No.01 撃たれた感触/10時間
2011年9月11日
「天谷! 立て!」
床に倒れ、腹から血を流している大貴に男――白井が近寄りながら声を掛けた。
が、大貴の眼は虚ろのままで反応しなかった。
そんな大貴を白井はおぶって急いでその教室から出ようと駆け出した。しかし、そんな白井にPersona――小堺甚は捨て台詞のようなものを吐き出した。
「逃げても意味は無い。それに、俺は大貴を殺す気なんて本当はさらさら無いんだよ。ただ――俺の手元に来てくれればいいんだよ」
「……天谷をお前に奪わせはしない。世界の人々を救うために…………お前の計画を阻止するために!」
白井は甚を睨みつけ、駆け出した。
甚は轟音のなる教室の床に落ちていた自らの仮面を手に取り、顔に付けた。
『……前となんら変わりない眼差しだったな。希望を捨てない意志のその眼』
甚は仮面の内の口をゆっくりと歪ませる。
『その眼が絶望に揺らぐ日を楽しみにしておくよ』
その瞬間、教室の天井は轟音を伴って崩れ落ちた。
◆
同時刻
ロシア、ニューヨーク、ロンドン、カナダ、インド、中国、日本の皇居などでも北川高等学校と同様の爆発が複数箇所で起きた。
最も被害が大きかったのはロシアで、負傷・死者の三割をロシアの人々が占めていた。
◇
2011年9月15日
銃で撃たれるなんて言う経験は初めてだった。いや、普通だったら一生経験しない事だろう。
甚に銃で撃たれた瞬間、俺はある感情に襲われた。それは恐怖。
死の恐怖。
撃たれた腹部からは血が教室の床を這うように流れ出た。そして、次に腹部に激痛が走った。
朦朧としていく意識下で一つだけはっきりしているのは感覚――死の感覚だけだった。
そのまま、ずるずると闇へと吞まれていく意識。
生きている証の“痛み”と言う感覚もそれと共に薄れていき、消え失せた。
「はぁ……はぁ……」
俺はその眼を開けられた。
生き……てる……? 死んでない……けど……ここ、どこだ……?
頭の中に何個も浮かび上がる疑問。
俺が今寝ているのは教室の床などではなく、ちゃんとしたベッド。
俺がいるのは学校の教室の床ではなく、ベッドの上。
綺麗に並ぶ机などは見えず、天井と蛍光灯だけが視界に入っていた。肌寒く、湿気ているような狭い部屋だった。
一瞬、九月十一日の全ての事が夢の様に思えたが、夢ではないと確信できる。それは起き上がろうと、腹に力を入れた瞬間に激痛が走ったからだ。
服装は病院で入院する時のようなパジャマ姿で、その上着をたくし上げてみると、その腹には包帯が何重にも巻かれていた。
腹の激痛から、体を起こすのは諦めて、そっと天井を見上げた。
天井は廃墟のように所々、壁紙が剥がれていて黒ずんでいる。
三分くらいじっとそうしていると、誰かの足音が俺から見て、右側にあるその部屋の出入り口の前で止まった。
右側の出入り口をそっと見てみると、
「眼を覚ましたか、天谷」
扉を開けて入って来た男。その男はあの時、甚の銃を撃って弾き飛ばした人物だった。
男は俺の様子をその目でじっと眺めている。
その視線が段々と気まずくなってきた俺は、男から眼を逸らしてそっぽを向くと、男は急に話を切り出した。
「頭はちゃんと回転してるようだな……今日が何日だか分かるか?」
俺はもう一度、男のほうを向いて暫くの間考えた結果、首を横に振る。
何日なのかと聞く状況……と言う事は何日も目を覚まさずに寝てたって事か……? だとすると、三~五日くらい経ってる? いや、それ以上の可能性も……
頭の中で答えを一つに絞り込ませようとしている途中で男はその答えを述べた。
「今日は九月の十五日。お前がこの部屋に連れてこられたのが十一日の午後くらいだったから、約丸四日間お前は寝ていたことになる」
丸四日……てことは今の時間帯は午後か?
部屋には窓が無く、外の光景を見ることはできない。よって、時計も無いこの状況で何時なのかも分からない始末。
「地下……ですか……?」
そう。窓が無いと言うこの状況から推測することのできる唯一の答えがそれだった。
「察しが良いな。そうだ。ここは地下。まあ、詳しい事はお前には秘密だ」
にこりと笑顔を見せる男だが、その笑みからは微塵の善意も感じられない。
「俺を……どうかするつもりなのか……?」
あえて敬語を使わずに敵意を込めた声色で尋ねた。
笑みがパズルのピースのように崩れ去り、男は我慢の限界に達したように噴出して、げらげらと声を上げて笑い始めた。
そんな姿を俺はずっと睨み続けていると、俺の視線に気付いた男は笑いを段々と抑えていく。
「自分を良いようにはしないと察した瞬間に態度を変えるとはねぇ……分かりやすくて本当に助かるよ。天谷」
先とは違う企みの笑みを男は浮かべて言葉を紡いでいく。
「そう。お前の御察しどおり、俺たちはお前を良いようにはしない。お前はこれからずっとこの地下にいてもらう。暴れるようなら拘束する」
「はぁ……? ふざけんな!! 俺は普通の人間だ! そんな俺を拘束する権利はお前らには存在しない!! そして、俺は正体不明な奴らに拘束されない!!」
そう叫んだ。だが、その瞬間に腹に激痛が走った。
「おいおい。まだ完全に治ってないんだから、熱くなんなって」
男は俺の横たわるベッドへと近づきながら、男は呟いた。そして、俺の顔にその顔面を近づけて言う。
「反論する権利はお前には無い。お前さぁ……自分が世界にとってどれだけ大切なものなのかを考えてみろよ。お前が仮面の奴に殺されるような事になれば、Deicidaのワクチン持ってんのは仮面の奴一人だけになる。=仮面の奴の思い通りに世界が動いちまうんだよ」
男はそのまま、俺から顔を遠ざけ、振り返って立ち去っていった。
男の主張はご尤もだった。だが、それは説得力の欠ける意見だった。
Deicidaのワクチンを創るのは、=、殺人ウイルス――Deicidaを創る事に繋がる。ウイルスが無ければ、ワクチンを創る事はできないからな。
俺は一定の間隔で一適、一滴が落ちていく点滴を無理やし外して、腹の痛みを我慢しながら体を起こし、床に素足を着けた。
床の冷たさが足の裏に伝わり、体全体に循環していくのが分かる。
最初から拘束しとくべきだったな。
そんな皮肉を心の中で漏らし、蛍光灯の明かりしかない部屋から出て行こうと部屋の出入り口の方へとゆっくり足を進めた。
部屋を出たところで、妙な視線を感じた俺はその視線の先――右を見る。
「拘束だな」
そこには笑みを浮かべたさっきまで部屋にいた男が立っており、男は俺の右腕を背中へと回した。
◆
カシャッと言う音と共に俺の両手に枷が嵌められる。嫌な気分だ。いや、こんなものを嵌められて嫌にならない奴なんて、いはしないだろう。もし、いたとしたらそいつは頭がイカれてるかドの付くマゾのどちらかに違いない。そして、俺はどちらでも無いので嫌な気分になっている。
手錠は思っていたよりも重く、冷たいものだった。
「早く歩け」
指図されるがままに廊下をとぼとぼとゆっくり歩いていると、俺の後ろに金魚の糞がごとくくっついている男が言葉を漏らす。
普通であったらならば、「お前に命令させる筋合いはねえ!」と言う台詞を吐きたいところだが、生憎、今は捕まっている身。何をさせるか分からないので口は閉じたままにしておいた。
「その角を左だ」
そんな方向の指示を繰り返す男の指示の下、歩くこと五分。俺と男はそこに行き着いた。
「裕次郎さん!」
「こんにちは」
「そこの隣の子は?」
「天谷だろ?」
「白井さん」
その部屋には晩餐会にあるような長い机でご飯を食べている人たちの姿があったのだが、俺と男が入って来た瞬間に次々と立ち上がり、此方に向けて挨拶や名前を呼んだりした。
「すまないな……皆、忙しいのに此処に集めてしまって……」
申し訳なさそうな表情を見せ、謝る男に対して謝られた人々は笑い始めた。
「何言ってんだよっ! ちょうど昼ご飯の時間だったし、あんたは俺たちの中で一番上の人間なんだ。堂々としてろよ!」
同時に肯定の言葉を次々に吐く人々。
男はその暖かさに少し微笑し、すぐにその顔を引き締めた。
「俺の隣にいるこいつは、もう皆も知ってるとは思うが、一応、紹介しておく。天谷大貴。Deicidaだ」
そう言われた瞬間、心に何かがぐさりと刺さった感覚がした。
そっか……この人もそう判断するのか……俺を一人の人間として見るのではなく、殺人兵器としか考えていないのか……
『――――殺人ウイルスの塊』
頭に響くPersona――甚の言葉。
胸が苦しい。息がし辛い。
この人と……この人達と一緒にはいたくない!
「ちょっと……その言い方は無いんじゃない? 白井。天谷くんだってすごく傷ついてるじゃない」
医者のように白衣を纏った女性が人々を押し退けながら前に出て、男と向かい合う。
男は慌てるように言葉を発した。
「ああ。すまない。つい出てしまった」
「『つい』って……と言うか! 私に謝るんじゃないでしょ! “天谷くんに”でしょ!」
意表を突かれたような表情を浮かべて俺を見下ろしながら男は言う。男の方が俺より、少し背が高いからだ。
「すまなかったな……天谷。俺はお前をDeicidaとしては見ていないからな」
申し訳なさそうに頭を下げた。そんな姿を見て許したくなる俺はお人好しなのだろうか。
「大丈夫です。もう気にしてませんから」
本当は相当ショックだったんだけど……
今の一件で部屋の空気が少し、重苦しくなってしまい、無言で二分くらい立っているままの状態となった。
そんな空気を和まそうと、言葉を発したのは目の前にいる白衣を着た女性だった。
「自己紹介は後回しで良いわね。人数多いし、ねえ? 白井。もう解散、昼ご飯食べてもらっていいわよね?」
「あ、ああ」
白衣を纏った女性はそのまま言葉通り、集まっていた皆を解散させ、残ったのは昼ごはんを食べ終えていない人達と白衣を纏った女性。俺の隣にいる男だけとなった。もちろん、俺も残っている。
「ここはちょっと騒がしいし、静かなとこにでも行きましょっか?」
何て事を切り出した白衣を纏った女性。俺もそれに素直に従ってついて行った。
「先の逃げようとしていた自分は何て馬鹿げた事をしようとしていたのだろうか」なんて反省を今はしている。
9.11から四日間寝ていたと言う事はその分、世の中ではいろんな動きがあっただろう。それを聞きもせずに外に出るのは危険だった。
そして、今、俺の中で一番気になっていたのは――翔の存在だった。
◆
「翔……くん……?」
静かで人のいない部屋へと、俺と白衣を纏った女性と俺を拘束している男とで辿り着いた瞬間に俺は翔の所在について尋ねかけた。
白衣を纏った女性は苦笑いをその顔に浮かべて、少し躊躇うように告げた。
「それがねぇ……天谷くんと一緒に白井がここに連れてきたんだけど……」
間を置く女性はまだ、言うのを躊躇っているようだったが、最終的に口を開いた。
「……逃げられちゃったのよねぇ……三日前に……」
多分、嘘を言ってはいないと思うのだが、俺の中で何かが引っかかった。
こんな答えの為に間を置く必要があったのか?
「なんで……逃げられたんです?」
さっきまでの苦笑していた表情を消し、悲しそうな表情を見せる白衣を纏った女性。その人に代わって隣にいた男が答えた。確か名前は……白井……だったと思う……
「俺たちのミスだ。一宮翔の元に刀を置いていなければ、こんな事にはならなかった……」
「翔は……刀で何かしたんですか……?」
答えを聞くのは怖かったが、勇気を振り絞って尋ねた。
「ああ」
翔は、刀で何かをした……何を? いや、それは斬ったとしか……
「翔を診ていた仲間が翔によって斬られた。まあ、死ななかったのが幸いだがな……」
「その後、ここから逃げ出したんですか?」
男はゆっくりと首を縦に振った。
同時に俺は唾をごくりと呑み込んだ。
翔がそんな事を……いや、するはず無い。けど、この人達が嘘を言ってるとも思えない……翔に何があったんだ? 一体……
そして、俺は何分くらいの間、翔のことについて考えていたのだろうか。白衣を纏った女性の声のおかげで自分が考えに耽っている事が分かるくらいにまで必死だった。
「あのー……天谷くん? 少し、別のこと話してもいいかな?」
「あっ……はい」
俺は曖昧な返事をし、自分の中で強く「深く考えるな」と連呼しながら、白衣を纏った女性の話を聞こうとした。
「単刀直入に言わせてもらうね? 天谷くんの血液を私に調べさせて欲しいの」
「えっ?」
何……言ってるんだ? やっぱり、この人達の狙いもウイルスを創る事なのか?
思考を巡らせる中、俺を安心させるように白衣を纏った女性はゆっくりと告げる。
「天谷くんが寝てる間にもう、血液は採取させて貰ったわ。後は天谷くんの許可が必要なの」
「何……言ってるんですか? 許可? それで俺が許可しなかったらどうするんですか?」
「諦めるわ……」
何言ってるんだ、この人は……「諦める」って口だけで言って、裏では研究しているかもしれないし、俺の中でこの人達への信用はまだ殆ど無いのに尋ねる意図が分からない。
瞬間、白衣を纏った女性は枷の付けられた俺の右手を両手で握り締めて、じっと俺を見つめてきた。
「私を信じて。ただ、私たちは世界を救いたいだけ。そして、あなたを解放してあげたいだけなの」
俺はつい、その眼を白衣を纏った女性から逸らしてしまった。
「誰でも……言葉で言うのは簡単で、信用できそうに無い……」
「だからこそ、私たちを信じて」
白衣を纏った女性のその熱意のこもった眼差しに俺はとうとう負けた。
「……分かりました。どうぞ、調べてください」
白衣を纏った女性は微笑んで「ありがとう」と言った。
それと呼応するように俺は白衣を纏った女性を睨みつけながら言う。
「けど、もしも、世界を救うこと以外のことでウイルスを使用したなら――」
俺は一息置いて、
「――お前ら全員を……俺が殺してやる」
殺気立たせて言った。
白衣を纏った女性は俺の手を掴んでいる手をそっと引いた。そんな白衣を纏った女性が困惑する中、隣の白井と言う男は笑い始めた。
「ははははっ……! お前、意外と面白い奴だな」
男は目の前の机を激しく叩いて音を発し、俺に顔を近づけて呟く。
「その意気だ、天谷」
男は笑みを浮かべながら、部屋から出て行こうとしたのだが、それを俺は呼び止めた。
「待って下さい!」
男はゆっくりと振り返って立ち止まった。
「俺を外に出してくれませんか? 翔を……探したいんです」
男は険しい表情をその顔に浮かべた。
◇
『今からDeicidaによる人体実験を行う。撮影はちゃんとできてるだろうな?』
「はい。ちゃんと写ってます」
PCやディスプレイなど、いろいろな機材の並べられた広い部屋。
そこには白衣を着た人々が複数人いた。
しかし、白衣を着た人々の中に私服を着た者が一人、混ざっており、そいつは私服のために非常に浮いている。いや、私服以外にも白衣を着た人々と違う所があった。
それは顔に不気味な笑みを浮かべた仮面を被っていると言う事だった。そう、一人だけ私服で浮いているのは警視庁長官である通称:Persona――小堺甚であった。
そんな明らかに違う空気を醸し出しているPersonaの目の前には一つの大きな画面があった。その画面には部屋一面真っ白な部屋が映っており、そこへ一人の男が入ってきた。
その一人の男は表向きには一ヶ月前に死刑になった男であった。しかし、Personaとある交渉をして今、この場所に存在していた。
Personaが持ちかけた交渉の内容はこんなものであった。
“お前に一ヶ月間、自由を与えてやろう。だが、自由にしていい範囲は部屋一つ分だけ。そして、一ヶ月経ったらその隣の部屋へと移ってもらう。答えはどっちだ? 今死ぬか、一ヶ月間自由に過ごして死ぬか”
彼は一ヶ月、生きる事を選んだ。その一ヵ月後に何があるのか予想もせずに。そして、今日がちょうどその一ヵ月後であった。
男は交渉どおり、隣の部屋――今、Personaが見ている画面に映っている白い部屋へと入ったのだった。
男が白い部屋へと入った瞬間、扉が閉まり、二度と開かなくなった。
『おい! なんだ!? 何故! 閉めた!』
困惑する男が壁を叩くのを目の前の画面見ながら、Personaは仮面の内で嗤いながら告げた。
『射出』
その単語を告げると一人の白衣を纏った者が何かのボタンを押した。
それと同時にPersonaの目の前に存在する画面にある変化が表れた。
天井の穴から、水蒸気が噴射された。
それは部屋全体に降りかかり、勿論、男の身にもその水蒸気はかけられた。
水蒸気が噴射された後、さっきより一層、Personaの笑みは濃くなった。
その横にいる白衣を纏った男が紙束を片手にPersonaに説明をし始める。
「Deicidaは体内に入ってから約二十四時間で生物を死に至らしめます。動物、微生物、植物。全てを死へと誘い、建物も木の素材であれば腐ります」
『で、症状が表れるのはあと何時間後だ?』
Personaが尋ねるのと同時に淡々と白衣の男がそれに応えた。
「Deicidaはまず、体内に入って赤血球と結合し、血管を循環していきます。十時間、何も変化はせず、十時間経って性質が変化します。性質が変化したDeicidaは細胞を破壊する凶器に変わり、性質が変化してから五時間後。内臓を集中的に破壊していきます」
『内臓を?』
初めてPersonaは画面から眼を離し、白衣の男の方へと目を向けた。
「はい。Deicidaはウイルスと思わない方が良いようです。ちゃんと知能があり、生物の弱点を突くようです」
『ふーん……生物ねぇ。面白いじゃないか』
「そして、九時間かけて全ての内臓を破壊。なので、おそらく十五~十七時間で血反吐を吐き始める頃ですよ」
Personaはもう一度、仮面の下で笑みを浮かべて告げる。
『ワクチンが効かなくなるのはウイルスが体内に入ってから何時間だ?』
それに対して白衣の男は席と同様、淡々と応える。
「十時間。Deicidaの性質が変化する前にワクチンを接種しなければ、“百パーセント死にます”」