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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第一章 聖華公主は死にました

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第4話 茶坊初日のお客様

 目覚めたとき、天井の古びた木板を見て夢ではなかったと安堵した。ここは後宮ではない。国都から遠く離れた茶坊だ。


 ――寝過ぎた?


 飛び起きて窓を開けた。

 青空と風に揺れる緑の畑が見える。

 早朝ではないのはすぐにわかった。


 店舗に入ると、ちょうど畑から柳さんが戻ってきた。


「おはようございます。すみません、すっかり寝入ってしまって」


 上半身を折るように深く頭を下げた。


「おはよう。寝入ったなら良かったです。雑炊を作ったので朝食にどうぞ」

「ありがとうございます」


 椀と杓子を持って竈の方へ行く。鍋から雑炊をすくい、長机の席に着いて木製の匙で粥を口に運んだ。少量の塩が効いている。柳さんは煮豆が入った器を持ってきて、机に置いた。


「豆もどうぞ。調理台に置いているおかずなどはいつも自由に食べてください」

「はい」


 煮豆を粥に入れる。

 柳さんは何か言いたそうな顔つきで、私の横に立っていた。


「畑仕事があるのでしたら私にはお構いなく」

「いえ、実は一晩考えていたのですが……おわびというかお願いがありまして」

「え」


 匙から煮豆がぽろりと落ちた。

 まさか、やはりここで働いてもらうわけにはいかない、という話だろうか。

 匙を置き、背筋を伸ばす。


「何か失礼なことをしてしまったでしょうか。ご指摘いただけたら改めますので」


 柳さんは首を激しく横に振った。


「そうじゃないんです。その、やはり公主様に目上のような口調で話すのは難しく、以前のような言葉遣いでもいいでしょうか……」


 私は思わずぽかんと口を開けてしまう。


 ――そんなこと?


「公主様、ではなく雪羅さんと呼ぶようにはしますので」


 私の物心がついたときから柳さんは後宮の庭師で、質問攻めする私に嫌な顔ひとつせず、植物のことを教えてくれた。二人の間で重ねられた言葉遣いは染み付いて、簡単に変えられるものではない。会話も含めて優しい記憶だ。


「柳さんが話しやすいようにしてください。無理は良くないですし」

「では、以前のとおりということで」

「遠縁の子だけど会ったことはなかった、ということにしましょう。仕事の経験を積むために私の親が柳さんに雇ってもらうよう頼んだという筋書きで。それなら丁寧な話し方でも不自然ではないでしょう」

「上手いこと考えるようになりましたね」

「元々の設定は駿が考えたものですけど」


 私は、ふふっと笑った。

 笑ったつもりだが、ちゃんとそう見えているだろうか。この数年笑うことがほとんどなかったので、頬がこわ張る。


「物怖じしないのが駿の良いところです。公主様とわかっていても、遠慮はしないでしょう。雪羅さんも本当の親戚のように気楽に話すといいですよ」

「はい」

「駿が来るまでは自由に過ごしてください」

「店は開けていいのですか」

「お好きなように。私はただ茶を淹れるだけだったので、数日に一人しか来ません。雪羅さんがやりやすいようにしてください。お茶の淹れ方はわかりますか」

「昨日私に淹れていただいたのと同じようにすれば良いですか」


 鉄瓶で湯を沸かし、蓋碗に茶葉を入れて湯を注いで出していた。


「はい。私は茶の淹れ方など教わったことがなかったので、正しい淹れ方かなどわかりません。それこそ、妻がこうしていたような気がする……という感覚で淹れてました。ほかの方法を試してみてもいいですよ」


 この茶坊を仕切っていた宝琴さんなら、美味しい淹れ方を知っていただろう。


 後宮では時折茶会が開かれた。給仕ではなく料理人が目の前で茶を淹れて振る舞うこともあった。その時々で淹れ方も道具も違う。

 どうして前のときと違うの? と母に尋ねると、茶葉によって違うと教えてくれた。


 母は飲めばすぐ茶葉の名前を当てられた。

 教わった茶葉の種類と特徴、名称、すべて覚えている。それぞれの淹れ方も。

 自分で淹れたことなどないけれど、母の教えどおりに試してみよう。


 棚に近づいて茶壷を見た。茶葉の名前が書かれた紙が壺の前に置かれている。並んでいる六つの壺のうち、名札が置かれているのは三つ。ほかの壺は茶葉を使い切って、足されていないのだろう。三種類しかないのなら、淹れ方を試すのにさほど時間は掛からない。

 店内を見回した。客は一人も来ないかもしれない。何もせずに待っているだけでは状況は変わらない。


 何ができるだろう。


 母が思い描いていた茶坊は、茶や菓子だけではなく、調度品や器にまでこだわりがあった。恐らくこの店も、宝琴さんのこだわりが詰まっている。大きくは変えない方がいいだろう。たとえば後宮にあるような上等な卓は似合わない。素朴さが安らぎになる。

 でも少し殺風景だ。

 薄荷は増えすぎるので刈ると言っていた。売り物にはならない花もあるかもしれない。


「柳さん、花を店に飾りませんか? 市場に出さない花があればですが」

「ああ……そういえば妻に頼まれて、時折花を摘んで飾っていた。頼まれることがなくなったから忘れていましたが。では持ってきますが、香草の花は小さくて見栄えはしませんが、いいのですか?」

「それが良いんです。小さい花は素朴で愛らしくてなごみます」

「そういうものなんですね」


 私は頷いた。

 ふと、入口に掲げられていた看板を思い出した。


「百花茶坊という看板がありますが、それが店名ですよね。どなたが名付けたのですか」

「妻です」


 たくさんの花々に囲まれた茶坊。

 宝琴さんは、夫が育てる花々を思いながら名付けたに違いない。


「素敵な名前です」


 柳さんはうれしそうに微笑んだ。


「では、畑に行ってきます」

「花は急ぎませんので、作業が終わって戻るときに持ってきてください」

「お気遣いありがとうございます。そうします」


 柳さんは扉を開けて出ていった。

 私は気合を入れるために「よし」と声を上げた。昨晩、身体を洗うために奥の棟に行ったとき、掃除用の桶と布巾を見かけた。早速道具を取りに行き、井戸で水を汲んで戻る。布巾を濡らして絞り、卓を拭き始めた。

 卓上に目立った汚れはないが、窓の桟には埃がある。隅々までは掃除しきれていないのだろう。宝琴さんが元気だったころはすべて任せていただろうから、家事は不慣れかもしれない。


 私も不慣れどころか、全く経験などないけれど。


 だけど私にとっては仕事だ。これからは賃金を受け取れるような働きをしなければならない。妻の店を守るために茶坊を続けていた柳さんとは違う。

 稼げる店にしなければならない。そうでなければ私は食と寝泊まりする場所を恵んでもらうだけになってしまう。


 客席をきれいにしてから調理場へ向かう。棚を拭きながら、茶器や備蓄の食料を確認していく。麻袋には米と小麦、野菜が入っていた。この周辺は小麦畑が多い。米が駿が持ってきた物なら、各地からの食材が並ぶ大きな市場があるのだろう。


 ――今日、駿に連れていってもらえるはず。


 どんな物が売られているのか楽しみだ。


 調理場の掃除を終えて、入口の扉を拭いた。扉は格子状になった部分に少し埃が溜まっている。扉を開けて外に出て、表側も拭いた。

 馬車が近づいてくる気配がした。

 振り向くと、馬車は店の前で止まった。


 お客様?


 屋根付きの客車から女性が降りてきた。髪に白髪が混ざり始めた高齢の方だ。身なりからすると、農民ではなく比較的裕福な家の人だろう。

 女性は優しく微笑んだ。


「見かけないお嬢様ね。柳さん、お店閉めてしまったのかしら」


 私は首を横に振った。


「いえ、百花茶坊は開店してます。私は見習いで今日から働き始めたのです」

「それは良かったわ。でしたら、また日替わりの点心が味わえるのかしら」


 点心は主食として食べるものと、甘みを加えた菓子とある。女性が言われているのは菓子の方だろう。


「点心を出していたのですね。申し訳ありません。私は遠方から来て、この店でどのようなものを出していたのか把握してないのです。これから学んで出せるようにしたいです。差し支えなければ、どのような物を食べられていたのか教えていただけますか」

「あら、そうだったのね。いろいろな花の形の点心を出していたわ。色もきれいで、辺境でこんな洗練された菓子が食べられるなんてと感動して、何度も足を運んだのよ。息子も気に入って、一緒に店に来たことがあるので思い出深いの。宝琴さんがお亡くなりになってから食べ物は出さなくなって、足が遠のいていたんですけど」


 通りすがりに私の姿を見て、何か変わったのかと気になって声を掛けたのだろう。 


「足を止めてくださったのに何もご用意できず申し訳ありません。次に来られるまでにご用意できるよう頑張ります」

「そう、では楽しみにしているわ」


 女性は微笑んで馬車へと戻っていった。馬車が去っていく。


 点心を出せるようになれば、以前の客が戻ってくるかもしれない。ほかにどのような菓子を出していたのだろう。客を増やすためには、新たな菓子もあった方がいい。

 考えること、やることはたくさんある。

 柳さんは調理は得意ではないと言っていた。菓子作りについて詳しくはないだろう。


 ――駿はわかるだろうか。


 客桟は料理も振る舞う。調理人がいるだろうし、菓子も作っているかもしれない。


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