第22話【提案】
大変長らくお待たせ致しました。
前回更新からとてつもなく時間が経っておりますが、お暇な時にでも読んで頂ければ幸いです。
微かな照明の下、柔らかな甘い香りが野上を包む。
それが、佐々木の髪の匂いだということに気付くまで少し時間が掛かった。
その優しい温もりがあまりに心地よく、野上は何も考えられなく──なりそうになるのを必死に堪えた。
「あの、佐々木さ──」
首に回されていた腕に一度グッと力が入り、すぐにフワリと緩む。佐々木がゆっくりと野上から離れた。
「ええと······ごめんなさい野上さん。なんというか、その、つい──」
佐々木は野上から顔を逸らす。
野上も一度後ろを向き、涙を拭う。
振り向いてから、野上は努めて明るく言った。
「いや、うん。その、ありがとう。ありがとうって言うのも何か変だな──でも、うん。おかげで──落ち着いたよ」
佐々木は頭を下げ、本当にごめんなさい、と謝った。
「でも、本当に、私達今日一日で色々な事があって──ううん、ありすぎて······しかも野上さんは私なんかよりも大変な役割で」
私達が押し付けてしまった感じですけど、と佐々木が申し訳なさそうに付け足した。
「なのに野上さんは一生懸命で······見ていてその、心配になって。野上さん──倒れてしまうんじゃないかって」
佐々木が真っ直ぐに野上を見つめる。
「野上さんに頼りきってる私が言うのも矛盾してるかもしれないけど······辛い時は辛い、って言って下さい」
勿論私にじゃなくても、と佐々木が笑う。
「一人じゃないんです。由美さんだって、横田さんだって······だから、一人で全部、背負わなくて良いんです」
佐々木は笑顔で頷いた。
──佐々木さん······
野上は一度、大きく深呼吸をした。夜空を見上げ──再び佐々木に向き直る。
「ありがとう。今後はそう──させてもらうよ」
はい! と佐々木が優しい笑顔を浮かべて頷いた。
俺達も行こう、と佐々木を促し、警備班員や乾達が待つ校長室のある第二校舎の入口へ向かおうとした野上が、ふと立ち止まり──振り向いた。
──気のせい、か⋅⋅⋅⋅⋅⋅?
体育館の出入口。体育館内は保安灯らしき薄暗い照明に抑えられている。
その体育館の出入口を、今も何人か往き来している。別段、それはおかしくはない。
──気のせいだな。
「どうか──しました?」
佐々木に問われ、ああ、いや──と野上が手を挙げる。
「何でもない。さあ──行こう」
気持ちを切り替えるべく、野上は静かに──力強く言って第二校舎に向け歩き出した。
歩きながら野上が佐々木に向け話し掛ける。
「村田さん、口ではああ言っていたけど、たぶん──化け物になる前に死ぬつもりだと思う」
先程、村田は野上達に、警備班員達と千恵子という女性を連れて車でこの小学校から出て、出来るだけ遠くへ行く、と語った。六人全員、寄生生物に寄生された可能性のある──寄生されていると言い切っても過言ではない──者達だ。
だが、その六人をそのままこの小学校から出してしまうと、マンイーターと化した村田達が再びこの小学校に戻って来るのではないか──そんな野上の懸念を払拭するかのような言葉を、村田が呟いていた。
それが──
「俺達が戻ってくるような事はない」
だった。
マンイーターと化した後、自分の意思で行動出来るとは思えない。それなのに、戻ってくるような事はないと言い切るという事はやはり⋅⋅⋅⋅⋅⋅
「そうです、よね。たぶんそう、だと思います」
佐々木が自分の中で思い返し、確認するようにしながら答えた。
野上は一度上を向き、俺は──と言い、再び前を向いて歩く。
「俺はそれに気付いていながら──村田さんの申し出を受け入れた」
己を責めているのであろう野上の発言を聞き、佐々木が応える。
「私も色々考えてみたんですけど、やっぱりそうしてもらう事が私達にとっても一番──」
佐々木は少し躊躇ってから、一番良いと思います、と結んだ。
今、野上や佐々木が考えている事は必ずしも褒められたものではない。
自分達からは犠牲を出さず、村田達自らの死を以て解決する。
他に方法が思い浮かばないというのもまた事実なのだが。
──俺が、村田さん達が出て行くという意見に賛成したとして⋅⋅⋅⋅⋅⋅問題は──
小学校を守る立場としてその場に臨んでいる──乾はどう出るか。
──恐らくは反対するだろうが⋅⋅⋅⋅⋅⋅
皆の前では乾に説明出来ない。
村田は自分の考えは口に出さずに皆の意見──小学校を出る──に賛同する筈だ。村田が、死ぬつもりだなどと言おうものなら警備班員達はおろか関係者達まで反対するか騒ぎになり、収拾がつかなくなる──
野上はそこまで考えて──立ち止まった。
「どう、しました?」
佐々木も歩みを止め、野上を窺う。
「いや、我ながら、嫌な方向に考えを張り巡らせているな──って」
野上は溜め息を吐き、先程考えていた事を佐々木に伝えた。
「そんな風に思う必要はないと思いますよ野上さん。だって──」
佐々木が小さく首を振って否定し、
「村田さんの意見を尊重する事を第一として、事が上手く運ぶ様に考えているだけ──なんですから」
薄情な女だと思われるかも知れませんが、と佐々木が一度俯き、でも──と続ける。
「大事な人を──大切な人達を守る為です」
佐々木がそう──はっきりと言い切った。
野上は息を飲んだ。
──そう、か。俺も肚を括らなきゃな。
佐々木でさえ、覚悟を決めている。自分の娘の事はもちろん、グループの者達の安全を考えての発言だろう。
グループの皆、ひいてはこの小学校に避難している人達を守る立場である野上は、自分の感情だけでは動けなくなってきている。
──でも⋅⋅⋅⋅⋅⋅
野上の中心にある思いは、
最愛の者達を守りたい。
その為には······
──そうするしかないんだ。
「そうだ。それしか──ないんだ」
上手くいくかは分からない。
だが、乾が納得し、村田達がこの小学校を出る──何とかしてこの形へ持っていかなければならない。
──乾さんの出方を見て、だな。
後は成り行きを見守りつつ、よく考えて発言する──しかない。
野上は自分なりに感情と思考を整理し、冷静さを取り戻す事に努めた。
──よし。
行こう、と野上は再び歩き出した。佐々木も続く。第二校舎に入り、校長室を目指す。
近付くにつれ、校長室から怒鳴る様な声が聞こえてくる。
野上はドアに手を掛け、一度深呼吸をしてから佐々木に向けて頷き、ドアを開けた。
校長室内へ入りながら、野上は状況を確認した。
入ってすぐの位置には先程と変わらず乾が室内に居る者達と向かい合って立って居る。
中央のソファに座る原昇三は凄い剣幕で喚いていた。左側のソファの斉藤、鹿島、田中がそれに同調する。
右側に座る村田と小林千恵子が静かにそのやり取りを見守っていた。
ソファに座る警備班員の後ろに立つ関係者達もそれぞれが口々に乾や警備班班長の後藤に発言している。
──予想はしていたがやっぱり冷静に話し合いなんて無理か⋅⋅⋅⋅⋅⋅
呆気にとられている野上に乾が気付いた。
「──ああ、野上さん。戻りましたか」
遅くなりました、と野上は頭を下げた。どうでしたか、という乾の問いに対し、
「俺は──村田さんの意見を尊重しようと思うんですけど⋅⋅⋅⋅⋅⋅村田さんはまだ──発言していない、ようですね」
ええ、まだですと乾が頷く。
「野上君が戻るまで待つよ、とだけ」
乾のその言葉を聞いて、野上は村田に視線を移す。丁度、村田と目が合った。
村田は、誰も気付かないぐらい小さく頷き、じゃあちょっと良いかなと発言する姿勢をとった。
「おう辰。いい加減お前も自分の意見を言え。さっきからずっと黙って──」
「言うから少し黙ってろ昇三。俺もな──お前の意見に賛成だ」
六人全員で小学校を出よう、と村田が言った。
昇三が一度おお、と驚いた様な嬉しそうな声をあげ、
「それでこそ辰! そうだよな。お前もこのまま、ここで殺されンのを待つ訳には──」
「馬鹿。俺はここを出るっていうお前の意見には賛成するが、理由はお前みたいに短絡的じゃあない」
チッと昇三は舌打ちをし、一言余計なんだよと不機嫌そうに言った。
「ああ、悪かったな昇三。で──理由としてはだな。俺も詳しい事は聞いちゃあいないが──乾さん」
はい、と乾が応える。
「さっきの保健室の一件、つまりはその、なんだ、マンイーター、か? 一人相手に機動班の人間が相当数動いたんじゃないかな」
まあ、確かに、と乾が頷く。こちらの野上さんを含めて六、七人は居たと思います、と付け足した。
それを聞き、だろうね、と村田が納得し、
「一人相手にその人数だ。俺達六人を一遍に、まあ、どこかに閉じ込めて縛り付けて監視したとしてもかなりの人間が動くだろう。ましてや──」
そこで村田は一度周囲を気にした。
「ましてや六人が化け物になったら──ひとたまりもないぞ。それこそ監視する機動班はおろか──」
村田は大きな身振りで周囲を見渡し、大惨事になるぞ、と言った。
警備班員達を見守る関係者達は一瞬、息を飲んだ。
だからさ、と村田が続ける。
「だから俺達はここを出る、というのが俺が賛同した理由だ。お前もこれぐらいの理由を言っといた方が格好がつくぞ昇三」
う、うるせい馬鹿辰、と昇三は膝を叩き、
「お俺もちょっとはそう思ってたんだよ! いや、実はそう思ってたんだよ!」
なぁみんな、と昇三は他の警備班員達に振った。
急に振られた三人はお互いの顔を見合わせる。
千恵子はその様子を見ながら、口に手を添え笑いを堪えていた。
野上は一部始終を見守り──乾を見た。
乾は一度目を瞑り、分かりましたと言い、
「村田さんも皆さんの意見に賛成、ですね。そちらの──小林千恵子さんも──」
ええ、賛成です、と千恵子が頷く。
そうですか、と乾はゆっくり頷き、暫し黙考した。
乾は腕を組み、
「皆さんのお考えは分かりました。ですが──」
──やはり⋅⋅⋅⋅⋅⋅
乾も、マンイーターと化した村田達が戻って来る可能性に気付いたのであろうと思った野上が先手を打とうと乾に声を掛けようとした時──乾が野上の方へ振り返った。
「野上さんは村田さんのご意見を聞いていますよね」
乾の問いに野上は頷いた。
少し険しい表情になった乾が野上に近付き、小さな声で話す。
「この状況ではあまり言いたくないんだけど、万が一村田さん達が──」
「いや、その事なんですが⋅⋅⋅⋅⋅⋅」
乾が言い終える前に野上が遮る。
遮ったは良いが──
「乾さん、ちょっと良いかな」
呼び掛けられ、乾と野上が同時にそちらを見ると、村田が手を挙げていた。
はい、と乾が村田に促す。
村田は鼻の頭を数回擦りながら、
「俺から一つ提案、って程のモンじゃあないけどな。何と言うかまぁ、提案だ」
結局提案じゃねぇか、と昇三が突っ込む。
「お前に突っ込まれるとは世も末だな。まぁそんな事はどうでも良いよ。あのさ乾さん。俺の家はこの小学校の近くでね」
歩いて5分ぐらいの所だ、と村田は自宅のある方角を指差しながら言う。
「実際、ここまでは歩いて来た。車を使う距離じゃないしな。で──そう、家には車がある。六人は乗れる、大きめのが」
おお、あの無駄にデカイやつな、と昇三が思い出した様に言う。
「無駄じゃあねぇよ。その、デカイ車で、出来るだけ遠くに行こうと思う」
お父さん、と──君江が、何かに気付いた様に、
「お父さん、まさか──」
手で口を覆う君江に向かい、待て君江、と村田が宥めた。
「何も俺は自棄になってる訳じゃない。俺だってまだ──希望を捨てちゃあいない」
君江は既に、声を噛み殺して──泣いている。
村田はそんな君江を見て、笑顔を見せて頷いた。
「とりあえず遠くへ行くけどな。必ずしも俺達全員があんな化け物になると決まった訳じゃないだろ? もしかしたら全員何ともなかった、なんて事もあるかもしれない」
その可能性だってあるわなぁ、と昇三が頷きながら言う。
「その通りだ昇三。だからさ、歩いては戻って来れないぐらい遠い所まで車で行って、しばらくは様子を見て、で──何ともなけりゃ車で帰って来る、と」
そうだなそれが良い、と村田は自らが申し出た提案に自分で納得するかの様に頷いた。
「そんな感じだ。どうかな、乾さん」
村田が乾に問う。
問われた乾は、再び腕を組んで考え始めた。
その様子を、野上は見守っていた。
──村田さん⋅⋅⋅⋅⋅⋅
野上から見た村田は、決して落胆している風ではなく、普段通り──むしろ前向きに見える。
──前向きな意見を言う事で、この場に居る人達を安心させるつもりなのか、あるいは──
村田自身が本当に希望を見出したのか。
確かに村田達は寄生生物に寄生された可能性はあるものの、絶対にではない。決して楽観できる状況ではないが。
希望、か──と村田が少し照れ臭そうに言う。
「希望なんて言葉を使ったのはいつ以来かな」
俺ぁ今でも、いつも使ってるぞ、と昇三が胸を張って主張する。
「お前のは希望というか単なるワガママだ馬鹿。それに今言ってる希望はお前が普段使ってるのとは訳が違うんだよ」
し、知ってるわ、と昇三が怒る。
それは悪かったなという村田の謝罪にはまるで心がこもっていない。
謝る気ィねえだろと言う昇三を村田は無視して──野上に目配せをして頷いた。
──この流れなら──
村田の提案は、乾にとっても悪くない筈だ。
このまま村田達が小学校に留まった場合に起こり得る危険はひとまず無くなる。
村田の前向きな意見により、幾らかの希望を抱いて出て行くという格好になるのだから警備班の関係者からの反発も少ないだろう。
野上は、乾の反応、そしてこの校長室の中に居る面々を注意深く見守った。
やがて、挙手をして口を開いたのは──君江だった。
「あの──もしお父さん──いえ、こちらの皆さんが帰って来たら──」
君江が数回、小さく頷く。
「乾さん、小学校は受け入れてくれますか。ううん、受け入れてくれると約束してくれませんか?」
──君江さん⋅⋅⋅⋅⋅⋅
君江、いや、ここに居る警備班員の関係者にとってこの意見は当たり前だと野上は思う。
もしこの先、ある程度の時間が経過した後この中の誰かが──或いは全員──この小学校に帰って来たとして、危険だ何だと受け入れを拒否されてしまったら、関係者からの抗議は相当なものだろう。
だが、警備班員が戻って来て、何ともないから中に入れろ、はい、分かりましたとはならないだろうとも野上は思う。現状、何時間経過してマンイーターにならなければもう大丈夫だと言う根拠は何もない。
──今、この場で判断するのは難しいんじゃ⋅⋅⋅⋅⋅⋅
「分かりました。約束します」
乾が──力強く即答した。
───乾さん······?
野上は、乾のその早い決断と、力強い返答に一瞬戸惑った。そのまま村田の表情を伺うと、村田もまた、少し驚いた様子だった。
──ただ単に、この場を丸く収めるには変に条件等付けずに許容してしまうのが得策だと判断した、のか······? 或いは──
否──と、野上は、もう一つ頭に浮かんだ考えを強く否定した。
もう一つの考え。それは──
不意に、乾が野上の方に振り返る。必然的に、野上以外の人間に背を向ける形になる。乾の表情は、険しかった。
「異論は──ありませんね?」
野上は何故か、返答を躊躇った。
野上にとって、この流れは先程まで自分が望んでいたものだ。勿論、野上なりに苦悩して辿り着いた結論ではあるが──異論など無い。況して反対するつもりも無い。
躊躇う理由はない、筈──
だが、何かが引っ掛かる。
──そう、か。引っ掛かりがあるとすれば······
──村田さん達が出て行くことを、乾さんも望んでいた。
──······。
だが、それは野上の考えと同じである。説得する必要もなかったので、野上はむしろ助かった。
──違う。俺が気になったのは──
野上は思い返す。
乾が野上に振り返り、
異論はないかと問う直前、
乾は険しい表情をしていたが、
ほんの一瞬。
乾の口元は──
歪んでいた。
まるで、笑っているかの様に。
お付き合い頂き、ありがとうございます。
長々と書いた割には、あんまり話が進んでません(笑)いつものことですが(笑)
次回投稿も、果たしていつになるかさっぱり分かりませんが、お待ち頂ければ幸いです。




