No.19 対峙
2011年8月22日 午前一時××分
Personaの宣言から六時間後の今、一人の男が砂丘のような地上より、少し高い場所に佇んでいた。
その男の眼は人ではないような赤い色をしている。まるで化物のような眼。その眼は血に餓えたような眼光を放っていて、今にも誰かに襲い掛かりそうであった。
地上より少し高い場所。その砂丘のように盛り上がったところには――何百人もの人の屍が積み上げられていた。
男はその屍の上で佇む。自らの手で葬った者たちの屍の上で。
屍の全ての者は暴力団、もしくはヤクザに所属している者たちであった。
男はPersonaから請けた命令を忠実にこなしている。そして、その男は人の言葉が話せる十人の中の一人の人形であった。
「前哨戦……もう終わりかぁ? 足んねぇ……全然、足んねぇんだよ! ペェルソナァァァ!」
獣のごとく、男の人形は闇夜を見上げて、叫び続けた。
◇
2011年8月25日
日本の全ての暴力団とヤクザはPersonaが管理するDOLLによって制圧された。
大貴はPersonaの宣言を聞いて、事務所から外へは出ていない。
なぜかは分からないが、大貴の足は動こうとはしなかった。
それはPersonaが九月十一日に北川高等学校に天皇を警護する為に来ると聞いたからかもしれないし、ただ、逃げているだけかもしれない。
九月十一日、北川高校……そこで接触するしかない……Personaと……
大貴はソファに寝転がって顔を隠すように腕を額に当てた。
ちゃんと……ちゃんと確かめないといけないんだ。
心の中で決意をしながらも大貴は溜息を吐く。本当はしたくないという気持ちが心のどこかに存在するように。
自分の目で……確かめないといけないんだ。
◇
某道場
俺は唯が持っていた古刀を持って女の人形と真剣で勝負をしていた。
竹刀から木刀に変わり、とうとう真剣を持つまでに俺は成長したが、一向に女の人形から一本も取ることはできていない。
女の人形の動きは蛇のごとく素早い。早すぎて目で追って避けるのもやっとであった。
それから、何度も女の人形の刀を避けているうちに俺の体力はどんどん削られていき、避けきれずに峰打ちで倒れる。
その繰り返しだった。
「少し休憩しようか」
息を上げていない女の人形が口を開く。俺はその女の人形とは逆に息を過呼吸くらいの速さでしていた。
峰打ちされた腹をおさえながら、道場の床から起き上がる。俺は立ち上がって道場の隅っこにおいてあるペットボトルを手にとって、ごくごくと水を飲んだ。汗で消費した分の水分を補うというのはとても、気持ちがいいものだった。
座ってペットボトルの水を飲みながら、息を整えている俺はふと疑問に思ったことがあった。
「あんた……そう言えば名前は?」
「……ずいぶんと長い間、聞かなかったわねぇ」
女の人形は俺に向かって微笑みながら、自分の名を告げる。
「麻奈よ」
本当の人間のように微笑む麻奈。
俺はその姿から、目を逸らすことしかできなかった。
それから数分間、座って体を休め、麻奈の「さあ、続きをやろうか?」と言う一言で俺は立ち上がって古刀を手に持った。
再び俺は麻奈と刀を持って対峙する。
互いに睨み合いながら、間合いを保ち、横に動いていく。
先手必勝!
心中でそう叫んで間合いを詰めて刀を振るおうとしたその瞬間――道場の天井が崩れ落ち、俺は衝撃で道場の壁へと吹っ飛ばされた。
……な、なんだ……?
床に膝を付いて立ち上がりながら、天井が崩れ落ちたところを凝視する。だが、煙のせいでまだ、何も把握できない。
煙が晴れてくると、そこには――四つん這いになった小学生くらいの少女が平然と存在していた。
俺は状況を把握できないまま、少女を眺めることしかできない。そして、少女は四つん這いから、膝を着いて麻奈を指差しながら、大きな、無邪気の声で言葉を発した。
「見ぃ~~~つっけたっ!」
かくれんぼの鬼のような声を上げて、俺に背を向けたまま、立ち上がる少女。それと同時に穴の空いた天井から紳士的な面持ちの男が俺の方を向いて下りてきた。
「屋根から失礼いたします」
その紳士的な男はこちらに一礼すると、麻奈へと視線を移した。
「久しぶりですね……出来損ないの人形」
「出来損ないで悪かったわね。どうせ、あたしを処理しに来たんでしょう? だったら、抵抗はしないよ」
そう言って麻奈は地面に刀を置いて佇む。
こいつ……
「おい……何言ってやがる……」
自分が殺されるって分かって抵抗しないのかよ……それってただの――
少女と紳士的な男の視線が俺へと向けられる。
「そうか……君が翔って殺し屋か……?」
紳士的な男が俺に向かって尋ねるがそんな尋ね、俺にとってはどうでもいいものだった。
「ナニ変なこと聞いてんの、来須? こいつが翔ってことくらい、写真で見てるからもう、知ってるくせに!」
無邪気な少女はその場の雰囲気から完全に浮いていた。
俺はそんな事など気にせずにただ、そいつらに問う。
「お前ら……例の十人の人形のやつらか?」
「愚問ですね……そんなこと分かりきっている事でしょう?」
問いに対して問いで返した紳士的な男。
愚問なのは違いねぇな……だから、俺は――
自らの刀を強く両手で握り締め、二人の人形、目掛けて俺は疾走した。間合いを詰めるのには一秒とも掛からず、俺は刀を斜めに振るう。だが、刀で捉えたものは何も無く、代わりに紳士的な男によって腹を蹴られて、また、道場の壁に叩きつけられた。
人間の……力じゃない……
俺は自らの腹をおさえながら、左膝を着いて立ち上がる。
「そうそう! 君に伝えておかなければならない事があってねぇ」
紳士的な男が笑みを浮かべながら、こちらを見る。
「唯の師匠――龍雅からの伝言です。『八月の二十八日。君と唯が殺しあった場所で待っています』とのことですよ」
二十八日……三日後!?
「……ああ、了解した。だったら、尚更、その女を――麻奈を渡すわけにはいかない! あいつに勝つためには……俺にはまだ、力が足りない!」
刀を両手で構えなおして、人形達を凝視する。
二対一……人間を超越した人形を二人も相手にするのは骨が折れる。
俺は息をゆっくりと吸い上げてゆっくりと吐き出した。
心を落ち着かせろ……心が乱れれば、何も斬れない。
何も考えることなく、目の前の人形だけに意識を集中させる。
「やめなさい! あんたが敵う相手じゃない!」
麻奈が何か俺に言っている。けど、俺はその言っている事の内容を理解はしていない。
「そう。この女の言うとおりですよ。やめておいた方が身のためだ」
紳士的な男が何かを告げる。けど、俺はその言っている事の内容を理解はしていない。
紳士的な男の口の動き、目の動き、右手の動き。
少女の目の動き、脚の動き、顔の動き。
――見える。
心が落ち着いているからか、全ての動きが鮮明に見える。
スローではない。けど、見える。
これが本当の意味での目でモノを見ると言う事ではないだろうか?
疑念が消え失せた瞬間、俺は足を動かした。
俺は紳士的な男との間合いを詰めて、男が避ける前に刀を男の左腕、目掛けて俊敏な動きで下から上に振るった。
――俺はその間合いを詰める一瞬の内にあることを刀に施した。
男の肘から先の左腕は宙へと舞い上がり、そのまま地面に落ちた。
男の息遣いが荒くなるのが聞こえる。
人形の少女がごくりと息を呑む音も聞こえる。
俺の感覚器官は研ぎ澄まされたかのように働いていた。
◇
道場の地面に左腕が落ちた瞬間から、紳士的な男の人形は大量の汗を流し始めた。
反応が遅れた? いや、俺は紙一重で翔の太刀を避けたはず……なら、なぜ……?
自分が斬られたときのことをもう一度よく思い出す男。
そこで気付いた事が一つ。
――奴は俺の反応に気付いて、太刀の方向を変えたのか?
男には自らの目の前に佇む翔の存在がさっきよりも大きく見える。
今のこいつは……俺の瞬き一つでさえ見逃さないのか?
大量の汗は道場の床へと落ちて広がっていく。
その汗の量は男の“恐れ”を表しているようであった。しかし、実際にはそうではなかった。
くそ……なんだ、これは? 体が重い……目の前も歪んで見える……
翔はその男の隙を見逃すはずも無かった。
刹那――翔は道場の床を勢い良く蹴り飛ばして、人形の男へと二太刀目を浴びせかけようとした。だが、その太刀は思いもよらぬ人物によって阻まれる。
人形の男と翔との戦闘に介入してこなかった人形の女の子が翔の気付いた頃には自らの目の前に姿を移していた。
いつの間に……!?
その動揺は翔の太刀を鈍らせた。
翔は人形の女の子によって腹を蹴り飛ばされ、今度は左の壁へとその身を叩きつけられた。その蹴りは男の力を数倍も上回るものであった。
道場の床に血を吐き捨てながら、腹をおさえる翔の眼光は人形の女の子へと向けられた。
この女の子……男より強い!?
その確信は次の瞬間、恐怖に変わる。
目で捉えきれない。太刀打ちできない。殺される。しかし、人形の女の子は自分が蹴り飛ばした翔の存在などには目もくれずに紳士的な人形の男の元へと駆け寄る。
男は膝を着いて、もはや虫の息であった。
「どうしたの? さっきからいつもと“ようす”が変だよ?」
「はぁ……毒……ですか……ね」
単語単語で告げた男はもう口を開く事さえできない状態にまで陥っていた。
そう。翔の男との間合いを詰める一瞬の内にしたあることと言うのはこのことであった。
その男の状態の異変に気付いた人形の女の子は行動する。
「麻奈……だっけ? おまえが潔く捕まらないと、あの翔って男……――殺すよ?」
明らかなる殺意を持って告げたその一言。それは交渉だった。
麻奈は思案する素振りを見せてから立ち上がる。
「分かった。――あたしは抵抗しない」
その一言を傍で聞いていた翔は必死に体を起き上がらせようとする。だが、起き上がらせようとする力よりも腹の痛みの方が上だった。
くそ……このままじゃ……
「やめろよ……俺の命なんて……心配すんな……」
「別にあんたを助けるためじゃない……これはあたしの問題よ」
自分の二倍くらいの体重のあるであろう男を軽く背中に乗せた人形の女の子。その女の子の背について行こうとするのは麻奈だった。
麻奈は最後に悲しい微笑を翔に見せてから、背を向けて、どこかへと行った。
俺は――……くそ……
翔の目から悔し涙が零れ落ちる。
また……また、俺は……救えない……なんて
声にならない叫びを上げて翔は――
なんて、俺は……――無力なんだ!
――自らの無力さにもう一度、気付かされた。
◇
2011年8月27日 某道場
俺は大の字になって道場の穴の空いた天井から空を見上げていた。
心は静かであった。いや――静か過ぎだった。
頭に過ぎるのは二日前の記憶。麻奈が最後に見せた悲しい微笑。その表情はあの日に自らに刃を突き立てた唯の微笑みと似ていた。
似ていた……だからこそ、救えなかったのが悔しいのかもしれない。
麻奈から教わったのは刀だけ――ではないような気がした。
けど、俺は本当に強くなれたのだろうか? あの人形の女の子の動きについていけなかった。本当に俺は――
俺はそこでそのことについて考えることをやめた永遠に続いてしまうから。だけど、強くなっていなくても奴とは戦わなければならない。
唯と天谷の師匠――龍雅。
俺が死んで奴が生きるか、奴が死んで俺が生きるか。
二択――選択肢はそれだけだった。いや、もう一つ存在した。
――奴が死んで俺も死ぬか。
俺の命なんてどうでもいい。奴を殺すためだけに俺は刀を振るう。
「俺はお前を――殺してやる」
誰もいない道場で一人、呟いた。覚悟するように呟いた。
俺はまた、空に意識を移して、仰ぎ見た。雲の動きがいつもよりか速い気がした。そして、俺の中に一つの予想が浮かび上がる。
――明日は……雨なのだろうか……
あの日のように雨。それは偶然ではなく、必然だ。
俺は鞘のついた唯の古刀を右手で強く握り締めた。
◇
警視庁長官室
堂々とその席に座る仮面を付けた男――Persona。
その前に腕を強固な拘束具で固定されたある女性が連れ込まれた。そのある女性というのは翔に剣道を教えた人物――麻奈であった。
苦しい表情を浮かべる麻奈はPersonaの前に突き出される。
麻奈はPersonaの不気味な仮面を睨みつけた。
「あんた……何をしようとしてるの!?」
荒い声を上げる麻奈に対して、Personaは椅子から立ち上がって、麻奈の元へと近づきながら、告げる。
『お前は自分の立場を分かってるのか? 俺がここでお前を殺してもいいんだぞ?』
Personaは自らの右手を手刀にみたてて、麻奈の腸を抉るように突き刺した。
「うっ……!?」
口から血を吐き出し、腹からも大量の血を吹き出させる麻奈。その血は床にどろどろと落ちて広がっていく。
麻奈は腹の痛みを必死に押さえ込んで口を開く。
「だったら……早く殺しなさい……」
死を望むような言葉を吐き捨てた麻奈だったが、その目には死を拒むような気持ちが表れていた。
『ふ~ん、死にたいのか……?』
表情の窺えない仮面の下の顔は不気味に微笑んでいた。そして、その笑みは表情だけでは飽き足らず、言葉にまで影響を及ぼす。
『ハハハハッ……ハハハハハハハハッ!』
無様と哀れむような笑い方であったが、ガスで変えられたような声のせいで麻奈にはそこまで知ることはできない。
Personaは自らの右手を麻奈の腹から勢い良く引き抜いた。
その痛みに耐えかねた麻奈は床に膝を着く。床には水溜りくらいの大量の血が広がっていた。
『お前の希望をそのまま通せると思うなよ?』
麻奈は冷や汗を垂らしながら、口を唖然と開けた。
仮面の男はその様子を見て、言葉を続けた。
『お前は殺し屋の翔に剣道を教えていたようだな……俺の邪魔をしやがった堆我の息子に』
瞬間、麻奈は唾をごくり呑んだ。
『そうだな……お前の脳の記憶を初期化して再度、俺の命令を絶対に守るようにしよう。そして、お前に命令してやるよ。“翔を始末しろ”ってなぁ!』
麻奈の目の色は一瞬の内にして絶望の色へと変わり、背中には悪寒が走る。
「や、やめて!」
『もう、お前に言う事はない。連れて行け』
警視庁長官室にいた男二人によって麻奈は部屋から出されようとする。
「やめて! それだけは……それだけは!」
最後までもがく麻奈だったがそれも空しく終わった。
「やめろぉぉぉぉぉぉおおおお!」
その声と共に警視庁長官室の扉が閉められた。
◇
2011年8月28日
今日は俺の予想通り、生憎の天気であった。
時間の指定はされていないが、たぶん、夜だろう。
なので、俺は日が落ちる頃合に傘を持たずに事務所を後にした。いや、傘を持たずに細長い袋を手に。
雨に濡れながら歩く俺はすれ違う人々の目に留まる。
濡れながら走りもせず、慌てもせずに歩いているからだろう。
まだ、腹は痛い。けど、そんなことも言ってはいられない。
生きるか死ぬか……
俺は路上で立ち止まって、最後になるかもしれない空を拝んだ。
――灰色の空。どうせなら、青い空を最後に――
俺はその先のことを考えるのを途中でやめた。
――くそ、考えるな!
首をぶるぶると振ってまた、俺は歩き始める。けど、その考えは消えようとしない。
俺は――あの龍雅という男に勝てる気がしなかった。だから、死んだ時のことを考えている。
敵わない敵だとしても、立ち向かわなければならない。殺しの仕事なら途中で降りても構わないが、今日の殺し合いは違う。
退けないんだ……絶対に……
それからは何も考えずに歩いて、その場所へと着いた。左には河があり、右には林があるその場所。唯が自らの腹に刃を突き立てた場所。
俺はまだ、そこに血が広がっているのではないかと心のどこかで思っていた。けど、そんなことはあるはずがなかった。ここでは何事もなかったかのような普通の道と化していた。
辺りは暗い。
街灯の光が一、二個あるだけで、雨というのもあったせいか視界が悪い。しかし、そんな視界の悪い中、俺はそこにいたある人物だけは特定できた。
そいつは一歩一歩、俺へと近づいてくる。そして、俺との距離が十メートル以内になったところでそいつはその足を止めた。
「決着をつけましょうか? 翔」
にやりと口元を歪めるその男――唯の師匠――龍雅。
それに対して俺は龍雅の顔を睨みながら答えた。
「ああ」