獣害
軽視されがちであるが、人は脆い生き物である。
英雄譚の中では無力な村人に代わり英雄が一帯に巣食う邪悪なモンスターを倒すことになっている。だが、それはあくまでも英雄譚の中だけのものであり、モンスターではない普通の動物であっても人は命を奪われるのである。
人口に膾炙するようになってきた話の一つに三毛別羆事件がある。
三毛別羆事件。それは我が国の獣害事件としては最悪の出来事である。事件の概要としては、北海道開拓の途中、巨大なヒグマが開拓村を襲い、開拓民7名の死者、重症者3名を出したものである。
事件の経緯についてはWikipediaを参照されたし。Wikipediaといえば不正確な情報が多いものとされるが、この件については編集者が直接たくさんの資料や伝承を調べてまとめたため、Wikipediaが最もよくまとめられ正確である。
この事件の下手人であるヒグマは重さ340kg、身の丈2.7mとされている。銃撃をもろともせず、討伐のために200人が出動した。
異世界ではこのくらいの大きさのモンスターはありふれたものである。さらに魔力か瘴気かによって強化されており、魔獣と呼ばれるものになっている。そんな存在、なんの力も持たない人間はひとたまりもないし、剣と盾の世界でたった数人で勝てるはずがないのである。
ヒグマでは比較対象としては不適当ということがあるかもしれないため他の生き物も考えてみる。
ジェヴォーダンの獣という、狼に似た生き物がフランスの地方に出現した。死者は88人とも123人ともいわれ、なんと牛ほどの大きさもあったといわれる。おお、これはまるで異世界のモンスターそのままのイメージだ。
ではこのジェヴォーダンの獣、どうなったかというと曖昧模糊として判然としない。討伐されたという報告があってもその後再び被害が出たり、被害が止んだ討伐自体が伝説化しているためだ。一応、討伐した生き物の剥製は存在してはいるのだが、訓練した犬だったり、狼だったり、またその混血だったり、大型のハイエナだったりとその正体は一定していないうえに本当にジェヴォーダンの獣を討伐したのか不明である。
被害が止むまでに100人もの人間を食い殺したジェヴォーダンの獣だが、正体が大きな狼であるとするなら、異世界においては戦闘のチュートリアル扱いされるような存在である。現実世界の人間と比べて異世界人の肉体は頑強すぎやしないかと思う。
裏を返せばいかにステータスやレベル、スキルといった概念が現実的でないかを示す。
脅威は地を這う獣だけではない。空にもいるのだ。
現実世界においては空の生き物で怖いといえばせいぜいカラスだが、ファンタジー世界において空の生き物は強さの象徴であるといっても過言ではない。
森の中をすべるように飛ぶ肉食の虫、空から獲物を見つけると接近して切り刻む鷹、空の覇者であるドラゴン。まだまだ出てくると思う。人界と隔てられた場所にいるものの、いつ住処から飛び出して人を襲うかわからない。こうした生き物にとっては人間は皮が柔らかく、小骨が少なく抵抗が少ないため餌とするに好まれる特徴を備えている。
たとえ強靭な肉体や魔法が使えたとしても、空を飛ぶ相手には通用しないことが多い。人間が空を飛ぶということに関して、強い禁忌を覚える作者が多いためだろう。
人間は古来から空を飛ぶ鳥に夢想し、空を飛ぶことは生まれながらにして自由でない己を自由な空へと解放することなのだと解釈してきた。それゆえ空を飛ぶことは強者の特権であり、より高みから大地を這うものを見下ろすのは奔放な性格を表すものとして描かれることが多い。
つまるところ、人間は物語の中でさえ自由ではなかった。その卑屈さのため、空を飛ぶ生き物には物語の中でも勝つことはできないのだ。これが悪いことだとは言わない。基準点がなければインフレを続けるしかないからだ。その結果、世界観を壊すような敵を登場させては物語としては破綻してしまう。
クマ、狼、ドラゴンとかっこいいものばかりだが、牛馬や犬だって人の命を奪うことができる膂力や牙をもっている。動物が本気を出したとき、人間が素手や刃物を持って勝てる大きさの上限は案外小さい。
そしてこれは筆者の好みなのだが、人間が獣に勝る点は牙や爪の有無ではなく、知恵にある。人間の何倍もの体格を持つ象は銃によって倒れたのではなく銃を作る人間の知恵によって倒れたのだ。巨大な蟻塚を作り、食べ物を偶然に頼るでなく生み出したその原動力が人間の武器であったように思う。同じように、ファンタジーの主人公には人並みの力で知恵を使った冒険をしてほしいものであると願う。
直接的に人の命を脅かすものを紹介したが、間接的に人の命を脅かすものもある。
現実でも問題になっている、鹿、イノシシ、ネズミ、キツネ、コウモリ、サル、アライグマなどなど、その種類は多い。
農作物を食い荒らす獣はただそれだけで人の命を脅かす。江戸時代には八戸藩において、凶作と鹿とイノシシの食害が重なり飢饉が起きている。なおこのころには生類憐れみの令は廃止されているため、鹿やイノシシを狩れなかったから農作物を守れなかったというわけではない。
現代では農作物を食害され、経営がうまくいかなくなり借金を背負って自殺するケースが後を絶たない。コンクリートで地面が固められた都会に住んでいると全く実感できないが、土地に生きる人間はその地に生きる野生動物との生存競争の中にある。
これは人間の開発で山や森に食料がなくなったからであるという話ではない。人間でも食べられるような柔らかくおいしい野菜が目の前にあって、動物たちから見てどうして渋いどんぐりや木の皮を食べなければならないのだ。人は低きに流れる生き物であるが、動物はよりその傾向が強い。畑の農作物を食べた方が合理的なのは人間だけではなく動物にも適用される理屈なのだ。
さらに動物は疫病を運び、水源を汚染し、少し知恵があるなら人間から赤ん坊を奪って食べる。ましてそれが異世界なら。
少々気分が悪くなる話だったが、今日はここらへんで終わろうと思う。
色々と考えながら書いてたらいつの間にか長編の物語を思いつきました。大まかなプロットもできています。
人が死んでばかりなので異世界で保険会社始めます
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そのためこちらのエッセイの更新頻度が下がります。エッセイから長編小説のネタが出てくるので楽しみに。