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入院をしよう ~2021年 夏~

※先に書いておきますけど、入院理由はコロナではありません

 お久しぶりです。

 前話の「034 俺、なにかやりました?」の更新日が、2020年1月8日更新になってますから

 約1年7ヶ月ぶりですね。

 皆さんはお元気にお過ごしでしょうか?

 自分は相変わらす元気に(?)障害者をやってます。

 最近はリハビリをやったり、リハビリ名目で「なろう」や「ノベルアップ+」で皆さんの小説を読んだり、ネット世界で遊んだりしてのんびり暮してます。


 これだけ間隔が空いた理由は、正直な所書く事が無かったからです。

 前話で書いている不整脈の手術が成功して以降、体調に変化はいい意味でも悪い意味でもありません。

 右麻痺の障害度も殆ど変わりませんし、高次脳で数字に弱いのも、吃音どもりも変わりません。

 てんかん発作も疲れた時や何でもない時にたまに起きてます。

 脳梗塞は急に改善する病気じゃありませんしね(ちなみに急に悪くなる事はまれに良くあります)。

 自分に出来る範囲の生活に慣れるしかない、って感じで退院後は暮らしてます。

 後この1年7ヶ月に変わった事は、申請が通り障害者年金をゲットできた事位ですね。

 ただ申請や手続きはほぼ(と言うか、100%)家族や行政に丸投げしたんで、自分では詳しく語れません。

 だから年金を貰い始めても書きませんでした。

 2019年の10月から、2ヶ月に1回20万6243円+年金生活者支援給付金 5千30円×2振り込まれる事しかかけませんしね。

 この額が多いか少ないかは、人それぞれ色んな意見があるでしょうから、自分も特に触れません。

 敢えて一言だけ言うんだったら「年金と保険は絶対に払っておこう」位ですね。



 前置きが長くなりましたが、ここからがタイトルの話になります。

 自分は2020年6月20日深夜に救急車で香川県にある三豊総合病院に運ばれて、2021年7月1日の夕方退院しました。

 約12日間の入院です。

 正直最初に入院した時は、ここまで長い入院になると思ってませんでした。

 前回救急車に乗ったのも入院したのも2019年の8月のてんかん発作時です。

 約10ヶ月振りですね。

 それ以降は発作があっても家族の車で病院に行ったり、後日に通院したり、そもそも発作があっても薬を多目に飲んで終了してました。

 良くない事かもしれませんが自分は「またてんかんかよ……」って感じで”発作慣れ”してました。


(注)ちなみに自分のてんかんの仕組み(?)説明がある回はこちらです。

「021 てんかんになろう!①」

「024 40秒で失禁しな」

「032 ケトン体になろう!②」

「034 俺、なにかやりました?」

 詳しく知りたい方は、お手数ですがこちらをお読みください。

 自分の発作の流れを簡単に言うと「失神はしない。発作中にも会話をしようと思ったら出来る。特徴的な発作前兆があり、それが起きた後5分したら右半身が痙攣し始める、大体5~7分で発作は治まり、収まった後5分位で落ち着いたら普通に立ったり出来る様になる」です。


 2021年6月19日土は一日雨が降ってリハビリ&散歩が出来なかったため、快晴の予報だった20日は普段より早く家を出て、普段より長い時間歩きました。

 暑さにに備えて帽子を被っていたのですが、それでも暑かったです。

 日焼け防止の為に長袖の服を着ていたのも、後で考えると良くなかったのかもしれません。

 後の病院の検査でも熱中症の症状は無かったみたいですけど、おそらく近い状況になっていたんでしょう。

 脳梗塞になってから、普通の人以上に無理は出来ない身体になってますね……。

 昼の11時頃、道路のアスファルトの出っ張りでつまずいて転倒しました。

 リハビリ病院退院後何回か転倒はしてるんですけど、膝折れしてしゃがみ落ちる形で転ぶばかりだったのですが、今回初めて前に倒れてしまい、頭を打ってしまい、右目の眉毛の辺りから出血してしまいました。

 自分は脳梗塞になってから所謂”血液サラサラ薬”を処方されている為、元々血が固まり難いです。

 頭を打った場合、最悪脳出血や硬膜外血腫なども気にしないといけません。

 この時は家族の車で上記の三豊総合病院に行きました(ちなみに車で家から病院まで40分位かかります)、目の上を3針縫いCTスキャンをして、骨折や出血が見られなかったんで、擦り傷の消毒をしてこの時はそのまま家に帰りました。

 後は薬を飲む時に起きただけでずっと寝てました。


 その日の夜中6月20日11時位に目が覚めてトイレに行き、喉が渇いたんでインスタントコーヒーを飲もうとコーヒーを作りました。

 コーヒーを運ぼうと思った時右手がグルグル回りだしました。

 実際は麻痺があるので右手は動く訳ないんですが、頭の中では回っていると感じたみたいです。

 その後右足が踏ん張れなくなりまた昼と同じ様に前に倒れました。

 この時考えたのは「この症状はひょっとしたら、昼の時に頭を打った時に脳内出血を見落としていてその発作?」なんだろうかって事です。

 めちゃくちゃ怖かったです。

 右手も右足も動かない状態で、このまま台所で倒れたまま死ぬ事まで考えました。

 母が自分の声に気付いて父を呼んでくれて、救急車を呼んでくれてやっと一息つきました 。

 昼間に家族の車で行った三豊総合病院に、今度はVIP対応で行く事になりました。

 病院についたら即効MRI検査をしました。

 MRI検査の結果異常が無い事を確認出来て、少なくとも自分の想像してた最悪「脳内出血を見落とし」の確率が低い事に安心しました。

 この時点で夜中の3時です。

 元々21日朝になったら通院する予定だったので、そのまま入院して行く事にしました。


 脳梗塞になって良かった事は「医療費が掛からない」って事です(敢えて言い切ります)。

 具体的にどういうシステムで、自分の医療費が無料になっているかは知りません。

 障害の度合いで安くなるだけとか色々あるらしいけど、基準はサッパリ知りません。

 自分は「薬代や治療費や入院しても”自分は”お金が全くかからない」って事だけ知ってます。

 自分に必要な事だけ覚えてたらいいですしね。

 その日は4人部屋の空きが無くて、普通だと別料金が発生する1人部屋に病院の都合だったから無料で入れました。

 ラッキーです。

 まあ4人部屋がすぐに空いたから1人部屋にいたのは朝まででしたが。


 その部屋で今日12時に何故倒れたのかを考えました。

 MRI検査でもCTスキャンでも分から無かった病気?

 脳出血でも無い、吐き気や苦しさも特に自分では感じないんですよね。

 せいぜい、昼間転んだ時に出来た傷と縫った所が痛い位……これか!?

 この時に、12時に倒れた症状は、普段のてんかん発作と殆ど一緒だったという事に気付きました。

 上にも書きましたが、自分のてんかん発作の特徴は

「失神はしない。発作中にも会話をしようと思ったら出来る。特徴的な発作前兆があり、それが起きた後5分したら右半身が痙攣し始める、大体5~7分で発作は治まり、収まった後5分位で落ち着いたら普通に立ったり出来る様になる」です。

 この中で見ると「特徴的な発作前兆があり」が無かっただけです。

 右手がグルグル回り出したのも普段は「特徴的な発作前兆があった」時点でベッドに横になってるだけで、症状は同じだと推測出来ます。

 実際に初めての発作の時の印象は「021 てんかんになろう!①」を見たら「全身でタコ踊りを踊っている感じになっていました」って書いていました。

 この時も椅子に座っての発作だったので、多分状況は一緒でしょう。

 じゃあ何故「特徴的な発作前兆」だけが無かったのか?

 ここで上に書いた「昼間転んだ時に出来た傷と縫った所が痛い位」のせいじゃないのかなと、実際は分かりませんがそう推測してます。

 先に結果だけ書きますけど、”あくまでも恐らく”ですがこれで当たってるみたいです。

 これ以降も退院までいろいろな検査をしましたが、新しい原因は判明しませんでしたし。

 それはそれで新たに色々面倒な事になったんですけど、それは後で触れます。


 さて朝になり自分の主治医が来ました。

 自分の顔を見て「何でいるの?」と結構考えて見たら割と酷い事を言われたんですが、まあ言いたくなる気持ちも分からんでも無いからスルーしました。

 それよりも問題は入院が長期になるって、自分ではこの時点では全く考えて無かった事です。

 自分は月曜に診断して家に帰り、次は抜糸に来るだけで終わるって思って思ってました。

 入院が少なくとも1週間以上になると言われた時は、ショックがデカかったです。

 後で冷静なって考えると、転倒した全身傷だらけの脳梗塞の半麻痺&高次&てんかん持ちなんて、あぶなっかしくて主治医が帰っていいって言う訳ないですよね。

 ……分かった上でその時は1回家に帰りたかったんです。


 ご存じの通り今はコロナで日本中の入院してる患者は何も出来ません。

 自分の入院した三豊総合病院でも、それは変わりません。

 そもそも三豊総合病院は香川の西の方で最初にコロナ対応を任された病院です。

 色んな意味で行動に制限がかかってます。

 自分はスマホを持ってないから、入院中はネットも出来なくなります。

 まあこれは自業自得ですから、最初から諦めていました。

 西香川入院時代はコロナ前なので、普通にお見舞いとか出来たし、本とか新聞とか読み放題だったので、時間を潰そうと思ったらどうにかして潰せました。

 今回は本や新聞を読んで時間を潰そうと考えたら、全て貸し出しが禁止になってました。

 じゃあTVを観るとなると金がかかるのか嫌です。

 自分は元々TVを地デジになってから持ってませんでした。

 西香川に入院中もテレビは自分の部屋にTVを置きませんでした。

 取り敢えず自分の部屋にある本「このすばの16、17巻、よりみち1、2」と「オーバーロード14巻」持って来て貰って退院まで何とか乗り切りました。

 ちなみに何でこれだけしかないのかと言うと「005 エロい話」の時に自分の持ってる物を殆ど本やグッズを処分したからです……。

 今は西香川退院して手に入れた物しか持ってません。


 21日は説明と睡眠と食事だけで終わり、22日には”ホルター心電図”っていうモノを初めて付けました。

 これは24時間の心臓の動きをチェックする物みたいです。

 自分もググって調べましたからそれ以上は分かりませんが、自分の脳梗塞は心房細動からの心原性脳梗塞だったのでその再検査でしょうね。

 ちなみにこの検査を主治医がもう一回したいらしいから、7月17日にもう1日付けに行きます……。

 付けたまんま家で過ごして次の日また病院に行って外すみたいです。

 これが上に書いた「新たに面倒な事になった」事の1つです。

 結局今回の入院では原因は分かりませんでした。

 自分はそれで納得してるんですが、主治医の意地か何か分かりませんが原因を判明させたいみたいです。

 まあその行為自体は医者としては正しいと思います。

 自分も発作が起こらない方が楽ですし。

 どうにかなるもんだったらどうにかして欲しいです。


 形成外科の治療ははっきり言って、何もしてくれませんでした。

 縫った右眉以外の怪我のガーゼとか絆創膏を、全部はがしただけです。

 良く分からんですが、その先生の治療方針でしょうか?

 病棟の看護師さんが先生の指示じゃなく、ガーゼとか絆創膏貼ってくれました。

 先生に会ったのは27日日に抜糸に来た時だけです。

 その時に「青タンは日にち薬だから、長くても4週間位で全部消える」って言ってましたが、これは実際そうみたいです。

 ”目の青タン”は2週間たった今はかなり目立たなくなってます。


 21日に説明を受けてたので分かってたんですが、22日からリハビリを始めました。

 理学療法士PT

 作業療法士OT

 言語聴覚士ST

 いつものラーメン3銃士じゃなくて、リハビリ3銃士ですね。

 順に足、手、言語って自分は呼んでました、多分これが実態が一番分かりやすい分類方法でしょう。

 リハビリをやる事には不満はありませんが、問題があるとするなら、ここの病院は所謂”急性期病院”だから、回復期を越えて慢性期に突入してる自分には退屈だって位です。

 まあでもリハビリが気分転換にはなったのは事実です。

 28日月からは1階にあるリハビリ場に行けたんで、多少は気分も晴れました。


 上に書いた「ここの病院は所謂”急性期病院”」って事を、身体の底から理解したのは入院2日目4人部屋に移った21日の夜からでした。

 同部屋の人はお爺ちゃんが3人です。

 その中の2人はほぼ寝たきり状態でした、更に2人とも補聴器付けていました、ずっと寝ている印象しかありません。

 問題があったのはもう1人徘徊さんです。

 徘徊さんは完全に頭がイカレ……認知症を発症されてる人でした。

 この人が夜中に2時くらいから延々孫の名前を呼び続けるんです……。

 最初の日は自分も耐えました。

 昼間にやる事無いからそこで寝て済むと思っていたからです。

 上に書きましたが、自分は22日の朝から24時間”ホルター心電図”を付けました。

 この夜が最悪でした。

 やる事無いので+眠いので21時くらいから寝てました。

 23時くらいに部屋の中に看護師さんが5~6人位?来ました。

 看護師さんの喋ってる内容を聞くと、同部屋の3人とも「大きい方」をお漏らししてて、部屋の中は凄い臭いが充満してるみたいです。

 何その地獄?

 更に徘徊さんは痰を壁に延々吐き続けます。その音や前段階の「カーッ、ペッ!」か更に続きます。

 痰を吐くのが終わると前日と同じく孫の名前を呼び続けるんです……。

 同部屋の2人は耳が遠いから補聴器外して寝てるみたいだから平気みたいです。

 自分がまぎれこんだらいかん、魔の空間に入っちゃたみたいでした。

 看護師さんに文句言っても夜中に何もしてくれない事は、西香川時代の経験で分かってます。

 次の日になったら部屋移動を絶対に頼もうと思って目を閉じて寝ていたら、何か視線を感じました。

 徘徊さんが自分の部屋のカーテンの隙間から自分の顔を覗きこんでいました。

 何そのホラー?

 流石にナースコールを押して看護師さんを呼びました。

 その後は徘徊は朝まではしませんでしたが、朝までガチャガチャという音と孫の名前を呼ぶのはが続きました。

 この部屋の3人は多分「特別養護老人ホーム」みたいなところの空き待ちの入院だったんでしょうね。

 徘徊さんレベルの人は家族だけで世話は絶対無理だと理解しました。

 ちなみに、朝になり徘徊さんの部屋を見たら”メイド喫茶にあるにゃんこの手”みたいなのがベッドの上にありました。

 さっきググったら介護ミトンっていうモノみたいです。

 これはプレイに使えるで!何のプレイか知らんけど。

「024 ラクナちゃん」で書いた時みたいには今回はならないとつもりだったんですが、流石に無理でした。

 次の部屋でも夜中の12時にスヌーズ機能で携帯鳴らす人がいましたが、徘徊さんより経験してたら平気でした。


 30日水に脳波測定と血液検査をしました。

 これは予想通りでした。

 今回の入院が何もやらないのに長くなったのは、体内の薬の濃度を確認したいんじゃないかな?と予想してました。

 脳波測定は主治医から測定する事は言われてました。

 この頃は多分自分の退院近いんだろうと予想してました。

 土日は先生がいないから、30日までに残った検査を終わらせて7月1日に結果を確認して2日退院位かな?と思ってました。

 実際は予想より1日早くなりましたけど、早くなるのに文句はありません。


 しかし……

 CTスキャン(20日)

 MRI検査21日

 ホルター心電図22日

 脳波測定30日

 血液検査30日

 今の自分に必要な検査は全部やったと思います。

 逆に言うとここまでやっているのに、自分のてんかんの原因は判明しないんですよ……。

 無理は出来ない身体と年齢になった事を自覚して、これからは生きなきゃいけません……。


 脳梗塞になってから「今死んでも後悔無い様に生きる」と死生観が変わったんでその辺は大丈夫です。

 今は「あるラーメン屋のラーメンを食べる事」と「ある漫画のアニメ化を観る事」と「ある小説の続きを読む事」位です。

 後は自分の考えた小説を書こうと、入院中に暇だったんで色々考えていたんですが、これはいつになるか分かりません。

 まあ自分には時間は一杯あるんでやりたい……じゃなくて出来る事をやっていきます!



 折角なので障害者になった事をエンジョイします!

 でも、障害者になってから言う事じゃ無いですけど、ならないに越した事はありませんよ!

 ホントに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつものように淡々とした語り口のなかにユーモアもあり暗さがない。しかし、障害のつらさがちゃんと伝わってくるところ。
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