転職は突然に?!
はじめまして皆様、津路縞猫助と申します。この度は拙作に目を通していただきありがとうございます。ちょっと変わったお仕事小説を目指してみましたがいかがでしょうか?お仕事で悩む人も、そうでない人も、楽しんでいただけると幸いです。
「・・・辞めたい、転職したい」
今日も最終電車に揺られながらポツリとこぼれた言葉にため息が漏れそうになった。
・・・辞めれるなら辞めたいよ。でも次のアテがあるわけでもないし、これと言った技能も資格もないごく平凡な自分を拾ってくれる会社なんてあるのかなぁ。見た目だって地味だし、性格だって地味。これといって特筆する物のないのが私なんだよな。
そんな後ろ向きなことを考えながら改札を抜け、俯きながら夜道を進んだ。
この先に人生の転機が待ち構えているとも知らずに・・・
「・・・あ~、本当に良かったあ。この会社に来られて!」
少し前の自分を思い出していたら自然と言葉がこぼれ落ちてしまいました。隣の同僚をびっくりさせてしまった様です。
「急にどうしたの?そんな大きな声でいきなり何?!」
自分では気が付いていなかったのですが、少々大きな声が出ていたみたいです。
「何かあったの?」
反対隣の先輩からも声をかけていただきました。
「いえ、大したことではないですよ。ちょっと前の会社のことを思い出しただけです」
「前の会社?なんかあったの?」
同僚が首を傾げます。
「・・・そういえばゆうちゃんの前のことって聞いたことないわね?どうしてココにきたの?」
先輩も気になったみたいです。あれ、話していませんでしたか、聞かれたこともなかったですしね。別に秘密でもないから答えておきましょう。
「特におもしろくもないですよ。ただ、すっごいブラックだっただけです」
「ブラックってどんな?」
同僚がわくわくした顔になりました。先輩もちょっと楽しそうな顔になりました。別に大して面白い話でも、かと言って腹が立つ話でもないのですけどね。
まあ、ブラック会社を知らないから興味がでたんでしょうか。イイデスヨ、ブラック会社の恐ろしさを教えてあげましょう。
前の会社は本来の就業時間は8時から5時のはずなんですが、7時に会社に着いても”遅い!”と怒鳴られましたし、帰るのは終電なんてザラでした。
そのくせ上司は遅刻すれすれで来て定時に帰るんですよ。まあ、居ても役に立たないのでいいのですけどね。
先輩は嫌いでしたね。だって、仕事でわからない所を聞くと毎回”こんな事も分からないのか、教えただろう”って言うんですけど、それ、教わってないのですよね。
だからって教わっていないと言うと、すぐに怒り出すしねえ。なので基本”すみません”以外は口にしないのが正解でしたね。この先輩のおかげでほかの人からは”使えないヤツ”と言われてました。
同僚は助けてくれなかったのかって?くれませんでしたねえ。基本無視の上、ときどき仕事の押し付けですよ。まあ、言い返したりとかしなかった自分自身もよくなかったのでしょうね。
でも、話しかければ舌打ちされ、仕事を断ろうにも口を挟ませてもらえず、自分の言いたいことだけ言って消えるような人に何をどういえばいいのか分からなかったんですよね。
でもってどんどん自分の仕事ができなくての繰り返しになっていって、どうすればいいのか分からなくなったって感じです。
「うわー、さいてー。そんな会社辞めて当然じゃん」
「そうねぇ。辞められてよかったわね、ゆうちゃん」
本当です。いま思い出してみて、いかによろしくない環境だったかはっきりしました。なんで我慢していたのでしょうね、我ながら理解不能です。もう過去のことなので水に流してしまいましょう。まあ、流したのは別のものでしたが。
「で、どうしてここで働くことになったの?やっぱり自殺?」
「ゆうちゃんのことだから、電車に飛び込んだりしたのかしら?」
いいえ、それも考えてのですが、結局怖くてできなかったんですよ。やっぱり、ああいうのは思い切りが良くないと出来ない物ですね。大通りでトラックに飛び込もうと思っても一歩めが出なかったり、踏み切りで飛び込もうと思っても他に人がいたりで、何だかんだで尻ごみしてしてしまいました。そんな時にあの方に出会ったのです。
「通り魔さんに刺されたのです」
「へえ、すっごい幸運じゃない!」
「本当、中々無いことよ。運がいいのね、ゆうちゃん」
本当ですよ。アパートまであと数十メートルの薄暗い路上でメッタ刺しにされた時の衝撃ときたら!正に人生初の体験でした。あんな衝撃なんて、一生のうちに一度有るか無いかの体験でしたよ。
「ねえ、ねえ、その時ってどんな感じだったの?スゴかった?」
「ええ、もうすごいなんてものではありませんでしたよ。なんて言うか、最初は何がなんだか分からなかったんですよ、後ろからドンって押された感じで。で、振り返ったら彼がいたんです」
「あら、男の人だったの?」
ええ、そうなんですよ。黒いパーカーを着た男性でしたね。黒ずくめの中で、白いマスクが印象的な方でした。
「それからどうなったの?」
「そのまま押し倒されて、口を手で押さえられたと思ったら…お腹を刺されていました」
「きゃ~、刺激的!」
「やだ…いきなりソコ?凄く積極的な彼だったのね」
積極的も積極的。止めようとする私の手を掴んで、声を上げる間も無いくらいに刺してきましたからね。あんなにすごいの…本当に初めてでした。
「ねえ、その…どんな感じなの?私、経験ないから聞きたいの~!」
「…私も興味あるわ。ねえ、聞かせてくれない?ダメ?」
「いきなりの事でしたから、よく覚えてはいないのですが、こう…硬くて長いモノがグッて押し付けられた途端に、何て言うか…熱い?みたいになって、それが何回も何回も繰り返されて…最期はぼんやりと彼の顔をみていました…やだ、言っちゃった!」
荒い彼の呼吸に、じっと見つめてくる瞳…すごい体験でした。繰り返される衝撃に、気が付いたら逝ってしまっていましたね。思い出すだけで、お腹から出血しそうです…。
「きゃ~!スゴすぎ~!私まで逝っちゃいそう~」
「本当に凄いわぁ、うらやましいわねぇ…私もそんな体験してみたいわぁ…」
こう考えると、私って本当にラッキーだったんだなって思えます。前の会社はアレでしたが、そのお陰で今の会社に来られたわけで、そう考えると良かったのでしょうね。
「それで、この会社はどうやって知ったの?誰かの紹介?」
「駅で飛び込みを繰り返しているおじさんから紹介されました」
そうなんですよ、たまたま元会社の近くの駅で飛び込みを繰り返しているおじさんに出会いましてね。急に死んだものでヒマを持て余して、元の同僚の様子でも見に行こうかと出かけた時、飛び込む寸前のおじさんと目があったんですよね。電車が通過した後、ホームから頭を小脇に抱えたおじさんと話す機会に恵まれまして、そうしたら、おじさんここの社員だって教えてくれまして。『タダで元会社をうろつくくらいなら、俺の勤めている会社に来たらどうか』って誘っていただけたんです。それからは、トントン拍子に話が進んで、現在に至るわけです。
「ドコ駅のおじさん?」
「**駅です」
「あぁ、あそこの方ね。挨拶する時に、いつも頭を取って挨拶してくれる丁寧な方だわ。そう、いい方に紹介してもらえたのね」
社内でも評判の良い方でしたか。私の話を聞いている間も、頭を膝に乗せたまま聞いてくださる丁寧な方でしたからね。今度であった時には、再度お礼を言っておきましょう。
「それにしても、本当にいい会社に来られたなあ。通り魔さんに感謝ですね!」