第5話 二人で出かける日
翌日も、翌々日も、茶坊は穏やかに客を迎えた。店先の看板を見たという客もいて、少しずつ新たな人を呼んでいた。
この先も何度も来てもらうためには、変わらない真心を込めた接客と、新たな品を増やすことに注力しなければならない。
石花菜で作った冷たい菓子二種は昨日から本格的に販売を始めた。それに合わせて入口横の看板の絵も変えている。
今日は駿に頼まれた点心を渡す日だ。
いつもより多く作り、店内飲食用とは分けて保管している。
開店の時間なので扉を開けた。
晴天で、日差しが眩しい。
目を細めて青空を眺めてから、店舗に戻り調理場に立った。
開店と同時に客が来ることは滅多にない。近所に住む高齢者が散歩がてら立ち寄ることが時折あるだけだ。
立ったまま、今後について思いを巡らせる。
次はどんな菓子を作ろうか。
菓子だけではなく、干した果物や木の実を用意しても良いかもしれない。
菓子があると茶が脇役になりがちだけれど、干した果物や木の実は茶を主役にする。茶坊というからには、茶の美味しさをもっと伝える方法も思案しよう。
いろいろな考えが浮かび、どれほど時間が経ったかわからないころに、客が入ってきた。
「いらっしゃいませ――」
いつもどおり礼をして、顔を上げてから息を呑んだ。
女性にしては長身ですらりとした体型。淡い青色の膝下丈の衣装。
切長の瞳が潤んでいた。
「……聖華公主様……」
「瑛児」
近づいていく。
そっと両手を伸ばし、腕に触れた。
幻ではない。
自由になったのだ。
涙目で見つめ合い、そっと抱きしめ合った。
「聖華公主様……本当にご無事で良かった。逃げ切れたのか、その後どうしているのか、気が気じゃなかったのです」
「私も瑛児がどうしているか心配してました。ここに来れたということは、自由になったのね」
腕を緩め、少しだけ距離を空けて目を見て話す。
「はい。皇后も永陽公主も、公主様は亡くなったと信じていました。私が故郷に戻って家族の側で暮らしたいと話すと、許していただけました。すべて公主様のおかげです」
瑛児は溢れる涙を手の甲で何度も拭った。
良かった。
本当に良かった。
「私がここにいるのも瑛児のおかげ」
「ご無事だと教えていただけなければ、私だけが逃げ切れて幸せになったのではないのかと一生苦しんでいたでしょう」
自由になって家族と共に過ごせても、心の奥に痛みを抱えて生きていくところだったのだ。私もずっと、瑛児が自由になったか、まだ皇后に辛い目に遭わされていないか気にし続けただろう。
瑛児と再会できて良かった。
「朱将軍がここを教えたのね」
瑛児の状況を調べて伝えたに違いない。
「はい。元部下に頼まれたとのことでした。これから聖華公主が生きていくうえで必要だろうと。もちろん私にとっても」
駿だ。
駿が二人が再会できるよう取り計らった。
止まりかけていた涙が、また一気に溢れ出した。嗚咽が漏れそうになり口元を押さえる。瑛児が優しく抱きしめてくれた。まるで姉のように。
私も瑛児も、これで心置きなく今の生活を楽しめる。後宮での苦しかった日々から、完全に解放されたのだ。
「まさか公主様が茶坊を営んでるなんて。半信半疑でしたが、実際に見てみると、本当に前からここにいたかのように馴染んでいます」
「そうだ、せっかく来たのですから、お茶と菓子を召し上がりませんか。すぐにご用意します」
瑛児が微笑む。
「ぜひ」
私は涙を拭った。
「それと、聖華公主は亡くなったので、雪羅と呼んでもらっていいですか」
「……恐れ多いですが、わかりました。雪羅」
「恐れ多く思うことなんてないです。私は子どものころ瑛児を姉のように思ってましたし」
「かなり歳が離れた姉ですが」
「それは……笑っていいか迷うところです」
二人で目を合わせて笑った。
長机の真ん中の席に瑛児は座った。
花茶と点心、石花菜の菓子二種を出す。
「花が浮かんでいるお茶なんて初めてです。点心は作り始めて間もないとはとても思えないぐらいきれいですし。それに、こちら――」
瑛児は四角い賽のような二つの菓子を、上から見てから皿を持ち上げ、横からも見る。
「このような菓子見たことがありません。透き通っていて……青い方は海を四角く切り抜いたよう。青と黄色の方は……」
じっと見つめてから、あ、と思いついたような顔をした。
「風景? この茶坊の周辺に広がる景色のような」
「そうです。青い方は水辺、黄色と青の方は小麦畑と名付けました」
「風景を切り抜いた菓子だなんて……」
瑛児は楽しそうな表情で、竹製のへらで風景を切って口に運んだ。
「……ひんやりとして、喉をするりと通り抜けて、優しい甘味が口に広がります。すごい。雇われているだけではなく、自ら菓子を作ってもてなしているなんて」
花茶と点心も味わう。その様子を私は微笑みながら眺めていた。
菓子を食べ終えてから、瑛児は深く息を吐いて私の方を見た。
「またここに来ていいですか。私は北の方にいるので少し距離はあるのですが、家族や友人を連れて来たいです」
「いつでも来たいときに来てください。来ていいですかなんて、尋ねる必要もないです。だって瑛児は私の姉みたいなものですから」
瑛児は少しいたずらをするような目をした。私が子どものときによく見た表情だ。
「姉にしては歳が離れているけれど」
二人で声を上げて笑った。
※
瑛児は乗合馬車で帰っていった。ここは辺境だが東の国境近くの街に向かう人が乗る馬車が通る。それを利用してここまで来たのだそうだ。
雲ひとつない空を見上げる。
母は見ているだろうか。
あなたのおかげで、何も経験がなかった私でも茶坊を営めています。自分が考えた茶や菓子でもてなす喜びを知りました。
これからもここで、生きていけそうです。
店舗に戻り、調理場に立ったまま今後について思案した。腕輪を見つめる。恵は茶坊で占いをしたらいいのではと言っていた。占いを専業にするほどの力はない。だけど人生を左右するような大きなことではなく、恵の未来を見たときのように、ちょっとした喜びが先に控えてると思うことで前向きになるのなら、見えた未来を教えるのもありかもしれない。
わざわざ遠くまで足を運ぶには、それくらい珍しい特典があってもいいのかも。
とはいえ、それはまだこの先の案のひとつということにしておこう。茶坊としてやることはたくさんある。茶の種類の充実と、飽きさせないよう菓子を季節ごとに変えるなど。
周辺は農家が多いからか、雨天の日しか来ない客もいる。雨で仕事ができないから、茶坊に来るのだ。今日は客は少ないかもしれない。
馬車の音が近づいてきた。店舗の前で止まる。足音が聞こえてきた。少し急ぎ足だ。
「雪羅!」
甲高い声。小柄な幼女が駆けてきた。
「阿花」
調理場まで回ってきて、私の足にしがみつく。
英と、夫の斉望津も入ってくる。
「この前はお騒がせしたから、今日は家族でゆっくりしたいなと思って」
笑う英に、私も笑みを返す。
「遠くから来てくれてありがとう」
阿花の頭を撫でる。
入口から駿も入ってきた。
「四人で来たんですね」
駿が答える。
「あれから親が阿花に会いたがるようになって、昨日から三人で南陽に来てたんだ。それで家に帰る前に茶坊に寄ろうって話になって」
「どうぞゆっくりしてください。何を召し上がりますか」
英が首をゆっくり横に振る。
「そうじゃないんだよね」
「え」
「せっかく私が来たんだし、雪羅は今日の午後はお休みにしたら? 取れるときに休み取らないと、働きづくめだと身体壊しちゃうよ。休みたくない気持ちもわかるけど、寝込んで数日店閉めるなんてことになったら、その方が嫌でしょう。たまにはゆっくり、仕事とは全く関係ないお出かけでもしたら」
「……でも、お気持ちはうれしいですが、出かけたいところがあるわけでもないですし」
南陽に食材の買い出しに出かけるとかなら、その間に店番をしてもらえるのはありがたいけれど、買い出しも仕事のうちなので、英は「そうじゃない」と言うだろう。
駿が英を加勢した。
「雪羅は絵を描いたり菓子を考えたり、自由な発想が必要だろう。俺にはわからないけれど、そういうのって新鮮な驚きとか感動とかがないと、尽きてしまうのでは。たまには仕事から離れるのも、それこそ仕事のためになると思うな」
英が頷く。
「私もあの騒動でわかったんだけど、ずっと家にいると考えが凝り固まっちゃって良くなかったな、って。自分一人の力で生きていくのは大変なのもわかったし……万が一のとき困らないよう視野広げて、いろいろ挑戦していきたいな」
隣にいた斎望津が困ったような顔をした。
「万が一って、また出ていく場合のこと考えてるのか」
「例えよ、例え。望津が私と阿花を大事にしてくれれば大丈夫!」
英が朗らかに笑ったので、斎望津も笑う。
話を聞いて納得した。
私にとっては後宮から出て辿り着いたこの世界は新鮮で、美しい風景や優しい空気も相まって、花茶や菓子が生まれた。
ずっとここにいてもじゅうぶん幸せだけれど、新たに目にするものが、新たな何かを生み出すかもしれない。
駿が宴に招待するかのように、手のひらを外の方へと向けた。
「出かける予定だったから、馬車に一緒にどうぞ。行きたいところがあるなら送り届けるし、特にないなら馬車に揺られながら景色を眺めるのもいい」
「そうでした、点心をお持ちになるんでしたよね。今、用意します」
英が阿花の腕を引いた。
「ほら、雪羅はお仕事だから、こっちおいで」
「んんー」
嫌がるような表情をしたが、渋々母親に従った。
用意していた木箱に点心を詰める。
「こちらになります。よろしいですか」
詰めた状態を駿に見せた。
「うん」
満足そうに頷いたのを見て、蓋を閉じた。駿が差し出した代金を受け取り、木箱を渡した。
「さあ、行こうか」
「はい」
「ここは任せて!」と英が言うと、阿花が真似をして「任せて!」と声を上げる。皆が笑う。
「よろしくお願いします」
親子に頭を下げてから、駿と共に外へと歩き出した。
「あの、その菓子を持ってどなたかに会いに行くんですよね。私がいては邪魔でしょうから、どこか適当なところで下ろしてくださっても構いません」
「適当なところって、どこか希望は?」
私は首を横に振った。駿が御者席に座ったので、隣に腰を下ろす。木箱は荷台に置いた。
「じゃあ、一緒に行こう」
「え、私がですか?」
別れた恋人に会いに行くのなら、どう考えても私はいない方がいい。それとも、よりを戻した瞬間の立会人みたいな役割なのだろうか。




