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暴食

更新は1日2回(5時と17時)行ってます。

 ●  ●暴食(2019/06/05投稿)●  ●  


 自分の体から「食に対する欲」が、失われている事に気付いたのは、名古屋の病院にいる時でした。


 あくまでも「食に対する欲」です。


 食欲は普通にあります。


 実際、入院中に出された食事は、米粒一つも残さなく食べきってました。


 妹のメモに「食欲がない様子」って書いていましたが、少なくとも自分はあ「病院食わりとイケるやん!」と思って食べてました。

 


 そう感じたのは、口から食べるのが久しぶりだったからかもしれません。


 結構長い期間、点滴生活でしたから。


 ST(言語聴覚士)の先生による、摂食嚥下障害の検査をした結果も全くありませんでした。


 その検査の後から、トロミが入っていない食事になった事が更に嬉しかったです。


 トロミは自分はそんなに不味いとは思わなかったんですけど、何となく食べにくかったんですよね。


 顔面神経麻痺は残っていましたけど、口の中や舌の麻痺はありませんでした。


 このおかげで、味を感じる事が普通に出来ました、それが良かったんでしょうね。




 自分の中で失ったのは、量の事です。


 ご存じの通り、病院の食事は量が少ないんですよね。


 いくら寝たきり状態だったとは言え、今までの食生活を考えたら、耐えられる方がおかしいんですよね。


 病気になる前の食生活は、前にも書きましたが、普通じゃありませんでした。


 休日は昼にランチバイキングに行ってお腹いっぱい食べ、夜もディナーバイキングに行って食べる、そういう生活をしていました。


 倒れる前の休みの日は、大須の某店で「濃厚つけ麺エベレスト盛ライス付き」を食べた後、帰りにコンビニで酎ハイ3本と弁当を買って、弁当をつまみにして酎ハイを飲んで寝るという一日でした。

 

 ちなみにその次の休みでは、名古屋にある有名チェーン店の「晦日ソバ」を食べに行く予定でした。


 これは月末=晦日に、ざるそばが食べ放題になると言う、大食いの人間にとっては神のイベントでした。


 自分は好きな物を好きなだけ食べるのが、好きなタイプの大食いです。


 参加してませんが、胃袋の全盛期には、大食い選手権の予選位は突破する自信がありました。


 通っていた大学の近くに、当時大食い選手権の予選をやってた、お寿司屋さんがありました。


 そこで予選突破の数は余裕で食べれました。


 病院の食事は、そういう食生活をしてた人が、耐えれる量じゃ無い、と言うのは分かってくれると思います。




 前にも書きましたが食欲がないのは、点滴を打ってたせいだと思っていました。


 そうじゃないと気付いたのは、名古屋の病院から転院が決まった時です。


 妹が担当医者に「実家は香川県なんですけど、この人は何時からうどんを食べていいですか」って聞きました。


 これは産湯にうどん汁をつかっていると言われる、香川県民のお約束のギャグです。


 当然医者からは、うどんは無理と止められました。


 自分の体重は100kg超えていましたし、高血圧も糖尿もありましたし当然ですね。




 後で妹が自分に「帰ったらうどんとかしょうゆ豆(香川県民のソウルフード、そら豆を醤油に付けたもの)を食べたくても辛抱しなよ」と言ってきました。


 そう言われてもうどんもしょうゆ豆も、特に食べたいと思わなかったんですよね。




 もちろん、うどんは嫌いじゃないです。


 でも「絶対食べないと発作が起きる!」って感じじゃありません。


 だからと言って肉や米が食いたいとかも無いんですよ。


 酒も飲みたいとも思いません。


 あえていうなら食べたい物は「サッポロ〇番塩ラーメン」だと、妹に言って呆れられました。




 自律神経系が狂っていたんで、色々おかしかったんでしょうね。


 妹のメモに「汗を大量にかいている」と書いてましたけど、これも自律神経失調症のせいでしょう。


 流石に太っていただけでは、1月に大汗掻く事はおかしいです。


 脳梗塞になる前は、一度もなった事もなかった便秘になりました。


 毎晩睡眠導入剤を飲まないと、寝付けません。


 体温が倒れる前より1度くらい下がってます。


 自律神経がおかしくなって一番困る事は、気温が高い時が分からない(体感出来ない?)ことです。


 5月史上初の暑さだった日あったじゃないですか。


 あの日も、寝る時は靴下を履いてじゃないと、足先が冷たくて寝れませんでした。


 昼間もエアコンの効いている所にいたら、寒いから長袖シャツを着て過ごしていました。




 食に対する欲も多分これに入ると思うんですか、これは良く考えるとこのままの方がいいですね。


 今は何を食べても美味しいし、食べる量も少なくていいし、実は入院してからどんどん瘦せています。


 いい事尽くめです。


 そういう意味だけでは、タイトル通り「脳梗塞になろう!」と自信をもって言い切れます。







 ◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇


 【全話修正する部分】 

 

 ・細かい文章の修正。


 ・会話文以外の行頭は一字下げた。


 ・草(w)を刈った。


 ・文章と文章の感覚を最低一行開けた。






【修正と追記した部分】


 この元になった文章をアップした日は、確認したら2019/06/05 21:00ってなってます。


 退院した日が5月29日ですから、退院後まだ一週間しか経ってないんですね。


 読み返してみたら、退院して6か月以上経つ今と違い、まだ身体が入院中とそんなに変わらないみたいです。




 退院から7ヶ月たった今と、退院時との違いを書いておきます。


 便秘は退院後解消されました。


 多分納豆を毎朝食べてるからだと思います。


 食欲は入院時のままです。


 一度どれだけ食べれるかを試してみたんですが、胃袋は大きいままみたいでした。


 少なくともリンガ〇ハットの「野菜たっぷりちゃんぽん麺増量2倍」は余裕で食べれました。


 胃袋の限界は見えませんが、そもそも限界を見る必要はありませんし、もう確認はしません。




 暑さが分からないのは、退院後もそのままでした。


 あれだけ暑かった令和1年の夏も、暑いって感覚が分からないんですよ。


 汗は掻いているんですけど、部屋を閉め切って寝てました。


 暑さだけじゃなく寒さも分かりません、エアコンは極端な温度、例えば16℃とかじゃ無いと、寒さを分かりませんでした。


 この冬になっても夏のまま、靴下を履いて寝てますが、変な所はそれ位ですね。


 体温も特に問題ありません、次の夏はどうか分かりませんが、体温調節は少しずつ回復していると思います。




 ちなみに大食い選手権は、番組が始まった当初から、好きで観てました。


 学食クイーン伊藤〇恵から、ジャイアント〇田さんの全盛期辺りまでですかね。


 中村〇志さんが司会やってた時と言った方が分かりやすいですかね。


 それ以降は正直良く分かりません。


 仕事が夜勤メインになったり、引っ越しをした時にTV自体を処分したりして、物理的にTV番組を見る機会が減りました。


 実家に帰って来た時も、PCネットは欲しいと言ったけど、TVは必要無いと最初言っていました。


 今も特にTVを必要とは感じていません。


 そういいつつワイドショーを、見てますけどね。




 ちなみに、自分の「3次元の好きな女性」1位は、今でも赤阪〇子さんです。

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