No.01 世界の人々の命
キャラクターの名前を変更いたします。
・阿羅々義岱箕→天谷大貴
・錨夜我威→一宮翔
・中森刹→中森唯
・劉雅→龍雅
・戌塚尚一→犬塚尚一
・錨祐次朗→白井裕次郎
『昨夜未明、東京都新宿区で三十五歳の会社員の男性――高崎浩介さんと思われる遺体が新宿区の路地裏で発見されました。遺体は人物が判別できないくらい顔を殴られており、現場付近に落ちていたバッグの身分証明書から警察は遺体の身元が高崎浩介さんの可能性が高いと調査を進めております。容疑者は分かっておらず、現場に血で書かれたロシア文字のКが残されていた事からK事件に関与している可能性が高いと警察は発表しております。もし、今回の事件がK事件だと、K事件の被害者はあわせて四十七名となります――』
二階から覚束ない足取りで降りてきた俺は早速、テレビの告げるそのニュースを耳にした。朝からこんなニュースを聞かされるのは気分が悪いので、俺はすぐさま、リビングにあるパンを手に取る。その間にニュースキャスターは何個も何個もニュースを告げていった。
そんなニュースキャスターの声と重なるように、
「物騒ね……大貴も気をつけなさいよ……」
と母親は心配そうに呟いた。
「気をつけろ」と言ったって、こんなものはテレビの中だけに納まっていることであって、俺には関係の無いことだ。
俺は一枚目の食パンを食べ終わり、二枚目の食パンへと突入する。
「でも……またK事件かよ……」
ここのところのニュースはK事件のことを何度も何度も告げていた。K事件は七か八年前くらいからずっと続いているが、ここ三年間は音沙汰無しだった。なのに、最近になってまた、始まったのだ。
二枚目のパンも食い終わった俺はいつもどおりの行動をする。洗面所へと向かい、顔を洗って歯磨き。それから二階へと上がって制服に着替えた。
そして、鞄を持った俺は一階へと降り、
「じゃあ、行って来る」
常套句を吐きながら靴箱へと向かった。
「今日は遅いの?」
「五時か六時かな。じゃあ」
靴を履いた俺はドアノブに手を掛け、ドアをゆっくりと開けた。外の光に目を細めながら、ゆっくりと足を進めた。
持っている鞄は然程、重くはない。何故なら、教科書などは殆ど、学校のロッカーに入れているからだ。所謂、“オキベン”という奴だ。
それにしても……一年で物騒になったな、東京は……
K事件の被害者は今年だけでも十数名は出ている。
三年も音沙汰が無かったから、もう終わったものだと思っていたが、違った。警察もそう思っていたのだろうか? この頃の警察は全然、証拠を見つけられていないような気がする。いや、発表していないだけなのか?
警察のK事件の捜査の記者会見で警察は詳細をあまり話さなくなった。ずっとK事件の犯人を捕まえる事のできない警察はネット上で“能無し”や“チキン”などと言われている。
信号が赤になって俺は学校へと向かっていた足を止めた。
高校は徒歩で通えるほどの距離のところにある。学力が適していた事もあるが、これがこの高校を選んだ一番の理由だ。
部活には入っていない。イコール、朝練もありはしない。
何故、部活に入っていないのかというと、それは時間を勉強に充てたほうが利口だと思うからだ。しかし、そんな事は思うだけであって、俺は勉強をあまりしていない。流石にやらないとやばいかな? とは思うが、やる気が出ない。誰か俺のやる気スイッチをONにしてください。
信号が青になり、止めていた足を動かし始めた俺だったが、すぐにその青信号は点滅し始めた。
まあ無理もない。俺のほかで此処を通る人は犬を散歩させている人か、二、三人の会社へと通勤する途中の人だけだからな。そして、その信号から少し歩いた所に駅があり、その上の坂を上った所に俺の通っている高校――北川高等学校がある。
駅に近いという事で電車で通う人達にとって高校は凄くいい場所にあるんだろうが、俺にとってはそんなことなど、どうでもいいことだった。駅なんて遠くでよかったから坂の下の所に建てて欲しかったと言うのが本音である。
朝から汗を頬に垂れ流しながら、俺はその坂を一歩一歩、上っていく。
朝日が俺を焼くように光を照らつかせ、アスファルトはその熱を吸収。熱気に変えて俺へと伝わらせた。全く、アスファルトじゃなくて氷の地面なら良かったのに。
段々と、四階建ての校舎が近くなっていき、俺はやっとの思いで校門に辿り着いた。校門に立っていた先生の挨拶を礼だけでスルーしながら、ゆっくりと昇降口へと向かい、黒い学校指定の靴から白く黄色の線が一本入った上靴へと履き替えた。そして、今にも悲鳴を上げそうな足で階段を上っていく。
階段を上るのはきつくはない。それは教室が二階にあるからだ。二年九組の俺の教室は今、上っている階段から離れている二階の一番端っこだ。
ゆっくりと廊下を歩いて行くが、その廊下には人が疎らで十人にも満たないほどだった。
まあ時間も時間だ。当たり前だろう。
教室に入ると皆、もう着席していた。しかし、雑談は続いている。流石にまだ、勉強している人の姿は見受けられない。
耳障りな雑談の声が鳴り響く中、俺は手に持っていた鞄を自分の机の横へと掛けた。
それと同時にさっきから微笑みかけていた俺の後ろの席の奴が声を掛けてきた。
「いつもより遅いもんだから、休みかと思ったぞ? 皆勤賞が消えるとこだったぜ?」
そいつは微笑みの表情から映画の上映時間ギリギリに来た友人を迎えるような表情へと変え、そう言った。
「俺にとって皆勤賞なんてのはダンゴムシくらいの価値しかねえんだよ」
「ダンゴムシは俺にとっても、とーっても重要だぜ?」
何を言ってるんだか、こいつは……
俺はその発言をスルーしつつ、席へと着いて体を横に向けて、後ろを向いた。
「俺が休んだら、お前にとって皆勤賞以外に不満な事でもあるのか?」
「話す相手がいなくなる=友達がいなくなる。これってものすごーく重要な事で寂しい事じゃね?」
即答。ちっとは深く考えてから発言して欲しいものだ。
ほらみろ。てめえのお隣さんの顔が悪魔の笑みに変わってきたぜ?
俺の後ろの席の人物――小堺甚の隣から一人の男子が甚へと声をかけた。
「へぇー。ということは、甚は僕の事を友達とは思ってなかったわけですね?」
悪魔の笑みから、目をキリッとさせて甚を睨みつけたのは眼鏡を掛けた男子――浦議了汰だった。
その悪魔の笑みに俺と同様、恐怖を感じたのだろうか、甚は浦議から視線を逸らした。
「てか、敬語やめろよ。何回言わせりゃ分かるんだ」
視線と一緒に話も逸らしてしまった甚だった。
この二人とは高校一年から同じクラスの中で親友と言っても過言ではないのかもしれない。
「すみませんね……僕の中ではもう、敬語のONとOFFが習慣になっているんですよ。大勢の人がいる場所ではON。あなた達とだけならOFF。こんな風にです。お金持ちだって色々と苦労はあるんですよ?」
どうでもいい惚気話を聞くような表情の甚にニコニコしながら話す浦議。浦議は凄いとしか言いようの無い家に住んでいる金持ち家族の長男だ。
まぁ、まだ家には一度も言ったことが無いから、伝聞なのだが……
瞬間、「ガランッ」という音と共に急に教室のドアが開き、少し驚かされたがすぐに切り替えた。横を向いたり、後ろを向いたりして雑談をしていた奴らも前に向き直り、口を閉じた。しかし、教室に入ってきた教師はいつも入ってくるはずの担任とは違う人物であった。
その人物――副担任の中村は口を開いた。
「えー、石丸先生は親戚の方がお亡くなりになられたと言う事で今日は休みとの連絡がありました。なので、今日、一日は僕が石丸先生の代わりをします」
瞬間、教室が少しざわめき出した。何も騒ぐことではないと思うのだが……
「おい、知ってるか? 大貴」
俺の後ろの席の甚が俺の背中を突きながら耳元に顔を寄せ、小声で告げる。
こそこそ話をする事でもないだろうに。
「知ってるって、何を?」
逆に聞き返すとそう俺が返してくる事を待ち望んでいたような表情を浮かべた甚はまた、小声で俺の質問に答えた。
「石丸なぁ、新宿の有名な“チーム”に一枚噛んでるって噂があってよぉ」
「はぁ? そんな噂、聞いた事もねぇよ」
「……裏での噂だ。裏での」
強調する為に二度、同じ単語を繰り返した甚だが、裏って……こいつどこからそんな情報を手に入れているのだろうか?
そんな疑問を抱きながらも俺は甚の話を聞いていく。
「その石丸が噛んでるチームの一番上の奴がさぁ。木村って奴なんだけどな。K事件に少し、関わりを持ってるらしいんだ」
「てか、そんな事なんでお前が知ってんだよ! 裏ってどこだ、裏って? あんまり、変なことはするなよ?」
耐えかねた俺が疑問と警告のようなものを投げかけた。
甚が意表を突かれたような表情をしている事は後ろを振り返らずとも、予想できた。
その後、昼休みまで甚と浦議で普通の会話をするだけで、石丸の話をする事も無く、時間は過ぎていった。
◆
昼休みになり、教室も授業中の静けさから脱出し、朝の雑談だらけの騒がしい状況を取り戻しつつあった。俺にとって他の人の会話は雑音にはならないけど。
教室の人々の人数が段々と少なくなっていく中、後ろの席にいた甚に背中を叩かれた。もう、背中に何かするのはやめて欲しいものだ。少し驚く。
「昼飯! 中庭で食おうぜー!」
弁当を片手に持った甚。だが、俺は生憎、
「俺、今日、学食だから」
「じゃあ、俺も憑いていくよ!」
「はいはい」と言って椅子から立ち上がった俺は甚が言った“憑いていく”という漢字が違うのには触れずに一階の売店へと向かった。
売店はいつもどおりの混みようで俺も慣れているが、やはり溜息が出た。やっとの思いでサンドイッチとカレーパンと飲み物を買い終え、人ごみの外で待っていた甚と合流。中庭へと歩みを進めた。
中庭へと向かう道中、憑いてくるという言葉の意味どおり、甚は俺の背後にくっついてきていた。
中庭へと辿り着いた俺は中庭にあるベンチへとその腰を下ろした。
「浦議は?」
と俺は俺と同じようにベンチへと腰を掛けた甚に対して質問した。
「あいつは昼休みに部活の集まりみたいなのがあるみたいだった。バスケ部の、な」
甚は手に持っていた弁当を膝の上に乗せて、風呂敷を外して、蓋を開けながら、淡々と告げた。
浦議はスゲーなー。スポーツ万能。勉強もできて容姿もよくて、お金持ち。三種の神器が揃ってやがる。悪いとこなんて一つも無いし。ホント、非の打ち所のねえ奴だなぁ……浦議は。
それに、だ。
「浦議って彼女いるよな? お前はいないと思うけど」
「ああ。浦議には彼女いるけど、俺にはいねえよ。ホンットに羨ましくてしょうがねえわ!」
その言葉どおりの本当に羨ましそうな表情を顔に浮かべて、箸を口に銜えこんでいる甚。
それを横目で見た後、サンドイッチを包んでいる袋を破って、手が汚れないように包んでいる袋からサンドイッチを少しだけ出して、口に入れた。
サンドイッチの種類は二つでツナとたまごだ。
その後の甚との会話は続かず、無言で二種類のサンドイッチを食べ終え、カレーパンも頬張った。
◆
その後、家に帰るまで本当に何も無かった。
目に留まったことと言えば、クラスの委員長が教室でこけたくらいのもので些細な出来事さえなかった。
帰路から家に帰り着き、風呂やら夕食やら宿題やら予習やらを済ませて、やっと自由時間ができた時、俺はリビングのテレビの前へと歩み寄った。
リモコンを持って、「何かないかなー」と思いながら、チャンネルを一つ一つ変えていく中、やっと面白そうな番組を見つけた俺はテレビに釘付けとなった。
左端にある番組のタイトルは『K事件の真実に迫る!!』と言うもので、タイトルだけでは“なんだ、またやってるのか”と思うものだったのだが、俺が変えた瞬間には、いつもとは違う事が語られている事に気がついた。俺にとって、テレビに映るとても興味深い一言はこんな内容だった。
『K事件は“首斬り”と関与している!!』
「……くび……きり……?」
どこかで聞いた事のある響きだった。
◇
2011年7月6日
「昨日の特番、見たか?」
学校に来て早々、甚に尋ねかけられた。
「ああ……見たけど……?」
「何だぁ? その気力ゼロの声はぁ? 失恋でもしたのか?」
ニヤニヤとしながら聞いてきた甚。
んなわけねぇだろ!
「昨日、夜遅くまで首斬りのこと調べてたんだよ。だから、眠いの!」
軽い鞄を机の横に掛けて、椅子に腰を掛けた俺は深く溜息を吐いた。それと同時に浦議もこっちに駆け寄ってきて、俺の不調などお構い無しに、
「失恋ですか? 私はした事無いので気持ちは分かりませんが、辛いという事くらいはお察しできますよ?」
とこれまたニコニコしながら呟いた。
「だーかーらー……昨日夜遅くまで調べものしてて眠いだけだって……」
俺は机の上に肘を着いて、頭を抱える体勢になった。その瞬間、タイミングよくチャイムが鳴り、うるさい二人は席に着いた。時にはチャイムも役に立つ。
「ガランッ」という音と共にドアが開かれ、入ってきたのは昨日の副担任の中村ではなく、担任の石丸だった。
甚の話を聞いたせいで、石丸に対する俺のイメージが変わった。
◆
「でさぁ! 昨日の特番、面白かったよなぁ!」
昼休み早々、甚はそう俺に話しかけてきた。甚の行動と呼応するかのように浦議も此方へやってきた。
「僕も見ましたよ。でも、首斬りと関係があるというのはちょっと嘘っぽかったですけど……」
「うーん……教室で話すのもなんだし、屋上で昼飯食おうぜ!」
甚のその発言により、今日の昼飯は屋上で食べる事となった。まぁ、教室で食べる気なんてさらさら無かったからちょうど良かった。それに今日は弁当だし。
階段を上って、屋上へと向かう中、「いい加減、学校にもエレベーターかエスカレーターをつけて貰いたいものだ」という叶いもしない願望を頭の中で抱きながら、一段一段を上っていった。
屋上へと足を運ぶと、風が「ビュービュー」と音をたてて吹いていた。
弁当を食うには最悪のコンディションだろう。
「風強いなぁ……中庭にしとくかぁ?」
甚が俺と浦議に対して、そう提案してきたが、俺は首を横に振った。
「誰もこんな屋上で食おうとはしないからいいんだろ? 俺たちだけで落ち着けんじゃん」
「そうですね」
浦議も俺に賛同し、二人で屋上のフェンスの方へと歩みを進めた。追いかけるように甚も頷いて、俺たちの後に続いた。
フェンスにこの身を預けて、腰下ろすと、
「で、何の話してたんだっけ?」
パンの袋を開けながら、甚が尋ねてきた。
「昨日の特番の話しだっただろ? しかも、お前から話し始めた話題だし」
「こいつの記憶装置はどうなってんだ?」と心中で疑いながら、俺も弁当の箱を開けた。
「そうそう、首斬り! あいつ五年前に巷を騒がせてた集団首斬り殺人事件の犯人だったよなぁ……」
夜遅くまで首斬りのことを調べていた為、その事はもう、思い出し済みだ。
「昨日、遅くまで調べたんだろ? 何か収穫あったか?」
嫌な質問をしてくるなぁ……そうだよ。俺の行動は無駄足だった。
「いいや……何にも」
そう。テレビに報道された事以外には何にもなかった。当たり前と言えば当たり前の事なのかな。
「でさぁ、ちょっと話があんだけど! 今日さぁ、K事件の第一現場に行ってみる気ない?」
「は?」
「え?」
俺と浦議は疑問系の言葉を呟いた。
それもそのはずだ。何を言い出すかと思えば、K事件の第一現場に行く? 行ったところで中に入れるわけでは……ある……まいし……――――
そこまで考えを至らせたところで俺はある事を思い出して、それが可能なんじゃないかとも思えるようになった。
「んだよ! 二人ともその反応は? いいから、学校終わってから行くぞ!」
強引にもほどがあるだろ……
「あー……行きたいのは山々なんですが……今日はちょっと、用事があるので僕はパスで」
本当に残念そうに呟く浦議。本当にそう思っているのかはその申し訳なさそうな苦笑いからは分からない。
俺は浦議とは逆でパスしたい気持ちのほうが山々だったのだが、甚の目が俺が断りでもすれば、今にも泣き出すようなものに変わっていて、できなかった。
◆
K事件――第一現場
K事件には興味があるが、厄介事が大嫌いな俺はそこまで乗り気じゃないので足取りは重い。
放課後になって「学校から解放されたー!」と喜びの声を上げたいくらいだったのに、これだ。足取りは重いに決まっている。
そんな重い足取りでやっとの思いでその現場に着いた。
だが、ここまで第一現場が近いとは思わなかった。K事件……こんなにも近くで起こっていたのか……テレビの中だけに納まっていると決め付けていた俺が急に莫迦らしく思えてきた。
そこはやはり、警察の手によって封鎖されていた。やっぱり、無駄足なのか?
すると、甚は制服のポケットから今、流行りのスマートフォンを取り出して、誰かと連絡を取り始めた。自慢したいが為に取り出したんじゃあるまいな?
タメ口で話をしているので親しい人なのは確かなようだ。
会話は終わったようでスマートフォンをポケットに入れた甚は、
「十分くらいしたら、来るから」
と言った。たぶん、来るのはさっき電話していた人物なのだろうが、
「誰が?」
と質問してみた。
「来りゃあ分かる」
「『来りゃあ分かる』って……ちゃんと説明しろよ!」
「めんどいからヤダ」
その時、一時的にだが、俺の中で甚への殺意が湧いた。もう一度、言っておくが一時的にだ。一時的に。
それから、甚の言った十分は疾うに過ぎ、二十分もの時が経とうとしている。そして、俺のイライラも時間と比例して、頂点に達しようとしていた時にその声は聞こえた。
「ごめんごめん!!」
俺と甚に詫びを入れながら、走ってこっちに向かってくるのはスーツを着た一人の男性だった。年齢は三十代前半と言ったところであろうか。
スーツ姿のまま、此処に来たという事は此処に来るまでは仕事をしていたのだろう。そして、その仕事よりもこちらを優先してここに来たようだ。
何故、仕事よりもこちらを優先して来てくれたのか。それは単純明快。一人の人物が此処にはいるからだ。
警視庁長官の息子――小堺甚。
そんな彼が何故、俺たちの通うような高校に通っているのか。噂で聞いことがある。
――親に捨てられたらしいぜ?
所詮、噂は噂だ。だが、高校一年の入学して間もない頃、甚が俺に話しかけてきたときに俺は思わず、口に出してしまった。
――お前……警視庁長官の息子だろ? なんでこんな高校にしたんだ? 他にいくらでもいい高校はあったはずだと思うけど?――
さっきまで笑っていた甚の表情が一瞬に固まって、最終的には顔を俯かせた。
その時の甚は泣いていたのかもしれない。そして、俯かせていた顔を上げて、苦笑して言った。
――俺は所詮、血が繋がって無いから……親に捨てられたんだ……俺の存在を――
その言葉の続きを甚は述べる事は無かった。
心に何らかの傷を負っている甚が今、笑えているのは奇跡なのかもしれない。いや、本当は心から笑ってなくて、“仮面”を被っているのかも……
「どうした? そんな暗い顔してさー」
俺を心配するように顔を近づけてきた甚。その表情は悲しみを隠すような目や表情ではなくなっている。そんな今の甚の顔を見て、少し安堵する俺だった。
そんな俺を無視して、甚は勝手にスーツ姿の男性を紹介し始めた。
「この人は蔵貴優輔さん。職業は警察官で、所属は……警視庁捜査一課……だったよね?」
蔵貴という男性は首を縦に振って答えた。
やっぱり、警察の人か……
「こいつは俺の友達の――」
と甚が勝手に紹介しようと俺の名前を言おうとした時、俺はその甚の言葉を遮って、甚よりも先に自らの名前をその人に名乗った。
「――天谷大貴です」
その瞬間、蔵貴という男性は「え?」とその名前を聞いて驚いたような声を上げた。その後、暫しの間、蔵貴という男性はじろじろと俺を見ながら、立ち尽くしていた。
「蔵貴さん? どうかした?」
甚の一言により、我に返った蔵貴という男性は慌てたように頷いてから、第一現場の一軒家へと入れてくれた。一応、捜査一課の人間の身の人がこんな事をして、いいはずが無いと思いながらも、俺も甚と蔵貴という男性に続いて、テープの中に足を踏み入れた。
第一現場は二階建ての一軒家で古い木造建築のその家は大きな地震でも起きたら、すぐに倒壊してしまいそうな状態に見えた。そんな古びた家には老夫婦が住んでいた。そして、二人とも殺害され、K事件の犠牲者となった。
玄関のドアを開けた蔵貴という男性についていく甚の後を追いながら、俺も家の玄関へと足を踏み入れた。
「物には触らないようにしてね」
嫌なにおいがした。鉄のにおい。血のにおい。
靴を履いたまま、第一現場の家の中へとあがっていく甚と蔵貴という男性。少し躊躇いながらも、俺も靴を履いたまま、家の中へとあがった。
廊下を歩いて、すぐの部屋。畳の敷かれたその部屋は無造作に荒らされていた。そして、点々と黒い血の跡が残っている。木造建築のため、血が所々に染み付いているところさえある。
奥へと進むほど、一層強くなっていく脳を刺激するような鉄のにおい。段々と頭が痛くなってきた。おまけに吐き気までしてくる。早く、ここから出たい。
そんな事を思っているのは俺だけのようで、他の二人はそんな様子を微塵も見せてはいない。
「これがあのКの文字かぁ……」
甚が興味深そうに見ているのは血で書かれたКと言う文字。この文字はK事件の被害者の傍に必ず書かれていた。被害者の血で。
そんな甚の様子を見ていた俺の腕を誰かが引っ張った。
「ちょっと、来てくれるかい?」
◆
俺は一体、どこに連れて行かれるのだろうと思いながらも俺の腕を引いて歩いている蔵貴さんに身を任せた。
蔵貴さんが足を止めた場所は先の第一現場の一軒家よりも少し離れた場所に設置された自動販売機の前だった。
抵抗しようと思わなかったのは相手は一応、警察官だったからだ。俺の力では歯が立たないだろうし、何かされる事もありはしないだろう。そして、俺にとってもあの第一現場から連れ出してくれたのは好都合だった。あの血のにおいが充満した室内に長い間いたら、頭がおかしくなりそうだったからだ。
自動販売機で買ったジュースを蔵貴さんは俺に手渡ししてくれた。
蔵貴さんが買ってくれたのは炭酸飲料。あまり好きではないが、人から貰った物にけちをつけるほど、俺は落ちぶれちゃいないつもりだ。
蔵貴さんに頭を下げてから、缶のふたを開け、喉に通す。
「君……本当に天谷大貴君なのかい……?」
……? なんだ? 俺が天谷大貴だと、何か問題でもあるような質問の仕方じゃないか?
「……はい……そうですけど……?」
「そう……なんだ……少し、人目のつきにくいところへついてきてくれるかな? 誰にも聞かれたくない話なんだ」
少し、気がかりな部分もあったが、俺は蔵貴さんの後をついていった。
◆
ついていくこと数分。
本当に人通りが一切無く、物音さえしない所で立ち止まった蔵貴さんは背を俺に向けていたが、振り返って、俺と対峙した。
「……これから僕が説明する事は事実だ。受け入れるしかない真実だ。正気を保って、真剣に聞いてくれ」
「……?」
俺は少し首を傾げた。
受け入れるしかない真実……正気を保って……真剣に……?
その言葉から、今から紡がれる言葉の重大さは分かったが、一体その内容がどんなものなのか分からない。
俺は緊張し、ごくりと唾を呑み込んだ。そして、蔵貴さんは俺の両肩に両手を置いて言った。
「君に……世界の全ての人々の命がかかっているんだ」
「……え?」
現実感の無さ過ぎる話で思わず声が出てしまった。
何を言い出すかと思えば、世界の全ての人の命が俺にかかってるだぁ? いくら何でも突拍子過ぎだ。
「……冷静に聞くんだ。警察はある人物によって乗っ取られてしまった。どんな方法を使って、乗っ取ったのかは分からない。だから、もう、警察は信用しちゃいけない。まあ、警察の人間である僕が言うのもなんなんだけどね……それは一先ず、置いておいて……そいつらは君を欲している。だから、君は、なんとしてでも、どんな犠牲が出たとしても、君だけは逃げるんだ」
蔵貴さんはスーツの裏ポケットから、あるものを取り出して、俺の手に持たせた。それは俺が想像していたよりも重く、冷たいものだった。
そのあるものとは、誰がどう見てもこれにしか見えないもの――――銃だった。
「これで、自分の身を護るんだ! 僕はこの事を君に話してしまった。もう、二度と会う事は無いと思う……もう一度、言っておくよ? どんな犠牲が出ても、君だけは逃げるんだ!」
暫くの間、俺の顔をじっと見たまま、蔵貴さんは動かなかった。勿論、俺は耐えかねて、蔵貴さんから目を逸らした。
「さぁ、甚が待ってる! 行こうか?」と蔵貴さんが切り出すまで、そうしていた。
あんな話、冗談だと思っていた。銃も良くできた偽物だと、そう思っていた。だが――現実は重く突き刺さった。
◇
「どこ行ってたんだ? 二人して!」
「喉渇いたから、ジュース買ってきたんだよ。ほら、お前の飲みたい物は分かるけど、大貴くんのは分からないだろ?」
甚は第一現場の家の前で仏頂面をして待っていた。そんな甚に蔵貴さんは手に持っていた一本の缶ジュースを放り投げた。
甚は「ぬるい」と文句を垂れながらも、缶のふたを開け、そのジュースを喉に通した。
「大貴君」
不意に名前を呼ばれ、甚の方に向けていた視線を蔵貴さんの方に向けた。
「甚は心の中に闇を持ってる。そして……甚は“あれ”のせいで人を受け入れることができなくなっているんだ。心に厚い壁ができ、殻に閉じこもってしまっている……そんな彼が受け入れたのは君ともう一人の友人なんだ。甚をこれからも、支えてやってくれるか?」
甚には聞こえないほどの小さな声でそう呟いた。
急にそんな事を言われても、どんな反応をすればいいのか分からなかった。だが、俺は頷いた。
こんな駄目な俺でも、一人の人間を支えられると言うのなら、ちゃんと言葉に出さないと……
「分かりました。これからも、“親友”として付き合っていきます」
「ありがとう」
そこで、会話は途切れた。蔵貴さんは一人、此方の方に手を振りながら、帰って行った。甚も同様に手を振っていたが、俺は勿論、蔵貴さんに向けて、一礼した。
時は夕刻。オレンジ色の空は段々と暗くなって、闇に侵食されつつあった。電灯が点滅し始めて、完全に光が灯る。
俺は自分の家へ帰ろうと足を進める最中、ふと疑問に思ったことを甚に尋ねてみた。
「そういえば、蔵貴さんとお前って……どんな関係なわけ?」
「うーん……俺にとってはお兄ちゃんみたいな存在かな? 小さい頃から、慕ってるから」
兄弟、かぁ……俺はいないからよく分からないが、兄弟って言うのは自分のことを何でも話せて、一緒にいると楽しくて、落ち着く存在だと、俺は思う。
落ち着く、かぁ……
こんな気持ちは初めてだったのかもしれない。俺は中学の時、いつも何かにイラついてて、毎日がつまらなく感じて、人と話してても面白くなかった。けど、高校に入ってからは違った。甚がしょっちゅう話しかけてくれて、浦議も同じように話しかけてくれて、楽しかった。
人と話すのが楽しいものだと、思い出した。
俺は、今の立ち位置が心地良いのかもしれない。
その瞬間、俺は不意に足を止めた。
横の甚は訝しげな表情でこちらを見つめてきた。
「甚……俺さぁ……お前と浦議に出会えてよかったと思ってる」
「……急に何言い出すかと思えば! 気持ちわりぃ……」
「本当なんだって。お前と浦議に出会うまでの中学校時代。気の合う奴なんて、一人もいなくて、俺は生きるのが嫌だった。でもお前と浦議に会ってからは楽しい。生きるのが楽しいと思えるようになってきたんだ」
その人がいるだけで心地良い。これが親友で、兄弟のような仲なんじゃないだろうか……?
「何か俺が自殺を止めてくれました、みたいになってるぞ? まぁ、いいけど……俺もそう思ってるよ。お前と浦議は信じられる。裏切られる事も無い」
暫くの間、闇に染まっていく夕焼け空を眺めながら、その場に立ち尽くした。そして、十数分の時が経ってから、気を取り直して、家まで歩みを進めた。
◇
2011年7月7日
『本日、午前2時過ぎ。警視庁前で二十七歳の男性の遺体が発見されました。男性の身元は警視庁捜査一課所属の蔵貴優輔巡査であると確認が取れております。蔵貴巡査は警視庁から帰宅しようと、警視庁を出たときに襲われたものだと――――』
そのニュースを聞いた瞬間、俺は朝ごはんであるパンを皿の上に思わず、落としてしまった。
――僕はこのことを君に話してしまった。もう、二度と会うことは無いと思う……
脳裏に過ぎる蔵貴さんの言葉。そして、あの時、渡された物も一緒に脳裏を過ぎった。
椅子から立ち上がって、すぐさま二階の自分の部屋へと走る。
「ちょっと! まだ、パン食べ終わってないわよ!」
そんな母親の声など、俺の耳にはもう届いていなかった。自分の部屋に入って、ドアの鍵を閉めた。誰も入ってこないように。
机の引き出しから、その黒い物を手に持った。冷たくて重い、黒光りするそれを。
「これ……本物なんじゃ……?」
この重さと鉄の冷たさ。とても偽物だとは思えなくなり始めた。
――君は、なんとしてでも、どんな犠牲が出たとしても、君だけは逃げるんだ。
「まさか、犠牲って……――」
――蔵貴さん自身も入っていたのか……?
犠牲……俺のせいで蔵貴さんは死んだって事なのか……?
そう理解した瞬間、手に持っていた銃がより一段と重くなったような感じがした。
――どんな犠牲が出ても、君だけは逃げるんだ!
「どういう……ことだよ……!」
こんな中途半端な言葉だけ残して、なんで核心部分を教えてくれなかったんだ!
銃はますますその重さを増し、最後には俺の手から零れ落ちた。
――そいつらは君を欲している。
そいつらって誰なんだよ……なんで俺を欲するんだよ! そして、なんであんたは、何も教えてくれないまま、死んでしまったんだよ!
頭を抱えた。そして、最後に脳裏に過ぎったのはやはり、あの言葉だった。
――――――君に……世界の全ての人々の命がかかっているんだ。