No number 首斬り
2006年6月17日
「はっ!?」
男は唐突にベッドから飛び起きた。しかし、さっきまでどんな夢を見ていたのか男はよく思い出せない。
凄く嫌な夢だった事は覚えているのだが、詳しい内容は男には思い出せなかった。男――白井裕次郎には。
そして、白井は自らのベッドの横に置いてあった携帯電話のバイブ音がなっている事に気がついた。ベッドから降りて、その携帯電話を手に取った白井はその携帯電話をスライドさせ、オフフックボタン――電話に出るボタンを押した。それを耳に押し当て、呼びかける。
「もしもし」
『緊急招集だ。早く来いよ』
その一言で通話はプツンと切れた。
白井の意識ははっきりしていた。何故なら、嫌な夢を寝ている間に見たからだった。だが、今では何の夢を見たのか見当もつかない白井はベッドから地面に降りた。
今日は一年でも数少ない休日だって言うのに……なんで、世の中はいつまでたっても平和にならねえのかな……?
白井は小さな溜息をついた後、自嘲的な笑みをその顔に浮かべた。
なんて、愚痴零したところで……緊急招集は免れないんだよな。
白井はその足をゆっくりと、クローゼットに進めていった。
◇
「どうした? 浮かない顔して……」
休日を潰して向かった仕事場で、白井はそんな言葉を投げかけられたのだが、本人は自覚していなかった。
だが、そんな事は当たり前の事であった。休日だった日に急に呼び出された者の顔が清清しいものだとそれもまた、おかしいだろう。
白井は自らの脱力感を周りにいる同職業の人々へと漂わせていると、後ろから来た白井の上司――隊長である人物に拳骨をその頭に食らわされた。
「ニコラス・ファルマンの息子だからと言って、特別な扱いをされるなんて思わないことだな」
隊長はそのまま、白井を通り過ぎて進んで行き、全員を見渡せるところまで来ると、その身を振り返らせ、全員をその目で確認した。
白井は一度もそんな事を思ったことは無かった。
むしろ、9.11の救世主――ニコラス・ファルマンの子供ではない方が良かった、と心中で白井は思っていた。何故なら、その父の名が大きすぎて、白井を名前で呼ぶのは極少数しかいないからだった。
ニコラス・ファルマンの息子。天才スナイパーの息子。裏の英雄の息子。
そして、いつも銃の腕や成績などは父親と天秤に掛けられていた。
そんな事を頭の中で考えていた白井には嫌気がさしてきていた。
隊長は白井の心情には構う事無く、話しを始める。
「今日、緊急招集したのは一つの奇妙な事件での極めて重要な事実が発覚したからだ」
奇妙な事件……? 最近、そんな事件あったか……?
そんな疑問を浮上させるのは白井だけでなく、話を聞いた他の者も同じような反応を見せていた。
だが、その目は目の前に立つ、隊長を凝視したまま、外れることは無い。
「皆、一度は耳にした事があるはずだ。首の斬られた集団の死体が見つかった事件を。世間では話題を呼んでいる“通称:首斬り”だ」
その名前を隊長が口にした瞬間、その場にいた全員に緊張感がさらに走った。
“首斬り”
それは集団なのか、それとも、一人なのか。それはまだ、定かではなかった。だが、一つだけ、はっきりしている事があった。
極悪な犯罪者。
次の瞬間にはその場にいた全員の顔が少し、青ざめた。
そんな状況下で隊長は平然と言葉を紡いでいく。
「首斬りの正体は未だに不明。だが、首斬りの職業についての情報を入手した。奴の職業は――――殺し屋だ」
青ざめた顔が一瞬にして、疑問の表情へと変わる。
「ちょっと……ちょっと待って下さいよ!」
白井の二つ隣の男が手を上げて、声を張り上げた。そんな男の顔を見て、白井は名前を思い出す。
確か……沢……だっけか?
「沢……どうした?」
「殺し屋なんて……そんな非現実的な職業なんてあるわけ無いじゃないですか!! もう少し、冷静になって考えてみてくださいよ! 隊長!」
「……俺たちが知らなかっただけで殺し屋はこの世に存在する。日本で行方不明になっている七割の人々が殺し屋に殺されたものだと言う見解もある」
七割か……
その数字の多さに白井は驚きはしなかった。何故なら、白井の中で殺し屋という存在が非現実的すぎて、そんな数字など気に留める気になれなかったからだった。
「お前ら全員、まだ信じる事は不可能だろう。俺も初めは信じられなかった。だが、その“証拠”を目にして、信じられずにはいられなくなった」
無理やりに納得したような険しい表情を見せる隊長はその表情で言葉を紡ぐ。
「今からその“証拠”のある場所へと行く。ついて来い!」
◇
隊長の後を着いていった白井とその同僚たちが辿り着いた場所は拷問を行う部屋であった。そして、その拷問を行う部屋のガラス越しに枷を付けられた男が一人座っている。
「こいつが証言者で、こいつを捕まえる際に撮っていた映像がここにある」
と隊長は持ち運びが可能な小さなDVDプレイヤー付きのテレビを自らの隊員たちに見せた。
「この映像を見ても分かるとおり、こいつは人を殺してる。そして、色々と質問を繰り返したが、職業の事についてだけは妙に詳しく話した。そして、それは全て嘘ではなかった……目の前で拘束されてるこいつは――“殺し屋”だ」
その場にいた全員が眼を見開き、その目の前の拘束されている男が殺しをしている映像を見て、驚愕した。
非現実的な存在が目の前に存在していると言う事実に全員が困惑した。
「こいつの身元は……?」
「まだ、分かっていない……」
「身元が分からないんですか? 指紋を取れば、一発で分かりますよね?」
質問を繰り返す一人の人物は冷静のように見えて、何か焦っているようだった。
そんな彼の質問に苦い表情で答える隊長。
「指紋を取って調べたが……当てはまる人物はいなかった……」
「そんな莫迦な……!?」
その場にいた全員がもう一層、驚きの色を濃くした。
当てはまらないなんて……ありえない……“自らの戸籍を抹消しない限りは”……
突きつけられる事実を白井も受け入れがたかったが、「受け入れなければ今後、やってはいけない」と自分に言い聞かせて、受け入れた。
「それで、目の前の男が口にした殺し屋の情報がこれだ」
隊長は隊員たちに見せていた小さなテレビを操作して、ガラス越しの男に情報を吐かせている時に撮影した映像を流し始めた。
『お前は何者だ! 何故、人を殺した! その動機を吐け!』
画面上で机を叩く男。その男が必死になっているのに対して、画面上に映る今、白井たちのガラス越しにいる殺し屋は口を開く。
『まあまあ、そう大声を出さんでも吐くからさあ……ね? 落ち着こうよ。けど、俺の身元は吐けないんだよなぁ。職業なら普通に言えるけど……俺の職業はさあ――殺し屋なんだよ』
『……ふざけた事を抜かしやがるな! 殺し屋なんて、この世に存――』
殺し屋の胸倉を掴みかかって、声を荒げる男の言葉を遮るように殺し屋は言い放つ。
『それはお前の目から物事を見た世界だ。お前の主観でしかない。世の中のお前の目の届かない場所にはお前の言うふざけた事が沢山、存在するんだよ。何ならここで、俺が殺し屋だっていう証拠を見せてやってもいいよ? この部屋にいる奴らを全員、十秒経たずに殺せるぜ?』
その部屋にいた全員が殺し屋の殺気に気圧され、言葉を失った。
『おっと。言葉を失うにはまだ早いんじゃないか? お前らに面白い情報を教えてやるよぉ。今、巷で報道されて、有名になっている集団殺人事件の犯人――通称:首斬り。そいつも殺し屋だぜ? そして、首斬りは今月の十八日に“三頭山”で殺しをする。嘘じゃあないぜ? まあ、信じるか信じないかはお前ら次第だ』
そこで隊長は映像を止めた。
「今日がこの殺し屋の言う十八日の一日前だ。お前らには俺と共に今から三頭山へと向かってもらう。できるなら戦自も手配してもらいたいが、人数が多くては首斬りにバレる可能性がある。これは首斬りを捕らえる最大のチャンスとなるかもしれん。皆、心して取り掛かるぞ」
◆
「隊長!」
各々と準備を散らばっていく中、白井は立ち去ろうとする隊長を呼び止めた。
「何か用か……?」
「その……話をさせてはもらえないでしょうか……?」
白井は隊長からガラス越しにいる殺し屋の方へと視線を移した。
その行動から察した隊長。
「もしかして、あの殺し屋と、か……?」
「はい……」
隊長は暫くの間、答えるのに躊躇して口を開く。
「分かった……だが、十分に注意しろ。奴はあくまで“自称”殺し屋だからな」
「十分に承知しています」
分厚いガラスの隣に備えられた厚い鉄のドアノブにゆっくりと手をのばし、白井は回して押した。
白井がその部屋に入った瞬間に殺し屋の視線が白井へと向けられる。
「“本当に”気をつけろよ」
閉じられようとしていたドアの隙間から「本当に」を強調する隊長の声が白井の耳にもちゃんと届いていた。
「誰だ……? お前」
「別に名乗る必要なんて無いだろ? お前も自分の名を名乗ってねえんだからさ」
殺し屋の男は壁に拘束されたまま、にやりとその口元を歪めて独りでに語り始めた。
「殺し屋ってのはなぁ……大きく分けて二種類存在するんだよ」
その声色は拘束されていると言うのに危機感の欠片も感じられない。
「まずは一種類目の殺し屋。俺みたいに無感情で人を殺す奴。そして、二種類目は殺人に感情を込める奴。殺人に快楽を求める奴――殺人快楽者とかはこの種類だ」
段々とその笑みを濃くしていく殺し屋。
その表情が白井にとっては不気味でならなかった。
「殺人快楽者ってのは厄介すぎてなぁ……依頼人まで殺しちまうこともある」
殺し屋……やはり、依頼を受けて殺しをするのか……
頭では理解していた白井だったが、実際に聞くとその言葉が重く感じられた。そして、世の中に殺し屋に殺しを依頼する人間がいるという事を意味しているその一言が白井は残念でならなかった。
「首斬りも殺人快楽者の一人だよ。明日はせいぜい頑張る事だね」
それ以降、男はその口元を歪めているだけで口を開く事はなかった。
◇
三頭山
「D地点、到着完了」
手に持ったトランシーバーに向けて告げる白井はその後、返ってきた「了解」と言う返答を受けた。
隊長から各自に指定されたアルファベットの地点はAからZまで存在し、白井の指定されたD地点は山の頂だった。
何故、白井が頂に指定されたのか。それは彼が優秀な射撃手だからであろう。現に白井の手にはスナイパーライフルを持たされていた。そして、白井の背後には戦自から派遣された数人の男たちがいた。
戦自から派遣されたのはその頂にいる人々だけであった。
ライフの準備をしながら、時間を潰していた白井は準備を終え、スナイパーライフルを構えてからその日の夜まで、首斬りが現れる事は無かった。
◇
2006年6月18日 午前2時 対テロ対策本部
殺し屋の拘束された一室は監視カメラによって監視。そして、その扉の前には警備の者を置いていた。
その監視している映像が見られるところは勿論、管理室と呼ばれる所であった。
そこでは交代制が適用されており、最低でも一人は監視カメラの映像を見ておかなければならない決まりであった。そして、殺し屋の拘束された一室の監視カメラの映像の異変に映像を見ていた人物が気が付いた。
「――!? こいつ……いつの間に拘束を!?」
映像に映る殺し屋が拘束されているはずの一室。そう。拘束されているはずであった。しかし、画面には拘束を何らかの方法で解いた殺し屋が監視カメラの方を見てにやりと笑みを浮かべていた。
管理室にいた人物はすぐさま、その画面の下にあるキーボードを操って手元のマイクで告げる。
「殺し屋の拘束が解けてるぞ! 至急、現場に人間を向かわせてくれ!」
◆
拘束を解いた殺し屋のいる部屋へと着く武装をした人々。持ち合わせた銃はその部屋にまだ、留まっていた殺し屋へと向けられた。
「おっそいなぁ……俺がこの場から動かなかったから、囲む事ができただけだよぉ?」
「黙れ! 今ここで殺されたくなければ、大人しく手を上げろ!」
殺し屋は「はいはい」と返事をして、両手を上げようとした。その刹那、殺し屋はにやりと嗤い、両袖からナイフを自らの両手に落として握り締めた。
「――仕事の時間だ」
武装した者たちが一斉に銃の引き金を引いて、銃弾を殺し屋に浴びせかけようとした。だが、その無数に飛び交う銃弾が殺し屋に当たる事は無く、掠る事すらなかった。
目の前の人物は本物の殺し屋だった。そう武装した者たちが理解した時にはもう既に手遅れだった。
武装した者たちは一人残らず、五体不満足にさせられた。その中には首をもがれ、死んでいる者も何人か存在する。
「対テロ対策本部。そこの奴らを殺して欲しいってのが俺の依頼。でもよぉ……相手はプロの集団だぜ? 俺一人じゃ到底、無理な依頼だった。だから、俺が違う奴にも依頼して、仕事を分担しようとしたんだぁ。“首斬りって言う殺人兵器”にね」
「くそ……」
右腕をもがれ、倒れ伏している男が呟く。
それを殺し屋は見下ろしながら、「ああ。そうだった」と何かを思い出したように言った。
「“殺してくれ”って依頼だったねぇ……?」
持っていたナイフを男の頭に向かって投げ、その息を止めた殺し屋は死んでいないであろう者たちを次々と自分の着ているものから取り出すナイフを使い、その方法で殺していった。
持ち物などは全て取られているであろう服の中からどこからともなく出てくるナイフは不気味と言う表現そのものだった。
「さあて、大体の奴らを殺していくかねぇ……しっかし、めんどくさい仕事引き受けちゃったなぁ……」
文句を言いながら殺し屋はその死体しかない部屋から立ち去った。
◆
三頭山
異変はその一言から始まった。
『皆、逃げろ! 最初から標的は――!』
白井の持っていたトランシーバーから聞こえた声は紛れも無く、彼の同僚の沢の声だった。
「おい! 何か起きたのか!? 沢! 沢!」
必死にトランシーバーに呼びかける白井だったが、返答は無い。
何者かに……沢たちの地点にいた奴らが襲われた……!?
「沢は確か……Q地点だ。と言うことは……山の下の方だ!」
白井が声を上げるのと同時に後ろにいた戦自の男が暗闇でも見える望遠鏡を取り出して、山の下の方を見た。
「怪しいものは何も見えませんね……動物にでも襲われたんじゃないですか?」
いや……三頭山はちゃんと人が通れるように整備されている山のはずだ。人を襲う動物が出る事なんて、滅多にあるはず無いんじゃないか……? それとも、俺の考え過ぎか……?
白井が頭の中で次々と思考を巡らせる中、隊長からの通信が入った。
『白井……聞こえてるか?』
「はい。聞こえています」
そう、白井が返答すると、隊長は安堵の息と共に『良かった……』と言う声を漏らした。
『全部で十三地点の隊と連絡が取れない。首斬りが現れたと考えるのが妥当だろう。急いでライフルを東に構えるんだ! 連絡が取れない十三地点は全部東側だ!』
首斬り――!?
瞬間、白井は急いで方位磁針で東を確認し、スナイパーライフルを構えてそのスコープを覗いた。そのスコープは暗視装置の為、暗闇でも可視化することができる。
白井の目はその闇に人影を捉えた。しかし、その人影は白井にとって信じられない物を手に持っていた。
「……鎌?」
そう。白井の覗くスコープに映った人影は確かに大きな鎌をその手に携えていた。
「隊長! 東の方角に大きな鎌を持った人物がいます」
トランシーバーに向けて告げる白井。そんなトランシーバーからは隊長の疑問符が返ってきた。
『大きな鎌……だと……?』
「はい……大人の身長くらいの大きさの刀身の鎌を持っています……」
暫しの間、トランシーバーからの声が途絶えた。そして、急にそのトランシーバーから声が響いた。
『皆、東側に向かい、大きな鎌を持った人物を捕らえろ! それができなければ、殺してもいい! そいつは多分、首斬りだ! 皆、心してかかれ!』
全員に告げられたであろうトランシーバーからの隊長の声はそこで途切れた。
白井は「どうすればいいのだろうか……」と考えながら、考えると言う行為がいらなかった事に溜息を吐いた。
「こっから狙えって事だろ……? 俺を頂に置いたのは」
スナイパーライフルのスコープを覗き、大きな鎌を持った影を探す白井。だが、その影を見つけたところで、白井はふと思い当たる事があった。
あれ……? さっきよりも頂に近づいてる……いや。首斬りだって人間なんだ。動くのは当たり前の事。
疑問の答えを無理やりに納得した白井だったが、やはり、頭の中では何かが引っかかっていた。
短時間で……近づき過ぎてやしないか……?
そう気を取られているうちに大きな鎌を持った影は移動していた。そして、白井が移動した大きな鎌を持った影をスコープの中に見つけたとき、確信した。
なんだよ、こいつ……動きが速い……!?
舌打ちをしながら、白井はスナイパーライフルの引き金へと指を掛け、試しに一発、撃ってみる事にした。
“試し”にだが殺すつもりで狙いを定め始める白井。標的である大きな鎌を持った影をスコープに表示されている中心に合わせ、空気抵抗、風向き、距離。弾道に影響を与えるものを予測して定めていく。
そして、白井がその引き金を引くのと同時にスナイパーライフルから弾が射出され、銃声が甲高く鳴り響いた。
脳天に当たるな。
そう予想した白井だったがその予想は裏切られた。
ライフルの弾が大きな鎌を持った影に当たろうとしたその瞬間、大きな鎌を持った影はその銃弾を紙一重で避けたのだった。
そして次の瞬間、大きな鎌を持った影はその銃弾の飛んできた方向――山の頂の白井のいる方向を凝視した。
やばい……!? 気付かれた!
◇
『俺が言ってなかったらお前、死んでたんじゃないか?』
大人一人分の身長の刀身の鎌を持った男へとそう言いながら近づいていく一人の影。その影はその顔に仮面を付けた男――Persona――小堺甚であった。
「何度も言っているはずだがな……俺はお前とは手を組まない」
銃弾の飛んできた山の頂から眼を離す事無く、大きな鎌を持った男は言った。
そんな鎌を持った男の姿を嘲笑うかのようにPersonaは告げる。
『俺の質問は無視か? それとも、図星だったのかな?』
「あんな銃弾、お前が忠告しなくとも避けられた。お前が忠告した事によって掠り傷が無傷になっただけ」
その返答を聞いたPersonaは仮面の内で笑ってみせる。
『それは結構。ところで、俺が今日、ここに来たのはお前と手を組む為の勧誘をしに来たんじゃないんだよ。首斬り』
マスメディアが名づけた自らの名称を聞いてようやくPersonaの方へと目を向ける首斬り。
『今日はお願いしに来たんだよ。今日ここで――――死んでくれないか? 首斬――』
その刹那。Personaの言葉を遮ったのは紛れも無く、首斬りの鎌であった。そう。首斬りは自らの手に持った大きな鎌でPersonaの首を刎ねたのだった。
宙に舞う仮面の付いたPersonaの首。
頭を失ったPersonaの胴体の斬り口からは噴水のように血が周りに迸った。
「お前が莫迦げた事を抜かすから、殺してしまったじゃないか……」
そう言って首斬りは鎌に付いた血をその鎌を振るう事によって地面に落とし、銃弾の飛んできた方向――山の頂へと向かって疾走した。
その場に残されたのは切断されたPersonaの首と胴体だけとなった。しかし、首斬りは知らなかった。Personaが神の子であり、不死身であると言う事を。
胴体の切断部分からは依然として血が大量に噴き出している。しかし、地面に転がっていたはずのPersonaの首から上は存在せず、首のあった場所にはPersonaの仮面だけが落ちていた。
瞬間、Personaの胴体の切断部分から脳ができ、肉ができ、骨ができ、肉ができ、皮ができ、最終的に――元のPersonaの顔――小堺甚の顔へと戻った。
そんなPersonaは自らの仮面を手にとって、顔に付ける。
『あー……痛かったなぁ……急に首を斬るんだもんな。少しは心の準備をさせて欲しいものだ』
愚痴を零しながら、Personaは首を右左へと曲げ音を鳴らす。
『まあ、後は対テロ対策の奴らに任せておけばいいかな? 失敗しても俺の邪魔をしやがったファルマンの息子を首斬りが殺してくれればそれでいい』
◇
鎌を持った奴の隣で……誰かが殺された!?
スコープを覗きながら首斬りの動きを見ていた白井の目には誰かが首斬りの方へと近寄って、首を斬られた一部始終が映った。そして、首斬りが人間とは思えない速さで白井のいる山の頂へと向かってきているところも目撃した。
「やばい! 鎌を持った奴がこっちに来る! 皆、構えるんだ!」
白井の報告と共に白井の後方にいる戦自の者たちは各自、武器を手にとって構えた。
白井はスナイパーライフルをその場に置き、SMGと銃を手にとって銃弾を入れていく。白井がスナイパーライフルを置いた理由はスナイパーライフルが重いということと遠距離の精密射撃にしか使えないからであった。
そして、銃弾を入れ終わり、首斬りを殺す準備ができた白井の耳に突如、その声は聞こえた。
「ぎゃあああぁぁあぁああぁあああ!!」
叫び声は山全体に響き渡り、前後左右どの方向からの叫び声なのかが分からない。そして、数十秒後、首斬りは白井たちの目の前に姿を現した。
「お前が……首斬りか……?」
「ああ」
白井の尋ね掛けに対して答えた、首斬り。
いくらなんでもここに来るのが速過ぎる!? さっきまで何メートル離れてたと思ってんだ!
皆、その鎌を持った存在に困惑する中、首斬りが自らの鎌に手をのばした所で、ようやく正気を取り戻し、構えた銃を首斬りに向けて、連射した。しかし、首斬りに銃なんて武器は何の意味も持たなかった。
全ての銃弾をその手に持った鎌で一掃した。
「嘘……だろ……?」
目の前で起きた現実離れした光景が白井にその言葉を吐き出させた。
そんな驚いている白井など気にする事無く、首斬りはその大きな鎌を振るおうと構える首斬りに戦自の者たちは手に持った銃を連射しようとしたのだが、その引き金を引く速さを鎌を振るう速さが超越していた。
戦自の者たちが握っていた銃を鎌の一振りで全て使えなくした首斬り。その鎌のもう一振りで戦自の者たちの首が椿の花のように地面に落ちていった。
絶望の光景を目の前で見ていた白井。
俺の命も……ここで終わりか……
白井は自分に振るわれようとする鎌に何も抵抗しようとしなかった。しかし――
「何してんだてめえは!」
――白井の体は誰かによって地面に叩きつけられ、そんな白井と一緒に地面に伏せる人物。
そんな二人の上の空気を首斬りの鎌が斬った、と思われた。
この声は……
「隊……長……?」
「何も抵抗しねえで何やってんだよ!」
素早くその身を起こして、白井の手を引き、この場から退こうとする隊長。
「今からは俺のこの命令に従って動け! 何が何でも、生き残るんだ!」
白井の手を引いて山を下る隊長。
白井はあることに気が付いて、隊長に任せていた足を止めた。
「隊長……」
白井が気づいたのは隊長の腹から滝のように流れ出る赤色の液体だった。
「腹を……斬られて……」
「これくらい……どうって事はない……若い芽が潰される代わりにこの俺が死んだ方がマシだ……」
そう。首斬りの振るった鎌は空を斬ったように見えたが、ほんの一瞬の内に軌道を変えて、隊長の腹を斬り裂いたのだった。
腹を斬られてまで……俺を助けようと……
白井は隊長が掴んでいる手を無理やり放した。
「隊長の命令はちゃんと守ります。だから、俺を頂に戻らせてください! そして……隊長も生き残ってください!」
「ああ……分かった。生きてちゃんと俺のところに戻って来い! “白井”」
白井はその言葉を聞いて、涙が出そうになったが堪えて微笑んだ。
俺の名前を……ちゃんと呼んでくれた……
白井は隊長に背を向けて頂の方を睨みつけた。
首斬りはまだ、すぐそこにいる。そして、俺が持ってるのは一丁の銃。相手は銃の引き金を引く速さを超える速さで鎌を振るう怪物。
白井の体が震え始めた。しかし、それは恐れからではなく、武者震いであった。
白井はまた、頂を目指して走り出した。そして、その目で大きな鎌を持った影を見つける。
そのまま白井が奴の目の前に姿を現そうとした時、彼は冷静に考えた。
相手は銃が効かないと言っても過言ではないのに対峙する意味はあるのか……? 俺は射撃手。なら、景色に隠れ、奴の隙を窺うのが得策じゃないか……?
白井は首斬りの前に姿を現さずに草むらへと飛び込んで、首斬りに気付かれないよう山の頂をゆっくりと目指した。そして、頂に着いた白井は自らが置いていたスナイパーライフルをその手に取り、スコープを覗きながら、標準を首斬りに合わせる。
すると、白井の頬に一粒の水が空から落ちてきた。
雨……か……
◆
立つ気力も無くなり、木に寄り掛かりながら地面に座り込む男。その男の腹からは大量の血が流れ出ていた。
そう。倒れこんだ男は白井たちの隊長であった。
「俺の人生も……ここまでか……」
口から血を吐き出し、自分の死期が近いことを悟った隊長はポケットからトランシーバーをその手に取った。
「だが……まだ後一つ……仕事が残ってる……」
トランシーバーの一つのボタンを押しながら、トランシーバーに向けて隊長は告げる。
「生き残っている者は今すぐに山の頂上へと向かい……はぁはぁ……鎌を持った奴と応戦しろ……」
トランシーバーから手を離し、安堵の表情を浮かべる隊長。その目は段々と閉じられていく。
「散々な人生だった……」
頭の中で走馬灯のように流れていく隊長の自らの記憶の数々。
「テロ対策なんて掲げても……殺しは殺し……殺し屋と何ら……」
隊長は虫の息のまま、言葉を吐き出す。
「変わらない……」
隊長は苦笑いを浮かべて、この世から去っていった。
◆
隊長……ありがとうございます……
トランシーバーからの最後の隊長の声とも知らずに聞いた白井は心中でそうお礼を告げた。
首斬り……隊長の為にも、必ずお前を殺してやる!
そう自分に言い聞かせるように決意した白井は首斬りをスナイパーライフルのスコープから凝視した。
今度は絶対に避けさせやしない……その為には些細な隙も逃すわけにはいかない!
首斬りの行動をずっと凝視し続ける白井。
その目には隊長の指令を聞いて駆けつけた白井の仲間や戦自の者たちが首斬りに殺される光景が映っていた。
白井にとって目を瞑りたい光景ではあったが、目を瞑ることはしなかった。隙を逃さない為に。首斬りを必ず仕留める為に。
白井は早く隙を見せろと気持ちが焦った。そして、十分くらいの時が経過してから白井は気付いた。
隙が……無い!? 駄目だ……このままじゃ、ここに来た皆が全員殺される……!
そう思うと、白井はますます気持ちが焦り――首斬りが隙を見せていないのにも拘らず、引き金を引いてしまった。
やばい!? すぐに移動しないと――殺される!
その場から逃げようと立ち上がった瞬間、白井の身が大きな影に覆われた。
まさか――首斬り!?
咄嗟に横に飛んだ白井はその目で自分に影を落としていた人物を確認した。
大きな鎌を携えた男――首斬りが白井の目の前に存在していた。そんな首斬りは手に持った大きな鎌を白井に振り下ろそうと構える。
その首斬りの素振りを見た瞬間、白井は後ろを向いて首斬りから逃げようと走り出した。
失敗した……また失敗してしまっ――
その刹那。背中をバットで殴られたような感覚に襲われる白井。
気付くと雨は土砂降りの状態でそんな雨でどろどろになった地面に白井は倒れこんだ。
痛い……
背中の状態をゆっくりと窺う白井。その背中には刃物で斬られたような傷が縦に刻まれていた。
「鎌で……」
斬られたのか……
声に出したつもりの白井だったが、出てはいなかった。
視界が虚ろになっていく中、白井は体をうつ伏せの状態から仰向けの状態へと変える。
そんな白井の目に映るのは首斬りの鎌を構える姿であった。
殺……される……
意味が無いと分かりつつもスナイパーライフルを握り締める白井。
首斬りによって振り下ろされる鎌。
その鎌は白井の首を刎ねる前で――停止した。
『“何でお前が生きている!”って言いたいんだろ?』
首斬りの目の前に現れた人物。それは仮面の男――Personaであった。
その姿を見て、その目を大きく見開かせた首斬り。
その隙を逃す事無く、白井は手に持ったスナイパーライフルの引き金を首斬りの脳天目がけて引いた。
鳴り響く銃声。
「くそ……やっと隙……見せやがって……」
そう呟きながら、白井の意識は闇に包まれた。
『ファルマンの息子――白井……背中に重傷を負ってるのによく脳天を一撃で』
地面に倒れた首斬りの姿を見ながら、Personaは脳天を撃ち抜かれて死んだ首斬りの方へと近寄っていく。
そんなPersonaは傘を持っておらず、服や頭は雨でずぶ濡れの状態だった。
『白井……お前を殺したいところだが、それよりかもこの首斬りの方が優先だ。だから――お前にはもっと苦しい思いをしてから死んでもらう事にするよ』
仮面の内で笑いながら、Personaは首斬りの死体を持ち上げた。
『あー……重い……でも、運ばないとこいつを人形にできないからな……我慢するとしよう』
Personaは皮肉を漏らしながら、持ち上げるのを諦め、引き摺りながら三頭山を下っていった。
◇
一週間後
「首斬りを殺した君を昇進させたいと言う話が来ているのだが……どうかね?」
社長室のようなところで、上官と目を合わせている白井。
首斬りの一件から一週間と言う時が経過したのだが、白井の背中の傷は未だ、癒えてはいない。本当はもう少し入院しなければならなかったのだが、目の前にいる上官に無理やりここに連れて来られ、退院せざる終えなくなったのだった。
「いえ……自分はここをやめようと思っております」
「やめる……? 辞職と言うことかね? 何故? 此方としても君のような優秀な人材を手放すのはとてもおしいのだが……?」
白井の顔を鋭い眼光で睨みつける上官。
その行為も当たり前と言えば当たり前なのだろう。白井が昇進を蹴ってやめたいと言い出すのだから。
「自分は優秀な人材ではありません。誰も守れない。ただのクズです」
そう。白井は誰も守れていなかった。
あの首斬りの一軒で生き残ったのは――白井一人だった。
隊長も白井の他の同僚も戦自の者たちも、全員首斬りに殺されてしまったのだ。
「だが、君は首斬りを殺した。もはや君は“君のお父さん”と同様英雄に近い」
「しかし、自分は無力です。それに、首斬りの死体は発見されていません。自分が首斬りを殺したと言う証拠も無い。自分の言葉でしか証言できない……仲間一人救う事さえ叶わない……ただの役立たずな人間です」
辞表を机の上に置き、敬礼して後ろを向く白井。
「逃げるのか……? 白井」
白井は踏み出そうとした足を止めた。
「けじめです。自分なりの」
そう言い残して、白井は止めた足をもう一度、動かし始めた。
上官の言うとおり、俺はただ逃げてるだけなのかもしれない……そう……だって――
「――ここにいたら、圧力で潰されてしまいそうになるから……」
白井はここにいる、自分だけが生きている事が苦しかった。
◇
『首斬りの死体は冷凍しておいてくれ。DOLLが完成形態に達するまでは首斬りをDOLLにはできないからな』
機械の立ち並んだ研究室のような広い部屋。しかし、この部屋のある場所は日本ではない。ロシアだった。
その部屋にはPersonaと数人の白衣を着た日本人がいる。
「分かりました。すぐに冷凍しておきます。それで、中森唯の件についてですが……」
『ああ。龍雅が裏切ったんだろう? 俺のところにもう言いに来たよ。唯って女の子はもう、見張っているだけでいいよ』
Personaが仮面の内でにやりと笑みを浮かべる中、その横にいる白衣を着た男は首を傾げた。
「あんなに欲していたのに……ですか?」
『どうせあと五年後にしか楽園の扉を開ける事はできないしな。それに……龍雅なんて泳がせておけばいいんだよ』
「は、はあ……」
納得のいかないような表情を見せる男。その隣でPersonaは仮面の内の笑みをより一層濃くさせ、同時にその右手を強く握り締めた。
◇
それからまた一週間後
白井は未だにあの日の出来事から立ち直る事はできていない。
外に出れば……少しは気が紛れるだろうか……?
そう思って階段を下りて行き、玄関を開けて、自家用車の元へと向かう白井。すると、そこには一人の制服を着た少年とスーツを着たがっちりとした体格の男が二人、立っていた。
「どうも初めまして。僕は小堺甚と申します」
小堺……? 警視庁長官の息子か……?
「白井さん……あなたに用があってここまで出向かせていただきました。一緒にあなたの車に乗せてもらう事はできますか?」
甚は少年らしい笑顔をニコリと浮かべた。しかし、その笑みは嘘っぱちであった。