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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第一章 聖華公主は死にました

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第2話 亡き母の夢と新たなる協力者

 この国では、人は亡くなると生まれ変わると信じられている。転生は非現実的ではない。あり得るかもしれない、というものだ。

 だけど前世の記憶を持つという話は滅多に聞かないし、記憶らしきものがあるとしても本当か怪しい。目の前にいる母親が、と言われても信じ難い。


「こことは違う世界で生きていて、カフェで働いていた。あ、カフェとは茶坊のことね」


 母はいたずらっぽい表情で、ふふっと笑った。涼しげな美女と評されているが、身近な人の前では表情豊かで、よく喋る。話の内容も、噂話好きなほかの妃たちとは違う。

 物語を聞いているみたいで、頭の中に見知らぬ世界が広がって、私は母といれば後宮でも窮屈に感じなかった。

 母は話を続けた。


「きっかけは覚えてないけれど、気がつけばこの世界にいて、後宮入り間近な女性になっていた。絶望したわ。だってもう少し頑張れば茶坊を開く資金が貯まるところだったのだもの」

「でも母上はいつも明るくて、絶望しているようには見えません」

「絶望し続けて絶望に飽きたのよ。あなたも生まれたし、ここで生きていかなければならない。大きな声では言えないけど……いつか後宮を去る日が来たら、それからでも可能でしょう。老いても茶坊は営める。諦めなければ夢は叶うかもしれない」


 それから母は、茶坊で働いていたときの話を時折してくれた。どんな飲食物を出していたのか、店舗の雰囲気や客との交流、こんな店を作りたかった、など。

 転生者だという話は半信半疑だった。私が退屈しないように、物語調に面白く話しているのかもしれない。亡くなってしまった今は真偽を確かめる手段もない。

 だけど母が開きたかった店は細部まで想像できた。たくさんのことを教えられたから。


 目の前に蓋碗がいわんが差し出された。

「どうぞ」

 柳さんが微笑んでいる。


 私は蓋碗の蓋を少しずらし、椀を口に運んで茶を飲んだ。

 温かい。

 乾いていた心身に染み込んでいく。心がほどかれていく。

 きっと茶坊とはそういう場所だ。

 夢を果たせずに母は亡くなった。転生者かどうかなど関係なく、茶坊を開くのが夢だったのは間違いない。


 その夢を叶えることができるだろうか。

 私が。

 立ち上がり、後ろに下がって床に両膝をついた。


「聖華公主様、何を――」


 手をついて頭を深々と下げる。


「突然のぶしつけな願いをお許しください。私をここで雇っていただけませんか。何の経験もない娘など役に立たないかもしれません。半人前のうちは賃金も要りません。物置小屋で構わないので寝泊まりさせていただけますか。柳さんが畑仕事に専念できるように、頑張ります」


 柳さんは慌てた様子で長机を回ってこちら側まで来た。


「顔を上げてください。公主様が私に頭を下げるなど――」


 話の途中で扉が開いた。

 私は顔を上げ、振り向いた。

 両手に麻袋を抱えた若い男が立っていた。背が高く、細身だが鍛えた体つきをしている。長髪は後ろの高い位置で縛っていた。青色の衣装は丈が長く、上質ではないが仕立ては良い。農民ではなく商人だろうか。

 男性は目を見開き、ぽつりと言った。


「……公主様?」


 血の気が引いた。

 知られてしまった。


 柳さんが両掌を男性に向け、なだめるような姿勢を取った。


駿しゅん、これには事情があるんだ。落ち着いてくれ」

「落ち着いてるけど」


 言いながら振り向いて外を確認し、荷物を床に置いて扉を閉めた。


 どうしよう。

 公主と呼ばれているところを聞かれてしまった。上手い言い訳は思いつかない。

 柳さんもそう思ったのだろう。私の方を見た。


「ご安心ください。こちらは甥の駿。絶対に他言しないよう言い聞かせますので」


 男性は頷いた。


「ということは、本当に公主様なのか。どうしてこんなところに一人で」

 怪訝そうというよりは、興味深そうな表情をしている。

「それは……」


 近づいてきて目の前に立ち、手を差し出してきた。


「そんなところで膝を付いていては脚も痛む。元察さんに責められて詫びてたというわけでもないのだろう」

「とんでもないです。私が勝手にしたことです」

「きれいな衣装も汚れる」

「衣装の汚れなどどうでもいいです」

「とにかく、立った方がいい。元察さんがいじめているように見えるから」


 にやりと笑うので、私は手を取り立ち上がった。抗議するような視線を向ける。


「いじめられてなどいないです。柳さんはお優しいです」

「秘密なら他言しないので安心してくれ。ただ、茶坊のお客様には見えないし、もうすぐ日が暮れるのにいるということは、ここにとどまるつもりなのか」


 居座ろうとしている女に懸念を抱くのは当然だ。何も説明しないというわけにはいかない。


「わけあって後宮から抜け出しました。忍び込んでいた荷馬車がここで停まったので降りました。偶然にも後宮でお世話になっていた柳さんの家だったのです。それで茶坊で雇っていただけないか頼み込んでいたところです」

「後宮を抜け出す? そんなことが可能なのか」


 柳さんが頷く。

 男性は顎に手を当て考え込んでから、はっと気づいたような顔をした。


「まさか、聖華公主」


 心臓がどくんと跳ねた。


「……どうして、その名を」

「聖華公主が亡くなったという話を、ついさっき知人から聞いた。まだ都に情報は出回ってないが、すぐに知れ渡るだろう」


 亡くなったことになっている。

 上手く逃げられたのだ。


 あからさまに安堵の表情になっていたのか、男性は面白がるような顔つきでこちらを見た。


「無表情で冷たいことから氷公主と呼ばれていると聞いたことがあるが、案外わかりやすいじゃないか」

「わかりやすくてすみません」


 拗ねたような口調になってしまった。ずっと後宮で波風立てないよう過ごしてきたので、わずかとはいえ感情が表に出る会話をするのは久しぶりだ。

 男性は柳さんの方を見た。


「それで、ここで雇うことに?」

「……いや、まだ何も答えていなかったのだが、公主様と、お母上である賢妃様には本当に良くしてもらった。後宮では庭師など無視されるか、あからさまに見下す態度をとる人が多かったのに、お二人は慕ってくださった。できる限り助けたいとは思う」


 男性は私の方に視線を戻した。


「ほかに行く宛てはないのか」

「はい」

「行く宛てもないのに後宮脱出とは大胆だなあ」


 感心したような口調。


「……そうするしかなかったので」

「俺はここから半刻ほどの都に住んでいる。親が営む客桟かくざんで働いているから、ほかで仕事が見つかるまで泊まる場所を無償で提供してもいい。どうしたい」


 向こう見ずなところをからかわれているのかと思ったが、案外親切だ。

 客桟とは食堂を備えた宿のこと。無償で泊まらせてもらえるとは、かなりの厚遇だけれど。


「私はここがいいです。茶坊で働きたいのです。柳さんのご夫人が大切にしていた店を続けたいし、茶坊を持ちたかった母の代わりに夢を叶えることにもなるので」

「後宮育ちで何の経験もないのに?」

「それは……」


 言葉に詰まる。

 厄介な荷物に見えるかもしれない。

 だけど、挑戦したい。

 自分にも何かができるかもしれないし、母が教えてくれた知識を活かせるかもしれない。

 今はこれ以外の生き方は思いつかない。


 真っ直ぐ見つめながら言った。


「誰でも最初は何も経験ありません。学びながら少しずつ積み重ねていくものではないのですか」


 生意気な女と思われただろうか。

 行く宛てもなく、後宮に突き返されたらそれまでの弱い立場なのに。


 男性との会話で、まるで本来の自分を少しずつ取り戻していくような感じがした。私は言われるがまま流される女性ではない。母亡き後の後宮での生活で希望を失い、自分の意志も失いかけていたけれど、まだ取り戻せる。私は私のまま、生きているのだから。


 男性は、ふっと息を吐くように笑った。


「そこまで意志が固いなら、雇ってもいいのでは。元察さん」


 柳さんの方に視線を向ける。


「……いいのだろうか。不自由ない生活をされてた公主様が、こんなみすぼらしい家で寝泊まりし働くなど……申し訳ない気がして。お前のところに泊めて仕事を探した方がいいのでは」

「公主様がここで働きたいと言ってるのだから、申し訳なく思う必要などないでしょう。店を任せられるようになれば、庭仕事に専念できる。それに何もできないお嬢様に合う仕事などそう見つからない。下手すれば騙されて売られるかも」

「それは、確かに……」


 柳さんは心配そうな顔をした。

 私は頭を下げた。


「慣れるまでご迷惑をおかけするかもしれません。ですがこの茶坊がずっと続けられるようがんばります」


 考え込むような顔をしていた柳さんだったが、私と視線を合わせた。


「嫌になったら遠慮なく言ってください。そのときは客桟で寝泊まりできるよう駿に頼みましょう」

「……ありがとうございます!」


 柳さんの両手を包み込むように握った。その勢いで男性の方を向き手を取って握る。


「ありがとうございます。あなたのおかげです」


 説得してくれなかったら、柳さんは遠慮して受け入れなかったかもしれない。


「氷公主という呼び名からは想像できない手の温かさだな」


 男性の笑みを見て、慌てて手を離した。


「すみません、つい、勢いで」

「勢いね」

「こんなにうれしい気持ちになったのは久しぶりなので……」


 母が亡くなって以来、忘れていた高揚感。

 ここでやっていけるかもしれない。

 希望の光がきらきら降り注いでいる気がした。


「しかしその衣装で出歩くわけにはいかないな。質が良すぎて目立つ。そうじゃなくても目を引く顔立ちだ。元察さん、ここには女性の衣装は残ってますか」

「いや、妻のはあるが若い女性が着る物ではない」

「では、今日はもうすぐ日が暮れるから、明日うちに来てもらおう。妹が着ていない服があるかもしれない。ついでに市場を見て、店に必要なものを買えばいい。明日の昼ごろに迎えに来ます」

「そうか、よろしく頼むよ」


「私のためにわざわざ来てくださるのですか。申し訳ないので、道を教えていただければ歩いて行きます」

「朝から歩き始めても着くのは昼になってしまう。荷物を抱えて歩いて帰るのも大変だ。俺は元察さんに食料を届けるために、時折馬車でここに来てるから手間ではない」


 抱えていた麻袋には食料が入っているのだろう。


「では、どうぞよろしくお願いします」 


 深く頭を下げる。


「ところで、公主様と呼んで誰かに聞かれてはまずいだろう。なんと呼べばいい」

雪羅せつらで」


 蘭雪羅らんせつら。それが私の姓名だ。皇族は公の場で名乗ることはなく、聖華公主と呼ばれていた。庶民は公主の名前など知らない。国都から離れているし公主だと気づかれることはないだろう。何より母が呼んでくれた名だから、使い続けたい。


「俺のことは駿と呼んでほしい。敬称は不要だ」

「目上の方を呼び捨てというわけには」

「雪羅は親戚の子ということにしておこう。遠方から来て、人手が足りない元察さんの店で働いている、という」

「……確かに、そういう素性が必要かもしれません」


 突然若い娘が住み込みで働き始めたら、なぜなのか周囲の人々が気にするかもしれない。聞かれても困る。


「だから俺たちは親戚というわけだ。馴れ馴れしいぐらいでちょうどいい」

「わかりました。駿、ですね」

「では、明日また」


 去ろうとした駿を柳さんが呼び止める。


「ああ、ちょっと待った。今日、薄荷はっかの葉をたくさん刈ったんだ。良かったら持ち帰らないか」

「いただきます。でも代金は支払いますよ」

「いや、薄荷はとにかくすぐ増えるから刈るしかないんだ。捨てるしかないからもらってくれるだけでありがたい。市場でも少量しか引き取ってもらえないし」

「料理にはあまり使えないからな。蒸し暑い日も増えてきたし客桟で出す水に浮かべることにしよう。すっとして涼しくなるし、見た目もきれいで、以前試したら好評だった」


 柳さんは頷いた。


「じゃあ取ってくるから待っていて」


 歩き出して奥の扉を開ける。中庭になっていて、正面の棟に入っていった。

 私は駿の方を見て頭を下げた。


「本当に、ありがとうございます」


 ここに住み込みながら働けそうだ。それだけではなく明日も何かと世話してくれる。


「いや、たいしたことはしていない」


 駿にとっては、手間が掛かるだけで何の利益もないはず。


「見知らぬ私のために手を尽くしてくれるなんて、とても良い方なのですね」


 こちらの苦境を愉快そうにはしていたけれど、深刻な顔をされたり、迷惑そうにされるよりは気が楽だ。かわいそうと言いながらも、何もせず遠巻きに見る人だっているのに、さまざまな手を考えてくれた。

 駿は目を見開き、瞬きをした。

 それから苦笑する。


「これくらいで善人だと思っていては騙されるから気をつけた方がいい」

「そうですか?」


 小首をかしげる。

 後宮でそれなりに揉まれて、警戒心や人を見る目はある方だと思うのだけれど。


「はっきり言っておこう。俺も得すると思ったから助けた。ここの事情は聞いただろう。伯母が亡くなってから、元察さんは元気がない。二人には子がいなかったから一人きりだ。俺が子どものころ、たまに休暇で伯父夫婦が来て、国都でしか売っていない玩具をくれたり、宮廷の話をしてくれるのが楽しみだった。うちは客桟だから年中無休で、家族で遠出したことはない。伯父の話で見知らぬ世界に触れられるのが新鮮で、俺も妹たちも大好きだった。だから元気でいてほしい。茶坊まで失ったらどうなることか」


 人通りの少ない小さな村で、茶しか出せないのでは客も来なくなる。

 だけど茶坊を閉めることも柳さんにはできなかった。愛する妻が開いた店だから。誰も来なくなれば閉店状態になる。その時は少しずつ近づいてきていたのかもしれない。


「……わかりました。店を続けられるよう頑張ります」

「そのために協力を惜しまない、ということだ。過剰に恩を感じる必要はない」

「はい」


 柳さんが大きな麻袋を抱えて戻ってきた。駿に手渡す。


「たくさん入ってるなあ」


 私も背伸びして覗き込んだ。明るい緑色の葉が詰まっている。


「では、明日また来ます」


 駿は軽く手を上げ去っていった。馬車の音が遠ざかっていく。

 善意ではないという口振りだったけれど、やはり優しい人なのでは。私を利用するつもりなのだとしても、大好きな伯父を救うためなのだから。

 そして意図しているのかはわからないけれど、ただの善意ではないという説明は、私の心を軽くした。

 茶坊を立て直し存続させるために力を尽くせばいい。それを求められているのだから。


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