第9話【移動】
「うわっ……」
予想外だった。
振り向いた、という表現が正しいかは分からないが……
化け物の左目の瞼は既に膨らんでいた。
野上は咄嗟に羽交い締めにしていた両腕を外し、化け物の背中を突き放す──
──パァン!
眼球が野上の頭を掠めた。
掠っただけで物凄い痛みが走った。
もう少し、突き放すのが遅れていたら──
化け物が、管をくねらせたまま、後方──身体の構造的には前方──へと倒れた。
「今だ!」
野上が倒れた化け物の眼球が戻る前に、管を踏みつけた。
管がブルンと震える。
化け物が野上を払いのけようと起き上がりかけたその時、
「わあぁっ!」
横田が叫びながら化け物に鉄パイプを突き刺した。
ズブッという音を立て、鉄パイプは化け物の鎖骨の辺りから背中へ貫通した。
横田は鉄パイプから手を離し、後退した。
化け物は腹這いになり──顔だけは上を向いているが──両腕に力を入れ、起き上がろうとしている。
──ダンッ
跳んだ京介が化け物の背中に着地し、鉄パイプを背骨のやや左に突き刺した。
京介は額の冷や汗を拭いながら、化け物から降り、様子を伺う。
野上が、先程放り投げた鉄パイプを拾い、更に化け物の背中を数回刺す。
化け物は、口からグブグブと血の泡を噴き出し、幾度か痙攣して──動かなくなった。
「やった、か……?」
野上も、額を伝う冷や汗を拭う。が、それは汗ではなく、血だった。
「野上さん、大丈夫ですか?」
横田が駆け寄り、野上の額の血を見て心配した。
野上は自分で恐る恐る自分の頭を触り、
「ああ、かすり傷みたいです。大丈夫」
ふう、と横田は大きく息を吐いた。
遠くから見ていた他のグループの者達が、化け物に近寄り、観察し始めた。
「本当にこんなものが……」
「死んだのか? これ」
皆、口々に言いながら足や棒で化け物をつついた。
「死んでる……」
「すげぇ、こんな奴に勝てたのか」
「……痛っ」
「……なんだお前、はしゃいでどこかぶつけたか」
「アンタ達、凄かったな。おかげで助かったよ」
化け物の死体を囲み、一気に戦勝ムードになった。
一頻り騒いだ後、他のグループの者達は解散し始めた。
「京介君」
輪の中から少し離れた場所に居た京介に野上は近寄り声を掛けた。
京介は視線を化け物から野上に移す。
結果、化け物を殺すことが出来たのだから善しとすべきか迷ったが、今後こういった行動が京介は勿論、周囲の者にも最悪の事態を招きかねない。
だが、京介の様な年代には、言い方を考えないと反発する可能性がある。
「京介君。無茶はするなと言っただろう」
京介は少し下を向き、黙っている。
「良いか京介君。ああいう、自分が知らない奴を相手にする時は、まず良く観察するんだ。で、出方を見る」
但しこれは、化け物との戦闘経験を基に言っているのではなく、野上が社会人として身に着けた処世術の様なものだ。
「今が攻めて良い時なのか、守りに徹するべきか……相手に合わせる、とか」
京介は、野上の言う事を自分なりに考えている様だ。
「そのタイミングを誤ると、最悪の事態を招く……ここまでは解るかな」
京介の目を見て問う。
京介は頷いた。
「今の俺達にとっての最悪の事態は──死ぬことだ。やり直しは効かない。分かるな」
少し語気を強める。
京介が、野上の目を見返す。
「それは君にだけじゃない、君江さんや村田さんにとっても最悪の事態だ。勿論、俺にとっても」
京介は、野上から目を逸らさない。
「……俺も死にたくない。由美や一馬も死なせたくない。皆、死んで欲しくないんだ。でも、全員俺が守ってやるなんて言えない。そんな力も自信もない」
これは野上の本音である。京介をあくまで自分と対等と見なした上で話す。上から目線で頭ごなしに叱りつけるより、この方が京介も話を聴く筈だ。
「だから──自分の身は自分で守れ。京介君にとって大事な人を悲しませるな」
「……分かった──ごめん、なさい」
京介が素直に謝った。
野上は笑顔で、頼んだよ、と京介の肩を叩いた。
「横田さんも、危ないところをありがとう。助かったよ」
野上は頭を下げた。
いやいやそんな、と横田は照れながら言う。
「とりあえず、体育館に戻りましょう。皆が心配してますよ」
その前に、と横田は化け物の死体から鉄パイプを抜き、回収した。
「あ、そうだ」
野上が何かを思い出し、化け物の死体を調べ始めた。
「どうしたんです?」
横田と京介も、屈んで化け物を見た。
「いや、コイツもそうとは限らないんだけど……国道に居た化け物は、死んだ後に小さな生物が出てきた」
ああ、言ってましたねと横田が頷いた。
「だから、もしかしてと思って。もし、本当にあの小さな生物が寄生生物で、しかも自由に移動できるのだとしたら……」
そんな都合の良い生物が居たら、の話だが。
そりゃ大変だ、と横田が化け物の身体を調べる。
国道に居た化け物に比べ、この化け物は変化した部分が少ない。頭部、せいぜい鼻から上半分の皮膚が、爛れた様な感じになっている。
「変化した部分の近くに、小さな穴が開いてたんだ。でもコイツには──見当たらないな」
「その生物が人間に入り込む為の穴、ってことですか? ううん……コイツの場合、鼻の穴から、じゃないですか?」
なるほど、と野上が頷き、化け物の顔を調べる。調べたくないけど。
目があった所は窪み、穴からはだらしなく伸びた管。左の眼球はまだ地面に落ちている。口からは血を大量に流した跡がある。
顔や頭の表面に穴の様なものはない。横田の言う通り、鼻の穴か、耳、口からと考えるのが自然だろう。
野上達は暫く注意深く見ていたが、何も出てこなかった。
「……出て来ませんね。もしかしたら、一緒に死んだんじゃないですかね」
人間部分が死んだと同時に、寄生生物も死んだ、と横田は言いたいのだろう。
本来ならそういうものだろう、と野上も思う。むしろ国道に居た化け物から出て来た生物が異常なのだ、と。
「そう、かも知れない──」
「さっき──ここに居た連中の中で一人、一瞬痛がった人が居た」
京介が呟くように言った。
そう言えば、野上もそれを聴いた。
「まさか──もう……」
──移動した、のか?
「京介君。その人はどんな顔だったか覚えてるかな」
京介は首を振る。
野上も覚えていない。
「……まあ、まだ確証はないし、今となってはもうどうしようもない。さぁ、体育館に戻ろう」
三人は、グループの皆が待つ体育館へと歩き出した。
途中、担架を持った数人とすれ違った。先の戦闘で犠牲になった人の遺体を運ぶのだろう。
体育館に着くなり、中から大きな声で由美が呼んだ。
「優ちゃん! わ……大丈夫?」
野上が頭から出血しているのを見た由美が慌てて駆け寄った。
「ああ、うん。大丈夫だよ」
ポケットからハンカチを取りだし、野上の額の血を拭う。
「もう……無茶はしないでって言ったじゃない!」
由美が、少し声を震わせながら言った。
経験上、これは由美が怒っていることを示すサインだ。
「ごめんなさい」
野上は間髪を入れずに謝った。それはもう電光石火の如く。
「……本当に分かってるの? 優ちゃんにもしもの事があったら──」
「本当にごめんなさい」
申し訳ない、という表情で野上は謝った。
「……ならば良し」
戦国武将の様な言い方で、由美が許した。笑顔である。
「こういう時は素直に謝った方が良いんだぞ、京介君」
小さな声で野上が京介に言った。
なるほど、と京介が笑いを堪えた。
「なあに? 何か言った?」
「何も言ってません。それより──」
野上は話を逸らした。
「化け物を──退治しました」
まあ凄い、と君江が驚いた。
「三人とも無事で良かった……」
佐々木が大きく息を吐き、笑顔で言った。
「お父さん凄い! 化け物に勝ったの?」
一馬が興奮している。
「ああ。三人で力を合わせたからな」
横田がガッツポーズを見せた。
凄い凄い、横田さんの必殺技は何? と一馬がはしゃぐ。それはねぇ、と横田が笑いながら何やら妙な動きをした。
君江が京介を見た。
「京介、アンタは大丈夫だったの? 野上さん達に迷惑かけなかった?」
京介が野上を見る。
野上は首を振り、
「大丈夫ですよ君江さん。京介君はしっかりしてますから」
な、京介君、と野上が肩を叩く。
京介は一度頷き、
「……うん。大丈夫だよ。俺……死なないから」
と言った。
「当たり前でしょうがバカなんだからこの子は本当に」
君江は少し目を潤ませている。
京介はもう一度、大丈夫だから、と言った。
「しかし、あれだな──」
村田が、真剣な顔でグラウンドの方を見ながら言う。
「横田君の言う通り、ここも安全ではなくなるかも知れないな」
「ここに避難している限り、化け物の襲撃は今後も続くでしょう。でも、これだけ設備が整っていて、しかも多くの人間が過ごせる施設もそうそうないし……何か対策を──」
スピーカーから一度ノイズが流れ、お知らせします、というアナウンスが聴こえた。
「──16時より、グラウンドにて、各グループの代表者にお集まりいただき、ミーティングを行います。各グループの代表者は、16時までに──」
早速、動きがあったようだ。
「また随分急ですね」
横田が一馬とじゃれるのをやめて野上に言った。
「いや、良いと思うよ。何をするのかは分からないけど、とにかく行ってくる」
先程の襲撃を受け、学校側が何か対策を打つのだろう。
だが、グループの代表者に絞ったとは言え、それでも相当な人数だと思う。
ミーティングというよりは、伝達会議の様なものか。
「行ってらっしゃい」
由美の言葉に行ってくるよ、と返し、野上はグラウンドに向かった。
指定された時刻に少し遅れ野上はグラウンドに着いた。グラウンドには既に多くの人が集まっていた。
運動会等で校長が立つ、あの例の台の上に、学校側の人間と思われる者が二人上がっている。
拡声器を持った方の男が、スイッチを入れ話し始めた。
「ええ、皆さん、ご苦労様です。早速ですが本題に入ります」
拡声器の男は、一呼吸置いた。
「先程の──襲撃を受け、今後もまた同じ様な事態は起こり得ると判断し、皆さんと協力してこの局面を乗り切ろうと思います」
協力は構わないが一体どうやって──
皆、そう思ったらしく、一瞬、ざわついた。
「まず──集団生活を送ることプラス、襲撃を想定すると、やはり組織が必要になると思います。とは言っても、今この小学校には子供からお年寄りまで、また健康な方とそうでない方とがたくさんいらっしゃいます」
それはそうだろう。この辺り一帯の住民が避難しているのだから。
「そこで、各グループの代表者の皆さんに提案がございます。今から幾つか、思い付く限り必要だと思う役割を挙げます。その役割分担を、各グループ内で行い、参加を促していただきたいのです」
役割分担、か──
野上を含め、代表者達はその詳細を聴く為、耳を傾けた。
学校側が提案した、役割というのを要約するとこうなる。
機動班……健康な者が望ましい。資材運搬や有事の際、防衛または戦闘に参加。警備班の補助。
警備班……正門、南門並びに小学校の敷地内の見張り、パトロール。
救護班……怪我や体調不良の避難住民の手当て。尚、責任者は学校側の者と、医師免許を有する者が務めるので、資格の無い方でも可。
給食班……備蓄食糧や救援物資の調理、管理。
託児班……幼児、学童の保護。高齢者の介護も兼ねる。
「ええ、以上の5班を考えています。細かい事は各班で、実際に行動してからも色々とあるでしょうからその都度話し合っていただければと思います。勿論、全員参加を強制するものではありませんが、出来るだけ多くの方が参加していただければ、それだけ皆さんの負担も軽減すると思います。各グループの代表者の皆さん、割り振りを宜しくお願いいたします」
壇上の男が拡声器を下ろしたのを合図に、各グループの代表者達は解散した。