No.21 自己犠牲と自己満足
左腕が――――斬られた!?
そう頭で理解した時には俺は駆け出していた。
目の前の敵――龍雅から夢中になって逃げて、木に自らの背を預けて座り込んだ。刀で服を切って、右手と口を器用に使いながら、左腕を止血する。
自分でも早く冷静な対応だと思った。そして、残った服で左目も止血する。
止血を終えた俺はさっきまで左手の在ったところを右手で掴んだ。だが、俺が掴んだものは――空気だけで他には何もありはしなかった。
本当に……無いんだ……
左腕は失われた。そして、左目も。
“雨がさっきよりも冷たい感じがした”
駄目だ……奴に勝てる気が全くしない。
俺は地面に置いた刀を一瞥した。
右手がそれを取ろうとしたが、取るまでにはいかなかった。
刀を取る気になれない。
息も荒い。それは俺がここに来るまでに走ったから。
大量に出血したからか、段々と頭が痛く、重くなってきた。それと同時に目の前も段々と朧になってきていた。
くそ……悔しい……
俺の力では全く、歯が立たない。
木の後ろを俺は窺った。龍雅が追ってくる足音は聞こえない。いや、雨の音でかき消されているだけなのかもしれない。しかし、前に目を向けた瞬間、そこには――ワイヤーを持った龍雅の姿が在った。
ああ……もう、お終いか……
龍雅は自らの手に持ったワイヤーを俺の首に巻きつける。そのワイヤーを引けば、俺の命は終わりを迎える。
それでも、俺は――刀を取る気にはなれなかった。
――死を受け入れよう。
俺の頭の中で走馬燈のように人生の残照が映像として流れていく。
俺は……なんで殺し屋なんかになったんだろうな……
そう思った瞬間に脳裏に過ぎったのは唯の一言。
『翔…………ありがとう……』
そう言って、微笑んで見せた唯。
何故、感謝の言葉なのだろうか? 俺はその言葉と逆の事を彼女にしてしまったんじゃないのか? 俺に殺された親のために俺を殺そうとしたんじゃないのか?
今の俺と同じ、誰かのために何かを成そうとしている。
……誰かの……ために?
引っ掛かったその言葉は麻奈が言っていた言葉だった。
『あなた――“誰かのために”を言い訳にしてる?』
“誰かのために”は単なる言い訳なのだろうか? いや、これは列記とした目的――目標じゃないのか? いや、問題なのは俺の考え方なのかもしれない。
“あいつを殺すためなら……俺は死んだっていい”
自分の身を顧みずに傷つく……
瞬間、俺は気付いてしまった。
……そっか……それはただの――
「――ただの自己満足なんだ……」
俺は地面に落ちていた刀を右手で強く握り締め、龍雅がワイヤーを引く前に首に巻かれたワイヤーを一閃した。
目の前の龍雅と戦って俺が死に、龍雅も死ぬ――自己犠牲と自己満足。
俺が目の前の龍雅を殺す――自己満足。
そうだ……唯だってこの男の死を望んでるわけじゃない。それなのに俺は――唯に理由を押し付けていただけだったんだ……“唯のために龍雅を殺す”と……
押し付けられた方の辛さは俺だって、既に分かっていたじゃないか。俺に剣道を教えてくれた麻奈が俺のために奴らに連れて行かれた。もっと……麻奈はもっと抗うべきだった。だから……辛さが分かっているから――俺はもう、自己満足なんて嫌なんだ。
俺はゆっくりと雨でどろどろな地面から立ち上がる。
「俺は……俺はあんたを殺したくない。けど……許す気も毛頭ない」
龍雅は無言のまま、俺の話を聞いた。そして、訝しげな表情をする。
「俺が我慢すればいいだけの話だったんだ……」
俺は右手に持った刀を放した。
地面に落ちた刀の音は雨の音によってかき消された。
その他のナイフや銃といった武器も地面に投げ捨てた。
「俺はもう――あんたを殺したくはない……だから、あんたも……俺を殺そうとしないでくれ」
感情を胸に押し止める。
本当は殺したい。殺したいけど、駄目なんだ。
唯が目覚めた時に悲しい顔は見たくない。
雨が冷たくなくなった。同時に雨が止んだ気がした。
現実の雨じゃない。俺の心の中の雨。
俺の気持ちを察してくれたのか、龍雅は首を縦に動かした。
「分かりました。私はあなたを殺しはしません。そして――」
龍雅は俺の後ろへと目を向けたような気がした。
「――殺させもしません」
俺は瞬時に後ろを振り向く。
そこにはさっきまで背を預けていた木しかない。しかし、少し横にずれた瞬間、その人物が俺の目に映った。
『別に驚くこともないだろう? 翔』
仮面を顔に付け、ガスで変えられた声のそいつは――――Personaであった。
俺は右目だけを大きく見開いてそいつをまるで何か珍しいものでも見るかのような視線で眺めた。そして、俺は完全にPersonaと向き合うように立った。
「なんで……お前がここに……?」
『“何故”? 愚問だな』
仮面の男は仮面の内で俺を嘲笑っているかのような口ぶりであった。
『お前は何も知らない……無知とは残念でならないよ』
無知……? 俺は今の状況で何を知りえていないんだ?
その疑問の答えを頭の中から探すが、見つかる気配はない。出血してるせいで頭に血があまり回っていないのだ。
俺は答えを見つけるために後ろにいる龍雅の方を向いてみた。
そう言えば……、と龍雅の言っていた言葉を思い出す。
“私が死ねば、唯は……死んでしまう。だから、私は生きなければならないのです! 唯のために!”
龍雅が死ぬと、唯も死ぬ?
「説明しろ、龍雅! あんたが死んだら唯が死ぬってどういう意味だ!?」
「……そういう意味ですよ。私が死ねば、目の前にいる仮面を付けた彼――Personaが唯を殺し――」
その瞬間、龍雅の言葉を遮るようにPersonaが言葉を挟む。
『いや……もう死んでるかもな! 唯の病室に送ったからさぁ……俺の人形を』
「くっ――!?」
俺がPersonaへと叫びながら、殴ろうとしたところを龍雅の手によって後ろから服を引っ張られ、止められた。そのまま、俺は龍雅の隣まで引っ張られる。
「大丈夫ですよ……唯は死にません。いや、殺させはしませんと言ったはずです」
『フッ! もう手遅れということに気付かないのか、龍雅?』
仮面の男――Personaがガスで変えられた声で笑う中、俺は龍雅を横目で窺った。すると、龍雅も同様に――口元をゆっくりと歪ませて、余裕の笑みを浮かべていた。
◇
八草病院
病室は何の光もなく、静かであった。
翔と龍雅との戦闘が開始されてから、約一時間半ほどの時が経っていた。
今の時刻は午後八時。
唯は未だにベッドで目を覚ますことなく、寝ている。起きる気配はなく、心地良さそうに胸が上下していた。
そんな唯の病室に一つの足音が段々と近づきつつあった。足音の人物はロビーの受付を一瞬で通り過ぎ、誰にも見られることも気付かれることもなく、ここまで来たのであった。
その人物はゆっくりと唯の病室のドアをスライドさせ、ベッドの横に立つ。
「“鍵”を確保」
そう言って唯を所謂、お姫様抱っこと言う奴をして連れ出そうとしたその人物――Personaによって創られた人形。しかし、人形が唯を抱えて、病室から出ようとした時、扉を塞ぐように何者かが立っていた。
「お前は……!?」
少し、目を細めた人形。
その扉を塞ぐように立っていた人物。それは――
「藍堕権介……!?」
日本で一番強いとされる殺し屋――藍堕権介の姿がそこには在った。
身長は一七○センチ後半と思われ、体はがっちりとしているわけでも、細いわけでもない。二十後半の藍堕は童顔だった。
人形は藍堕のことを珍しいものでも見るかのように眺め、その眼光を見た。
藍堕の眼は暗闇なのにも拘らず、LED電球のように光を発している。そして、藍堕は軽い口調で話し始める。
「お前……もしかして人形? 初めて見たよ。お前みたいに言葉を話せる人形はね」
瞬間に藍堕の眼は鋭いものへと変貌を遂げる。
その眼光に人形は少し、後ろへと気圧されそうになった。
「俺さぁ……その唯って言う可愛い女の子を殺されたり、連れ去られるわけにはいかないんだよなぁ……こっちも仕事で金も貰ってるからさぁ……見逃してくんないかな?」
人形は藍堕の問いに対して応えるという反応を見せなかった。
そんな人形を見て藍堕は「何も言わないってことはぁ、断ったってことでいいんだよな?」と人形を挑発するように呟いた。しかし、それにも人形は反応する事が無く、藍堕ははぁーと溜息を漏らした。
「仕方がない……殺るしかねぇな……」
面倒くさそうにバタフライナイフを右手に持って、刃を百八十度回転させて、剥き出しにする。だが、人形はその瞬間を狙って、藍堕の塞ぐ扉ではなく、別の出口――――窓と言う出口から唯を抱えたまま、飛び降りた。
「なっ!?」
瞬間、藍堕は窓の方へと走り寄り、下を見る。
そこには平然と五階という高さから飛び降りた人形の無傷な姿があった。
「くそ! 五階からって……そんなのアリかよ……ッ!」
◇
『何がおかしい、龍雅?』
笑い声を止め、龍雅へと問いかけたPersona。
その声は真剣なのか半分笑っているのか、ガスで変えられた声では翔と龍雅にはわからない。
「いや……私が何の手も打っていないと思いますか? 私が外国にいるときから、私は唯と妹の両方を見張らせているんですよ」
翔はここで初めて、龍雅が今まで外国にいたことを知った。
なんで外国に……?
ふと疑問に思った翔だったが、次の瞬間、地面が揺れるような感覚に襲われ、疑問は頭から消え去った。
くそ……足下が覚束無い……
今にも膝を着きそうな翔。しかし、何とか今の現状を保っていた。
Personaは自らの首を傾げ、仮面の内で訝しげな表情で龍雅を睨みつけた。
唯と妹を両方……?
『フフッ……二人も見張りを置いてたいしたもんだよ。で、誰を置いている?』
Personaのその発言を龍雅は嘲笑った。
雨は段々と酷くなりつつあり、さらには林の木々を激しく揺らす風も吹いてきた。
その風でPersonaの仮面が飛びそうになるが、飛ぶまでには至らなかった。
「彼にもう一人の見張りなんていりませんよ。一人で三人くらいまでなら見張れるのではないでしょうか?」
龍雅は一息置いて、Personaへと問う。
「“日本で一番強い殺し屋”――と言ったら分かりますか?」
その問いにPersonaと翔が二人とも反応する。
あいつか……と舌打ちをするPersona。
翔は一瞬、“日本で一番強い殺し屋”が分からなかったが、大方の予想はついていた。
全ての依頼を成功させてる、あの……?
『藍堕権介か……? この頃、全然、名を聞かないと思っていたら、そんな事をしていたのか』
藍堕権介!?
翔の大方、予想していた人物も藍堕であった。
藍堕権介は殺し屋の間でも知らない人物はいないと言われるほどに有名だった。今まで失敗した依頼は“ゼロ”。しかし、それが本当に事実なのかは定かではない。
『あの“千里眼”は厄介だな……それが俺と敵対する側についてるとなると、もっと厄介だな』
「千里眼!?」
翔は驚愕の表情を浮かべて、その言葉を繰り返した。そして、翔は「そんなもの……ホントに存在するのか?」と付け加えるように呟く。
千里眼――人の心を透視したり、未来を視ることができる眼。
実際にそんなものがあるなど、翔には信じられるはずがなかった。
「そう。千里眼……彼――藍堕は十代の時にそれを開眼させたんですよ」
龍雅は翔へと説明するように告げた。しかし、翔の耳にはその説明は届いていなかった。
千里眼……? 意味が分からない……冗談だろ? そんなのあるわけが……!?
翔が混乱する中、龍雅とPersonaは互いに睨みあっていた。
『まあ、話はこれくらいにしておいていいだろう。俺の目的はお前――龍雅の命なんだからなぁ?』
Personaの殺気が翔の考えを吹き飛ばし、反射的にPersonaを見るように仕向けさせた。
◇
八草病院
藍堕は唯の病室から勢い良く飛び出して階段を駆け下りた。
それはエレベータなど待っている時間さえ、今はないからだ。しかし、藍堕は千里眼を使って、人形の状況を把握していた。
くっ……あいつ……
舌打ちをした藍堕は急に階段の駆け下りる足を遅くした。
それは“もう急ぐ必要がなくなったから”であった。
病院を出て、駐車場へと向かう藍堕。
そこには唯を横に寝かして佇んでいる人形の姿が存在していた。
「おい! お前……俺に敵うとでも思ってんのか?」
人形の心中を千里眼で視た藍堕は眉をひそめて、問いただした。しかし、人形は決して口では語ろうとはしない。
そんな人形の心中を千里眼で視る藍堕。
そうかよ……敵うと思ってんのかよっ!
瞬間、藍堕は人形へ向かってナイフを片手に疾走していた。
それに対して人形は何の対応も見せない。だが、藍堕には“ちゃんと視えていた”。
人形との間合いが十分になったところで藍堕は右手に持ったナイフを人形に向けて、薙ぎるように振るった。
それを人形は紙一重で後ろへと退いて、避けようとした。だが――
「全て読めてんだよ! てめえの動きはなぁ!」
藍堕は右手で握っていたナイフの振るう軌道を変えて、もう一度、足を踏み込んで、人形の胸を左下から右上に向けて斬り裂いた。
地面へと倒れこんだ人形。
そんな人形に与える隙などないと言わんばかりに藍堕はたたみかける。
衣服の袖や内ポケットから四本のナイフを取り出して、額、胸の真ん中、首へと突き刺した。
首には二本のナイフが突き刺さり、大量の返り血を藍堕に浴びせかける。
終わったか……?
心中で呟く藍堕であったが、千里眼で人形を視ると終わってはいないようだった。
「あぁ!? 不死身か、こいつ?」
その回答は普通の一般人であれば分からなかったが、千里眼で心中の声を聞いた藍堕は分かった。
「へぇー……何回も殺せば死ぬんだー……なら――」
人形に突き刺さったナイフを引き抜いて何度も何度も突き立てる。
「――殺してやるよ、たとえ一万回でもな!」
◇
溜息を吐いた藍堕。
その横には蜂の巣のように無数の刺し傷がある屍が転がっていた。その屍は勿論、先の人形である。
藍堕は返り血さえ浴びていたものの無傷だった。
そんな藍堕は駐車場の脇に寝かせられた唯に目を向けた。
ふぅー……元に戻さないと。
ポケットからハンカチを取り出して、自分の手と衣服についた血を拭く。
流石に衣服に染み込んだ血までは拭き取る事はできないが、今から抱える唯に血がつかない程度でいいのだ。
唯を両手で抱えた藍堕はそのまま、病院の中へ非常階段から入って行き、病室のベッドへと寝かした。
勿論、病室までの道のり、千里眼で周りの目がないか警戒しながらだった。
病室の窓から、顔を出す藍堕の額には汗が滲んでおり、息も荒々しかった。
唯を両手で抱えて三階まで上がってきたから当然である、と言うのとは少し違った。
藍堕は一人の少女を抱えながら階段を上って、息が荒々しくなるほど柔な鍛え方はしていない。
ならば何故、彼は息を荒々しくさせ、額に汗まで滲ませているのか。
――それは千里眼が原因だった。
右手で口元を塞いで、激しく咳き込んだ藍堕。
それは重病を抱える病人のような咳き込み方だった。
咳はすぐに治まったが、藍堕は口元を塞いでいた右手の掌を確認して目を大きく見開かせた。
――掌には大量の血が付着していた。
そんな右手の掌を握って、座り込んで壁に背を預ける藍堕は一人、寂しく呟いた。
「もう……長くないのか……?」
それは自問するような言葉でもあったが、同時に未来へと問いかけているような言葉でもあった。
藍堕は自分の未来をも千里眼で見据えているかのような遠い目をしていた。それと同時に藍堕は自嘲的な笑みを浮かべた。