No.13 雨
「ねえ……翔……なんで……なんであの時、俺も殺さなかった! 殺していれば……一人残されていなかったら……こんな思いもしなくて済んだ……」
頭の上の糸が切れた人形のように地面に膝をついて俯く唯。
唯の手から地面へと刀の落ちる音が雨の音によってかき消された。
それと同時に唯とどういう関係なのか分からない、俺の背後にいる男が口を開き始めた。
「唯……私は敵の前で膝を着くなんてことを教えた覚えはありませんが? 早く、立ちなさい。復讐を成し遂げるのがあなたの目的でしょう?」
「教えた……だと?」
そいつは唯に自分が作法などを教えたような口ぶりだった。
俺はその気がかりな言葉を繰り返し、その男を睨みつける。
すると、男は口元をにやりと歪めた。
「そうでしたね……まだ、話していませんでしたが、唯に殺しを教えたのは私ですよ」
「お前が唯に殺しを?」
男は尚も口元を歪めながら、俺の言葉に頷いた。
「そうです」
こいつが唯に殺しを教えたのか? なら――――相当のてだれのはず。
俺はごくりと唾を呑み込む。
「さあ、唯。君の復讐相手は目の前にいますよ。この男を殺せば、何もかもが終わるはずです」
唯を無理やり誘導するように話す男。しかし、唯は小さな、雨でかき消されそうなくらいの声で呟いた。
「…………私は……もう……」
唯はその瞬間、地面に落ちた刀を手にとってその刃を自分に向けた。
「おい……何をやろうと――――まさか!?」
俺が唯のやろうとしている事を止めようと走り出した頃にはもう、遅かった。
「翔…………ありがとう……」
唯は俺に向かってそう微笑んで見せた瞬間に自らに向けた刃を腹に向けて突き刺した。
「唯!」
俺がその名前を叫んで、倒れる彼女の元へと駆け寄って地面に頭をつける前にその体を手で支えた。
腹から大量の血が雨と一体になって流れ出す。
唯はその眼を辛うじて開けながら荒い息で呟いた。
「私……お前を殺すことなんて……できないよ……」
それは俺も同じだった。
唯に刃を向けたとき、俺も手元が狂った。
「おい! 死ぬなよ! 唯!」
俺の声が唯に届いたのかは分からない。ただ、彼女は微笑みながら眼を閉じた。
たぶん、気絶しただけだろう。しかし、このまま放っておけば大量出血で命に関わる。
「何故……?」
そんな疑問を俺の背後から呟く男。
俺はそいつを見ようと顔を振り向かせようとした時、何ともいえない威圧感に襲われた。
殺気……か?
「私は彼女の為に君の事を教えた。なのに……何故――」
そいつは怒りを露にして言葉を発した。
「――君は生きている? 私が見たかったのは君の死ぬ姿。唯が血を流すところなんて見たくもなかった」
「俺が死ぬ姿?」
さっきまで口元を歪めていた男は真剣な、怒りを露にした表情で俺のことを睨む。
「そうですよ。復讐を掲げて醜い殺し合いをするのを私は見たかった。それを見るために私は唯の手助けをしたんです」
殺し合いを見るために唯に……お前は手助けをしたのか……? 自分が見たいが為に、人の心を使って……
「おまえぇぇぇぇええええ!!」
俺は抱きかかえていた唯を地面へと寝かして全速力で男に向かって突っ込んだ。
「感情的になっては見えるものも見えなくなってしまいますよ。殺し屋としての――常識です」
瞬間、俺の体の至るところが一斉に斬れていった。
鎌鼬……? いや――糸?
そう、俺の周りには複数の糸のようなものが張られており、それはよく目を凝らさないと見えないものだった。それは雨の影響もあるがその糸のようなものが髪の毛くらいの細さで透明というのもあった。
「糸……だと?」
「いや、厳密に言うと糸じゃない。鉄よりかも強力なワイヤーですよ」
男がその右腕を振るった瞬間に俺の周りにあった糸――ワイヤーは切れて地面に散った。
だが、俺はまだ、自らの身を動かせずにいた。
それは――
「君は私の強敵と成り得る存在です。一宮堆我の息子――一宮翔。だから――――ここで殺すに越したことはないですね」
――俺の首には男のワイヤーがしっかりと巻かれていたからだった。
男はゆっくりと俺の首に繋がっているワイヤーを持っている手を引こうとする。
何もできないまま……終わるのか……? 俺は……
絶体絶命の状況下の中、思いもよらない人物が俺の目の前に姿を現した。
『そいつは殺すな――龍雅』
傘を持たずに雨に打たれながら、仮面を被った男はいつものガスで変えられた声で告げた。そして、そいつは俺の親父の仇でもあり、警視庁の裏の首相。
「あなたが何故……ここにいるのですか? Persona」
男は明らかな殺意を持って仮面の男を睨みつけた。
仲間じゃ……ないのか?
『俺の言うことが聞けないのか? 早くそのワイヤーを退けろ』
男はしぶしぶと俺の首に絡みつく鋭利なワイヤーを切った。
散り行くワイヤーを払い除け、俺は仮面の男へと自らの手に持ったナイフを振るった。しかし、俺の刃が届く前にそいつは左側へと避けながら、俺に銃口を向けた。
鳴り響く銃声は雨の音によってかき消された。
俺はそのまま、雨水の溜まった地面に倒れこんだ。
くそ……視界が……ぼやけて……
「命を拾いましたね。君とはまた会うのでしょう。その時は確実に――」
男の声が段々と小さくなっていく。
目の前に俺の親父を殺した……仇が……
瞬間、復讐に駆られる唯の姿が頭に過ぎった。
そうか……唯も俺のことをこんな風に思っていたのか……
ぼやけた視界の中、去り行く二つの影。
その足音をかき消すように雨脚を強めた雨は雨音をより一層、五月蝿くさせた。
俺はそのまま、自らの目をゆっくりと閉じた。
◇
20XX年のいつかの夢。
俺は暗い部屋で一人、血の付いたナイフを手にしていた。それを持って、どこかの家のリビングに俺は屍の横で立っていた。
俺の殺した屍はスカートと服を紅く染め、顔をグチャグチャにされていた。いや、俺がした。
血の海に倒れている母親と思われる女性を俺は殺した。
その屍を冷酷な目でじっと見つめる。
瞬間、皿が地面に落ちて割れ、壊れるような音がした。
そっと足下に目をやるとそこには屍となった女性とその夫と思われる男性とその娘と思われる少女が三人で写っている一枚の写真があった。
写真立てが落ちたのか……
俺は胸を撫で下ろした。
その写真に写っているのは俺と同じくらいの年齢の少女だった。
血に染まっていく写真は家族が崩れていく様子を表しているようであった。
さて、後、二人だな……
そう思ってその家から出て行こうと足を踏み出した時、激しい頭痛が俺の頭を襲った。
――痛い!
とにかく痛かった。そして、頭の中へと何かが流れ込んできた。それは走馬燈のように頭の中に流れた。
なんだ……これは……
――俺はその映像の全てを理解した。
「……俺が……母さんを?」
俺はナイフや血のついた衣類などを全てバッグへとしまうとリビングを飛び出して、裏口からその家を出た。
外は生憎の雨。
俺は傘を持っていなかった。だから、少しでも濡れないようにする為に俺はフードを被った。そして、走った。
どこへ行っているのかも分からずただひたすら走った。
なんで俺、走ってんだろ……
その疑問が走っていた俺の足を止めた。そんな俺を不審に見る通行人。そして、俺は自らの目的を思い出した。
――殺し屋。
そう、あの写真に写った家族を殺さないといけない。
俺を必要としてくれる人の為に人を殺す。それが、俺の存在意義なのかもしれない。
また、歩み始める俺は段々と近づくそいつの存在に気が付いた。
そいつはあの写真の真ん中に写っていた俺と同じ歳くらいの少女。
制服を着ているということは下校の途中だろう。
俺は裾からそっとナイフと取り出す。
コンビニの前でその制服を着た少女とすれ違った。
だが、俺はそのすれ違い際に振るおうとしていたナイフを――振るう事ができなかった。――殺せなかった。
一瞬の迷いで殺すことができなかった。
なん……で?
だが、その理由を追求したところで俺は無駄だという事を理解していた。
夢……なんでこんな夢を見ているのだろうか……
何度見たって同じ事だと言うのに……いや、ちょっと待てよ?
俺は気がかりを覚えた。
さっきの写真の少女……あの制服を着た少女…………それって――
◇
2011年7月27日 八草病院
「――唯!?」
そこで俺は目を覚まし、そう叫んで勢い良く起き上がった。
――ピッ……ピッ……
一定の間隔で音を刻む機械。白いベッドと同じく、白い壁で囲まれた空間。そこは――
「――病院……?」
一体……だれが……?
窓の外に目をやると、もう朝。いや、昼のようだった。
唯は警察に捕まったのか……? くそ、ろくに状況把握もできやしねぇ……
苛立ちを覚えはじめた俺は点滴を片手に病室から出ようとベッドから腰を下ろした。
病室の扉を横に引く。そして、一番最初に目に入ったのはその人だった。
「起きたか……翔」
すまなさそうな表情をその顔に浮かべる――犬塚さんがそこにはいた。
「あんたがここにいるって事は……唯は……」
警察に捕まったのか……
犬塚さんがここにいるということは唯が捕まったと言っているようなものだった。しかし、犬塚さんは壁に寄りかかったその体を元のように足へと体重をかけるように立つと、そう呟いた。
「……ゆい? ああ、お前と倒れていた女の子の事か? その子ならここの病院に入院してるよ。見に行くか?」
そうか……唯はまだ捕まっていなかったのか……まあ、それもそうだな。まだ目を覚ましていないんだろうし。
それだけでも確認できたので俺は一先ず、安心した。
俺は犬塚さんの質問に対して「いや……」と曖昧な返事をすると、病室へと戻り、ベッドの上に寝転んだ。
犬塚さんも病室へと入ってきて、ベッドの横に置いてある椅子に腰を下ろした。
「警察には連絡しました?」
「いや……本当だったら連絡すべきなんだろうが、日本刀が落ちてたからな……まだ、警察には連絡してない。その日本刀はお前の事務所に置いてきてやったぞ」
やはり、すまなさそうな顔をしている犬塚さん。その目は今にも閉じそうだった。
そうか、眠らないでずっと病室の外で待っていてくれたのかもしれない。
「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
体を起こして頭を下げた。しかし、犬塚さんは俺に頭を上げるように促すと、
「いや、謝るのは俺のほうだ。俺が電話してお前に……家族のお前に変な重みを背負わせちまった。こっちこそ、すまなかったな……」
家族か……
――一緒に死んでちょうだい!!
俺の母親はどうしようもない莫迦野郎だ。
それに比べて犬塚さんは……
次の瞬間、俺の脳裏に言葉が過ぎった。
――殺サナケレバ殺サレテイタ
そして、俺の心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。
「うっ!?」
激しい頭痛に襲われた。
頭がかち割れそうなほどの痛みに俺は顔をベッドの中に蹲らせた。
痛い……頭が……あの時みたいに頭が……割れそうだ……
そのことについて考えたり、思い出そうとしたりすると頭痛が俺を襲った。
「翔! 大丈夫か! 翔!」
犬塚さんのその声によって俺は現実へと引き戻され、頭痛が少し治まりの兆しをみせた。
俺はベッドに蹲らせた顔を上げる。俺は額から大量の汗を流していて、息も荒かった。
「どうしたんだ! 大丈夫か!」
心配な目でこちらを見ている犬塚さんに俺は、
「いや……何でもないです」
と明らかに嘘の言い訳をした。
「……唯が……彼女が犯人かは断定できませんでした」
俺はあからさまに話を戻した。
「そう、か……じゃあ、俺は仕事がある。もう行くからな。何かあれば電話してくれ。大事にな」
「ちょっと……ちょっと待ってください」
椅子から立ち上がって病室から出ようとする犬塚さんを俺は引き止めた。
犬塚さんは「なんだ?」と足を止めて此方を振り向く。
「あの……救急車を呼んだのは犬塚さんですよね?」
「俺だ。だが、俺は非通知の電話を受けてお前の倒れている現場に駆けつけた」
非通知の電話?
「その非通知の電話の人はだれですか?」
非通知だから分かるはずもないのに俺は質問した。
返ってきたのはやはり、「分からない」の一言だけだった。しかし、犬塚さんは「だが……」と続きを紡いだ。
「声をガスのようなもので変えてた奴からだった」
声をガスのようなもので変えてた奴……そんな奴は俺の中では一人しか当てはまらない。
「質問はそれだけか? なら、俺はもう、戻るぞ」
そう言って出て行こうとする犬塚さんに俺は、
「本当にありがとうございました。いろいろと」
と言うと、犬塚さんは右手を軽く上げて応えてくれた。
犬塚さんが病室を後にした瞬間に俺は深い溜息を吐いた。
声をガスのようなもので変えてた奴――仮面の男。自らの名をPersonaと名乗った男。そして、銃で撃っても死なない男。
何故、奴が救急車を?
俺を助ける為に俺とあの男の間に乱入してきたのも気がかりだった。
俺はもう一度、深い溜息を吐いて窓の外を眺めて独りでに呟いた。
「これからが……大変そうだな……」