第7話【準備】
由美が思い出した様に言う。
「あ、その人って、優ちゃんがさっき言ってた、別行動してるって人?」
野上が頷く。
「ああ、そうだ──この際だからその真島さんの事も含めて、俺の知っている範囲の事を説明しておきます」
職場の工場から、この体育館に到るまでの間にあった出来事を話した。
国道の渋滞、そこで化け物に遭遇した事。
真島に助けられた事、その後、真島の自宅で奥さんが亡くなっていた事……。
勿論、一馬や莉菜に衝撃を与えない様、言葉を選びながら。
「そう、だったんだ……」
一馬の肩を抱き、話を聞いていた由美が下を向いた。
横田は、信じられない、といった表情で野上の方を見ている。
大変だったねぇ、と君江が頷きながら言った。
無関心を装っていた京介も、さすがに化け物の件には真剣に聞き入っていた。
「よく──諦めずに頑張ったな。野上君」
野上の肩を強く掴み、村田が言った。
「いえ、俺は何も……今、こうして居られるのも、真島さんのおかげなんです」
佐々木も頷いた。
「奥さんを亡くされて、自棄になっている様に見えました。真島さん、この小学校に来てると良いんですけど……」
相変わらず、この体育館の中には真島の姿は見えない。
もし来ていたとしても、校舎或いは第二校舎の方へ行っていたら、探すのは困難である。
「私、校舎の方を探して来ましょうか?」
当然ながら、真島の顔は野上と佐々木しか知らない。
「あ、ちょっと待ちなさい佐々木さん。まだ決める事があるわよ」
君江が佐々木を呼び止め、野上達の方を向く。
「グループが決まったら、確か代表者を決めないといけないんじゃなかった?」
確かにそうだった。野上は、グループを見渡す。
ここは、最年長の村田にお願いする──
「俺は、野上君が適していると思うが──どうかな」
「な……ええ?」
村田に先手を打たれて驚いた、と言うより、自分の名前が挙がった事に野上は驚いている。
何の取り柄も無い、と普段から自分で思っていたのだ。
「そうねぇ。野上さんが一番しっかりしてそうだわ」
君江が続いた。
「俺も賛成です」
横田が手を挙げて言った。
佐々木も手を挙げ、私も賛成です、と笑顔で言った。
「じゃあ優ちゃんで決まり、って事で皆さん、野上優也を宜しくお願いします」
由美が頭を下げた。
何だか選挙活動みたいだ。
「……あの、俺なんかで良ければ……宜しくお願いします」
お願いね優ちゃん、と何故か君江に言われた。
馴れ馴れしくてすまん、と村田が笑いながら謝った。
「ホラ優ちゃん、早速お仕事お仕事。代表の方はステージに行って何か記入するんだったよね」
由美に言われ、野上は立ち上がりステージに向かおうとした。
「あ、じゃあ野上さん、私、校舎の方を探して来ます」
佐々木も立ち上がり、一馬と由美に向かって、
「一馬君、莉菜をお願いしても良いかな? 由美さん、すいませんけど……」
うん、と一馬が──大丈夫よ気をつけて下さいね、と由美が快く応じた。
「ありがとうございます。じゃあまた後で」
佐々木が体育館の出入口の方へと向かったのを見てから、野上もステージへと進んだ。
ステージ上には、既に何人か上がっていた。
学校側の職員から、紙を見ながら各自説明を受けている。
野上も、空いているテーブルの前に立った。
「すみません、代表者ですけど……」
ああ、ご苦労様です、と言い、野上に紙と鉛筆を手渡した。
紙には記入する欄がいくつかある。
住所、氏名、年令、職業。
「あの、すみません。まだこの項目全てを把握してないんですけど……」
「それじゃ、戻って書いてもらって構いませんので」
職員は既に別の人の対応をしている。
「それに、何故、職業まで書かなきゃいけないんです?」
「ああ、今後の集団生活において、何か専門的な知識が必要になった場合の為に、だそうです。よく分かりませんけど」
こちらを見ずに職員が答えた。同じような質問をされてばかりいるのだろう。
取り敢えず、野上は紙を持ってグループの所へ戻ろうとした。
その前に、ステージ上を見渡す。
一人で数枚、紙を持ち帰る者、記入する項目について職員に噛みついている者、明らかにまだ高校生ぐらいの者……
──これだけの人間が集まれば、色んなタイプが居るのは当然か──
そんな事を思いながら、野上はステージを降りグループの待つ場所に戻って来た。
「皆さん、この紙に必要事項を記入しなきゃいけないんですけど。自筆してもらった方が早いかな」
「どれどれ……あら職業まで書くの? 個人情報保護もへったくれも無いわねぇ」
君江が笑いながら言った。ついでに私、年令の方が書きたくないけどね、と付け加えた。
「そんなの誰も気にしてないから、さっさと書け君江」
村田が呆れたように言いはなった。
はいはい、と君江が書こうとしたので野上は鉛筆を渡した。
「……はい、私とじい様と京介の分は書いたからね」
続いて横田が記入した。
職業はプロパンガス会社勤務となっていた。
「ほう。ガス屋さんか」
村田が横田に訊ねた。
「はい、と言っても、地元の小さな店なんで、一通り自分でやってますけどね」
「一通り、と言うと?」
「あ、集金から配送、修理や配管工事なんかも、です」
若いのに凄いな横田君、と村田が感心した。
「でも横田さん。さっき校長先生が言ってたじゃない? 自衛隊がガスの設備を守ってる、とか何とか」
由美が横田に質問をした。
「ああ、あれはたぶん都市ガスの方だと思いますよ。あれは地下のガス管を通してるから配送の手間が少ない筈です」
成る程ね、と君江が納得した。
「はい、私と一馬のも書いた。あとは優ちゃんと佐々木さんかな」
由美に手渡され、野上も記入した。
佐々木は今、校舎に行っているので野上が代筆する。
「莉菜ちゃん、お母さんのお名前教えてくれるかな」
莉菜が、佐々木みかです、と答えた。
漢字が判らないので、カタカナで記入した。
「あ、そうだ。佐々木さんの旦那さんの分も記入しておこう」
昨夜から連絡が取れないらしい、と説明した。
その後に、真島、とだけ記入した。
「よし、全部で11人、だね」
野上が記入漏れが無いか確認し、再度ステージへと向かった。
先程の職員に手渡すと、はいご苦労様です、とだけ言われた。
野上はまたグループの所へ戻って来た。
由美の隣に腰をおろす。
「さて、提出終わったし、もう何もないかな」
そうね、と由美が答えた。
「あの、野上さん」
低めの、若い男性の声。
中山京介だった。
「さっきの話、だけど。化け物の」
やはり、そこが気になるのか。
「今のうちに、対策と言うか、何か考えておいた方がよくないですか」
対策?
「ううん、対策と言っても、俺達が出くわしたのは一人……一体か? だけだからなぁ」
それでも貴重です、と横田が言った。
「俺なんかまだ見てもいないんですから。遭遇して、しかもそれを殺す──」
横田がそこで言葉を止め、一馬達を見た。
「──退治した、なんて凄いですよ」
表現を変えて言い直した。
「野上君。その化け物の特徴みたいなものはあるのか? 弱点とか」
村田に問われ、野上はううん、と唸った。
「全部が全部、同じような姿形をしてるか分かりませんからね。ただ言えるのは……人間が、何か得体の知れない生物に寄生されて化け物になっている可能性がある」
「そんな事が……あるのか?」
村田が驚く。
野上が頷く。
「背中の肩甲骨の辺りから、小さな、見た事も無い生物が出て来たんです。そして凄い速さで逃げて行った」
野上が続ける。
「俺達が出くわした化け物は、右半身、特に右腕が変化していました。皮膚は岩の様に固く、巨大でした」
横田が、本当に化け物だ、と呟いた。
「ですが、それ以外の部分は、人間とほぼ変わりない様に思えます」
ふむ、と村田が腕を組みながら言った。
「だからもし、万が一……そんな事にはなって欲しくないけど、この先、化け物と戦う様な事があったら、人間の部分を攻撃した方が良いですね」
成る程、と村田が納得した。
「攻撃──って言っても、ここには武器がない」
京介が冷静に言う。
勿論、この平和な国で武器なんか簡単に手に入るものではない。
だが、武器になりそうな物なら──
──そうだ。
「横田さん、ここへは車で?」
「いえ、歩きですよ。俺、この小学校の近くのアパートに住んでるんで」
「仕事で使う車は、やっぱり会社に停めてますか?」
横田は野上の質問の意図が読めず、判らないなりに正直に答える。
「いや、普段はそうなんですが、昨日はこの近くで配管工事があったんで、仕事の車で帰って来ちゃいました」
「工具や、配管──鉄パイプなんかも積みっぱなし?」
「ええ、まあ……あ」
横田が、野上の考えを理解した。
「ありましたね。武器になりそうな物が」
野上が頷く。
「俺のアパート、本当に近くて、走れば1分もかからないです。ひとっ走り、行って来ましょうか?」
横田が立ち上がった。それを見て野上も腰を上げ、
「俺も行くよ。使えそうな物はありったけ持って来よう」
俺も行こうか、と言う村田に、大丈夫です村田さんはここをお願いします、と伝えた。
「じゃあ、ちょっと行って来ます。すぐに戻りますから」
野上と横田は、体育館の出入口へと向かった。
出て行った二人を見送った君江が、
「よく動くわね、感心感心。野上さんは特に、疲れてるんじゃないのかねぇ」
そうか優ちゃん夜勤明けだった、と由美が慌てた。
「まあ、動いていた方が楽な時もあるさ。大丈夫だよ、ええと、由美さんか」
村田にフォローされ、由美がすみません、と頭を下げた。
由美さんが謝ることじゃないさ、と村田が笑った。
「しかし、本当にそんな化け物が居るとなると……果たしてここも安全なのかな」
村田が辺りをゆっくりと見回し、呟いた。
心配性なんだからじい様は、と君江が笑った。
「いざとなりゃ、私がぶっ飛ばしてやりますよほほほほ!」
お前もある意味化け物だがな、と村田が笑った。
「ちょっと! それどういう意味よ! まったくもう」
場が一気に和んだ。
「じゃあその時は君江さん、お願いしますね」
任せて、と君江が力瘤を作る仕草をした。
由美がふ、と体育館の壁に設置された時計を見た。
もうじき13時になる。
「お母さんお腹空いたぁ」
隣に居る一馬が腹を擦りながら言う。
そう言えばまだ昼食を摂っていない。
「お腹空いたね。お昼はどうなるのかな」
出入口の方が騒がしくなった。
学校職員と一般市民と思われる大勢の人達が、大きな箱や容器を運んでいた。
「皆さん、遅くなりましたが昼食の用意が出来ました! あまり多くは有りませんのでそれぞれ最低限の量でお願いします!」
「一馬、莉菜ちゃん、お昼だって! 行こう」
由美は一馬と莉菜の手を取り、立ち上がった。
「あら、じゃあ私も行くわ。京介も手伝って」
京介も無言で立ち上がる。
「ありがとな、京介」
村田の礼に、京介はやはり無言で頷いた。照れ臭いのだろう。
一足先に、由美達が列に並ぶ。
用意された昼食は、おにぎりと──豚汁の様だった。
「あ、優ちゃんと横田さんと佐々木さんの分も貰っておかなきゃ」
一度に全部は無理かな、などと考えていると、後ろに君江と京介が並んだ。
「どうしたの由美ちゃん。え? あら、だったらウチの京介に持たせてやって。大丈夫よ、こう見えて結構男らしいから」
勝手に決めるな、と京介が呆れた。
「ありがとう、京介君」
由美の礼にも、無言で手を挙げるだけだった。照れている様だ。
「このコもねぇ、もうちょっと明るければモテると思うんだけどねぇ……あら、佐々木さん! こっちこっち!」
出入口の混雑ぶりに驚きながら、佐々木が戻って来た。
「莉菜、あ、皆さん、並んでどうしたんです──ああ、昼食ですか。私も運びます」
「居なかった、みたいね。その、真島さんって方」
列に加わった佐々木に、由美が尋ねると佐々木が頷いた。
「それが……校舎と第二校舎も物凄く人が多くて。探しきれなかったっていうのもあるんですけど……」
自分達の順番が回って来たので、分担して人数分の昼食を受け取った。
食べ終わったら容器はまたこちらにお願いします、と職員に言われた。
由美達は、村田の待つグループの陣地に戻った。
貰って来た昼食を中心に、皆でそれを囲む。
「ええと、野上さんと横田さんがまだ戻ってないけど……頂いちゃいましょうかね。ね?」
君江が皆に食べるよう促す。
由美と佐々木が、一馬と莉菜に、食べちゃおっか、と笑顔で言う。
「あ、そう言えば、校舎の方でも、校内放送でグループの説明をしてました」
佐々木が、莉菜の口元に付いたご飯粒を取りながら言った。
「そっか……じゃあ、その真島さんも、もしかしたら向こうでグループに入ってるかもね」
そうだと良いんですけど、と佐々木が呟いた時、
「あ、野上君と横田君が戻って来たぞ」
体育館の出入口に、大きな包みを抱えた野上と、工具箱を持った横田が入って来た。