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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第一章 聖華公主は死にました

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第8話 花茶と菓子と私の夢

 朝は春黄菊を摘むところから始まる。数日かけて乾燥させないと花茶としての試飲はできないので、今のところは干すまでの作業だ。


 茶坊は開いているが客は来ない。

 焦りそうになる気持ちを、なんとか落ち着かせる。まずはもてなせる菓子を作らなければいけない。来客がないから試作に集中できる、と考えよう。前向きに。

 駿が一日置きに食材や料理を運んできた。私が来る以前からやっていることだけれど、茶坊の様子が気になるのか以前より来る頻度が増えたと、柳さんが教えてくれた。


 麻花巻の作り方は難しくなかったので、油の温度と揚げる時間を間違えなければ、菓子として出せる物ができた。

 太い縄のような見た目だ。

 駿に試食してもらい、美味しいと言ってもらえたので毎日作っているけれど、客は来ない。売れ残った麻花巻を夕食にする日々が続いた。


 試行錯誤しているうちに一週間経っていた。

 駿はいつものように食材を入れた袋を持ってきて置いた。


「麻花巻は売れた?」

「ひとつだけ」


 そもそも客がほとんど来ないのだから、薦める以前の問題だ。どうすればいいのだろう。人が滅多に通らないのだから、大声で呼び込みをしても意味がない。


「何人か客は来ているのか」

「私が茶坊を始めてからのお客様は二人だけです」


 一人は近所に住む柳さんの顔馴染み。一人は隣国へ向かう途中で立ち寄ったという男性。急いでいたようで、麻花巻を茶で流し込むように食べて、感想も言わずに去っていった。


「でも時間があるおかげで、点心は上達しました。職人に比べれば拙い出来でしょうけど。それと春黄菊の花茶も今日から出せます」


 湯の温度や抽出する時間を何通りも試して美味しい淹れ方を見つけた。花のみではなく、茶葉と混ぜるのも良さそうなので、次に市場に行くときは新たな茶葉も買って、春黄菊と合わせてみたい。


「じゃあ花茶とかいうの試してみようか」

「どうぞ。試飲ということでお代は結構ですので」


 乾燥させた春黄菊が入った壺を棚から下ろす。


「そうはいかないだろう。客として代金は払う。その方が忌憚のない意見も言えるだろ」


 駿は長机の真ん中の席に着いた。

 お金を払ったお客様が厳しい意見を言えるのは、確かにそうだ。


「わかりました。麻花巻も召し上がりますか」


 駿は頷いた。


「花茶とねじねじで」

「はい」


 湯を沸かし、白い蓋碗に春黄菊の花を入れる。調理台にある籠にかぶせた布をめくると、今日揚げた麻花巻が六つ並んでいる。そのひとつを皿に乗せた。

 湯を蓋碗に注ぐ。春黄菊が水面で揺れた。

 調理場に立ったまま、麻花巻の皿と花茶の蓋碗を駿の前に置いた。


「どうぞ」

「いただきます」


 駿はまず蓋碗を手に取った。蓋をわずかにずらして口を付ける。そうすれば花が口に入っていくことはない。


「……うん、これは、ちょっと味わったことがない飲み物だな」

「いかがでしょうか。あまりお好みに合いませんか」

「緑茶に比べると癖がなくてあっさりしてる。俺は普通の茶の方が好みだけど、香りを楽しめるから女性は特に喜ぶかも。元気になりたいときは緑茶、ゆったりしたいときは花茶かな」

「なるほど、薦めるときにはそのように言ってみます」


 駿は麻花巻を美味しそうに頬張った。

 自分が作った物を食べてもらえるのはうれしい。美味しそうにされていると、特に。


 馬車の音が聞こえてきた。隣国へ向かう馬車が時折通ることはあるが、茶坊の前で止まったようだ。

 足音が聞こえてくる。

 白髪混じりの女性。

 以前、点心のことを尋ねてきた女性だ。


「いらっしゃいませ」

「こんにちは。何か味わえるかしら」

「はい、点心と麻花巻があります。点心はまだお客様に出したことはないのですが、ぜひ召し上がっていただきたいです」

「それは楽しみだわ」

「どうぞお好きな席にお座りください」


 女性は頷いて、壁際の真ん中の席に座った。すぐ横に窓があり、風に揺れる花と青い空が見える。

 私は席まで行った。女性は卓上の花を見て微笑む。


「綺麗な花ね。向こうにあるお皿に浮かべたたくさんの花も素敵だわ。あんな飾り方があるなんて」


 花を飾るのも毎日の仕事だ。


「ありがとうございます。飲み物は何になさいますか。花茶を始めてみたのですが、いかがでしょうか」

「花茶?」

「茶葉のように花を乾燥させて、湯を注いだ飲み物です。癖がなくて飲みやすく、何より良い香りがします」

「甘い香りがすると思ってたのだけど、それかしら」


 女性は駿の方を見た。


「はい」

「飲んでみたいわ」

「では、花茶と点心で。点心はお好きなものをお選びください」


 私は調理台の方へ戻り、蓋付きの四角い木箱を持ってきた。女性の前で蓋を開ける。

 中には点心が六つ並んでいる。

 どれも花の形だが、色も形もすべて違う。女性は目を輝かせた。


「素敵で選べないわ。二ついただいてもいいかしら。本当は全部欲しいところだけれど、さすがに食べきれないし」


 どれにするか決めきれないのか、女性の視線が動く。


「いくつでもどうぞ」

「牡丹の花も素敵だけれど、白い花はこの茶坊に似合っているわ。この二つで」


 赤い色粉で作った牡丹の花に比べると、白い花は華やかさに欠けるかもしれない。だけど私が作りたいと思った形だ。女性が言うように、この茶坊の新たな門出の象徴にもなる春黄菊の形。中央は黄色の円形、周囲の白い花びらは細いへらで放射状に跡を付けることで表現した。


「では、すぐにお持ちします」


 礼をして調理場へ戻る。白い長方形の皿に二つの点心を並べた。蓋碗に春黄菊の花を入れて湯を注ぐ。

 駿はその様子を無言で眺めていた。

 木製の盆に皿と蓋碗を乗せて運び、女性の前に置いた。


「ごゆっくりどうぞ」


 頭を下げて調理場の方へ戻る。

 本当は傍に立って様子を見て感想を聞きたかったが、そんなことをしてはくつろげないだろう。

 女性は蓋碗の蓋を取った。


「まあ」


 うれしそうな声。


「きれいね。お茶に花が浮かんでいるなんて」


 香りを嗅いでいるのか首を軽く横に振り、顎をわずかに上げた。

 女性を見つめている私を、駿が少しにやけながら眺めていることに気づいた。そわそわと落ち着かない表情をしているのだろう。「見せ物ではありません」と言いたかったが、お客様に聞かれるのも憚られるので、駿を軽く睨んで抗議するにとどめた。

 女性は添えられた小さな竹へらで点心を切り、刺して口に運んだ。じっくり味わうように時間をかけて咀嚼する。花茶を飲み、また点心へと戻る。

 点心を食べ終えると、窓の外を眺めた。


 ゆるやかな風が吹いている。

 静かな時間が流れる。


 女性はこちらを見て、軽く手を上げた。


「お嬢さん」

「はい」


 私は女性の方へと向かった。


「お嬢さん、お名前は」

「雪羅です」

「雪羅さん、とても美味しかったわ。形はまだ不慣れな感じもあるけど、それもこの店の素朴さと重なって悪くないわ。始めて間もないのにこれだけできれば十分よ。器用なのね」

「ありがとうございます」


 深く頭を下げる。

 幼少時に母と粘土遊びをしたのが役立ったのだろうか。壺や人形などをよく作った。


「牡丹の点心と白い花の点心、少しだけ味が違うように感じたけれど」

「牡丹は小麦粉を、白い花は米粉を練った生地なんです」


 通常の点心は小麦粉を練ったものだ。だけど母が前世で食べた物は、米粉を使った生地と煮た小豆の組み合わせが良かったのだと言っていた。


「白い花の方は粘りが少なくて軽い感じがするわね。でもそれが中に入っている甘い小豆と合っている。牡丹の方が馴染みあるけれど、こちらも気に入ったわ」

「お気に召していただけてうれしいです」

「花茶は甘い匂いも良いけれど、なんといっても見た目が素敵。お花に囲まれた店で、花茶を味わい、花の点心を味わうなんて、贅沢だわ。息子と一緒に食べたかったわね」

「息子さんは遠くに行かれてるのですか」


 息子と一緒に来たこともあるので思い出深いと言っていたのを思い出す。


「亡くなったのよ。四年前の戦で」


 私は息を飲んだ。

 返す言葉が浮かばなかった。


「あなたは若いから知らないかしら。北方で隣国と戦があったのを」

「……覚えています」


 後宮にいたので話でしか知らない。だけどずっと小競り合いが続いていた北の隣国と戦になったのは聞いていた。どれほどの被害があったのか、後宮の女性たちに詳細は知らされなかったし、戦地は遠く離れていたので爆撃音も聞こえず、実感はなかった。大きな戦は一年程度で、敵国と協議の末に停戦の条約が結ばれた。

 都も後宮も見た目は何も変わらなかったけれど、軍の上層部の顔ぶれは何人か変わった。

 停戦に至るまでに、大きな犠牲があったのだろう。


「国を守ることは、この村や村民を守ることだと息子は志高く出兵した。出征前に二人で出掛けたのがこの茶坊で、だから息子を亡くしてからも、時折ここに来て、息子が気に入っていた点心を味わいながら偲んでいた。茶坊も変わってしまって……もう思い出の場所も失くなるのかしらと思っていたけれど」


 女性は微笑んでいた。

 笑みを浮かべるようになれるまで、どれほどの時間が掛かっただろうか。でももしも、この茶坊に来ることで少しでも心の傷が癒えて、最愛の息子と共にいられるような気持ちになれているのなら――。


「あなたが続けてくれて良かった。また来るわね」

「……ありがとうございます」


 深々と頭を下げる。

 代金を支払い、女性は去っていった。その背中が見えなくなるまで見送った。

 ゆっくりと調理場の方へ戻る。

 駿は代金の銭を長机に置いて立ち上がった。


「あの女性、湖周村の村長夫人だよ」

「そうなんですか」

「小さな村とはいえ上に口は利くだろうし、裏の手を使って息子の出征を止めることもできただろうに」


 村を守ると言う息子を止めることはできなかったのだろう。村のために尽くす父親の姿を見ながら育ったことで、培われた志なのだろうから。


「以前、言われましたよね。茶坊で働くことは私の母の夢であって、私の夢ではないと」


 駿は無言で頷いた。


「ただ後宮を出るのが目的で、その先の夢などなかった。この店で働くことは外の世界で生きるためで、私の夢ではなかったんです。でも、わかったんです。自分が作った物を食べてもらい、楽しんでもらう喜び。それ以上に、茶坊はただ飲食を楽しむだけの場所ではないと」


 もっとたくさんの人に、ここで静かな時を過ごしてほしい。この場所が癒しであり、くつろぎの場であってほしい。

 母が茶坊を営みたかったのも、それが目的だったに違いない。


「この店を続けること、たくさんの人の憩いの場にすること。それが私の夢です。今日、この瞬間からはっきりと、私自身の夢と定めます」


 宣誓するように手のひらを見せて掲げる。

 駿が笑った。

 私も笑う。鏡など見なくてもわかる。私は今、心から自然に笑っていると。


     ※


 翌朝、女性客が一人訪ねてきた。壁際の席に座り、私が聞かなくても「花茶と点心を」と答えた。点心の木箱を持っていこうとすると、夫婦らしき男女客が来た。

 数日に一人しか来客がなかったのに、立て続けに客が来るなんて初めてのことだ。


「いらっしゃいませ。どうぞお好きな席へ」


 男性客が朗らかな笑みを浮かべて言った。


「茶坊でまた点心が食べられるようになったって、村長夫人に聞いたよ。妻が行きたいって言うから久しぶりに来てみた」


 夫人が微笑む。


「楽しみだわ」


 村長夫人が茶坊のことを話してくれたのだ。

 以前のお客様も、新たなお客様も、足を運んでくれるかもしれない。

 腕輪の力を借りなくても、賑わう百花茶坊の未来が見える気がした。


     ※





 それからは毎日一組か二組、多いときはもっと客が来るようになった。

 六日後に駿が来たときは、壁際の席はすべて客で埋まっていた。


「急に賑わってきたな」


 駿はいつものように、麻袋を二つ調理場の近くに置いた。


「そうなんです。村長夫人のおかげです」

「何度も来る客もいるなら、それは雪羅の力だ」


 点心が気に入って、来るたびに違う形の物を注文してくれる客がいた。


「そうだとしたら、うれしいです」


 入口のところに女性が立っていた。背が高くすらりとしていて、目鼻立ちが整っている。衣装は流行りの形で、薄紫色がとても似合っている。

 私は「いらっしゃいませ」と声を掛け、軽く頭を下げた。

 女性は険しい表情でこちらに近づいてくる。駿は振り向いて、「あ」と声を上げた。


「どういうこと? 茶坊は乗っ取られたの?」


 駿はため息をついた。


「乗っ取られてなんかない。落ち着いて」

「何も聞いてないんだけど。まさか、この女性……」


 女性は声を潜めた。


「駿の愛人なの?」


 私は口をぽかんと開けたまま立ち尽くした。駿が女性の口を塞ぐように手のひらを唇の前に差し出す。


「違うって」


 入口に四歳ぐらいの幼女が立っていた。女性の娘だろう。髪は左右の三つ編みを巻いて髪飾りで止めている。飾りも衣装も桃色で愛らしい。

 女性が振り向く。


「ああ、阿花、椅子に座ってて」


 阿花と呼ばれた子は頷いて、駿の方を見た。


「父上?」


 私は思わず「えっ」と声を上げてしまった。

 駿は私を見て、うわずった声で否定した。


「違う」


 阿花はにこにこと笑いながら駆けてきた。


「父上!」

「違うんだ、誤解だ」


 誤解とは?

 駿が説明する間もなく、女性が強い口調で言った。


「駿、愛人じゃないなら誰なの、この女性」


 私は心の中でつぶやいた。


 誰なんです、この女性?


 百花茶坊に新たな風が吹き込んできたようです。

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