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第七章 落ちていく空1

「ハァ……ハァハァ……」

 痛みで乱れる呼吸が、白い息となって大気を舞った。

 保子莉を見失わないように、必死にウーヴたちを追いかけたトオル。だがヒビの入った肋骨あばらを抱えては、思うように走ることもままならず……宮殿の敷地を出たあたりで三人の姿を見失ってしまった。同時に浮上するキャッツベル号を目の当たりにすることとなった。

「間に合わなかった……」と、曇天を仰いだ。定かではないが、あの宇宙船には保子莉を始め、九斗やウーヴが乗っているはずなのだ。

「保子莉さん……」

 手が届かなくなってしまった黒猫の存在に、トオルは膝を折り、雨で濡れた地べたに四肢をつけた。星王広場に攻撃をする宇宙船。木々をなぎ倒し、爆風とともに石畳を巻き上げる破壊活動。こうなっては、もう自分だけの力ではどうにもならない。その無力さを嘲笑うかのように、キャッツベル号が荒れ狂う竜のごとく上空を旋回している。

 ――なんで、こんなことを……

 つい先日まで、穏やかで色鮮やかだったはずの星王広場。それが一転して戦争映画のように色と形を失った険しい世界に豹変していた。

 ――いったい、誰が?

 辺り一帯を揺るがす轟音が、次々と保子莉の故郷を打ち砕く。アガミに恨みを持つウーヴの仕業なのか? だからと言って、そこまでする必要があるのだろうか? と様々な疑問が脳裏に浮かんだ。

 と、そこへ……

「トオルさまぁぁぁぁ!」

 星王広場下の避難所シェルター通りに繋がるスロープから、ブラックウェアに身を包んだ成人女性が這い出てきた。

「クレア!」

 爆風に煽られながら髪を振り乱すクレアに、トオルも駆け寄った。

「執事のお爺さんは?」

 別れ間際の段取りでは、白髪の老人に助勢を求めにいったはずなのだが。

「諸事情によりぃ、手を借りることができませんでしたですぅ」

「どうして? なんで?」

 頼りにしていた協力者を得られなかったことに不満を抱いていると、クレアが遥か上空に浮かぶキャッツベル号を睨み上げて言う。

「アガミさまの内情を探るため、表ざって動けなかったようですぅ。ですがぁ今のトオルさまの現状を察するにぃ、それもぉ意味をなさなくなったようですねぇ」

 いつになく冴えるクレアの洞察力。どうやら一瞬にして、第一妃宮内で起きた出来事をトオルから読み取り、事の状況を把握したらしい。

「それよりもぉ、お怪我をなさっているみたいですねぇ」

 自前の端末を取り出し、肋骨の治療処置を施そうとするクレアの手を、トオルは静かに払った。

「もう、いいんだ……」

 弧を描きながらゆっくりゆっくりと高度を上げていくキャッツベル号。離れていくその距離に、トオルは歯痒い思いで目を背けた。

 ここで怪我の面倒を見てもらったところで、どうなる?

 そうまでして、彼女を追いかけてどうするんだ?

 どうして僕は、ここにいるんだろうか?

 失いつつある気力が、だらしないほど精神を疲憊ひはいしていく。もう、終わったことだと、無理やり自身の気持ちに終止符を打とうとした時……クレアに落ちた肩を激しく揺さぶられた。

「何、勝手に落ち込んでいるんですかぁ! お嬢さまの本当の気持ちも確かめずにぃ、ここでぇ諦めてぇどうするんですかぁ!」

 半泣きで問いただすクレアに、トオルは視線を背けた。

「でも、保子莉さんは僕のことを……」

 蘇る曖昧な記憶。改変されたとはいえ、どこまでが本当で嘘なのか、自分でも良く判らないのだ。

「お主に追いかけられては、迷惑じゃ」

 そんな風に否定をされた日には、立ち直れないどころか、ショックで自殺してしまいそうだ。だが……

「何、言ってるんですかぁ! もしかしたらぁ、そんなことぉ思ってないかもしれないじゃないですかぁ!」

 強く訴えるクレアに、ハッとさせられた。モヤモヤとくすぶる胸に響くクレアの説得。同時に過去に言われた親友の声が蘇った。

「もっと前向きになって、自分から行動してみたらどうだ?」

 自身の行動力の足りなさに気付かされ、今一度、顔を上げた。

 俗に言われる「やらない後悔より、やっての後悔」。

 だったら、この場は後者を選択し、行動に移すべきなのではないだろうか。そうしなければ、今後……いや一生、心残りとなることは明白だ。ならば、悔いなくやるだけのことを全てやってから考えよう。

「まだ、間に合うかな?」

 キャッツベル号を見上げて、無理を承知で訊ねると

「もちろんですぅ!」とクレアは鞄から髪紐を取り出し、長い栗色の髪をキュッと縛り上げた。

「トオルさまがお望みでしたらぁ、このクレア、全力で御支援サポートさせていただきます!」

 クレアはそう応えると、端末でもって要人専用駐機場で待機しているスペースクルーザーを呼び寄せた。



「ジャゲ! 今すぐ、ここを開けよ!」

 牙をむいてドア解放の操作コントロールパネルに爪を立てる黒猫。だが引っかき傷が付くだけで、機銃室のドアは頑なに閉ざしたままだった。

「どうして……どうして、こうなってしまうのじゃ」

 握りしめた猫の拳を壁に打ちつけ……そして力無く床に崩れ落ちた。

「何もかも……めちゃくちゃじゃ……」

 悪夢のような現実に両手が震えた。実弟と義姉を狂わされた挙げ句、自分勝手なジャゲナッテ星人に故郷を破壊されている現実。声をからし、どんなに拒んでも目の前で起きている事実は変わりようがない。同時に獣のような自身の毛深い両腕が翡翠色の瞳に映った。

「父上……ごめんなさい。本当にごめんなさい……」

 込み上がるやるせなさに涙が溢れ出た。貧素な猫耳を持つ娘。世間に対し、恥を晒すまいと早くから王室を離れ、人知れず過ごしてきたはずなのに……まさか、こんな形で迷惑をかけてしまうとは。

 ――きっと、父上も愚かな娘だと呆れているに違いない

 薄かった親子の縁。それだけに、何のいい訳もできなかった。

 つぐえないことが悔しくて。

 詫びれぬことが悲しくて。

 ただただ歯ぎしりを繰り返すことしかできなかった。

 それでも……

 ――せめて……せめて、星民のみんなが無事であってほしい

 胸の前で震える両手を握りしめ、一心いっしんに願っていると……そっと誰かの手が肩に触れた。

「保子莉お嬢さま。こんなところで何をなさっておられるのですか?」

 覚えのある声が猫耳に触れた瞬間

「爺ぃ!」

 信頼を寄せている人間に、迷わず飛びつく保子莉。その泣きじゃくる黒猫の頭を、白髪の老人が優しく撫でた。

「私のハンドサインを見て、とうに退船されていると思っておりましたが……」

 キャッツベル号の乗組員クルー共通のハンドサイン。カメラ越しで老人が示したジェスチャーは『この場は大丈夫』『退避』の意味であり、これを保子莉の現状に当てはめると「ここは任せて、脱出してください」という意味を示していたのだ。

「見ておった……見ておったわい。でも、この状況下では逃げ出すわけにもいかんじゃろ……」

 それにノーグァを人質に取られておる。と、鼻をすすって泣き顔を晒していると老人が優しく微笑んだ。

「それでしたら、ご安心を。先日、仕える密偵に、ノーグァさまをおびやかす不届きものを排除させましたから」

「それは本当か?」

 顔を上げて半信半疑で問えば、老人が目を細めて笑った。

「私を誰だと、おおもいで?」

 普段から抜かりのない老人だ。弟の件も、まず間違いなく解決しているといっていいだろう。

「でも何で……何で、そのことを早くわらわに教えてくれなかったのじゃ」

「こちらもいろいろとございまして、今日までお伝えすることができませんでした」

 どうか、お許しを。と黒猫の頭を抱き寄せる老人。その伝わる温もりに、保子莉も安堵の息を漏らし、感泣かんきゅうした。

 そして、すぐに……

「それで、これからどうすれば良い?」

 ジャゲの無差別砲撃を、いつまでも好き勝手にやらせておくわけにはいかない。と涙を拭けば……

「ご安心を。先ほど入った使いの者からの連絡によれば、星民の方々に死者はおろか怪我人などはないそうです」

 どうやら雨という天候不順により、ほとんどの星民が避難所シェルター通りに集まっていたのが功を奏したようだ。ゆえに地上の心配は、さほどないとのことだった。

「それよりも、気になるのはトオルさまです」

 そう言って浮かない顔をする老人。

「ここまでのお嬢さまたちの行動とクレアさまの話から察するに、今頃はお嬢さまを捜し歩き、地上で右往左往しているのではないかと」

 トオルの安否を気遣う老人の声に、保子莉の心が萎れた。

 果たして老人の言うように、自分を捜し求めているのだろうか?

 もし、それが本当ならばどんなに嬉しいことか。

 でも……こんな変わり果てた獣姿では、とても喜べる心境ではないし、何より彼自身が受け止めてくれるとは思えなかった。それを表すかのように尻尾が落ち着かない。その保子莉の不安を読み取ったのか、老人が優しく慰めの言葉をかける。

「お嬢さまのために、この星まで来られたトオルさまです。そんな人間が、お嬢さまをないがしろにするはずがございません」

 この爺が保障します。と猫座りしている保子莉の手を強く握りしめる。

「ですから、あとのことは爺に任せ、一刻も早くここからお逃げください」

 幼少の頃から付き人として尽くしてくれた老人の説得。ここは素直に従うべきなのだろう。だが、気がかりなことがもうひとつあった。

 九斗である。

 愛しい人と同じ顔を持つ人間でありながら、物事の分別ができない子供。それだけに、置いていくにはあまりにも忍びない。そのことを口にすると老人が笑顔を絶やさずにいう。

「どんな状況においても、ほかの者に気を配れるお嬢さまのその優しいお気持ち、爺は好きですよ」

 そして艦橋ブリッヂ側の天井を見据え

「子供の扱いは馴れておりますゆえ、心配にはおよびません」

「しかし……」と、保子莉が言いよどんでいると

「今まで、この爺に不可能などありましたでしょうか?」

 優しく問う老人に、保子莉は否定することができなかった。共に生きてきて幾度となく直面した窮地と困難。そのいずれも、この老人がいたからこそ乗り越えてこれたからだ。

「信じて良いのじゃな?」

「お任せください」

 そう言って老人は黒猫を立たせて背中を押した。

「そうと決まれば、善は急げですよ」

 老人の言うように、いつまでも留まっているわけにもいかないと、保子莉も覚悟を決めた。

「船と九斗を頼む」

「はい。お嬢さまもご無事で」

 苦労をかけてすまぬ。と老人に全てを託し、脱出ポッドが設置されている船尾に向かって走り出した。



「さて……それよりも問題は、あなたの方ですが……」

 黒猫を見送ったあと、老人は通路の陰に潜む黒髭男に厳しい眼差しを送った。

「良く気づかれましたね、マエストロ

 臆することなく姿を現した愛弟子に、老人も背筋を正して向かい合った。

「弟子に侮られるほど、落ちぶれたつもりはありませんよ」

 老人の固い口調に、ウーヴが口角を上げて微笑んだ。

「おたわむれを。匠相手に、そのような考えなど一度も抱いたことはありません」

 心にもないことを……。

「ところで、アガミさまのお世話はどうされました?」

 マグネタードライブの最終点検中、手持ちの監視モニターに映し出された面々。侵入者として識別された保子莉と九斗、そしてジャゲとビヂャ。それらを率いるウーヴに老人は疑念を抱いていた。

「あなたに報告することは、何ひとつありません」

 と反抗の意思を示す弟子。つい先ほど、アガミの側近から入った報告に耳を疑ったが……どうやら本当のことかもしれない。

「職務怠慢とは感心なりませんね」

 と言葉をかけた途端、弟子がフッと笑みをこぼした。

「聞き捨てなりませんね、匠」

 そして、怒りの形相を浮かべ

「怠慢ではなく、放棄せざる得なかったのですよ」

 ウーヴの瞳の中に浮かんだ憎悪の炎。どうやら報告通り、アガミに対し暴行を加え、記憶を消した事実は間違いないようだ。その上で逃亡を企て、キャッツベル号に乗船してきたに違いない。

「主人を裏切った罪。私自ら、制裁を下さねばならないようですね」

 弟子の不肖は師の失態。それを正さず、看過することなどできはしない。だが、ウーヴは悪びれることなく平然と言ってのけた。

「こうして同じ船に乗り合わせてしまった以上、私も見逃してもらえるとは思ってはおりません」

 ウーヴは丸眼鏡を外し、上着を脱ぎ捨てると、ぐっと両拳を作って身構える。その向けられた敵意に、穏やかだった老人の心中にさざ波が立った。

「どうやら、自責じせきの念は無いようですね」と、老人も上着を脱いでシャツの両袖をめくりあげた。こうなっては力尽くでもって、言うことを聞かせざるないようだ。

 師弟対決。

 まさか、このような形で拳を交えようとは誰が想像しただろうか。

「言っておきますが手加減はしませんよ」

 師として、改心を含めた最後の忠告を促せば

「承知しております」と弟子が目元に決意を忍ばせた。どうやら本気で事を構える気のようだ。さけられない闘い。果たして、私から離れた十数年で弟子がどれほど成長したのか。

 同時に、弟子に裏切られたことを悲観した。

 ――これが私たちに与えられた試練ならば、やむを得ませんね

 と老人は静かに呼吸を整え、そして……

「いざ、参る!」と、愛弟子に向かって床を蹴った。



 その頃。

 スペースクルーザーで異変が起きていた。

 目を閉じ、両耳をふさいで恐怖におののく子供たちをディアは抱きしめていた。

「……私がついているから大丈夫」

 だから心配はいらない。とは言ってはみたものの、子供たちが怯える理由が分からなかった。震えるファズと泣きながら怯えるソミィたちの肩を抱き寄せ、恐怖に堪えるケイニャ。人の心が読めるクレハ星人だ。きっと誰かの心の声が三人に伝わっているのだろう。原因を探ろうと、グズる三人の子供たちの手を引いてスペースクルーザーのコックピットへ移動すれば……主のいない船が勝手に起動し、地上を離れ始めていた。

 外部からの遠隔リモート操作。

 想像するに、たぶんクレア本人によるものだろうと、メインモニターに目を向けると……なぜか猫所有のキャッツベル号が宮殿前の星王広場に向けて火を放っていた。

「……猫の船が、どうして?」

 攻撃の意図するところが分からない。とディアは首を0・5ミリ傾げて考えた。

 ――そういえば惑星ナァーの下調べの際、広場下に避難所シェルターが備えてあったような

 クレハ星人特有の読心能力。対象者の心の声が強ければ強いほど悟りやすいと……昔、エテルカから聞いたことがある。だとすれば、子供たちが怯えている理由はただひとつ。キャッツベル号の空襲に身をすくめているナァー星民の思念なのかもしれない。

 ――自棄やけをおこした猫が故郷を破壊しているのだろうか?

 仮にそうだとしても、失うだけで何も得るものはないはずだし……何より賢い猫のことだ。自ら身を滅ぼすような真似をするとは思えなかった。そんな考えを巡らせていると、スペースクルーザーはプラール宮殿前へと着陸した。

「トオルさま、こちらですぅ!」

 とコックピットへなだれ込んできたクレアとトール。肝心な猫の姿がいないところをみると、やはり救出作戦は失敗に終わったのか。

「……おかえり」

 とりあえず出迎えの声を掛け、現状を訊ねてみた。

「……外で、何が起きているの?」

 怯えている子どもたちと同じ思念を感じ取っているのだろうか、大人であるクレアも表情を歪めていた。

「見てのとおりぃ、キャッツベル号が街を攻撃してるんですぅ」

 いや、それは私でも分かるのだけど。

「……猫が攻撃をしてるの?」

「確認はしてませんがぁ、少なくともぉそれはないと思いますですぅ」

 するとクレアの憶測をトールが否定した。

「保子莉さんじゃないよ。もし、やるとすればウーヴさんだ」

 恋人を死に追いやられ、アガミを裏切った執事の話を聞かされて合点がいった。確かに、動機としては充分すぎる。

「……それで、これからどうするの?」

「キャッツベル号の攻撃をやめさせて、九斗から保子莉さんを取り戻す」

 その上で、一時的にナァーを離れる段取りなのだろう。迷いのない決断力。先日のトールとは違い、まるで別人のよう。すると操縦席に身を沈めたクレアがスペースクルーザーを離陸させた。

「ケイニャちゃんたちにぃ、イヤな思いをさせますけどぉ、もう少しの辛抱ですからねぇ」

 無差別に降り注ぐ空爆に、おののく星民たちの叫び。保険の営業という職業柄、過酷な世界を知り尽くしているクレアと違って、耐性のない幼い子供たちにとっては、地獄の亡者の悲鳴といっても過言ではない。

「……もうすぐ、終わるから」

 そう言ってディアは子供たちを抱き寄せると、外部からの思念を遮断するように大きな黒羽でもって三人をおおい……そしてトールと目を合わせ、言葉を交わすことなく頷きあった。

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