第1話 新たな出会い
駿と女性が同時に何か言おうとしたところを、私が遮った。
「申し訳ありません。先に来られたお客様がお待ちですので」
二人に頭を下げ、春黄菊を入れていた蓋碗に湯を注ぎ、壁際の席にいるお客様の元へ持っていった。
調理場に戻ってきた。三人は長机の席に着いていた。入口に近い席に阿花、その横に母親、駿という並びだ。
先ほどまでの勢いは消えていて、女性は疲れたような顔つきになっていた。
「すみません、伯父の店を手伝ってくださっている方に、いきなり失礼なことを」
私が接客している間に、駿が説明してくれたのだろう。
伯父?
ということは。
「駿のお姉様?」
答えたのは駿の方だ。
「そう。結婚して遠くに行ってたから会うのは数年ぶりだ。子どもができたのは手紙で知ってたけど」
女性が軽く頭を下げた。
「英と申します。しばらく故郷を離れていたので、事情を知らず」
「いえ、知らない女性が店を仕切っていたら驚きますよね。私の方こそ柳さんにお世話になっております」
「駿と親しげだったから、その……駿をそそのかして店を乗っ取ったのかと勘違いを」
――そんなに悪人に見えます?
だけど伯父の店が奪われたと勘違いして頭に血が昇ったのなら、英さんも弟たちと同様に、子どものころ柳さんが来るのを楽しみにしていた一人なのだろう。大切に思うあまりの言動と思えば腹は立たない。
気にしていません、というふうに笑みを浮かべて話を切り替えた。
「駿は女性にそそのかされるような人なのですか」
駿が「えっ」と声を上げてから言った。
「それ、聞く? そそのかされるように見える?」
私は首を横に振った。
「わからないので尋ねただけです」
好きな食べ物は何ですか? ぐらいの素朴な問いだ。
反省のあまり萎れかけていた英さんが、急に勢いを取り戻すように顔を上げた。
「なんだか感じの悪い子と付き合ってたから」
駿は面白くなさそうな表情で答える。
「別に感じ悪くはないだろ」
「男の前では感じが良い類の子よ」
何があったのかはわからないし、知りたいとも思わないけれど、駿に婚約者らしき人がいて、英さんはその女性のことがあまり好きではない、ということは理解した。
婚約者とは別に、私という別の女性とも付き合ってると考えたのか。それで「愛人」と。
駿は不機嫌そうな表情になった。私から見れば余裕がある大人の男性だが、姉を前にすると少し子どもっぽくもなるようで、新鮮だ。
人は多面性を持っている。
見えている面だけで判断はできないし、新たな面が見えることで、少し距離が縮んだように感じたりもする。
「もうどっちでもいい。別れたから」
英さんの表情が明るくなる。今にも歌い出しそうなぐらいに。
「別れたの? しらせがないだけで、とっくに結婚したかと思ってたけど良かったわ」
「そこは慰めるとこなんじゃないの? 弟の破談を喜ぶって、どういう姉だよ」
「そうそう、落ち込まないで。まだ若いんだしいくらでもやり直せるわ」
駿の肩を何度も叩く。
「全然心こもってないな」
やりとりを大人しく聞いていた阿花が声を上げた。
「母上、お腹すいた」
英さんが阿花の方を見る。
「ああ、そうね。何か食べようか」
「麻花巻はいかがですか」
「ねじねじ! 私と娘の分、お願いします。あと私はお茶がほしいけど……」
「娘さんは花茶いかがですか。お茶よりも身体に優しいんです。お子さんでも大丈夫ですよ」
通常の茶は子どもには刺激が強いから、大人の飲み物だ。
「花茶なんて初めて聞いたわ。じゃあ私もそれで」
「かしこまりました」
私は二人分の花茶の用意を始めた。
「しかし、なんで俺が父上なんだよ」
英さんがため息をつく。
「後ろ姿を遠目に見て父親と勘違いしたのよ。あまり会わないから……」
「あまり会わない? どういうことだ」
「……仕事が忙しくて家にいないことが多い。もっと娘と一緒にいてって頼んでも、家事は侍女がやってるんだから、お前は育児する時間の余裕あるだろって。私がやりたくないって話じゃないのに」
「忙しいのはわかってて結婚したんだろ。親の反対を押し切ってまで」
「四年前に義父が亡くなって、夫が医館を継いだのよ。いずれはそうなるってわかってたけど、こんなに早くとは思わなくて。それにしても往診とか言って出かけることが多いし、本当に仕事なの? と思って……」
「まさか、調べたのか」
「後をつけた。眠ってる阿花を背負って。そうしたら――」
英さんは言葉を切り、阿花の方を見た。
どうやら子どもには聞かせたくない話らしい。
私は蓋碗を二人の前に出してから、長机の方に回って阿花の横でしゃがみ、目線を合わせた。
「花茶、どうぞ」
阿花は大きな瞳をぱちぱちと瞬きさせた。
「花茶?」
「お花が浮かんでるの」
立ち上がって蓋碗の蓋を取る。澄んだ水面に春黄菊の花が三つ浮かんでいる。
「お花!」
うれしそうに笑った。
「そう、お花。間違って飲んでしまうと大変だから、お花はこっちに移そうね」
私は匙を使い、逆さに置いた蓋碗の蓋裏に花を移した。火傷をしないためと、茶の成分による刺激を減らすために、子どもに出すときは水を足して薄めていた。
阿花は腕に顔を近づけて匂いを嗅いでいる。私は英さんの方を見た。
「大人はお茶を飲むように、蓋碗の蓋をずらして飲んでください」
私は調理場の方へ戻り、麻花巻を籠から皿へと移した。二人の前に置く。
「どうぞ」
英さんはうれしそうな表情で阿花を見た。
「これは、ねじねじ」
阿花は首を傾げる。
「ねじねじ?」
「ねじれてるでしょ。美味しいよ。子どものころ大好きだったの」
麻花巻を手にとり、かぶりつく。
眺めていた阿花も真似をしてかぶりついた。
「美味しい! ねじねじ!」
英さんが目を細めた。
私も気づけば笑みを浮かべながら母娘の様子を眺めていた。
「このあとうちに来るなら俺の馬車乗ればいい」
「行かない」
「なんで」
「……だって、結婚反対されたのに押し切ったから」
「合わせる顔がないって? もう五年も経ってるし孫の顔を見せたら即和解だろ」
「……遊びに来たわけじゃないし」
「え?」
「家を出てきたから」
「ええっ?」
英さんは憮然とした表情だ。
「実家に戻ったら、だから結婚反対したのにって言われるし。しばらくここに泊めてもらえないかと思って来たのよ」
麻花巻を頬張っていた阿花が、英さんの方を見た。
「おうち帰らないの?」
「そう。美味しいお茶とねじねじ、毎日食べられるよ」
「毎日? やった!」
口元についていた麻花巻の欠片がぽろりと落ちた。
「家出って、別れる気なのか。それともちょっと姿消して心配させてやろうっていうやつ?」
「わかんない。ろくに家にいないのに、よその女に会いに行ってる人を夫なんて呼びたくないけど……」
麻花巻を食べる阿花を横目で見る。
子どものためにはどうするのが良いのか、迷っているのだろう。
「帰る気ないなら、母娘で生活していくことも考えないとならないだろ。やっぱり、まずはうちに戻った方がいいんじゃないのか。客桟で雇えるかはわからないけど、喧嘩同然で出て言ったとはいえ娘と孫なんだから、寝泊まりはさせてもらえるだろ」
「寝泊まりするだけならここでもいいでしょ。この茶坊で働くわ」
賃金が出るほどの収入はありませんよ、と言う言葉を飲み込む。やっと客が来るようになったとはいえ、日によっては一人か二人ということもある。悪天候だと誰も来ない。
もっと客に来てもらうためにはどうすればいいだろう。村長夫人の薦めで来客が増えたとはいえ、小さな村での伝え聞きには限界がある。
徒歩で来るには距離があり、自前の馬車を持っていない人の方が多い。茶坊の前を通り過ぎる人々に足を止めてもらえないか。私がここに辿り着いたときのように、休憩に立ち寄る御者など。頻繁には来られなくても、そういう人が増えれば、全体の数は増える。
「英さんは、こちらには馬車で来られたのですか?」
脈略のない質問に、英さんは一瞬目を見開いた。なぜそんなことを聞くのだろう、と思ったに違いない。
「乗り合い馬車よ」
「そういうのがあるのですね」
大きく頷く。
自前の馬車がない人々は、同じ方向へ向かう馬車に乗り込んで、目的地の近くで降りる、ということだろう。ならば、隣国へ向かう荷馬車以外にも、茶坊を見てもらう機会はある。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
壁際の席に座っていた男性客が立ち上がった。
私は思考を中断し、卓の方まで行って代金を受け取った。
「またいらしてください」
立ち去る客に頭を下げた。
畑仕事から柳さんが戻ってきた。
「おつかれさまです」
柳さんは頷いて、長机の方を見た。
その場で足を止める。
恵さんが立ち上がった。
「元察さん、お久しぶりです。英です。こちらは娘の阿花」
柳さんは目を見開き、英さんと阿花を交互に見た。
英さんは阿花の肩に手を置いた。
「ほら、ご挨拶」
阿花が立ち上がり、柳さんの方を見て頭を下げた。
「こんにちは、おじいさま!」
柳さんの表情を見れば、一瞬にして心を射抜かれたのがわかった。
客たちは飲食を終えて去っていき、四人だけになった。退屈しないようにと、柳さんが陶製の小さな犬と虎を持ってきた。阿花が犬と虎を持って会話させている様子を、柳さんは目を細めて眺めている。駿は柳さんに席を譲って、私の隣に立っていた。
夫と上手くいかず家を出てきたこと、実家には帰りにくいこと、阿花とここで暮らしたいということを、英さんが柳さんに説明した。
柳さんは穏やかな表情で頷いた。
「部屋は空いているし、ここで暮らすのは構わないが、阿花のことを考えると、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。駿のおかげで食べるものには困らないと思うが……」
「だから私も茶坊で働くわ」
私は申し訳なさそうな口調で言った。
「今のところ私も無給で働いているのです。寝泊まりする部屋と食事をお世話になっているので生活できてますが……まだ自力ですべて賄えるほどでは……」
「そうなの? まあ、そうか……この場所じゃ、続々と客が来るとはならないか……」
はあ、と深いため息をついた。
柳さんは阿花の方に視線を時折向ける。
「ゆっくり先のことを考えるといい。ここに泊まりながら仕事を探すか、旦那さんと話し合うために帰るか」
頭に血がのぼって出てきたばかりだろうから、英さんはすぐ帰る気にはならないだろう。
「では、お世話になります。少し時間をください」
柳さんは頷いて、私の方を見た。
「考えていたのですが、雪羅さん、明日はお休みを取ったらどうですか。ここに来てから一日も休まず働いていますし」
「いえ、休むなんて贅沢はできません」
この茶坊のためにやること、考えることはたくさんある。もし客が来て店が閉まっていたら、もう二度と来ないかもしれない。たとえ一人でも機会を逃すわけにはいかない。
「明日の接客は英に任せればいい。朝のうちに点心と麻花巻を作り置きしておけば、英でもできるのではないでしょうか」
それならば可能かもしれない。
英さんは客桟育ちだからか、駿や恵と同様に人と接するのは得意そうだ。
でも――。
「……お休みをいただいても特にやることがないのなら、店に出ていても同じ気はします」
ぐっすり眠りたい、というわけでもない。
最近は夜に調理場で菓子の試作をしているが、睡眠時間はちゃんと取っている。寝不足で接客して失礼があっては困るから。
「うん、だから出かけるといいですよ。南陽ならそう遠くはなく、いろいろな店がある。ほかの茶坊を見てきたら何か参考になるのではないですか」
今までどうして思いつかなかったのだろう。
ほかの茶坊はどうしているのか。
どんな店構えで、どんな菓子を出しているのか。
「……それは、とても素敵です。お休みをいただいてもいいでしょうか」
柳さんは深く頷いた。
英さんが前のめりで答える。
「私に任せて。接客なら客桟で経験あるし」
「俺が馬車で送り迎えするわけね」
駿に確認も取らずに話が進んでいたが、面倒臭そうにする様子はない。
「よろしくお願いします」
「明日なら恵が仕事休みで観劇の予定だから、一緒に行ったらどうだ。知人から入場券を回してもらえるし」
「観劇ですか? 私でも楽しめるでしょうか」
確か、南陽の女性がみんな夢中になる美しい男性が出演するという演劇だ。
「なんでも見られるものは見た方がいい。見なければ好きなものも見つからない。好きなものが多いと心が豊かになるだろ」
たとえば庭に咲く花を見て、素敵だと思った心が百花茶坊の点心をかたどっている。自分の心が動かないと、他人の心も動かせない。
一見、茶坊とは関係のないことでも、すべては繋がっているかもしれない。私という人間が店を作っていくのだから。
母の話が面白くて魅力的だったのは、母の心が豊かで、いろいろなことを知っていたからだ。表面だけなぞっても、きっと意味がない。私も人をもてなすために、もっといろいろなことを知らなければならない。
「行きたいです」
観劇をして、友人と茶坊で語り合う。
同じ年頃の女性にとっては、珍しくもないことかもしれないけれど、初めての経験に胸が高鳴って、今晩はすぐには寝つけそうになかった。




