第7話 未来視の腕輪
母は未来視と呼んでいた。
「じゃあ、私が触ったら、私の未来が雪羅に見える?」
「何か見えるかもしれない。でも、いつの出来事なのかはわからないし、内緒にしていたから母と私以外の未来を見た経験はなくて、間違いないのかはわからない」
「もしかして雪羅、家出するとき腕輪で未来を見た?」
答えるか迷ったが、頷いた。
見えた場面に確実に辿り着くという保証はない。時期を指定できるわけではないから、欲しい答えを得られないこともある。たとえば母が早く亡くなることは予知できなかった。
後宮からの脱出を考えたとき、未来視の力に頼るのは危険かもしれないと思ったが、結局見てしまった。私は広い花畑に立っていた。後宮ではないどこかの。それが何を意味するかはわからなかったけれど、背中を押す力にはなった。
「すごい! ねえ、私の未来を見てもらうことってできる? すごい道士の力なら、お代が必要なのかな」
私は首を大きく横に振った。
「お代なんてもらえない。確かかどうかもわからないのに」
でまかせだと言われるに違いないからと、後宮では誰にも話さなかった。私と母だけが知っていた。
「じゃあ、試してみて。ちょっとだけ」
ちょっとだけも何も、場面が見えるだけだから一瞬だ。
恵があまりにも興味津々という顔をしているので、腕輪を付けている腕を差し出した。気味悪がったり、嘘だと言ったりしないから、話したことを後悔せずに済んだ。
恵はそっと腕輪に触れた。
私は目を閉じる。
恵の姿が見えた。場面は一瞬で消えた。
「ねえ、どうだった?」
目を開けた。
「とてもうれしそうな顔をしていた。うっとりするような……。美しい男性がいた」
男性が誰なのかは、もちろんわからない。
「え、それってもしかして、未来の夫じゃない?」
よほどうれしいのか頬が蒸気している。
「どういう関係の人かはわからないし、いつなのか、確実かもわからないから、期待しすぎないでね」
「うんうん、さっきの話だとそうだったね。わかった。でも、すごい美しい男性が恋人になるかもって思えるだけで、なんかすごい力湧いてきた。腕輪の力最高だわ」
そんなふうに思えるのなら、正直に話した甲斐があった。
「ね、このことは兄さんは知らないんでしょ」
私は大きく頷いた。
「母以外は恵しか知らない」
「うわ、最高。こういうのなんて言うの、優越感? あ、浮かれてる場合じゃなかった。衣装入れるのにこれ使って」
行李の横にあった麻袋が差し出された。
「何から何までありがとう」
借りた服と脱いだ服を袋に詰める。
恵は私の様子を眺めながらつぶやいた。
「それにしても、兄さんが若い女性の面倒を見るとはね。もしかして惚れちゃったんだろうか」
「それはないです。私が茶坊を手伝うことで柳さんが元気になるなら、という考えで協力すると」
「なるほど。元察さんには元気になってほしいからなあ。雪羅が茶坊で働くなら、私も仕事休みの日に行こうかな。徒歩じゃ無理だから兄さんに馬車出してもらわないといけないのが癪だけど」
「癪なの?」
「仲が悪いわけじゃなくて、むしろ仲良い方かもしれないけど、兄さん、三年前に仕事辞めて突然戻ってきてさ。私が客桟継ぐつもりでいたのに取られるかもと思って、もやもやしてる。ここは私が継ぐからね! って言ったら、取らないよって笑われたけど……」
「そうなんだ」
「本人は否定しても、周囲は兄が継ぐものって考えるよね。私が婿取って夫婦で働く計画が崩れちゃうよ」
「婚約してるの?」
恵は首を横に振った。
「してない。相手もいない」
「妄想なんだ」
「せめて想像って言って。ここは母方のお祖父さんが作った客桟なんだ」
「お母上と同じように、恵も夫と一緒にここでずっと働きたいのね」
「そうそう、妄想じゃなく理想というか目標ね。嫌な客もたまにいるけど、それを上手くあしらうのも主になるための修行と思えば耐えられる」
自分の夢を持ち、理想に向かって進んでいる。恵の姿が眩しく見えた。
母の夢だった茶坊を営みたい。それは今の私の夢だけれど、誰のための夢なのか。
考え込みそうになったが、首を横に振った。
今は考えるよりも行動だ。
動かなければ茶坊は廃れる一方だし、ちゃんと稼げるようになって、世話になるばかりではなく恩を返さなければならない。稼ぎだけで生きていけるようにならなければ。与えられるだけの人生から抜け出したのだから。
衣装を詰めた麻袋を抱えた。
「食事中だったよね。お仕事に戻らなければならないのでは」
「そうだった。ゆっくりできなくてごめんね。一緒に買い物行きたかった。今度行こう!」
「はい。ぜひ」
笑みを浮かべた。まだ笑い方がぎこちないかもしれないが、本当にうれしいという気持ちは伝わっているといいなと思う。
こんなふうに親友みたいに女性と話せるなんて、夢のようだ。
二人で部屋を出て、食卓がある部屋に戻った。どこかに出かけていたのか、ちょうど駿も部屋に入ってきたところだった。
「恵さんに衣装をお借りしました」
駿が頷く。
「合うようで良かった」
恵は着席して包子を頬張りながら言った。
「兄さんに貸しひとつね」
「え、なんで俺が」
私は慌てて二人の間に入る。
「恵に貸しができたのは私の方なので」
「雪羅はいいの。着てなかった服を似合う人に着てもらえて、服も私もうれしいから。でも兄さんは目的のために雪羅に尽くしてるんでしょ。私はそのお手伝いしたんだから」
駿は呆れたような表情をしている。
「目的のためとか、尽くすとか、人聞き悪いな。そういうこと言うとこれは渡さずに捨てるぞ」
そう言って胸元から紙片を一枚取り出した。
恵は目を見開いた。包子を上手く飲み込めなかったのか咳き込む。
「そ、それっ……」
ごほごほ、と咳をしながら指差した。
駿はにやりと笑う。
「公演の座席券だ。あの芝居は大人気で中に入るには券が必要なんだろ。兄さんがかわいい妹のために頑張って入手したんだけどなあ。いらないなら仕方ない」
破るような仕草をする。
「やめて! いります! ください! お兄様ありがとう! 非礼をおわびします!」
駿は卓上に紙片を置いた。
「最初から素直でいればいいのに」
「物で吊るなんて鬼。いえ、神様です」
恵は紙片を素早く手に取り、愛でるかのように頬に当ててうっとりした。
「姫遠亭様にまた会える」
「あの、姫遠亭様とは」
「人気の芝居で主役をしている麗しい男性なの。南陽の若い女性はみんな彼に夢中」
「そういうのがあるんだ」
後宮の外で何が流行っているか、知る機会はほとんどなかった。宮廷で演舞などは見たが、若い女性に人気の芝居とはどんなものなのか。この世には知らないことがいっぱいある。
駿がこちらを見た。
「料理人に点心のこと聞いてみたら、今、少しだけなら教えられるって言うから厨房に行こう」
「ありがとうございます」
衣装を詰めた麻袋は部屋に置いて、厨房へと向かった。
厨房には恰幅の良い男性がいて、点心と麻花巻の作り方と、必要な食材と道具を手短に教えてくれた。点心はおおまかな形は手で作るが、小さなへらを使って繊細な形を作っていく。慣れるには時間が掛かりそうだ。
「着色はどのようにするのですか」
料理人はにこやかな表情で、棚から器を二つ出してきた。
「生地に色粉を混ぜ込んでいく。たとえば赤色は柘榴、青色は枸杞の実だね。食材を煮出して、布でこして余計な物を取り除く。液体を乾燥させて粉状にする」
器に入っているのは赤色と青色の粉だ。
「手間が掛かる作業ですね」
「だから市場で粉を売ってるよ。有名な菓子舗は色粉を作るところからやっているかもしれないが、うちみたいにいろいろな料理出しているところは、そこまで手間は掛けられないし」
まずは市場で色粉を探した方が良さそうだ。慣れてきたら自分で色粉を作ることも考えればいい。
「お忙しいところ、親切に教えていただきありがとうございました」
胸の前で手を重ね、頭を下げる。
「いや、こちらこそ簡単にしか教えられなくて申し訳ない。坊ちゃんの頼みだからもっと丁寧に教えたかったんだけど」
横で無言で眺めていた駿が顔をしかめた。
「坊ちゃんはやめてくれ」
「はは、つい昔からの癖で坊ちゃんと呼んでしまうな」
料理人は朗らかに笑った。
なるほど、恵が焦るのもわかる。
従業員は駿を幼いころから見ていて、可愛がっていたのだろう。仕事でここを離れていた時期があったはずなのに、変わらず親しまれているのだ。
駿の方に視線を向けた。
「駿は今、おいくつ……でしたか」
親戚だという設定を失念しかけて、何も知らないかのように年齢を聞くところだった。遠縁で会う機会は今までなかったので、年齢はうろ覚え、みたいな感じを装う。
「二十五だけど。坊ちゃんと言う年齢じゃないだろ」
苦笑している。
「でも意外と若かったです」
「見た目老けてるって言いたいのか」
怒っているのではなく、からかうような口調だ。
「そうではなくて、いろいろ考えてくださるから、人生経験豊富なのかと。それに柳さんはご高齢ですが、祖父ではなく叔父さんですし」
「元察さんは次男で、俺の父親は六人兄弟の一番下で歳が離れてるんだ。長男夫婦があの家にいて農業をしていたけど、亡くなって元察さんが戻ってきた」
「庭師を辞めたのは、実家を守るためでもあったのですね」
「さて、そろそろ市場に行こうか。帰りが遅いと元察さんも心配するだろう」
「そうですね。では失礼します」
私は料理人の方を向き再び頭を下げ、駿と一緒に厨房を出た。
市場までは徒歩で、さほど時間は掛からなかった。客桟前の通りの東側に川があり、川沿いに店がたくさん並んでいる。肉や魚、穀物や野菜、果物、花や雑貨など、どの店も品数豊富で行き交う人は多い。竿に商品をたくさんぶらさげて、声を上げて歩きながら売っている商人もいて活気に溢れていた。
川は整備されていて、船着場がある。小舟が荷を下ろし市場の店へと運んでいた。荷を下ろした後は、ここから新たな荷を積んで他へ向かっているようで、物資の行き来が盛んなことがわかった。
「すごい賑やかですね」
向こう岸は市場ではなく酒楼が並んでいて、軒下に赤い提灯がいくつも下がっている。夜になれば向こう側が盛り上がるのだろう。河岸を眺めながらの夕食は情緒もありそうだ。
見る物すべてが新鮮で、落ち着きなく左右に視線を向けてしまう。
人と肩がぶつかってしまい、よろめく。駿に腕を掴まれた。
「危ない」
「すみません」
ぶつかった人にも謝りたかったが、既に遠くへと去っていた。人混みではこんなのは珍しくもないのだろう。
「で、何が欲しいんだ」
「色粉と米粉です。小麦粉は茶坊にまだありましたし。ほかにも何か使えるものがあるか、見ながら考えます」
「じゃあ、米粉は最後に買うことにして、ほかを歩きながら見ていくか」
「はい」
点心が作れるようになるまで、まずは麻花巻を茶坊で出せるようにしたい。ほかにも今までにない何かを考えられれば。
「汁物とかの食事を出すつもりはないのか」
「はい。食事ではなく、食事や仕事の合間に休憩できる場所にしたいんです」
お腹を満たすのではなく、心を満たせる場所。母や宝琴さんが茶坊にこだわったのは、そこだろう。
茶も点心も、口にせずとも生きていける。
それでも欲するような、豊かな気持ちになれる店を作りたい。
海産物の店の前で足を止めた。
魚と貝、海藻などが並んでいる。
駿が不思議そうな表情で私を見た。
「食事は出さないのでは」
「はい、でもこれは石花菜ですよね」
細かい枝のように先が分かれている赤紫色の海藻だ。
「よく知ってるな」
「母が絵に描いて教えてくれました。これを煮溶かして冷やしたものが心太で、刻んで人参や葱、干し海老などを乗せ、醤油や酢、胡麻油をかける料理があります。後宮で何度か食べましたが、つるんとした食感が良くて、これ何? って母に聞いたんです」
「へえ」
「母は菓子にもなると言ってました」
前世では菓子として食べていたと話していた、とはさすがに言えない。
「料理になるとは知ってたけど、菓子に?」
「米粉や小麦粉も菓子になるわけですし。煮溶かして固められるのでしたら、甘みを加えて……型を作って流し入れれば、見た目も楽しめる菓子になりそうです」
「なるほど。色粉で着色もできそうだ」
「それだ! 良い提案です!」
駿は目を見開いてから、ふっと吹き出した。
「それだ、か」
「すみません、興奮して……」
「いや、その勢いでいこう。石花菜を買えるだけ買うか」
「はい。銭は持ってきてます」
柳さんから預かっていた。茶舗で出すための食材なら自分が出すべきだと言っていたので、その言葉に甘えて使うことにした。
山ほど荷物を抱えて客桟に戻り、馬車の荷台に乗せて茶坊に帰った。たどり着いたころには日が暮れ掛けていて、疲労も激しく、菓子作りをする体力は残っていなかった。暗くなれば手元も見えにくい。
南陽に帰る駿を見送ってから、柳さんと夕食を食べて、雑事を済ませて眠った。




