三人目の男
男は穴を掘っていた。
彼は稀代の聡明であり、その掘り捌きは非凡に尽きるものである。起床から就寝に至るまで、彼は〈真の底〉を望み、片時も他を志向することせず、熟練の手付きで土を掻き分けている。
いつしか穴は深く穿たれ、綱を垂らしてさえ、昇降は酷い労苦を課した。
しかし、彼は聡明。試行錯誤で、穴を素早く昇降する術を得、掘削は勢いを取り戻す。
穴を掘り下げる度、底の様態は変遷した。ある層では赤土が堆積し、ある層では大粒の水晶が敷かれていた。またガラスの層が出土することも有った。しかし、彼は何の躊躇いもなく掘り下げた。――掘り下げる余地があったのだ、それは決して〈真の底〉ではない。
穴はいっそう深くなった。再び、その深度は彼に昇降の労苦を課した。そして、彼は、新たなアイディアでその窮地を脱す。
このような事が繰り返された。掘っては苦しみ、苦しんでは解決し、解決しては掘る。その円環的な行為は、彼に更なる深堀の恩恵を与えた。――並々では無い、恩恵だった。
もはや底に光は届かず、ランプ片手に狭い視野を掘り起こす必要に迫られた。しかし、男は喜ぶ。こうして土の掘り難くあることが、着々と〈真の底〉へ近づいている証拠だと捉えたのだ。地底だから横たえる土はとても固かったが、彼の精悍な手捌きは、決して衰える事が無かった。
時は流れた。
穴は以前より何倍も深くなっていた。
しかし、まだ男は〈真の底〉に到達していなかった。
底が深くなればなるほど昇降は過酷なものになり、その度に彼は解決策を投じてきたが、最早万策尽きつつあった。
『果たして〈真の底〉は本当にあるのか?』と、疑問が脳裏を過ったが、これまでの労苦が否定されるのを恐れ、男はその考えを捨てた。
あるに違いない。あるに違いないのだが――。
〈真の底〉は、人間の技術では届かない遥か地底に横たわっているようである。
もしかしたら〈真の底〉は、自分が生涯、刳り抜く穴の何十倍もの深さにあるのかもしれない。
もうだいぶ年老いてしまった彼は、ある朝地上から見下ろした穴――果てしない空洞を開ける、底の真暗な穴を前にして、咽び泣いた。
『何だったのだ、私の人生は』
余命いくばくもない老躯の男は、最後に穴へ痰を吐き捨てたきり、決して地の底へ降りる事はしなかった。
毎日を地上の家で暮らし、澄み切った空気を呼吸した。
昼の太陽は温かかった。
(*´_`)。o (読んでいただき、ありがとうございます。次話に続きます)