第5話 春黄菊の花茶
掃除を終えて店に戻ると、柳さんが花を抱えて戻ってきた。
「これでいいだろうか」
受け取って卓の上に置く。
「ありがとうございます。花を入れる器はありますか?」
柳さんは首を横に振った。
「花用のはなかったと思います」
では、宝琴さんは何に花を生けていたのだろう。
母の話を思い出す。
――茶坊には花を飾りたい。華美ではない小さな花を硝子や磁器の小さな杯に一輪生けると可憐さが際立つはず。茎を切った花のみを水を張った皿に浮かべるのも綺麗ね。
そう言っていた。
後宮では花は庭園で眺めるものだ。母が語っていた飾り方は斬新で、実際に試して見てみたいと思っていた。
「食器を使ってもいいですか」
「ここにある物は自由に使っていいですが……食器ですか?」
棚に並んでいる器を眺める。通常の茶杯だと口が広く花が大きく傾いてしまう。それよりも口が狭く少し高さがある器があった。白地に青色で草花が描かれている。
「聞香杯ですね」
揃いの茶杯と組み合わせて使う。聞香という作法のときに、香杯に注いだ茶を飲杯の方に移し、空になった香杯に鼻を近づけ匂いを嗅いで楽しむのだ。後宮の茶会で教わった。
香杯を三つ調理台に置き、杓子で水を注いでから白い小花を一輪ずつ挿した。花より器が目立つこともなく調和がとれている。卓上に一つずつ置いていく。
誰もいない卓に生命が灯った感じがした。
再び棚の食器を眺める。少し深さがある皿に目が止まった。土を焼いたもので薄い茶色は均一ではなく濃淡がある。それが温かみを感じさせる。
残っている十数本は香草の花にしては大きい。見栄えが良いものをと柳さんが選んでくれたのだろう。
確か名前は春黄菊。円形に集まる黄色いめしべを中心にして、細長い白色の花びらがたくさん付いている。果実のような甘くさわやかな香りがした。
春黄菊がたくさんあるのなら、茶にして店で出してはどうだろう。店の茶壷に入っている茶葉はどれも茶の木の葉を乾燥させたものだ。だけど母は、菊や茉莉花の花も茶になると話していた。
花に近い部分で茎を切り、水を注いだ器に浮かべていく。その作業を繰り返すと、花で埋め尽くされた湖面のようになった。
長机の端、入口に近い側に器を置く。振動で花がゆらゆらと揺れた。まるで風に揺れるように。
柳さんが目を細めた。
「雑草なのに、こうして見ると立派な花みたいですね。雪羅さんの発想のおかげで」
「元々、立派な花なんです。柳さんが手を掛けている畑で育ったんですから」
宝琴さんもそう思いながら、花を飾っていただろう。
「そういえば、さきほどお客様に話しかけられたのです。以前こちらで食べた点心が気に入って、また食べたいと思っていたのだと。宝琴さんが作られていたような物は無理でしょうが、私も学んで出せるようにしたいです」
「茶と一緒に出していた、きれいな色の菓子のことですね」
「ほかにはどのような物を出していたのか、お品書きなどはありますか?」
点心よりも簡単な物があれば、すぐに始められる。点心は見栄えが良い物を作れるようになってから提供すればいい。
「私は本当に妻に任せきりでわからなくて……すみません」
「畑仕事をされていたのですから、無理もありません。謝らないでください」
「品を書いた物は出してなかったはずです。何があるかと客が尋ねて、答えていたと思いますし。農民は文字が読めない人も珍しくないですから」
「……そうですか」
以前来たことがあるお客様に聞くしかないだろう。
待っていても始まらない。
自分で調べたり考えたりして、品数を増やしていこう。
まずは、春黄菊だ。
私は器に浮かべた白い花の方へ視線を向けた。
「あの花はたくさんあるのでしょうか。お茶にして店で出せたらと思うんです」
「花をお茶に? 茶とは茶の木の葉を使った飲み物ですよね」
「花を乾燥させたものに湯を注いでも美味しく飲めるのです。茶の葉から淹れるお茶とは違いますが、茶のように飲む物ということで花茶と呼びます」
母はそう言っていた。
柳さんは驚いたような表情から、感心する表情へと変わった。
「どこかの地方や他国で飲まれているのでしょうか。雪羅さんはずっと後宮にいたのに随分と物知りなのですね」
――おかしいと思われただろうか。
冷や汗が出そうになる。
「私ではなく母が」
転生前の知識を披露してくれた、とはさすがに言えない。
「賢妃様は確かに、ほかの方々にはない考えをお持ちで、お話し上手でした。いろいろなことをご存じだったのでしょうね」
納得されているようで安堵した。
今後も「母から教わった」と言えば、少々突飛でも不思議には思われないだろう。
「それで、春黄菊を乾燥させて花茶にできるか試してみたいんです。もちろん、市場に出されるのでしたら無理にとは言いません」
「いえ、これは売り物ではなく自生しているもので、川辺に山ほど咲いてます。摘んできましょう」
私は軽く静止するように両掌を柳さんに向けた。
「急ぎではありませんので、今すぐではなくても。川辺というと……近くに川があるのですか」
「すぐ横に。店の右側です」
昨日は正面から左に回り、裏に出た。右側は見ていないので川に気づいていなかった。
「では私が摘みに行きます」
「私も行きましょう。収穫などの畑仕事は早朝にするもので、あとは見回りがほとんどで急ぎませんから。日が高くなる前に花を摘んで干した方がいいです」
私は頭を深く下げた。
「ありがとうございます」
何も入っていない麻袋を持って、二人で店舗を出た。
外に出て東側に進むと、すぐに小川が見えた。川べりには白い春黄菊がたくさん咲いていて、風で微かに揺れている。
川幅は広くないが、跨いでは行けない。馬車が走っていた道は短い橋で向こう岸まで繋がってた。
川の近くまで行き見下ろす。澄んだ水が流れる音と、春黄菊が揺れるさわさわとした音。聞いていると心がやわらかくなる。
春黄菊はどこまで続いているかわからないくらいたくさんある。
数がなければ店で提供できない。
――これは、いけるかも!
振り向いて柳さんの方を見た。
「すごいです。これだけあれば飲んでも飲みきれないです」
「花を見て、飲みきれないという言葉を初めて聞きました」
柳さんは目を細めた。
「収穫します」
「そうしましょう」
二人で春黄菊を摘んで麻袋に入れ。たくさん抱えて店舗に戻った。
水を溜めた桶に茎を切った花を入れて優しく洗い、汚れを落とした。私が洗った花を柳さんが受け取り、外に敷いた麻布の上に並べていく。大量なので流れ作業だ。
作業を終えて、二人で春黄菊の群れを眺める。派手な花ではないが集めると圧巻だ。
「完全に乾燥させるのなら三日は干しておいた方がいいです。それから様子を見ましょう。天気によっても状態は変わりますし」
柳さんは春黄菊の茶を飲んだことはなくても、植物には断然くわしい。
「乾燥させれば長持ちするでしょうけど、花はいつまでもは咲いてないですよね。咲いているうちにたくさん作っておかないと」
そうすれば春だけではなく、どの季節でも飲める茶として店で出せる。
「朝の仕事が増えましたね」
「柳さんのお仕事の方を優先してください。私も今はまだ茶坊の仕事が少ないですから、一人で花を摘みますし」
「いえ、何歳になっても新たなことをするときは胸が躍るものですよ。やる気が湧いてきました」
柳さんが楽しそうな顔をしているので、私もうれしくなった。
「美味しい茶になりそうなら、花が枯れないうちに摘みまくります」
馬車の音が聞こえてきた。茶坊の前で止まり、駿が降りてくる。近づいてきて目を見開いた。
「なんだ、これ」
「春黄菊を乾燥させて、花茶を作るんです」
「面白いことを考えるなあ」
何故こんなことを知っているのか、と思われただろうか。
「私の思いつきというより……母が、母がいろいろなことを知っていて」
駿は顎に触れ、考え込むような表情をした。
「賢妃の生まれ育ったところでは珍しくなかったのかな。どこの出身だったか……」
生まれ育った場所を調べても、花茶のことなど出てこない。思考を遮るように一歩前へ出た。
「お迎えありがとうございます。行きましょう」
「そうだった、早い方がいいな」
柳さんが頭を下げる。
「よろしく頼む」
まるで娘を託すかのように。
駿は頷いた。
「日が暮れる前には戻ってきます」
歩き出してから、駿は立ち止まって私の方を見た。
「後宮育ちだと知らないだろうけど、こういうときは、いってきますって言うんだ」
私は噛み締めるように呟いた。
「……いってきます」
親しい人の元を離れるときの言葉。
当たり前のように戻ってくる、という気持ちを込めて。
私は振り向いた。
「いってきます」
柳さんが目を細めて頷いた。
「いってらっしゃい」
胸の奥が温かくなる。
まるで本当の家族のやりとりみたいだ。
馬車まで歩き、御者席に駿が座った。
「隣でも荷台でも、乗りたい方に」
「では隣に」
男性の隣は避けたいかもしれないと、選ばせてくれたのだろう。公主なら身内でもない男性の隣に座るのは避けるところだけれど、ここは後宮ではない。
左隣に座ると馬車が動き出した。




