No.14 9.11――“序曲”
血塗られた過去は何を生むのだろうか?
――あるときは憎悪を生み、復讐へと至る。そして、復讐を終えた者は深い喪失感に苛まれるのであろう。
では、復讐ができない場合にはどうすればいいのだろうか?
――自分を責めて自殺する。
――心の奥底に仕舞い込む。記憶を眠らせる。
過去を変えるなんてことは叶わないのだから。
◆
2011年8月3日 八草病院
俺は今日でやっと病院を退院できる状態となった。しかし、包帯はまだ、至るところに巻いてある。
傷に深く切れた部分が数箇所あったようで退院するのに一週間も浪費してしまった。
銃で撃たれた所は掠っただけでワイヤーで切れた部分と然程の変わりはなかった。
俺は深く溜息を吐いて背伸びをする。
「やっと煙草が吸いに行けるな……っとその前に……」
あいつのとこに行かないとな。
◆
病室
窓の開けられた病室に風が吹き込む中、俺は病室の入り口のドアを閉めた。
ベッドに横たわる彼女はまだ、目を閉じたままだった。
医師の話によると、もうすぐ目覚めるだろうと言っていたが、全くそんな気配がしない。
俺はそのまま、彼女の寝ている白いベッドの傍に立ち尽くした。
本当は顔見せなんてできる立場ではないような気もするが、それは単なる逃げにしかならない。
終わった過去にはちゃんと向き合うしかないんだ。
復讐相手を目の前にしてその復讐を成し遂げられなかった彼女――唯。
その痛みはそう簡単に癒えるものではない。そして、その痛みを与えたのは紛れもなくこの俺だった。
「俺は……どうすればいいんだろうな……」
唯に問うように俺は呟いた。しかし、当然、唯は俺の質問に応えてはくれなかった。
俺はそれを十分承知していたが、その口から溜息が漏れ出す。そして、俺は唯が聞いているはずもないのに呟きながら、病室の入り口へと歩みを進めた。
「じゃあ、また来る……」
俺はそのまま、唯の病室を後にした。
◇
久しぶりに見る事務所の外観は何故だか、趣があった。同様に久しぶりに一段一段上がる階段も。
持っていた鍵で事務所の中へと入るドアを開けた。
殺風景な事務所の中。
浦議は……学校だろうな。それにあいつはここには来なくても良いんだし。けど、天谷の姿もないな……
靴を脱いでゆっくりとデスクの方へと向かう。そして、机の中から煙草を取り出し、ライターで火を点けて吸った。
窓を開けて外に向けて煙を吐き出す。
落ち着く……まあ、天谷は散歩にでも行ってるんだろう。
一時の間、その状態で煙草を吸い続けると、左腕にある、腕時計を俺は一瞥した。
午後二時。
俺はまた、窓のその外の景色を眺めながら、煙草を口に持っていく。
その瞬間、事務所のドアが勢い良く開かれた。
思わず、ドアの方を振り向いて煙草を床に捨て、ナイフを手に取る。
だが、そんな必要はなかった。
そう、入ってきたのは――
「――浦議か……」
俺はそう言うと、床に捨てた煙草を灰皿へと置いた。
息を荒げる浦議はソファに座り込んで溜息を吐いた。
「そういえばそうでした……お帰りなさい。翔さ……」
浦議は“さん”を付けそうになったが、ちゃんと覚えていたようで途中で止めた。
俺は「ああ」と返事をするとデスクの椅子へと腰をかけた。
「天谷は散歩か?」
分からないかもしれなかったが、一応、質問しておいた。
すると、浦議は困った顔をして俺へと返事をよこした。
「それが……翔が入院してから、一度も事務所に帰ってきてないんです」
俺はその事実に驚いて椅子から立とうとした。
まさか、捕まったのか!? いや、捕まったのならマスメディアで取り上げられるに決まっている。だが、あの仮面の男なら、報道されないようにする事もできるんじゃ……
俺はいくつもの思考をめぐらせたのだが、結論には辿り着けなかった。
すると、事務所のドアがまたもや開いた。しかし、そのドアは浦議の入ってきたときとは違い、ゆっくりと開けられた。
入ってきた人物は――
「――天谷!?」
「大貴!?」
帰ってきていないと聞いた傍から事務所に帰ってきた天谷。
俺と浦議は目を大きく見開かせて、入ってきた天谷を見つめた。
「え……と……退院したんだ……」
天谷の第一声はそれだった。
「大貴! どこ行ってたんですか!?」
浦議は天谷に対してそう告げたが、俺にはそんな余裕はなかった。
捕まって……なかったってことでいいんだよな……?
さっきよりかも落ち着いた俺はデスクの椅子から立ち上がって、コーヒーを淹れにコンロのもとまで行く。
「どこって……なんて言えばいいんだろ……唯の師匠のところ?」
その言葉を聞いた瞬間、俺は手に取ったコーヒーカップを危うく、床に落としそうになった。
「何をされた!」
俺は天谷の方に詰め寄りながら叫んだ。
唯の師匠って言ったらあいつしかいねえ!
俺の背後に現れて、ワイヤーを使う男。
「いや……殺し方を伝授? ……してもらった……それがどうかしたのか?」
俺の血相を変えた表情に驚いているのだろう。区切り区切りに告げた天谷だった。
何故、奴は天谷に殺しの方法を? 唯にも教えたようだったし、何を企んでいるんだ? 仮面の男が関与している可能性も否定はできない。
「……その唯の師匠とか言う奴はワイヤーを使ってたか?」
「……知り合いだったのか? そうだよ。師匠はワイヤー使いで俺もそれを教わったんだ」
間違いない。奴だ。そうなってくると、ちゃんと説明しておいた方がよさそうだな……
「天谷……落ち着いて聞けよ。その唯の師匠とか言う男は仮面の男とグルだ」
「へ?」
天谷は呆けた声を発しながら、俺の言っている事が分からないような顔をした。
無理もない。俺も多分、同じ立場だったら同じ声を発して同じ顔をしていただろう。
「混乱させるかもしれないが、全て話す。浦議も聞いてくれ。唯は自分の親を殺した仇である俺を殺すために殺し屋になった。そして、俺がその仇だと知った唯は俺を殺そうとした」
「その話は本当なんですか!?」
声を上げたのは浦議だった。
俺はその問いに対して頷くと、デスクの下の引き出しの資料の中からそれを探した。そして、俺は見つけた。中森唯と書かれたその資料を。
「これを見ろ。俺は殺し屋になってから全ての依頼の資料を取ってる。これがその唯の親の資料だ」
天谷と浦議は俺の方へと近寄って資料を凝視する。
それを見て二人とも驚きを隠せない表情をした。
「だから怪我を……」
浦議がそんな声を漏らしたもんだから俺は首を振る破目になった。
「違う。俺の傷は唯のせいじゃない。その唯の師匠って言う男のワイヤーのせいだ」
そう、唯は俺に刀を振るう事はできても傷つける事はできなかった。そして、雨の中、自らの腹に刃をつきたて、倒れていく少女の――
「それで、唯は!?」
さっきから質問してくるのは浦議ばかりで天谷は黙りこんだまま口を開こうとはしない。
天谷の様子が……おかしいな……
「……無事だ。だが、唯は俺を殺すことができずに自らの腹に刀を突き刺したからな……重傷ではある。けど、順調に治ってるよ」
まだ、目を覚ましてないけどな。
俺は心の中でそう付け足した。
「それで、俺は唯の師匠とかいう男に殺されそうになったんだが……そんなところを仮面の男――Personaがその男を止めた。命令口調でな」
黙りこむ二人。
二人とも驚きの表情を見せて、何かを思案しているようでもあった。
天谷はその唯の師匠とか言う男に教わった身だ。当然、驚愕の事実に違いない。
「ゆっくりでいい。お前は自分の真実を見つけ出――」
「いや、本当に……俺は師匠に利用されていただけなのかもしれない」
俺の言葉を遮ってそう告げた天谷は俺の顔を一心に見つめていた。
「次はこっちの話をしてもいいかな……全て師匠から聞いた話なんだけど……」
「おい……ちょっと待て!」
俺は話をしようとする天谷に向けて怒鳴った。
「お前、普通は時間が掛かるもんなんじゃないか? そんな簡単に受け流していい話じゃなかっただろ!」
「違う! 俺だって整理がついてない! けど、真実ならそれを受け入れるしかないじゃないか! 俺の……俺の血も……真実だったら……」
天谷はその先を告げることなく言葉を止めた。
真実は受け入れるしかない……か……
「……お前の気持ちを理解せずにものを言って……すまなかったな」
俺は詫びの言葉を天谷に伝えて、話を聞き入る姿勢になった。
「いや……別にいいけど…………話の続き。その師匠が言うには九月十一日――9.11の日に全てが始まるって言ってた」
「「9.11?」」
俺と浦議は同時にその単語を繰り返した。
二○○一年に同時多発テロの起こった日。一体、その日に何をする気なんだ? 仮面の男は?
「今は序曲にも入ってない。9.11になって初めて序曲が始まるって言ってた……」
「序曲……」
雅楽の演奏についての言葉――雅楽の唐楽などで、曲を構成する三つの部分……
変な言葉で例えたもんだな……その日に全てが始まるか……そう言えば、九月十一日には天皇がどこかの学校を訪れて、警視庁はその警護にあたるってマスメディアで言っていたな……そこで何かをする気か? それとも、もうすぐある、原爆の式のときに何かする気なのか?
思考を巡らせた結果、俺は一言、呟いた。
「これからは完全な別行動になるかもな……」
その言葉に対して二人は納得の表情を見せた。
「天谷と浦議。まあ、浦議は関わらなくても良いが、お前らが追うのは仮面の奴。俺は天谷に殺しを教えた唯の師匠とかいう男を追う。その二人が繋がっているなら、終着点は一緒なはず。お前らは9.11まで情報収集。俺は……――」
俺は最後まで口にすることなく、言葉を止めた。
俺の様子から察してくれたのか、天谷は告げる。
「分かった。俺は情報収集すればいいんだな」
「ああ。たぶん、人形を壊し続ければ、情報は少しずつ手に入っていくだろう。だが、焦るなよ。まだ、時間はあるんだ。そして、ある程度の情報が集まったら、此処に戻ってくるんだ。今夜から動き始めるぞ」
了解したと伝える為に“二人とも”頷いて見せた。
「翔も焦っちゃ駄目だからな」
と天谷は俺に一言、告げると浦議との会話にのめりこんだ。
本当は心の内を天谷に読まれているのかもしれないな。分かってる。焦らず、確実に唯の師匠とかいう奴を殺してやる。
◇
夜
とは言ったものの、何からすればいいんだろうか。それより、俺は本当に唯の師匠とかいう奴を殺してもいいのだろうか。復讐にはならないのだろうか。
俺の中に迷いが生まれる。
それを消そうともがく俺だったのだが、その言葉によって現実世界へと引き戻された。
「あんた……その刀、どこで手に入れたんだい?」
唯の刀を片手に俺が裏路地を歩いていると、その見ず知らずの女性に声を掛けられた。
「“これ”の事ですか?」
と、“これ”について、鞘に入った刀なのかの確認の為に尋ねると、女性は頷いた。
「えっと……これは……友人のものなんです」
「へぇ……その友達、いいセンスしてるわ」
俺の持っている刀を手に取らせろと言わんばかりに見つめる女性は鞘を抜くように言ってきた。
「その鞘を抜いて、刀身、見せてくれない?」
俺はしぶしぶ、左手で鞘を持って刀身を抜き取った。
刀を抜いたのなんて初めてだな……よくこんな重いものを唯は振るえたもんだ。
その唯の刀の刀身を見て女性は歓声を上げた。
「そんなに珍しいものなんですか?」
俺がそう尋ねると、女性は信じられないと言う表情をした。
「珍しいも何もその刀、“古刀”よ? まさか古刀も知らないなんて言わないわよね?」
「いや……」
俺は言葉を濁す。
古刀なんて聞いたこともない。
「まあいいわ……それより、何でそんな物騒なもん持ってうろついてんの? まさか、あんたが「平成の辻斬りです」なんて言わないわよね?」
「違います」
ちゃんとそこだけは否定して、俺はその場から立ち去ろうと刀身を鞘に戻して歩こうとした時、女性は淡々と告げた。
「あんたってさあ……分かりやすいようで分かり難いのよ。殺す覚悟があるのに殺さない。何か理由付けをして殺しから逃げてるような感じがするんだよねー」
俺の心を一瞬で読んだかのような言葉。しかも、殺しという単語まで出してきた。
俺は瞬間、女性の傍から一歩、退いた。
すると、そんな様子を見た女性は声を上げて笑った。
「はははっ! やっぱりそうか! あんた殺し屋なんだぁ! 腐った眼してるからそうじゃないかなぁとは思ってたんだけどね。だからさぁ……あたし言ったじゃん? 『殺す覚悟があるのに殺さない』って。それが今の行動そのものよ? 普通の殺し屋なら、バレたらすぐにあたしを殺して終わりよ」
この女……
俺は自らの刀を鞘から抜きとって構えた。
「お前は俺に……何の為に話しかけた?」
「別に理由はないけどさあ……素人が刀を振るわない方がいいわ」
その女の言っていることは間違いではなかった。
刀を片手で振るえる気がしない。
振るったら遠心力に負けてしまいそうだ。
「あんたはその刀で何を成し遂げたいの?」
それは俺の心を見透かしているような発言だった。
成し遂げる……俺は奴を殺すために――
いや、なんで……? なんで殺すんだ? 唯のために……?
俺は構えた刀の切っ先を地面に下ろした。
「知ってる? 古刀には魂が宿ってるって言われているの。だから、使い手が未熟なほど、刀は切れ味をなくし、人っ子一人、斬れないわ。そのために必要なのは刀との対話と精神の強さ」
「対話……? 刀と?」
俺はその発言に疑問を抱く。
刀と対話なんてできるわけないだろ……
疑り深い眼で女を睨みつける俺。
「森羅万象――万物の全てには命がある。魂が宿ってるって言ったでしょ? だから、ちゃんと対話しないと、大切なものを斬る破目になる。重要なのは自分を見失わないことよ」
自分を見失わない……あの時の唯は自分を見失っていたんだろう。そして、本当の自分に気付いて自分を斬ったんだ……
「でさぁ、あんたは何をしたいわけ?」
……俺はこの刃で――
「――あいつを殺したい――」
「ふーん……じゃあさぁ、強くなりたいんでしょ? そいつを殺すために。私が教えてあげよっか? 剣術」
俺は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
「……あんた、剣道でもできんのか?」
俺の質問を女は嘲笑いながら、説明する。
「剣道? そんな甘っちょろいもんなんてやってないわよ。あたしがやってるのは刀同士の真剣勝負。殺すか殺されるかの世界よ。まあ、あんたと同じようなもんね」
「何でそんなことやってるんだ?」
俺があまり間を置かずに質問すると、女は思案するように首を傾げた。
「うーん……趣味かな、単なる」
「じゃあ、あんたはその趣味で……死んでもいいのか?」
女は首を左右に振って否定する。
「いいや、死ぬ気は全くないよ。けど、その死にたくないって覚悟が強ければ強いほど、剣術って強くなるって思うのよ。あたしは女なんだし、男になんて力で勝てるわけないでしょ? だから、気持ちだけは負けないようにしてるのよ」
俺への眼力がその女の覚悟の強さを物語っているようだった。
その女は俺よりも心が強かった。そして、もう一つ、思ったことがあった。
唯と気が合いそうだな、この女。だから――
「――教えてくれるのか? 剣術」
「いいけどねぇ……一つ聞いてもいい?」
女の周りの空気が変わったことを察した俺は女の目を見て、ゆっくりとその首を縦に振った。
「あなた――“誰かのために”を言い訳にしてる?」