回復魔法
回復魔法で人が死ぬ。なんだか本末転倒な感じがするが、これでなんのことかすぐにピンときたならその人はたぶんRPGに毒されている。
回復魔法とは何か。RPG的にはヒットポイントや体力を上限値まで上げ死や戦闘不能から遠ざけることができる魔法である。ビジュアル的には緑色の光がキラーンとなったり涼やかな緑色の風が吹く。
現実として考えるなら擦り傷を塞ぎ折れた骨を接ぎ、生死の境を超えて肉体が破損してしまった仲間の魂を現世に呼び戻す魔法である。それともヒトの体の再生力を上げ、じわりじわりと傷口が塞がり血が出なくなってかさぶたとなってポロっと取れる様子になるだろうか?
単純なステータス制の世界観なら、回復魔法はまさしくゲームと同じ機能を持つ。マジックポイントを消費して傷を癒すだけの優しい魔法である。
もしここに現実的な考察を入れてみると、なかなか侮れない。
回復魔法の最も単純な説明は「傷を癒す」魔法である。この傷を癒すに至るまでの作用について考えると面白い。
傷が癒えるという結果から、回復魔法は恐らく局所的な時間の遡行、もしくは尋常ではない再生力の増強、欠損部位のみ細胞を出現させ止血を行っているものであると考えられる。
時間遡行タイプの回復は拡大解釈が可能な分、作者の解釈次第で万能の魔法になる。単なる回復魔法であるはずなのに局所的な枠を超えて自分そのものや世界の時間を操り始めることが可能であったり、とにかく時間に関する魔法はややもすると度を超えた俺ツエー物語になってしまうことがある。さらに時間の遡行を行っている都合上、回復を受けた部位は徐々にではあるが周辺の部位と老化に差異が出始めるという副作用を持つ。ただただ不思議な現象として魔法を扱う異世界において馴染むのはこのタイプ。
再生力の増強タイプの回復もデメリットがある。回復魔法を施した後に大量に垢などの老廃物が発生する、細胞分裂が過剰に高速化されているためテロメアの限界が早くきて怪我を回復するたびに老化しやすくなる、回復のために体内の脂肪や糖分、タンパク質などを大量に消費するため腕を一本生やそうとするとすぐに餓死する危険性がある。また再生力を増強させる対象が怪我だけでなく周辺の空間まで及んでいた場合、病原菌までも増強させてしまい感染症にかかることや異常な微生物が増殖して周辺を覆うことも考えられる。また癌の発生確率も上がり、癌の再生力を増強させてしまえばあっという間に体はグロテスクな肉の塊に変貌する。アレルギー体質の人間に使用すればアレルギーは悪化する。ろくな医療知識や人体知識を必要とせず、医療と共に魔法も未発達な異世界において存在するのはこのタイプ。
欠損部位のみ細胞を作る魔法はデメリットがほとんどない。その代わりに魔法によって細胞を作る技術は細胞を知っていることに裏打ちされ、術者は異世界に似つかわしくない非常に高度な医療知識や人体知識を持っていることになるため、水準がほとんど現代と変わらない状態での世界観となる。物語を描くのに現実の医療を学ばなければならなくなるため、物語の作者としては中世ヨーロッパ風の世界観と現代の知識水準とのバランスを取らなけばいけなくなる非常に辛い道となる。下手をすれば主人公より現地の回復魔法使いの方が知識水準が上で「異世界で知識チート」どころではなくなる。それを除けばデメリットは流れ出した血が多すぎると貧血のままになってしまうくらいである。
回復魔法に属するものとして蘇生魔法があるが、これらのうちそれが可能であるのは時間遡行タイプのみである。ただ死ぬ前の状態に戻すだけならいいが、再生力を上げても死んだヒトの死体を繕ってもヒトは生き返ったりしないという当たり前の不条理が存在するためである。
蘇生魔法を言い換えて反魂や死霊魔法と呼ぶこともある。欠損した不完全な肉体のまま魂を呼び戻して死体から離れられないようにし、ただ手足を動かせる奴隷としての使い道。どこかのディストピアよろしくクローンを作り出して魂を宿らせるのも蘇生魔法のうちに入る。
魔法が精神や霊魂に依存して行使されていた場合、蘇生した人間は魔法を使えるのかというスワンプマン問題も回復魔法につきまとう闇である。
スワンプマンとは思考実験の一つである。男(女)が池のほとりで雷に打たれて死に、その雷によって奇跡的な確率で池から死んだ男(女)と体の組成から思考方法、記憶等さまざまなものが同一である存在が出現し、死んでしまった男(女)と同じ今までの生活を行い始めたとき、彼(彼女)は死んだ男と同一の存在であるのか?というものである。
物理的に見るならばスワンプマンは元の男(女)と同一である。記憶があり、思考し、行動する。他人から見たならば全く元の男(女)と変わりがないからである。ちなみにこの提唱を行った人物は「スワンプマンと元の人物は同一の経験をしたわけではないため同一ではない」との立場をとっている。
このスワンプマンは霊魂の存在によっても否定される。霊魂は肉体によらない人物の本質そのものであると解釈されるからである。雷によって作られたスワンプマンは元の人物と同じ霊魂を共有しているわけではないため別の存在となる。霊魂によって魔法を行使していた場合、生前と同じ行動をとっていたとしても同じ霊魂ではないため生前と同じ魔法を使えなくなるという現象が起きる。
せっかく死から呼び戻した仲間や愛しい者が外見と記憶だけを真似てそっくりそのまま生活すると考えればホラーである。また死から呼び戻された側からしてみれば、死んだ記憶があって仲間や愛しい者が生き返ったことをなぜか喜んでくれるわけではなく邪険に突き放される状態になる。それもそれでなかなかいいシチュエーションになるとは思うが、回復という本義からは外れた悲惨な状態。
蘇生魔法の存在を過信して敵に突っ込み、後で蘇生してみれば別人であることがわかる。元の仲間は二度と戻ってこない。こういうのは直接関係があるわけではないが、回復魔法によって死を招いていることは間違いない。
癒しの魔法であるはずの回復魔法であるが、使い方次第では物語内や物語を描いている作者にも悲劇を招く。シビアな世界観に登場させるのなら使用方法からデメリットまで、起きる可能性のある問題を一通り考えてみたほうがいいかもしれない。