後日談:僥倖
ある男が、三つの穴を前にして、民衆を集わせた。
「見よ、これが穴を穿つ者の末路だ。」
彼は、三つの内の二つの穴を覗かせる。一方の穴の底には、淡色の水晶に横たわる、恍惚の表情を浮かべた男がいた。彼は、見下ろしている観衆に気付くと、両手いっぱいに石英水晶を抱えて、ダイヤモンドの美しい輝きを説いた。観衆は無知な彼を憐れんだ。もう一方の穴には、腐り果てた死骸が横たわっている。穴が深いので、小粒ほどの大きさにしか見えないが、その平べったい横顔の輪郭が、辛うじて元は人間であったことを仄めかしている。観衆は恐れ慄いた。
今一度、男は観衆を己の前に集め、一人の老人を紹介した。彼は痩せこけていて、不健康な顔立ちだった。男が促し、老人は、先程示された穴とは違う、もう一つの穴を指差した。
観衆はその穴を覗き込み、驚愕した。太陽が天頂から見下ろす刻帯であるにも関わらず、輝かしい陽光は穴の底を照らさず、ただ深淵の暗闇をぼうっと浮かび上がらせていた。
どよめく観衆に、男は、二回高らかに手を叩いて注目を促した。
観衆は静まり返る。男は告げた。
「〈真の底〉を我々が知る事は不可能だ。もしどうしても知りたくば、その穴を跳び降りよ」
観客は訝しげな表情で固唾を飲んでいる。男は続けた。
「君たちが毎日やっている事は無駄だ。その末路は、紹介した三人の男の何れかでしかない」
この極めて説得性のある彼の言葉に、観衆等は悉く打ちのめされた様である。
以後、人々は穴を穿つ事を止め、二度と地上よりも下位の地面に足を着けるのを止めた。
誰もが、〈真の底〉などという幻想を捨て去ったのである。彼等は、実に合理的な生活を営むようになった。
彼等の長として君臨している男は、かつて援用した三人の男を思い返しながら独り言つ。
「地上にある人間ほど御しやすいものは無い。」
かくして、人々はまた一つ、調和の心得を獲得したのだ。
(*´_`)。o (読んでいただき、ありがとうございました。これにて完結です)