言葉によって彼女の心の支えが折れようとしていたのであった。
給食の時が終わり、彼女にとっての地獄の時が今、始まろうとしていた。
先生が教室から出て行った瞬間、それは始められた。
彼女は同じクラスの生徒に蹴られて、椅子を机の上に置き、全ての机を前に移動させた教室の真ん中へと追いやられる。そして、彼女を虐めようとする人間に囲まれた。
「今日はやけに私たちの事、怖がってるねぇ……そこがまた、うざいんだけどさ!」
彼女は体を一瞬、ビクつかせた。その瞬間、彼女を囲んだ人間による集団リンチが開始された。
もう……いや……!
今まで受身の状態だった彼女が初めて、抵抗した瞬間であった。
人間に囲まれたその円から出て、彼女は小さな声で尋ねた。
「なんで……なんで私をいじめるの……?」
その目を潤ませながら、
「ねえ……なんで!?」
声を掠れさせながら彼女は叫んだ。
彼女のその発言は教室内の時間を一瞬、停止させた。しかし、その時間はすぐに動き始める。
「そんなの決まってるじゃない。お前が嫌いで、うざくて、消えて欲しい、死ねばいいと思ってるからよ!」
彼女の心に鋭く突き刺さる言葉。
「私は……皆に否定されてるの……?」
「もしかして、今頃、気付いたって言うの? お前は世界にとって必要の無い人間なんだよ! だから、消えろ!」
その言葉が投げかけられた直後、顔を殴られた彼女はいつもならば容易に倒れていたであろうその体を歯を食いしばって、押し止めた。
そのまま、顔を俯かせる彼女。そして、彼女は自分の横にある机の上に逆さまに乗った椅子をその手で掴んだ。
「私を……私を――」
そして、彼女は今にも折れそうな細い腕でその椅子を持ち上げた。
「――私を否定しないで!」
その椅子をクラスの人々の集まる場所へと放り投げ、
「――私をひとりぼっちにしないで!」
さっきの椅子の乗っていた机に手を置いて、
「――私を殺さないで!」
勢い良く前に倒した。
「――私と仲良くして!」
久しぶりに大声で叫んだ彼女は息を切らせながら、その場に立ち尽くす。
その豹変ぶりに誰もが目を大きく見開かせている中で彼女に言葉を投げかけ、殴った少女だけが立ち尽くした彼女へと近づいて――
――――教室の床に彼女の体を叩きつけた。
そして、そのまま彼女への集団リンチが再開された。
それは昨日よりも明らかに度の過ぎた虐めだった。
◇
それはその日の夜の出来事であった。いや、その時間帯は夜ではなく、世間で言う深夜。
勿論、寝床に着いていた彼女であったが、彼女の母親の声によって目が覚めた。
「……うよ……の日曜……」
誰かと電話をしている母親の声。
彼女は興味本位でその声に耳をすませた。
「今日もいろんなところに痣を作って帰ってきたわ――――多分、あの子学校で虐められてるのよ――――えっ? だから子供は嫌い? じゃあ、あの子がいなければ、私と結婚してくれるの――――? ホント――――? だったら、あの子なんて死んじゃえばいいのに」
彼女が身の回りの全ての人間から否定されている事を本当に実感した瞬間であった。
“否定した奴らをみんな、みんな君の手で殺してあげればいいんだよ”
甚の言葉が彼女の頭に過ぎった。
その瞬間、彼女は鋭い眼光で今、母親がいるであろうところを睨みつけた。
◇
某日
「あんたなんて……生まれてこなければ良かったのよ! 今すぐここで死ねばいいのよ!」
彼女が生まれてすぐに夫と離婚した彼女の母親は今、彼女の首を両手を使い、最大限の力で締めつけている。
しかし、その瞬間――
――ピンポーン――
玄関のインターホンが家の中に響き渡り、彼女の母親の動きを止めた。
両手の彼女の首を締めつける力を緩める母親。その瞬間を彼女は決して見逃しはしなかった。
母親を蹴って、首を掴んだ手から解放された彼女はそのまま、地面に転がった包丁を逆手にとって、母親の体に突き刺した。
腹に突き刺さった包丁は彼女の母親の意識を絶望へと追いやる。
「いやぁぁぁぁぁああああああああああ!!!」
母親の腹からは大量の血が流れ出ていき、服に染み、床を伝っていく。
そんな母親の死にそうな姿を目にしながら、彼女は心から微笑んだ。
「お母さん……これで私と一緒になれるよ……」
彼女は家の床に倒れこむ母親に近づき、その腹に生えた包丁を引き抜いた。
「あああああああぁぁあぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁああああ!」
その叫び声の大きさが痛みの大きさを物語っているようだった。
「大丈夫……大丈夫だよ? お母さん……すぐに楽にしてあげるからね? そして、私の中に……私と一緒に……」
「やめて……やめて、桃!」
母親のその言葉を無視して、彼女は逆手に持った包丁を振り下ろした。
何度も何度も振り下ろし、彼女の体は大量の返り血を浴びた状態となった。
その表情を綻ばせて彼女は包丁を持ったまま、玄関のほうへと向かう。
みんな、みんな殺さなきゃ……私と一緒にならなきゃ!
玄関を開けたその瞬間、インターホンがなっていた事に気が付いた彼女だったが、開けた後ではもう遅かった。
しかし、そこには――
「そのまま出たら、捕まってしまうよ」
――その顔に笑みを浮かべ、制服を身に纏った甚の姿があった。
◆
甚の言う事に従った彼女は返り血を浴びた服を着替えて、包丁も隠し持ち、顔に付いた血も落とした。
学校へと向かう彼女。
授業の途中だったところに彼女はランドセルも持たずに教室に入った。
「加藤さん。遅刻したなら、最初に言う事があるでしょう?」
先生が眉間にしわを寄せて言う。
そんな先生を見て、彼女は淡々と尋ねた。
「学校って勉強する以外に何をする場所ですか?」
唐突に質問されて、少し戸惑った先生であったが、溜息混じりに答える。
「人と関わりを持って、社会のルールを学ぶ場所です。それで、何か言う事は?」
先生のその答えを聞いて、彼女は笑った。
……否定したんだから……殺してもいいよね……?
「みんな、私と一緒になろう!」
彼女は素早く、自分の身に隠し持った包丁を取り出して、一番近い人物――先生の首に包丁を突き刺した。
血が勢い良く飛び散っていくと同時に教室内はパニックに陥る。
そんな中、一人だけ冷静な彼女は一人、また一人と生徒を斬りつけていった。
――私はひとりぼっちじゃない
――私の中にみんないるの
――だからひとりじゃないの
――否定したみんなは私の中で私と一緒にいるの
――もう寂しくない
――だってお母さんもいるのよ?
――それに私をいじめてきたみんなの中心的存在だった女の子も
――みんなみんな
――私と一緒になってる
――もうひとりぼっちじゃない!
◇
2011年 某日 ロシア
少年院に送られた彼女を外に出して、自分の元へと来させたのは甚だった。そして、今、ロシアの人形を創る場所にいる甚と彼女。
しかし、甚は彼女と会ったときとは違う姿をしていた。
仮面。
その仮面を顔に付けて、声を機械の声にした甚――Persona。
「それで、どうするんですか? Persona様」
Personaの横に立っている白衣を着た男性がPersonaに尋ねた。
Personaと男性が見ているのはベッドに横たわる彼女であり、そこは病院と言われても然程、違和感の感じない場所であった。
そんな場所でPersonaは椅子に腰を下ろしていた。
『そうだな……吏夜で初めて意識を保たせたまま、且つ、生きたまま人形にするからなぁ……まあ、君のような優秀な人物がいるからそんな事はあまり問題視はしていないよ』
『けど……』と言葉を続けるPersonaは椅子から立ち上がった。
『初めて意識を保った人形だからね……少し、何かしたいと思っているんだよ。それが出来るかを問題視している』
白衣を着た男性は首を傾げる。そんな彼に補足するようにPersonaは言葉を紡ごうとした。
『彼女は一人ぼっちでは寂しい。だから――』
「えっ?」
しかし、白衣を着た男性のその声によってその補足を中断させられる。
『……なんだ?』
「あっ……えっとですね……自分は吏夜ちゃんの事は殺人快楽者と聞いていたのですが、一人では寂しいと申されたので……」
『彼女は一人ぼっちにならないために人を殺してる。まあ、それを隠すために「殺しは楽しい」と自分に言い聞かせてるだろうがな。多分、彼女が一番辛い思いをしている』
少し、顔を俯かせる白衣を着た男性。
そんな様子を横目で見ていたPersonaは心中ではこう思っていた。
“同情……なんて愚かな行為だ。非情にならなければ、この先はもう生きてなどいけない世の中になる……いや、俺がそんな世の中にするんだよ”
『で、話の続きだが、俺は彼女を合成魔獣にしたいと思っている』
「――!? ……それはどういう意味でしょうか?」
戸惑いの表情を見せながらPersonaに向けて尋ねる白衣を着た男性。しかし、Personaは冷静に告げる。
『そうすれば彼女の寂しさも少しは楽になるんじゃないかな?』
それに……人知を超えた自らの姿を見て、彼女はもっと人を求めて――――人を何十人、何百人、何千人と殺していく。そして、最後には――――
……進化の行き着く先は自滅とはよく言ったものだな……
――――自らを死に追いやる。




