第3話 これからここで生きていく
柳さんは駿が置いていった麻袋を抱えた。
「公主様、食事にしましょうか。調理場のことを簡単に教えましょう。お腹が空いたときに自由に作って食べていいですよ」
「ありがとうございます」
駆け寄って、もう一つの麻袋を持ち上げる。柳さんは慌てた様子で言った。
「そんな重い物は持たなくても、私が運びます。衣裳も汚れます」
「平気です。私はここに住ませていただく身ですから働かないと。それに見た目ほど重くはないです」
柳さんが抱えた麻袋は重そうだが、こちらは中がぎっしりとは詰まっていない。
「ああ、料理を分けてくれたんでしょう。それはこちらの台に置いていただけますか」
柳さんの後をついていく。長机の向こう側は作業台になっていて調理道具が並んでいた。空いている場所に麻袋を置く。
柳さんが運んだ麻袋は、背後の棚の一番下に置かれた。似たような袋が並んでいて、穀物か野菜のようだ。棚は三段あり、中段には食器、上段には壺が並んでいる。
台に置かれた麻袋から柳さんは荷物を取り出した。卵とほうれんそう、紙に包まれているのは麺、蓋付きの木箱の中には煮豚と煮豆。
「客桟で出している料理や食材の残り物を、駿が時折持ってきてくれる。残りと言ってるが、私のために取っておいてくれてるんでしょうね」
柳さんは微笑んだ。
甥が気にかけてくれていると、わかっているのだろう。
「柳さん、私は店を手伝いに来た親戚の子、ということになります。丁寧なお言葉じゃなく、もっと家族みたいに楽に話しかけてください。呼び方も、雪羅で」
「ああ、うっかり公主様と呼んでしまいそうですね。言葉遣いも……、慣れるのに時間かかりそうですが。いや、時間かかるだろうが」
「無理をお願いして申し訳ありません」
「これくらいたいしたことではない。しばらくは口調が混ざっておかしくなるだろうが、大目に見てほしい」
「はい」
「麺があるから今晩はこれを食べよう。鶏を煮た汁物がある」
早く私が食事を用意できるようにならなければ。
柳さんの作業を見つめる。かまどは二つあり、一方には蓋付きの鍋がかけられていた。温めていたのか微かに湯気が出ている。もう一方の鉄瓶を下ろし鍋を置く。横に大きな瓶があり、柄杓ですくった水を鍋にたっぷり入れた。
「中庭に井戸があるので、時折この瓶に足してます」
瓶の近くにある桶で水を運ぶのだろう。
水に気泡が現れる。少しずつ大きくなり、沸々と音を立て始める。
柳さんは軽く咳払いした。言葉遣いが丁寧なままなことに気づいたようだ。
「沸騰したら麺を入れる」
私は作業台に置かれた麺を持ってきた。投入する頃合いも大事なはずだ。
ぐつぐつと音を立て始めると、柳さんが私の方を見て頷いた。
えいっ、と沼に身を投げるかのように麺を入れる。
柳さんが目を見開く。
「ああ、ちゃんと教えなくてすみません。ほぐしながら落とすように入れると良いのです」
「すみません……」
「いえ、公主様……じゃなくて雪羅が案外豪快な人だとわかって、愉快な気持ちだよ」
少しいたたまれない気持ちになったが、柳さんが楽しそうに笑みを浮かべているので救われた。元々の私は決して物静かな子ではなかったのだと思い出す。
柳さんは湯の中で泳ぐ麺を箸でほぐしながら、ぐるぐると回している。しばらくそうしていると、かき混ぜなくても麺は回った。茹で上がった麺を二つの深い器に分ける。作業台の横が浅い流し台になっていて、排水口がある。湯を捨てて鍋を置いた。
「洗い物はまとめて井戸まで持っていってやっているが、妻は店にいるときは、ここに桶を置いて水を溜めて洗っていた。さて、もう一方の鍋も温まったろうから、それを麺の器に入れてくれるかな」
「はい」
調理台上の籠に箸や杓子などの道具が入っている。そこから木製の杓子を取り、麺が入った器をかまどの方へ持っていく。柳さんが鍋の蓋を開けてくれたので、澄んだ汁を杓子ですくって器に入れた。湯気が立ち上がり、鶏肉のほのかに甘い匂いが漂う。
ぐう、とお腹が鳴った。
「す、すみません。お恥ずかしいです」
「食欲が沸いたなら良かったですよ」
昨晩から何も食べていないということを、すっかり忘れていた。器を長机に置いて、もうひとつの器にも汁を入れた。
「雪羅、食べましょう。お腹が空いたでしょう。疲れもあるだろうし今日は早く休むといい」
「ありがとうございます」
二人で長机の席に並んで座った。
私は麺に向かって頭を下げた。
「いただきます」
箸で麺をすくい口元に運ぶ。するりと入ってきた麺を噛む。柔らかいが崩れず、弾力がある。咀嚼していると染み込んでいた鶏の風味が広がっていく。
「とても美味しいです」
柳さんの方を見た。
「お口に合って良かった。料理は苦手だが鶏を煮るだけの汁だから私でもできる。ああ、そうだ、煮豚と煮豆を忘れてた」
柳さんは立ち上がり、調理台から持ってきた煮豚と煮豆を麺の上に乗せた。
「ありがとうございます」
煮豚は噛むとほろりと崩れた。塩気が多めで汁の味が少し変わったが、異なる料理を味わうみたいで楽しい。
早く覚えて自分で作れるようになろう。
食事を終えると、柳さんにはすぐ寝るように勧められた。
「洗い物はやらせてください」
強い口調で訴える。
お客様ではないのだ。
「雪羅がそうしたいのなら。でも終わったらすぐ休んだ方がいい。後宮から馬車に乗ってきたのなら長時間起きていたのでしょう。今は自覚がなくても確実に身体は疲れている。体調を崩して寝込んでは何もできない」
言われて気づいた。
無理をし過ぎれば迷惑をかける。頑張ればいいというものではない。脱出のための荷馬車に乗ったのは夜中で、眠り込んでしまえば降り損ねてしまうからと、ずっと起きていた。狭い麻袋の中で。
「ありがとうございます。今日はお言葉に甘えさせていただきます」
使った鍋に皿や箸などを入れて中庭に出た。四角く囲まれた空間の右手奥に井戸がある。縄で吊るされた桶を水面に下ろして、汲んでから縄を引く。
すべて洗い終え、鍋に器などを入れて調理場に持ち帰る。布巾で拭いてから棚や籠に戻した。
柳さんが微笑む。
「おつかれさま。手が冷えたでしょう。大丈夫ですか」
「平気です。これからは毎日やることですし」
後宮から抜け出さなければ、一生やることはなかった作業だろう。だけど後宮でも誰かがやっていた。そういう人たちのおかげで成り立っていた贅沢な世界だ。
「部屋に案内しましょう」
二人で中庭に出る。柳さんは両手に燭台を持っていた。炎が微かに揺れている。空は緋色より紺色が多くなってきているが、まだ日は沈みきっていないので、炎がなくても中庭の様子は見えた。
「右棟に私が寝ている部屋があります。左棟に二部屋あるのでお好きな方を使ってください。親戚が来るようなことがあればと、寝具はすぐ使える状態になってます」
「ありがとうございます」
「私が幼いころは家族が多くて、正面の棟も寝室だったのですが、今は私ひとりきりなので使わない道具や収穫物を置いてます。そこに厠と、身体を洗うための場所があります。身体を拭くのに湯を沸かして使ってもいいですよ」
「はい」
寝る前に身体を拭いた方がいいかもしれない。きれいな寝具を汚してしまう。
「私は畑仕事のために夜明けと同時に起きてますから、私より早く起きようとはしなくていいですよ。特に今晩は寝られるだけ寝て、疲れを取ってください。午後からは駿と出かけるでしょうし。翌日からは茶坊を開店するのに都合が良い時間に起きてもらえれば」
「わかりました。今日は身体をきれいにしてから、すぐに寝ます」
まずは心配を掛けないよう体調を整えなければ。
「何でも自由に使ってください」
燭台をひとつ手渡された。
「おやすみなさい」
受け取って頭を下げる。柳さんも同じように礼をして、右棟に入っていった。
左棟の扉を開く。
左の壁際に寝台、正面の窓の手前に小さな卓と椅子。卓上に燭台を置いた。
右側の扉の向こうに一室あった。似た作りなので、手前の部屋を使うことに決めた。
これからここで生きていくのだ。
少しずつ実感が湧いてくる。
煌びやかな後宮とは全く違い、飾り気もなく古びた家具。だけど、みすぼらしいなどとは思わない。誰の目も気にせず休める、落ち着ける空間だ。
寝台に腰を下ろした途端、疲労感に襲われた。気が抜けてしまったのか。
――いけない、このままだと眠ってしまう。
首を横に振り、立ち上がる。
部屋を出て店舗へと向かい、湯を沸かして桶に入れて厠がある棟に向かった。奥に何もない小さな部屋があり、床の端に排水口がある。脱衣所には籠があり、身体を拭くための布が入っていた。
髪と身体を洗い、部屋に戻る。
髪が乾くまで起きていようと思っていたのに、気がつけば寝台に横になり、深く眠っていた。




