第一章 囚われの身1
――どうして、こうなっちゃたんだろう?
見知らぬ洞穴の牢屋で、敷常トオルは体育座りをし、膝に顔を埋めて考えていた。
――よりによって、海賊に襲われるとは思わなかった
「トオルにぃ。必ず保子莉お姉さまを連れて戻ってきてね」
智花に見送られ、意気込みだけで地球を旅立ったのは数日前。目的は彼女の冤罪を晴らすこと。だが実際は地球に戻ることさえままならず、故郷の肉親と二度と会えなくなってしまったことに涙が溢れた。
――ごめん、智花。保子莉さんとは逢えそうもないよ
脳裏に浮かぶひとりの異性。
自身の猫耳にコンプレックスを抱く同い年の女の子。
気づけば、常にそばにいた存在だった。
だが、ある日、忽然と目の前からいなくなった。
なぜ彼女は姿を消したのか?
薄暗い牢屋の中で、トオルは失踪直前の日のことを思い出した。
それは北風が荒び始めた12月のことだった。
終業式を終えた後、トオルは保子莉と二人で、通学路であるのべ川の遊歩道を歩んでいた。高校に入学した時の春とは異なり、豊かに生い茂っていた河川敷の新緑も寒々しい冬景色へと様変わりしていた。
――今年も、あと少しで終わりか……
敷常トオル16歳。
小中学生の頃には季節の変わり目など気にしたこともなかったはずなのに、今では不思議とも思えるくらい時の速さを感じられるようになっていた。
――これも保子莉さんがいるからなんだろうか?
何気に隣を歩く女の子を垣間見れば「うぅ、さぶいのぉ」と、鼻を赤くし、首に巻いた赤いマフラーに顔をうずめていた。
時雨保子莉15歳。
5月にトオルと交通事故を起こした加害者。地球で製造された猫食缶詰を宇宙で転売し、はたまた運送業まで請け負い、生計を立てている猫族宇宙人。身長143センチという小さな矮躯で仕事を切り盛りするその姿は、とても同学年の女子高生とは思えなかった。
「すっかり冬じゃのぉ」
と晩冬の思いにふけながら、今年を振り返っていた。
「文化祭も終わったことじゃし、残すはクリスマスくらいかのぉ」
クリスマスと言えば、今年最後のメインイベントだ。ケーキとチキンバーレルを囲む家族パーティーは去年まで。高校生となった今年は、是が非とも友人たちや好きな人と一夜を過ごしたい。そんなことを考えながら保子莉をチラ見した。冬用の制服を纏った彼女。短く切った黒髪以外は、五月に出会った頃のままだ。
――保子莉さんと出会ってから、もう半年以上か
思い起こせば、いろいろなことがあった。
5月の交通事故を切っ掛けに彼女と知り合い、6月は生まれて初めて外惑星に行き、7月末には彼女のミスで生まれた自分の分身に、好きだった人が奪われた。8月は彼女が請け負った配達の手伝い、9月には学校行事の文化祭と地元の秋祭りを楽しんだ。
「お嬢さまったらぁ、トオルさまにぃ買ってもらったぁ綿菓子をいつまでも食べないからぁ、ちっちゃくなってましたよぉ」
11月初旬に、クレアから聞かされた後日談。想像だが、きっと食べることなく大切に取っておいていたのだろう。彼女自身が、それを悔やむこともなく黙っているところをみると、そんなところなのかもしれない。
「奢ってくれるのか? ならば、あのフワフワした菓子が欲しい」
今後、取得予定であるバイクの教習代を気にしてか、高い買い物を強請らなかった彼女。その配慮といじらしさに、胸がキュッと締め付けられた。
――もしかして、保子莉さんは僕のことを
そんな恋心に気づかされ、今日まで様々なことを浅慮してきた。
――クリスマスの予定はどうなんだろう。もしかして仕事とか入ってるのかな?
もし予定が空いているならば、一緒に聖夜を過ごしたいところなのだが
「どんなクリスマスになるか、今から楽しみじゃ」
保子莉はそうひとりごちて、トオルに期待の目を向けた。一年に一度だけ訪れる神聖な日。俗に言うイエスさまの誕生日。同時にそれは恋人同士にとっても特別な日だった。
とは言え、二人だけで聖夜を迎える勇気もなく
「それなら、みんなで集まってクリスマスパーティーでもする?」
自分の16歳の誕生日を祝ってくれたように、クレアや長二郎、場合によっては再生体や深月を誘って過ごすのも良いかもしれない。と、彼女へ対する気持ちを誤魔化す自分自身がいた。
本音を言えば、二人っきりで過ごしたい。
だがしかし、保子莉とはそう言う関係を成立させていないのも事実だった。
彼女へ対する自分の気持ち。
自分に対する彼女の気持ち。
高校生になってから、半年以上。
そろそろ『カノジョ』と呼べる異性が欲しく……気付けば、その存在はもっとも近いところにいた。それは守ってあげたいほどか弱く、時には叱咤激励し、共に切磋琢磨できるひとりの女の子だった。
――でも……ついこの間まで、僕は一里塚さんに惚れてたんだよなぁ
その一部始終を彼女は知っている。
果たして彼女はそのことを、どう考え、どのように捉えているのだろうか。場合によっては、深月から乗り換えたなどと思われはしないだろうか。そんなことを考えると、とても告白する勇気など湧かなかった。そして……
――保子莉さんは、誰か好きな人がいるんだろうか?
フッとそんなことが脳裏を掠めた。実は故郷の星に許嫁がいた。……なんてことがあった日には、たぶん発狂しそうだし、立ち直れないどころの騒ぎではない。
訊くべきか、訊かないでおくべきか。
そんなことを悶々と考えていると、どこからともなく、か細い猫の鳴き声がした。周囲を見回して声の主を探していると、保子莉が木の上にいる子猫を指差した。
「どうやら登ったは良いものの、そのまま降りられなくなってしまったようじゃのぉ」
見上げれば木立の中腹の枝元に、茶虎模様の子猫が縮こまっていた。
「みゃ……」
不安と恐怖を眼に宿し、弱々しく泣く子猫の姿に「やれやれ」と、彼女が苦笑した。
「わらわも幼少の頃、同じようなことをして良く泣いたものじゃ」
聞けば、好奇心からくる子供特有の衝動的行動のようだ。
「それで、保子莉さんはどうやって降りたの?」
トオルが訊ねると、彼女はバツが悪そうに苦笑した。
「降りなければどうにもならんしのぉ。結局、下にいた爺ぃに促されて飛び降りたぞ。……あれは怖かったのぉ」
話によれば、目を瞑った決死のダイブだったらしい。
「とにかく、降ろしてあげなきゃ」
そう言って、トオルは頭上にいる子猫に向かって両腕を広げた。
「さぁ、降りておいで」
しかし子猫は身を縮めたまま、枝から飛ぼうとはしない。
「信用されてないのかな?」
警戒する子猫を注視しながら首を傾げていると、隣で保子莉がクスクス笑っていた。
「愛が足りんのじゃ、愛が。どれ、わらわが手本を見せてやろう」
保子莉は子猫に向かって両腕を広げると、猫の声を発し始めた。我が子を宥めすかす母猫のような声に、および腰だった子猫が小さな耳を立てて短く泣くと、意を決して彼女の腕の中へと飛び降りた。
「おー、よしよし。偉いぞぉ。あの高さから飛んだおぬしは大した度胸の持ち主じゃ。大人になったら、さぞや立派な雄猫になるじゃろう」
と子猫を抱き抱えて愛おしく頬ずりする保子莉。その強い母性愛を傾ける彼女に、トオルは少しだけ嫉妬を覚えた。
「その子、雄猫なの?」
すると彼女は、信じられんとばかりに訝しんだ。
「おぬし。このイケメンな顔を見ていながら、何を言っておる? どこからどう見ても雄じゃろ」
顔立ちが整っていること以外、 まったくもってさっぱり分からないのだが。
「種族が違っても、雄雌の違いくらい分かりそうなものじゃがのぉ」
「股を広げてみないと、僕には分からないよ」
その何気ない一言に、保子莉が恥じらうように顔を赤らめた。
「相変わらず、デリカシーのない男じゃのぉ。わらわじゃから良いものの、他の女子じゃったら完全にセクハラで訴えられておるぞ」
そして子猫の顔を合わせ
「のぉ。おぬしも、そう思うじゃろ?」
保子莉が求めた問いに、子猫も同意の声を上げた。
「そうか、そうか。おぬしもそう思うか」
うんうん。と頷く保子莉にトオルは眉をひそめた。
「本当に、そんなこと言ってるの?」
すると、保子莉が不満そうに顔を持ち上げた。
「わらわを疑っておるのか?」
と、ジト目を向け
「おぬしの爪で、このデリカシーのない男の顔を思いっきり引っ掻いておくれ」
そう言って、保子莉は抱いていた子猫をトオルに向かって放り投げた。
「みゃあっ!」
可愛らしい威嚇の声を上げ、トオルの顔めがけて飛びつく子猫。爪を立てた不意打ちに、トオルはかわす間もなく頬を引っかかれた。
「イテっ!」
「流石は男の子。その調子で強く生きていくんじゃぞ」
茂みの中へと逃げる子猫に向かって手を振る彼女に、頬を撫でながらぼやくトオル。
「保子莉さん。洒落になってないよ」
ヒリヒリする頬。血は出てないにしろ酷い傷になっているに違いない。そんなことを心配していると
「相手は子猫じゃ、どんなに頑張って爪を立てたところでかすり傷程度じゃから、安心せい」
そう言って保子莉はスクールバックから小さな鏡を取り出すと、トオルの顔に向けてみせた。
「ほれ、見てみぃ。大袈裟に騒ぐほどのことになってはおらんじゃろ」
前屈みになって自分の頬を写してみれば、猫のヒゲのように三本の爪痕が残っていた。
「ミミズ腫れになっちゃってるよ」
「その程度の傷でみっともなく狼狽えるでない。雄なら、むしろ立派な勲章じゃ」
まぁ、このくらいならば、すぐに治る傷ではあるが……けしかけた張本人から言われると、どうにも納得がいかなかった。
「これが勲章ねぇ……」
もし、そうだとすると猫族の雄猫たちはみんな生傷が絶えない生活をしているのだろうか。例えば好きな異性をめぐったり、縄張り争いとか。
「そんな無粋な争いなどせぬわ」
「でも、みんな猫なんでしょ?」
姿形こそ猫族獣人だろうけれども、元々の祖先は猫であり、その名残りとして獣ならではの闘争本能も残っていそうだが。
「進化とともに知性を持ち備え、高度文明を司ってきた猫族じゃぞ。ゆえに日本と同じで、平和そのものじゃ」
「平和かぁ……」
その言葉に、トオルは『ユートピア』という言葉を連想し、寒空を仰いだ。
――そう言えば、ケイニャは元気でやっているかな
惑星ンカレッツアで出会ったクレハ星人。行き着いた先は決して楽園ではなかったものの、幼女はその場所を安住の地と定め、生きていく決心をしたのだ。
――また会えるかなぁ
そんな想いを馳せていると、保子莉がトオルの顔を覗き込んできた。
「誰のことを考えておるか、一目で判るような顔をしておるぞ」
どうやらバレバレだった。
「もしかして、また宇宙に行きたい。とか、考えておるのか?」
見上げてくる彼女の問いに、トオルは傷を撫でながら素直に頷いた。
「行きたいね」
いろんな種族や異世界が見られる外惑星。普通の人が海外へ渡航して大きな感動を得るように、トオルにとっても、それは同様の意味を成していた。
「ならば今度は、わらわの星にでも連れて行くとするかのぉ」と楽しそうに笑う保子莉。彼女の生まれ故郷。そこは、いったいどんな世界なのだろうか。
「ここと変わらず他愛もない田舎星じゃ。ゆえに、退屈過ぎてすぐ飽きるやもしれんぞ」
と彼女は笑い、冬空を見上げる。
「とは言え、やっぱり平穏が一番じゃけどな」
優しげな眼差しをする保子莉の横顔を見ながら、トオルも静かに頷いた。争いもなく平和な日常。それが一番だと思った。
――いつまでも、こんな日々が続くと良いなぁ
しかし、その願いは叶わず……翌日から彼女の姿を見ることはなかった。