第六章 破滅の引き金3
07/14 自己の体験した経験を元に、アガミの記憶消去における状況を加筆しました。
緑が延々と広がる豊かな大地。
収穫間際の畑がひしめくその一角に、二台の車両が停まっていた。
「どうだい? 何とか、直せそうかい?」
年老いたコーギー獣人が所有する耕作機のエンジンルームに、ハスキー獣人が頭を突っ込んで唸った。
「リアクター制御システムが焼き切れる寸前だな。古い機体で、もう部品もないだろうから、早急に代替え品を見つけてなんとかしよう」
「そうか。いやー、アンタがいて本当に助かったよ」
ホッと胸を撫で下ろす老人を横目に、ダリアックは手についた油汚れをウエスで拭き取った。
「こう言っちゃ何だが、そろそろ全自動トラクターに換えたらどうだ?」
学習さえしてしまえば、あとは勝手に収穫してくれるんだから、年寄りにはもってこいだろ? とダリアックが新型耕作機を勧めると、老人が歯の抜けた口を開けて苦笑いした。
「ワシんとこの小さな畑では、最新式は宝の持ち腐れじゃよ。それに、こいつとは古い付き合いじゃし、そう簡単に引退というわけにもいかん」と、ライドトラクターのボンネットを撫でた。
「それに、こんな骨董品でも、おまえさんとこの子供らにはエラく人気があるしの」
見れば、塗装の剥げ落ちたライドトラクターに群がってはしゃぐハスキー幼児たちがいた。
「まぁ、ジイさんの気持ちは分からなくはないけどな。とにかく明日、町のジャンクヤードに行って部品を探してくる」
安く手に入ればいいんだけどな。とダリアックが付け加えると、老人がニッコリと微笑んだ。
「予算はおまえさんに任せるよ。ところでつかぬことを訊くが、おまえさん、今度はいつ宇宙に行くんだね?」
老人の質問に、ダリアックは笑った。
「何だ? 良い働き口でも紹介してくれるのか?」
輸送業の船を降り、職を失ったことは老人も知っている。それだけに、再び船に乗れるかと期待の目を向ければ
「いや。あんたがいてくれると機械の修理とか、収穫作業の手を借りれるからさ」
頼りにされている率直な意見に、ダリアックは苦笑いして皮肉った。
「まだ俺を当てにするほど、ジイさんも老いぼれてはいないだろ」
そう言って、おもむろに空を見上げ
「それに実のところ、俺もまだ宇宙に未練があってな」
お嬢からの招集がかかれば、今すぐにでも駆けつけるつもりなのだから。とダリアックは雇い主であった猫娘を思い浮かべた。
「おかげで助かったわい」
三年前、ここ惑星イパメスに訪星したキャッツベル号。浮力のおぼつかなくなった反重力エンジンを抱えたまま不時着同然で降り立った古い貨物船を、俺とアロで直したのが始まりだった。
駐機場の監視センターからの依頼で請け負った船の修理。これは金になると踏んだ俺は、アロと気の合う仲間たちを引き連れ、一週間で直してやった。こんな田舎星だ。もし、俺たちがいなければキャッツベル号は二度と宇宙に上がることもできず、錆びついて朽ち果てる運命だっただろう。それだけに依頼主も大喜びだった。そして修理代金の2000万ケピロンを受け取って「これで家族に良い思いをさせてやれる」と、いつもの酒場で仲間たちと分配していたところへ
「邪魔するぞ」
キャッツベル号の持ち主である猫娘と付き人の老人が、俺たちのテーブルにやってきた。
「うちで働く気はないかのぉ?」
修理の礼を重ね、いきなり転職話を切り出してきた猫娘。確かに、述べられた雇用条件は悪くなく、むしろ願ったり叶ったりの好条件だった。
「その腕前、寝かせておくにはもったいない」
俺たちの仕事を高く評価する若い猫娘。どこの星の生まれか知らないが、金持ちお嬢さまの道楽に付き合うほど、こっちも落ちぶれちゃあいない。
「良い話だが、遠慮しとくよ」と俺は仲間を代表して猫娘の誘いを断った。
翌朝。
庭で遊ぶ子供たちの声に起こされ、二日酔いの頭を抱えながら外に出てみれば……キャッツベル号の持ち主が子供たちと戯れていた。
「あっ、パパが起きてきた!」「おはよー、パパ!」
元気にはしゃぐ五人の子供たちに手を引かれ、猫娘が玄関前に連れ出されてきた。
「その顔から察するに、昨夜はずいぶん遅くまで飲んでおったみたいじゃな」
挨拶がわりに呆れ笑う猫娘に、俺は寝癖のついた腕の毛を舌で整えなから感謝を述べた。
「あんたのおかげで、久しぶりに美味い酒が呑めたよ」
「そりゃ良かった。でも、深酒は感心せんな」
「女房と同じことを、言わないでくれ」
ただでさえ、今しがた言われたばかりなのだから。
「それで今日は何の用だ? 船の調子なら問題ないはずだろ?」
じゃれてくる子供たちの相手をしながら、訊ねれば
「今日は、世話になったお主に挨拶に来ただけじゃ」
依頼主と修理業者だけの間柄なのに、わざわざ挨拶だけのために来るとは珍しい。
「本当に、それだけか?」
「ヘッドハンティングに来たつもりだったのじゃが……パパ自慢をするこの子らと遊んでおったら、無理強いも出来なくなったわい」
じゃから、雇用の件は忘れてくれ。と屈託なく笑う猫娘。その表情を見て俺は悟った。世の中には悪い獣人と、そうでない者がいるが……少なくともうちの子供たちと遊ぶ猫娘は後者に値する人物だ。もっとも、俺の見極め嗅覚が深酒でバカになってなければの話だが。
そして二時間ほど雑談を交わしながら子供たちと散歩した後、俺は猫娘に訊ねた。
「いつ出発するんだ?」
「明朝、発つ予定じゃ」とライドマシンに跨る猫娘に対し、なぜか別れの言葉が思いつかなかった。
「そうか……」
代わりに、子供たちが別れを惜しんでいた。
「世話になった」
猫娘はそう言い残し、子供たちに手を振って去っていく。俺は子供たちと一緒になって、いつまでもライドマシンの軌跡を目で追っていた。
その晩。子供たちを寝かしつけ、晩酌をしていると女房が言った。
「あの方が帰ってから、ずーっと塞ぎ込んでるのね」
言われてみれば、そうかもしれない。今日一日、何をしてても上の空だった気がする。
「行きたいんでしょ?」
女房の言葉にハッとさせられた。結婚する前、修理業者という名目で何度か上がったことのある宇宙。大海原を駆ける旅と同時に、危険と隣り合わせの航海。だが、こんな冴えない田舎星で一生を終えることを考えると……今回、猫娘が持ってきた雇用話は俺の心をくすぐるには充分過ぎるほど魅力的だったのだ。
「家にいる時間は少なくなるが……生活は良くなる」
酔いが回っていたのだろうか……気がつけば、猫娘から提示された雇用条件を口にしていた。すると女房が優しく微笑んだ。
「家の方は私が何とかするから、気兼ねなく行ってらっしゃい」
「本当に、良いのか?」
「別れた昔の女の想いを引きずるような顔で、毎日生活されるわけにもいかないでしょ」
女房の揶揄が、胸に突き刺さる棘のように身に沁みた。
「その代わり、約束して」と女房が指折り数えて条件を出し始めた。
時間の許す限り、連絡もしくは家に帰ってくること。
帰星の際、必ずお土産を買ってくること。
浮気はしないこと。そして……
「絶対に、死なないこと」
これには流石の俺も泣いちまって、女房に抱きついてしまった。
「お前たちを置いて逝くもんか」
「もう、お酒臭い」と笑いながら仰け反る女房を、何度も何度も抱きしめた。
翌日。
女房に叩き起こされ、後ろ髪を引かれる思いで家を後にし……アロを含めた数人の仲間たちとともにキャッツベル号に乗船したのだった。
そんな昔話を思い出しながら
「まぁ、しばらくは宇宙に行くこともないだろうから、安心してくれ」
と老人のライドトラクターを預かる約束をした矢先……通信端末の着信音が鳴った。
「いったい誰からだ?」
発信元を確認すれば、一緒にキャッツベル号を降りたアロからだった。
「HEY! 久し振りNE、ダリアック。元気してましたKA?」
通信許可した途端、いつもの訛り言葉が耳元に突き刺さった。
「とりあえず元気にやってるよ。それで、今日はどうした?」
どうせ、大した用事もなく暇を持て余していたのだろう。だったらイパメス(こっち)に呼び寄せて、耕作機の修理でも付き合わせようか。と考えていると……
「ダリアック。今、どこにいますKA?」
こっちの挨拶を無視して、所在確認するアロに首を傾げた。
「どこにいるも何も、イパメスに里帰り中だ。それが、どうかしたのか?」
「Ohノー! それじゃダメでSU!」
頭を抱えて悶えるアロに、俺は訝しんだ。
「てっきり、まだナァーにいると思ってましたYO」
話の焦点が定まらないアロとの会話。長い付き合いだが、これほど取り乱しているアロも珍しい。
「ナァーで何かあったのか?」
アロの言葉を察し、理由を訊ねれば
「キャッツベル号が武装してるYO」
「だから、どうした? 構造上、装備できることは乗船した時から分かっていたことだろ」
もっとも乗船した後で気づいたことだが。
「元々、あの船は武装解除した貨物船だ。いまさら驚くことじゃあないだろ」
乗組員の個室として割り当てていた機銃室。推測だが、ナァー星府のお役所連中たちが、従来そこにあったはずの機銃ユニットを組み入れたのだろう。
「それよりも、何で武装したことをお前が知ってるんだ?」
キャッツベル号を降りた後、どこの誰かにヘッドハンティングされたと言ってたはずなのだが。
「先日、キャッツベル号に仕込んだ監視プログラムから、装備変更のアラートがMEところに届いたNE」
流石、メカ好きのアロだ。こういうところは抜け目ない。
「いずれにしても、俺たちの手を離れた船だ。いまさら俺たちが騒ぐ筋合いでもないだろ?」
すると、アロは電子ゴーグルを額に上げ、得意げに説明する。
「これを聞いたら、きっとダリアックも驚くNE。YOUも知っての通り、船首から胴体中央部にかけての格納庫……あそこにも砲塔ユニットが組み込まれたみたいNE」
「あのだだ広い区画に砲塔だと?」
思わず跳ね上がった声に、子供たちがキョトンとした顔で俺を見上げていた。
「間違いないのか?」
子供たちから距離を置いて小声で訊けば
「さっき、キャッツベル号に通信アクセスして確認したから、間違いないNE」
アロの言葉に、尻尾の先まで血の気が引いた。もしそれが本当だとすれば……相当、ヤバい物が取り付けられている可能性があるからだ。
「ちなみに、どんな種類のユニットが組み込まれた?」
「形状からして、アレは『マグネター砲』の類NE」
アロから告げられた事実に、声がひっくり返った。何しろ超強力な磁場を発生させ、高エネルギー電磁波でもって数億トンの重力とともに、全ての原子を埃に変えてしまう兵器だったからだ。
「何で、そんなシロモノが俺たちの船に……」
惑星を丸ごと消滅させてしまう恐ろしい兵器に愕然とした。いったい誰が、何の目的のために。そもそもお嬢たちは知っていたのか? いや、待てよ。元々、惑星ナァーから譲り受けた中古船だ。もしかしたら白髪の爺さんは知っていたかもしれない。
「執事の爺さんには連絡したのか?」
「もちろん、したNE。でも、応答に出なかったYO」
「そりゃ、どういうことだ? まさか、星をあげて惑星戦争でもおっぱじめるつもりなのか?」
「マグネタードライブの威力次第では、そうあっても、おかしくないNE」
だとしたら、いったい誰の差し金だ? 惑星メディアの記事が正しければ、数日中に惑星ナァーの王位継承式典が行われるはず。ナァー星王の指示なのか……それとも次期星王なのか? いや、もしかしたらクーデターを目論む連中かもしれない。いずれにしても、星が消し飛んでしまう状況には変わりない。
「お前のハッキングの腕で、ユニット接続の阻止はできないか?」
と、アロに遠隔操作を求めてみれば
「それはたぶん無理NE」
「何でだ?」
「船内記録を覗いていたら、何者かに逆ハックされてアクセスを遮断されたからYO」
アロほど腕の立つ天才相手に、ハッキングできるヤツが惑星ナァーにいるとは考えにくいのだが。
「ノンノン。あの特殊なアルゴリズムはナァーの連中じゃないNE」
人差し指を横に振るアロに、ダリアックは眉をひそめた。
「どういうことだ?」
「外部からのハックと同時に、内部で人工知能のような働きかけがあったからYO」
複数の相手。もしそれが本当ならば、テロの可能性が高いだろう。
「そうなると直接、惑星ナァーに出向いて確認するしかないか」
と頭の中の宇宙海図を広げて模索するダリアック。しかし惑星イパメスから惑星ナァーまでは、あまりにも遠すぎた。
「上手く船を乗り継いでも70時間あまりか」
「船を持っていないダリアックには無理YO。でも安心YO。MEたちがナァーに向かっているところだから心配ないNE」
「早く、それを言え!」
聞けば、アロはクロウディアのセカンドシップに乗船し、お嬢とトオルさんの救出に向かっているとのことだった。
「何とかなりそうか?」
マグネタードライブの搭載は阻止できなくとも、発動させなければ問題はない。……と、いうより、果たしてセカンドシップ一隻で対処できる問題なのだろうか。
「やってみないと分からないNE。あとは艦長の若大将次第かNA」
つまり、その若大将さんとやらの采配次第というわけか。
「分かった、お前を信じよう。その若大将さんと協力して俺たちのキャッツベル号……いや、裏で手を引くヤツをとめてくれ」
「了解YO」
頼んだぜ。とダリアックは深いため息を吐きながら、端末を作業着のポケットに押し込んだ。
「仕事の話かい?」
子供たちの相手をしていた老人が気をもんでいた。
「ちょっと込み入った話になっててな」と、子供たちを抱き寄せ
「面倒なことにならなきゃ、良いんだが……」
と浮かない顔で、空の向こうを見上げるダリアックだった。
――なぜ?
目を疑うような光景に、正直、理解が追いつかなかった。
何しろトオルの目の前で、主人に忠実であった男がいきなり白猫アガミに銃を向けたからだ。
――もしかして味方なのか?
散々、アガミに引っかき回されたのだ。そう思えても何ら不思議ではない。しかし、それにしては黒髭執事の様子が変だ。
――本気で、アガミさんの記憶を消すつもりなのか? でも、いったいどうして?
執務室に漂う重い空気。そんな中、トオルの背後で黒猫保子莉が声を上げた。
「義姉さま!」
「そこを動かないでいただきたい!」
ウーヴの喝破に、九斗も首紐を引っ張って黒猫を引き戻す。
「近寄っちゃダメだよ、保子莉おねぇちゃん」
それでも保子莉が反抗的な目を向けていると
「私の身に何かあれば、ノーグァさまの安全は保証できませんよ」
弟の身柄の安否に、一歩引き下がる保子莉。だが……
「デタラメよ」
そんな協力者、いるわけがないわ。とアガミが否定する。
「あなたが知らないだけです」
「どうだか。それで、何が目的なの? 地位? それともお金? わたくしを脅すからには、それなりの覚悟があってのつもりなのでしょうね?」
なおも毅然とした態度で対峙するアガミに、ウーヴがおもむろに問う。
「召使いとして仕えていたロナを覚えておられますか?」
「ロナ? さぁ、誰だったかしら?」
眉ひとつ動かさずに答えるアガミに、執事……いや、元執事の表情がわずかに曇った。
「あなたに……いえ、あなたが腕を切り落とした使用人をお忘れとは言わせません」
そう言って、銃口をアガミの額に押しつけるウーヴ。その射るような瞳には、もはや温情のカケラなど一切見当たらない。
「あぁ。そういえば、そんな娘もいたかしらね。それで、それが何だって言うの? わたくしの大事な爪を傷つけたのだから、当然の報いでしょ」
するとウーヴは一瞬だけ薄笑い……すぐに真顔に戻った。
「一ヶ月前、彼女は不自由な身体を理由に、故郷にて命を絶ちました」
憎悪のこもる静かな返答。その自殺までに至る経緯と動機に、第三者のトオルは自身の耳を疑った。
――爪ごときで、腕を切り落とすなんて……なんて人だ
誰もが見惚れる絶世の美女。その反面、人を人とも思わない冷血ぶりに、あらためてゾッとした。
「ふーん……。それで、ロナの自殺があなたと何の関係があるのかしら?」
アガミの問いに、ウーヴがギリっと奥歯を噛んだ。
「彼女とは……結婚の約束をしてました」
何となく見えてきた事の顛末。あくまでも想像だが、アガミに腕を切り落とされたロナという召使いは、不自由な体を悩み続け……そして死を選択したのだろう。
でも、なぜ再生治療を受けなかったのだろうか? 事実、頭だけとなってしまったトオルも新しい体を作ってもらい、こうして生きているのだ。そんなに思いつめる必要が、どこにあったのだろうか。
「自殺したのは、わたくしのせいとでも言いたげね。でも、それはお門違いよ。再生治療を受けなかったロナがいけないのではなくて?」
「あなたはご存知ないようだが、誰しもが高額な治療を受けられると思ったら大間違いですよ」
ウーヴの話によれば、腕を接合したロナは故郷へと戻り、不自由な生活の中でリハビリを重ねていたらしい。愛するロナのため、また自分を愛してくれる彼女ためにも、ウーヴは欠かさず連絡を取り、彼女を励まし続けていた。ただ、それでも腕を切り落とされてからの彼女はふさぎがちになっていき、やがて音信不通になってしまったという。
そして数日後……。
心配になったウーヴはロナの田舎に使いを走らせた。しかし彼女はウーヴの愛に応えることができないと悩み続け……ノイローゼの末、命を絶ったとのことだった。
「こんな話をしたところで、あなたには到底、理解し難いでしょう」
「そうね。自慢ではないけど、自殺なんて一度も考えたことないもの」
世間外れなアガミの感性に、トオルはあらためて驚かされた。
――人が死んでるというのに、この人は何も感じないのか
もし自分が同じ立場ならば、自身の過ちに気づいて声を失うであろう出来事。それなのに、当のアガミは銃を突きつけられながらも、平然と己の価値観を言い張っているのだ。トオルの感覚がおかしいのか、それともアガミの性格が歪んでいるのか。いずれにしても人の死に対しての尊厳が欠落していた。
その証拠に、アガミは亡きロナを蔑ろにするような言葉を吐いた。
「まさか、そんなくだらない理由でわたくしを抱けなくなったのかしら?」
情けない男。とアガミが薄笑いを浮かべた瞬間、ウーヴの振るった拳により、アガミが人形のように吹っ飛んだ。
「くっ……」
漏れる苦痛の声。同時に口元から流れる血に、我が目を疑うアガミ。本気を出した男の力でブン殴られたのだ。そのダメージは大きく、立つことすら叶わないようだ。と、そこへウーヴが容赦なくアガミの腹を踏み潰した。
「くだらないだと!」
「がはっ!」
苦悶の声を上げるアガミに、トオルが目を背けた途端、保子莉が叫んだ。
「ウーヴ! もう良いじゃろ! そのへんで義姉さまを許してやってくれ!」
義姉さまには、わらわから言って聞かせるから。と訴える保子莉に、ウーヴが非情な目を向けた。
「許す? では、お聞きしますが、もしこの者の身勝手な行いによってトオルさまが死んだら、あなたは許せますか?」
「そ、それは……」
「できないでしょうね」
保子莉の返答を待たずして、ウーヴはアガミの額に端末を押しつけた。
「それだけ、この者の罪は重いのですよ」
「頭を冷やせ、ウーヴ! もし、義妹さまの身に何かあってみよ。一生、追われる身になってしまうぞ!」
保子莉の必死の説得に、アガミも殴られた頬を押さえながら嘲る。
「そうよ。……わたくしに手を上げて許されると思って?」
刹那、ウーヴの平手が再びアガミの頬に炸裂した。
「あなたに何を言っても無駄なことが、今、ハッキリ分かりましたよ」
見下す元執事の形相に、アガミが声を失ったまま震えていた。
――何て、恐ろしい人だ
相手が女であっても容赦しないウーヴ。確かに、道理を踏まえた動機は理解できる。だが、それだけで人というのは、こうも残忍になれるのか。
――こうなると、もう人ではない
復讐に燃える黒髭の男が、阿修羅にさえ見えてきた。
「ついでですので、良いことを教えて差し上げましょう。あなたの目論む違法マタタビの件ですが、星王の命により、星衛特殊部隊がサーリエに派遣されました」
その事実に、動揺の色を濃くするアガミ。
「お父さまが……。そんな……そんな……」
声を震わせ、顔を背け……
「嘘よ……お父さまが知るはずがないわ」
「いえ。これは、まぎれもない事実です」
顔を近付けて告げるウーヴに、アガミが激昂した。
「あなたが密告したのね!」
この裏切り者! と伸ばした鋭い爪をウーヴに振るうアガミ。……が、ウーヴは目にもとまらぬ速さでアガミの腕を絡め取るや否や、関節技でもってアガミの細腕を容赦無くへし折った。
「ギャァァァァァアッ!」
ゴキッ! と骨の折れる鈍い音とともに断末魔のような叫び声が執務室……いや、屋敷全体を揺るがした。
――何てことを
あらぬ方向に向いているアガミの右腕。その痛々しい光景に、目を背けたくなった。しかし、それだけではすまなかった。苦痛の声を上げてのたまうアガミをウーヴはなぶるように見下した。
「どうですか? ロナと同じように片腕を失ったご気分は?」
刹那。保子莉が首紐を握る九斗を突き飛ばした。
「貴様ぁぁぁあっ! よくも義姉さまを!」
床を蹴り、トオルの前を怒号と共に横切っていく黒い影。
――ダメだ、保子莉さん!
激痛に耐えかねる義姉の姿に、我を忘れて元執事に突進する黒猫。だが相手は復讐を抱く者。その怨念こもった殺意は、トオルの想像を遥かに超えていた。
一里塚深月を巡っての格闘。
ケイニャを助けるために戦ったワニ男。
度合いは違えど、どちらも命を賭けた戦いだった。
すべては愛する者のため。そして生き抜くためにだ。
しかし黒髭執事のそれは……まるで別物だった。
希望の光を失った男の瞳は、底冷えするような狂気を秘めていたからだ。たとえ保子莉が俊敏な猫であれ、勝てる相手ではないことは火を見るより明らかだった。それでも黒猫はウーヴの喉元へと爪を伸ばす。
だが次の瞬間、呆気ないほど簡単に床に叩きつけられていた。
「保子莉さん!」
トオルが近づこうと一歩足を踏み出した刹那、ウーヴが保子莉の喉元を掴んで宙吊りにした。
「あなたも匠から合気道を習ったようですが、私も護衛用の格闘術を学んでいますゆえ、どんなに頑張っても私には敵いませんよ」
不敵に笑うでもなく、怒りをあらわにするでもなく、力の差を見せつけるウーヴ。ギリギリと締めつけられる保子莉の首元。呼吸がままならないのか、爪を引っ込めて苦しみもがいていた。
――まさか、保子莉さんを殺すつもりか?
だとすれば、もう考えるまでもない。
「やめろ、ウーヴさん! それ以上やったら死んでしまう!」
黒髭執事に対して手を伸ばした途端、ウーヴの冷ややかな視線が保子莉からトオルへと向けられた。
「ホズリさまが邪魔立てしなければ、私もこんな真似はしませんよ」
そして……
「九斗。ホズリさまの世話はお前に任せたのだから、最後まで責任を持て」
そう言ってウーヴは弱った黒猫を九斗の足もとへと放り投げた。
「大丈夫か、保子莉おねえちゃん?」
喉を押さえて咳き込む黒猫の背中を支える九斗。流石に、九斗もこのような修羅場は想定していなかったらしく、当惑の色を浮かべている。
――九斗のやつ。保子莉さんが傷つけられたのに、何とも思わないのか?
「しっかりしてくれよ、保子莉おねえちゃん」
ウーヴに怒りを感じることもなく、ひたすら保子莉の肩を揺さぶる自分と同じ人間に、トオルは疑問を抱いた。
――もしかして自分のことだけで、周りの状況が見えていないのか?
もし、そうだとすれば、まるで了見の狭い子供そのものじゃないか。と、九斗の精神年齢に違和感を感じていると
「うぐぐ……」
短く荒い呼吸に振り向けば、ウーヴがアガミの顎を押さえ、銃を額に押し付けていた。
「正直、あなたを殺したいほど憎いですが、それでは余興好きなあなたもつまらないでしょう。なので、すべての記憶を抹消させてもらいます」
そう言って、ウーヴは何のためらいもなく引き金を引いた。
ぱぴゅん!
奇妙な電子音とともにアガミの眉間に閃光が染み込んだ。同時に陸揚げされた魚のように激しい痙攣を起こし、狂ったような叫び声を上げ……そして壊れた機械のように動かなくなってしまった。
意識を失い、ぐったりと床に横たわるアガミ。その表情は、なぜか憑き物が取れたかのように安らかで美しかった。
――記憶を消されて気絶したのか?
『すべての記憶』とウーヴは言っていた。もしそれが本当だとすれば、アガミは言語を含む知識どころか、人格が崩壊してもおかしくはないだろう。
「幼少期ならぁともかくぅ、今の智花ちゃんの場合、記憶が混在しちゃうとぉ、自分の行動に責任が持てなくなってぇ、最悪ぅ人格障害を引き起こしちゃいますですよぉ」
タルタル星からの帰星の際、智花のことで相談し合った記憶消去。その時、保子莉も言っていた。
「確かにそうじゃな。一歩、間違えれば記憶を含む高次機能障害もありうるしのぉ」
そのほかにも知能、認知、学習などにも影響を及ぼすらしい。もしそれが本当ならば、ウーヴがアガミにしたことは、とんでもないことだった。
頭の中を弄られる恐怖に、トオルが身震いしていると……ウーヴが携帯端末をへし折り、床へと放り捨てて踏み潰した。
「行くぞ、九斗」
未練なくアガミに背を向け、部屋の出口へと歩き始めるウーヴ。その背中を九斗が慌てて追いかけていく。
「ちょっと待て! 保子莉さんを、どこに連れていくつもりだ?」
まだ話は終わってない。本物の記憶を彼女から教えてもらうまでは、連れていかれるわけにはいかないのだ。
無理やり黒猫保子莉を引っ張っていく九斗を追い、肩に手をかけた瞬間……ウーヴに脇腹を打たれ、硬質ガラスの窓へとぶん投げられた。
「九斗は私と共にこの星を出ていくのですから、邪魔をしないでいただきたい」
――ナァーを……出ていくだって?
おぼつかない呼吸のまま、側にあったソファーに手を掛けてウーヴを睨みつけた。
――保子莉さんも一緒に連れていくつもりなのか?
この広い宇宙だ。もし、ここで彼女を見失ったら二度と会うことができなくなってしまう。
――させるものか!
気力を振り絞って片膝を立てた瞬間、腹部に激痛が走った。
――くっ! あばらが折れたか……
痛みに気を取られ、寝ているアガミに足を取られて転んでしまった。
「トオル!」
床に這いながら声のする方を見れば、九斗に引かれて執務室から連れ出される黒猫の姿が。
――くそぉぉおっ!
気づけば……痛みで軋む脇腹を抱えたまま、頼りない足取りでもって三人の後を追いかけていた。





