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海にて

 朱に染まりつつある暮れの空。

 境界を端から端まで切り裂く地平線。

 反射した夕陽の上半身が、うららかな波間にたゆたう。

 僕と幼馴染みは、数分前まで手作り城塞を象っていた極小の砂丘を間に挟み、体育座りで一切を包括して眺めていた。

 ナイロンやポリエステル等の化学繊維によって構成された薄布を、互いに半乾きのまま装い、それが十代の麗しい肌色によく映える。

 ある葉月の夕暮れ時、海水浴の余韻に僕らは浸っていた。益体も無く言ってしまえば、無意味にぼうっとしている。

 端から鑑みれば実に生産性に欠ける行為だが、敢えて僕らはこういった行為に自ずと身を任す。なぜなら青春だから。この一言で大抵の若気の至りは説明出来てしまうのだ。

「海を見てるとさ、こう、何か私たちも、こいつと張り合えるだけのでっかいことをやってみたくなるよね」

 隣の幸子(さちこ)が、模糊とした妄言を吐く。

「いや、全然。地球の七割を覆う面積と競えるほどビッグなことは、いち人間、いち命でしかない僕らには荷が重いだろ」

「なにしゃらくせえこと言ってんの実里(みのり)君、雄はでっかくどっしり生きなきゃだめだよ。海なぞ一飲みで砂漠にしてやるぜウヒァア、ぐらいワイルドな台詞も口走れないの?」

「それがお前のワイルドなら、僕はしゃらくさくて結構」

「相変わらずマイルドだなあ。当たり障りのないことばかり言ってからに。もっと弾けたユーモアを迸らせないと、いつまでも友達出来ないよ。君みたいな地味なやつに、今時の若者は惹かれないよ」

「え? 僕がお前との間に垣間見ていたものは一体……」

「残念ながら、愛だよ。私たちが垣間見ていたものは愛なんだよ、実里君。肉欲の果てに友情は介在しないの。ごめんね」

「いつ僕らが肉欲に果てたと言うのか」

「いや、一言一句交わすたびに私は果てているけど」

「どこに……そしてなぜ」

 幸子の台詞は余すことなく珍妙で、何が言いたいのかどうしたいのか、いつだって判然としない。けれど僕は、そんな茫洋とした応酬が心地好くて、だから幼馴染みというこの腐れ縁は、あながち悪くない。

「で、そういうお前は、どうでっかいことをしてみたいんだ。人に言うならまず己からワイルドにキメてみろ」

「私かあ。そうだなあ。……優しい人間になりたいなあ」

「これまた、随分マイルドに出たな。つまらん」

 もっとはちゃめちゃな回答を期待したのだけど。拍子抜けだ。

「いいや、実里君が思っているよりでっかいことだよ」

「やさしさ?」

「うん。私の目指す優しい人間はね、目指すだけで矛盾が生じるものなんだ」

「はあ。つまり?」

「あのね、人が人を助ける時、必要なものってなんだと思う?」

 どうとも答えられる質問は、逆にどう答えていいのか迷ってしまうから、僕のような優柔な人間にはあまりそういうことを聞かないでほしいのだけど。しかし幸子のふわふわ問答は今に始まったことでもなし、僕はいつものように頭蓋内のシナプスを巡らす。

「お金」

「あらら、実里君らしい」

「でも、そうだろ。物理的に考えれば、それが利口じゃないのか」

「そうだね。お金があれば、あるだけ多くの人を救うことも出来るだろうね」

 幸子は鷹揚に海面の向こうを眺めながら、続ける。

「より多くの人の幸福が大事なら、お金をたくさん稼ぐことが手っ取り早いよ。個人に対する感情は無視して、自分に対する感情も無視して、ただ機械のように、富を集めるの。で、どうすれば大多数の幸福状態を長く深く維持するかに尽力する」

「ベンサムの功利論か。最大多数の最大幸福ってやつ」

「うん。本当に多くの人を助けたいなら、感情はあってもなくてもいいんだ。むしろ、極力排さなければいけない。大を生かすために小を犠牲にする際、いちいち傷心してはいられない。それに、助けられる側の人間にとっては、助ける側がどう思っていようが、大抵は瑣末な問題なの。パトロンが自分に対して一切の関心を抱いていないからといって、与えられた救済に感謝しないのはおかしいじゃない。だからね、私が思う、人が人を助ける時に必要なものは、余裕、だよ。実里君のいうお金と、あまり変わらないかな。いくら誰かを助けたくても、どれだけ愛に満ち溢れていても、相手に分け与えるだけの余裕がなければどうにもならないし、そもそも、余裕のない人間にはなかなか人を救いたい情動はわき起こらない」

「確かに日本は優しい国ではあるな。過半数が、富と暇を持て余しているのだから。自分の持っているものの大きさと質に無自覚なやつも結構いるが。……しかし、まず感情がなければ、人を助けようなんて思わないだろ。でなければ、莫大な富を、逆に不幸のために注ぐことだってあるんだから」

「そこかな、問題は。実利だけ見れば、救世主に心はいらないけれど、感情のない人間はいないもんね。初動が感情に端を発していない人間は有り得ない」

「でもあれだ。感情はあっても、極力感情に左右されない選択を選べる人間は、いるんじゃないか」

「うん。だから、救世主はそういう人がやればいいと思う。感情に左右されちゃうと、どうしても客観性が失われていくから。個人の価値観に寄った選択は、功利主義にはそぐわない」

「で、結局、お前の話は、どう最初の題目に繋がるんだよ」

「うーんと。つまりね、人を多く助ける人間と、私の思い描く優しい人間っていうのは、全然違うの。私は救世主なんかにはなりたくない。だって気持ち悪いもん。温度を感じないんだよね。だから、ただの優しい人間に私はなりたいの。そこに実利はいらないし、余裕もいらない……でもさ、そうやって、自分の感情のために優しさを追い求めることで、優しい人間を気取ることは、果たして成り立つのかな。人のため人のためと言いながら、そういう自分になりたいがためにそうあろうとする欲望に満ちた人間は、優しい人間なのかな」

「そこが、お前の言う矛盾か?」

「そういうこと。私の理想は、率直に、回りくどい考えを辿らずに、ぽんと人に手を差し伸べられる人間なんだけど。そもそもこういうことを掘り下げる自分には、その理想を叶えることは無理なんじゃないかって思うの」

「ふうん。……別にいいんじゃねえの? 自分のために誰かを助けることだって、僕にとっては十分良いやつに思えるけどな。お前はいつだって理想を見過ぎなんだよ。というか、そういうことを悩めるやつは、間違いなく良いやつだろ。なにをうだうだ眠たいノスタルジックこじらせてんだよ」

「うっわ、乙女の悩みを眠たいノスタルジックで片付けちゃうの。さすが実里君。ときたま果敢にばっさり、そんなさばさばしたところがラブよ。いつ結婚してくれるの?」

「しねえよ。いちいち隙を突いて求婚すんのやめてくんない? ぎょっとするから」

「ぎょっとって」

 僕のわざと突き放した言葉に、幸子はしょぼくれる。本気か冗談か、距離を調整するための言動かどうか、それぐらいの機微を察することぐらい出来るやつのはずなのだが。これだから思春期は面倒くさい。まっただ中の僕がそう思うのはおこがましいだろうか。

「とにかく私は、そういう、でっかい人間になりたいの。海のように穏やかで、広く豊かな心を持ちたいの。のちにはクラゲとかイルカとか住まわせるの。私の心の魚介がうずくぜ! みたいな。かわいい」

 かわいい、のか? いかんせん意味が分からない。ニュアンスでふわふわした表現すんのやめてほしい。

「しかし幸子、海って結構荒れるぞ。猛り狂って漁船とか丸飲みにするぞ。津波とかめっちゃ海岸地帯押し流すし。それにどこもかしこもしょっぱい。お前、海洋規模で激情したり、ことあるごとに波浪警報発令されたり、そしてやたらしょっぱい女になりたいの?」

「それはそれで豪快でいいかも知れない! 実里君、冴えてる」

「まさか誉められるとは。どういたしまして」

 阿呆な会話で時間を葬る行為に、二人して勤しんでいると、視界の隅に、きらりと輝く異物がちらつく。何の気なしに焦点を合わせると、それは中に白い紙片を入れた空き瓶だった。

 もちろん拾い上げる。決まっている、面白そうだからだ。

「なーに、それ」

「瓶。ほら、中に便箋入れて流して、某かに送りつけるロマン滲む遊びがあるだろ。あれの産物だろうな」

「ほっほう。本当にそんなことする人いるんだ。“あなた”の溢れるロマンは私達が無事頂きますよっと」

 瓶に向かって合掌する幸子が可愛くて、俺は苦笑する。

 お辞儀までする幼馴染みをよそに、瓶の中に紙片を閉じ込めている詰め物を、俺はおもむろに抜き出す。

「これは、ハンチカか何かか? それともスカーフ?」

「なんじゃろね。おかしな模様」

 幸子曰くおかしな模様の入った布をしげしげと見詰める。透かしてみたりするも、沈みかけの日照りでは、いかんせん観察し辛い。

「まあいい。そんなことより中身だ。レッツご開帳」

 件の紙片を広げると、そこには、よれた英語でこう書かれていた。

 “help”

 一瞬で差出人の意図が読める単語だ。

「これは、子供だな」

 瓶に紙片を入れて助けを求めるなんて、実現性のないヘルプを大人はなかなかやらないだろう。なにより字が拙い。僕が小学校に入学する前、グーでクレパス持って画用紙に書いた文字が、大体こんな感じだった。大人だったら、例え英語を知らなくて、辞典を見ながら書いたのだとしても、線の一つ一つがこうもヨレヨレになるとは考えにくい。

 そして詰め物に使われていた布の模様から察すると、アジア圏内からだろうか。歴史の授業で、東南アジアの文化物の写真に、これと似た意匠の紋様を見たような気がする。だからおそらく、英語が母国語という線は薄いはずだ。多分、子供なりに少しは考えたのだろう。全国の誰が見ても意図が伝わるように。そこにはどんな気持ちがこもっていたのか。本当に誰かの助けが欲しかったのか、それとも、どういう体でもいいから、どうにもならない現状をただ嘆きたかったのか。海洋を越えた嘆願を容易に推し量ることは、僕には出来ない。

「ねねね、実里君」

「どした」

「今こそ私の度量が試される時なのではなかろうか!? 遠い国の薄幸の美少年が、きっと私を呼んでいる! こういうささいなきっかけが、人を暖かみのある優しい人間へと導くんだよ」

 勢いよくガッツポーズを決める幸子の目には、燦然と正義感が燃えている。

「おいおい、……知ってるか? お前の脳内地図の縮尺は、実物の一億分の一にも満たないんだ。外国は遠い、海はだだっ広い、とかく学生には、交通の壁が容赦なく牙を剥く。夏休みはあと半分しかないんだぞ? 海の向こうなぞに構ってる余裕があるのか? 僕は知ってるぞ、お前の宿題が、いつも八月の中盤を過ぎてからようやく通学鞄から吐き出されることを。そして始業式の二日前に僕に貢ぎ物と白紙のレポートを寄越すことを」

「ぎっくう」

 擬音で動揺の程が表出する。

「でもでも、遠い国の困窮の美少年が呼んでるんだよ? 美少年は世界遺産です。見捨てるなんて、もはや種に対する冒涜ではないかしらん」

「お前、なんで分かるんだよ、送り主が美少年だって」

 よれたhelpの一単語から、それそのもの以上の情報は、どう見ても読み取れない。

「ええ? ええと、筆跡からかぐわしき美の兆しを感じたの。それはもう、妖精と見紛うほどだったの。しっとりなめらかな舌触りだったの。私の鼓膜をなめないでよ」

「一体どの感覚器官が働いたんだ」

「なんか、一括して」

「生き苦しそうな体だな」

「うん。口を開くだけで五感が神経を襲うの。一言一句交わすたびに果てちゃう」

「朽ち果てろ」

「きずつくー」

 さして傷付いた風もなく、実里君の凶刃にばっさりいかれましたー、と叫んで上体を後ろに倒す幸子。奔放な輩だ。見ていて飽きない。なので、僕は容赦なく奔放な毒を吐ける。

「今ので傷付くなら、お前はとっくに身を投げている。あ、ちょうどいいところに海が転がってる! どうする?」

 わざとらしく、今気が付いたかのように目の前を指差す。先には依然と揺らぎ続ける塩水。

「どうするもなにも……身を投げろというの?」

「大丈夫、水着は拾ってやる」

「せめて骨だけでも拾って!」

「ごめん、残らなかったんだ。お前、可食部多いから。中身までしっかり美味しい、トッポの如しだから。クラーケンも思わず舌鼓を打つんだ。誇ればいい」

「誉められているのかいまいち分からないよ」

 僕はいい笑顔で親指を上に向ける。もれなくウィンクもサービス。

「大丈夫、水着だけ登校しても、きっと出欠はとれる」

「私の存在とはいかなるものか!」

「僕が言い張る。――こいつは、こいつは幸子なんです。信じられないかも知れないけれど、どうか本当の幸子を受け入れてやって下さい! 汗かきすぎて透明になっちゃうことだってあるでしょう、人間だもの」

「そんなざっくばらんに脱色する人間なの、私。ああ、実里君の中で、どんどん私が謎の生命体と化していく。なんとゆー快感」

「長い付き合いだけど、ごめん、お前のツボがどこにあるのか未だに分からない」

「試しに押してごらん。どこかを。そこが私のツボです」

「気色の悪い人間な」

「残念、そこもツボなのです」

「お前、さては無敵か!」

 なぜか勝ち誇った顔をする幸子。

 いやいや、それ以前に、人としての矜持は無いのか。それでいいのか幸子。

「いいのです」

 そうこうしていると、おや、完全に陽が落ちていることに気付く。

 陽が沈むのが遅い季節だ、夕食の時間はとっくに過ぎているだろう。腹の虫が栄養を求めて胃を叩いている。

「そろそろ戻るか?」

「そうだね。随分無意な時間を過ごしたね。とても有意義」

「無意なのにか?」

「私の有意義は、無とつくものにばかり含有されてるの」

「楽しい生き物だな」

「君ほどではないよ」

 だらしなく表情筋を弛緩させる幸子は、くるんくるん、ちゃらんぽらん、踊るように帰路につく。

 近付くだけで、相手を否応なしに脱力させるその少女は、無意識に目で追ってしまう存在で、なるほど僕が惚れるだけのことはある。

 曰く薄幸で貧窮の美少年からのお便りを片手に、ふらふらと行き先の定まらない足跡に、僕は追従する。自ずと、よろこびいさみ。

 なぜなら青春だから。


 以前に海をお題として書いた短編です。

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