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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第三章 過去と現在

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第4話 優しい決断

「火事が起きたので人の出入りを調べるように言われている」

「こちらは皇后が親戚に贈る荷です」


 御者は身元が確かである証として玉佩を見せただろう。


「よし」


 公主が逃げ出した、ということにはなっていない。だから荷の中身までは調べないのだ。

 いける、このまま、門の外に出られる。


 荷車が動き出した。

 車輪が音をたてる。

 少し速度が上がった。

 外に出た――。

 私は麻袋に包まれたまま、両手で顔を覆った。

 成功した。

 自由になったのだ。

 聖華公主は死んだ。私は、公主ではない人生をこれから生きていく。心を閉ざし流されるままだった私とは、さよならだ。

 馬車は走り出したばかり。

 気持ちを緩めて脱出の機会を失えばすべてが壊れてしまう。疲労と緊張のおかげで眠気はないから、大丈夫。

 ずっと荷台の上で揺られながら、私は降りる機会を窺っていた。


 ※


「以上が、ここに辿り着くまでの話です」


 私はあの日のことを振り返りながら、どうしてこうなったのか要点を朱将軍に伝えた。

 朱将軍は蓋碗を見つめていた。話に聞き入って飲むのを忘れたのか、花茶はまだ半分ほど残っている。それを思い出したように口をつけ、飲み干した。


「貴女が無事逃げ切れて良かった」

「あの、瑛児はどうなったかご存知ですか?」


 計画どおり聖華公主が亡くなったことになったのなら、瑛児は皇后に責められず、上手くいけば故郷に帰れたはずだ。


「皇后の侍女の動向までは私は把握できない」

「そうですよね……」


 瑛児が特に問題視されてないのなら、後宮から去ろうと残ろうと噂にはならない。


「遺書と、焼け落ちたお堂に残っていた宝石と、皇后の信頼が厚い侍女の証言で自ら亡くなったと判断された。公主の最後の望みだからと、誕辰祭は予定どおり行われた。宮廷内では親族のみで極力質素に、共に食事をしただけだ。街中では例年どおり華やかに祝われて、公主の死が公になったのは誕辰祭後だ」


 私は小さく息を吐いた。

 良かった。

 皇帝は私にとって遠い存在だった。幼いころは、母の元に通う父にかわいがってもらえたが、母の死を機に翡翠宮に来ることもなくなった。

 それでも長女だからと、ないがしろにされることなく、嫁ぎ先も慎重に考えてくれているようだった。

 父のことを思うと胸が痛むが、娘は私一人ではない。すぐに以前と変わらない生活に戻れるだろう。


「朱将軍には、本当に申し訳ないです」


 求婚しようとまで思ってくれていたのだ。亡くなったと聞いて平気だったわけがない。


「私が求婚すると噂が流れたせいで、貴女を追い詰めてしまったのだろう。私こそ申し訳ない」


 私は首を横に振った。


「いいえ。それがきっかけとなって私はここにいるとも言えます。背中を押されたのです。後悔も誰かを恨む気持ちもありません。それに孤立していた私のことを気にかけてくださっていた将軍には感謝の気持ちでいっぱいです」


 朱将軍は微笑んだ。自虐するような笑い方にも見える。


「感謝、か。私の愛情に応えたい、という気持ちはないのだな」

「朱将軍は素敵な方です。後宮で憂いなく育っていたら、求婚されればとてもうれしく思ったでしょう。でも私は外に出るしかなかった。今はこの茶坊を立て直し守ることが、生きる理由に思えます」


 朱将軍は無言だった。

 考え込むように目を伏せている。

 気持ちの整理がつかないのだろう。聖華公主が生きていたということだけでも、全く想定外だったろうし、生きていても将軍に嫁ごうとはしない。

 申し訳なく、いたたまれない。

 貴方よりも辺境の茶坊を選びます、と言っているようなものだ。朱将軍の求婚を拒む人などいないだろうというぐらい、すべてにおいて優れた人なのに。

 ずっと無言だった駿が口を開いた。


「雪羅、試作中だった菓子がそろそろできたのでは。食べさせてもらえないか。朱将軍にも召し上がっていただいて感想をもらったらどうだ」


 石花菜の菓子のことを思い出した。


「はい、よろしければ感想をお聞かせください」


 朱将軍は頷いた。

 重たい空気が少しだけ軽くなった。駿はいつもさりげなく助けてくれる。

 石花菜は長方形の器の中で固まっていた。黄色に色付けた方は制作途中なので、青色の方に包丁を入れる。

 正方形の賽のような形に。

 半分より下が青色、上が透明の二層になっている。上から見ると水辺を眺めるように、深い場所に青がある。横からだと、水辺を四角く切り抜いたようにも見える。

 小皿の上に石花菜の菓子を乗せて、朱将軍の前に置いた。


「水辺、と名付けました」


 川でも湖でも海でも、味わう人が知っている景色に見えるといい。

 駿の前にも置く。

 朱将軍は小皿を持ち上げ、横から眺める。


「水辺……確かに、まるで湖の一部を取り出したようだ」


 駿が頷いた。


「湖と言えば青麗湖せいれいこですね。あそこは夏でも涼やかで、緑に囲まれて美しかったです」

「ああ……、戦の合間でもあの景色を見れば癒されたものだ」


 青麗湖は北の国境に近い場所にある大きな湖だ。二人は戦で北にいる間、青麗湖の近くにいたのだろう。

 二人にとって水辺は湖なのだ。戦は苦い記憶だろうけれど、そんな中にも慰められた景色があった。

 ひとつの菓子は、ただ味わうだけではなく記憶を呼び起こす物にもなる。

 駿は竹製のへらで菓子を切り、青い欠片を口に運んだ。


「……うん、これは夏にいいな。ひんやりしていて、口の中で崩れる感触もいい」


 朱将軍も口に含む。ゆっくりと咀嚼しながら目を閉じた。


「こんな菓子は初めてだ。冷たいまま喉元を落ちていくのも心地いい。見た目も合わせて夏らしい」

「ありがとうございます」


 私は軽く頭を下げた。


「貴女は私が思っていた以上に、強く生きていける人のようだ。この菓子を見ればわかる。茶坊で働くことに真剣に向き合い、学んで知恵を絞っているのだろう」

「まだまだ学ぶことばかりです。ここまでは母が教えてくれたことが役立っていますが」

「しかし、この菓子は貴女が考えたのだろう。教えられただけでは出来ない。優れた感性があってこそだ」

「過分なお褒めの言葉ですが、私は朱将軍に菓子を満足していただけて、本当にうれしいです」


 朱将軍は頷いた。


「貴女を幸せにしたかった。私にならそれができると思っていた。後宮からの脱出を口外しない代わりに、ここから連れ出して妻にすることも私には可能だ。でもそれでは貴女を幸せにできない。思えば私が惹かれたのは美しい容貌ではなく、どの女性とも違う感性だった。着飾ったり媚びたりするよりも、植物に興味を持ち、絵を描いていた幼い頃の貴女は輝いて見えた。本来の姿はここでこそ活きるのだ」

「……見逃していただけるのですか」


 追い詰められていたとはいえ、多くの人を騙してここまで来た。責められても連れ戻されても抵抗は難しい。

 だけど、ここでこそ活きると言ってくれた。

 これからも、この茶坊にいられる。


「貴女の意志を無視して連れ帰るのは、皇后たちが貴女にしたことと大差ない。ここで自由に生きてほしい。そうしてこそ、私が好きだった貴女でいられるのだろうから」

「……ありがとうございます」


 胸が苦しい。

 喜びと安堵に、申し訳ない気持ちが入り混じり、胸の内側を掻き回されているような感じがした。

 朱将軍の私への想いが深ければ深いほど、決断は容易ではなかったはず。だけど私のためにと、最良の道を選んでくれた。


「朱将軍の想いに、甘えてしまって申し訳ありません」

「本当に申し訳ないと思うなら、私の要望を聞いてくれないだろうか」


 要望?

 ここに残ることを許してくれた。それ以外のことなら可能な限り応えたい。


「何でしょうか」

「時折ここに来て、茶を飲んでも良いだろうか」

「それは、もちろん」

「東の国境を守っている軍に親友がいて、北に戻る前に会いに行くところだったんだ。聖華公主を失って気落ちしてたから、飲んで憂さを晴らそうと思い向かっていた。そうでもなければ東まで行くことはなかったのだが……これからは茶坊に行くついでに親友に会いに行く頻度を増やしてもいいかもしれない」


 私は思わず噴き出した。


「茶坊がついでではなく、親友に会う方がついでなのですか」

「そうだ。お気に入りの茶坊に行くついでに会いにきてやった、と言えば、親友も今の貴女と同じように軽口を叩いてくれるだろう」


 朱将軍と目を合わせて笑い合った。

 やわらかい空気に包まれる。


「ぜひ、またいらしてください」


 いつ来ても、ずっと先になっても、迎え入れられるよう茶坊を続けなければ。


「そろそろ失礼しようか。夕方までには友のところに辿り着きたいし」


 朱将軍は立ち上がった。駿も立って見送ろうとする。


「思いがけず柳駿に会えたのも良かった。私の力が必要なときがあれば、遠慮なく声を掛けてくれ」

「ありがとうございます」


 胸の前で手を重ねて礼をする。

 朱将軍は私の方に視線を向けた。


「そうだ、ひとつ頼みがある」

「はい、何でしょうか」

「貴女のことはもちろん口外しない。茶坊で働けるよう見守っていくつもりだ。だが、六皇子が聖華公主が亡くなって気落ちしている。本当に気の毒なぐらいに」

「……六皇子が」


 兄二人、妹二人、弟が一人いる。弟は私の母と親しく接してくれた徳妃が産んだ子だ。幼いころ慕ってくれていたので、私が孤立してからも冷たい態度は取らなかった。ただ、徳妃が皇后に嫌がらせをさせるのを恐れていたからか、表立って私を庇うことはなかった。そのことを悔いているかもしれない。

 私が生きていると知られるのは、他に漏れてしまう危険性が高まる。だけど、私の身を守るために弟の心の痛みを無視してもいいとはとても思えない。


「皇子が立ち直れぬようなら、公主は無事だと私から話してもいいだろうか。もちろん絶対に口外しないようにと強く言っておくし、何か問題が起きたら私が責任を取ろう」

「わかりました。朱将軍のご判断におまかせします」


 朱将軍は頷いた。

 後宮からの脱出が成功するかは賭けのようなものだった。失敗する可能性もあった中で、幸運と優しい人々の助けのおかげで、今の生活がある。

 私も人に優しくありたい。

 自分が救われたように、誰かが困っているときは助けたい。

 それで問題が起きてこの生活を続けられなくなるのなら、そうなる運命だったのだろう。


「そういえば、永陽公主が聖華公主の逝去を深く嘆いていたよ」

「……そうなんですか?」


 さすがに公の場で私の死を喜んだりはしないだろうけれど、そこまで嫌ってはいなかったのか、罪の意識に苛まれたのだろうか。

 朱将軍は苦笑した。


「泣いて私に縋ったが、あれは芝居だろう。寂しいので葬儀後も会って思い出話をしたいと言われ、面倒だから予定より早く涼煌を出た」


 姉を失って嘆き悲しむ妹を演じて、朱将軍の庇護欲を煽るつもりだったのか。


「芝居でしたら、以前と変わらないご様子なので良かったです」


 苦しんでほしいとは思わない。でもそれは今の自分が幸せだからかもしれない。


「では、また。ここまで来て茶を飲んで菓子を味わう価値はある。北からは遠いから、頻繁に来られないのは残念だが」

「いつ来ても穏やかな気持ちで過ごせるよう、今後もこの店のために頑張ります」


 朱将軍は微笑んで茶坊を出た。私も見送るために外に出る。

 待機していた馬車の客車に乗り込むと、すぐに走り出した。その姿が遠い地平に消えるまで見つめていた。


 店舗に戻ろうと歩き出す。隣には駿がいた。


「ありがとうございました」

「え、俺? 感謝されるようなことは何もしてないけど」


 不思議そうな表情で足を止めた。私も立ち止まる。


「私一人なら、朱将軍を菓子でもてなそうと思いつかなかったかもしれません。説得できず連れ戻されたかも」


 突然の出来事に動揺して、どうすればいいのかわからなかった。経緯を話しただけでは理解されなかったかもしれない。後宮から抜け出すことが目的だったのなら、自分のところに来ればいいと朱将軍は思っただろう。

 後宮からの脱出は目的ではなく手段だ。

 私が自分らしく生きていくための。


「俺はただ、きっかけを作っただけだ。雪羅が考えて作った花茶と菓子があったから、言葉だけでは伝わらないことを朱将軍に伝えることができた。雪羅は自分で自分を救っている」


 そうだろうか。

 ここまで積み重ねてきたことに、少しは自信を持っていいのだろうか。

 それでも私一人では、もっと上手くいかないことが多かっただろう。

 後宮にいるときは自分のことで精一杯で、朱将軍や六皇子の気持ちにまで考えが及ばなかった。

 もっと視野を広めて、周囲の人たちを大事にしたい。ここに来たばかりのころは必死だったけれど、そろそろ自分以外のことも考えていける人間にならなければ。

 駿はなぜ、故郷に帰ってきたのだろう。

 客桟を継ぐためではなさそうだし。


「茶坊の菓子は持ち帰りも可能だろうか」

「今日ですか」


 菓子を持ち帰りで販売したことはない。客から贈答用にと希望されたこともあったが、個人で作る数には限界があるので、午前に持ち帰りで売り切ってしまえば午後の分がなくなる。夕方以降なら持ち帰り可にすることも考えようか。


「今日じゃなくていい。持っていきたいところがあって。もちろん無理ならいいんだが」

「駿にはお世話になってますし、持っていく日があらかじめわかっていれば、その日は多く作るようにします」

「それはありがたい。では三日後に。店の分が減るのは申し訳ないから、点心をひとつでも構わない」

「個数は希望どおり作りますよ。お渡しする相手はお一人ですか」


 駿は頷いた。


「そうだ」

「では点心を二つにしましょう。駿と一緒に食べようということになるかもしれませんし」


 駿はやわらかい笑みを浮かべた。


「ありがとう。頼むよ。そうだ、これは今日のお代」


 差し出された銭を受け取った。


「ありがとうございました」


 駿は馬車に乗り込むと、西の方に向かって走り出した。その背中を見送る。

 誰に点心を持っていくのだろう。

 婚約者とは別れたと言っていた。その時期まではわからない。復縁するのだろうか。

 考えすぎかもしれないし、そもそも勝手に想像するのは失礼だろう。

 でも、さきほどの笑みは特別なものに感じた。誰かを大事に思うような。

 私が作った菓子が誰かと誰かの心を結ぶきっかけとなるなら、とてもうれしい。なぜか少しだけ胸が苦しいけれど。

 いつもどおり、思いを込めて作ろう。

 店内に戻ると、近所に住む常連客が二人がやってきた。高齢の夫婦だ。


「いらっしゃいませ」


 夫人が笑いながら答える。


「点心が食べたいから急いで来ちゃった」


 夫は苦笑していた。


「早く行かないとって催促されてさ」

「あなただって、この前は売り切れで悔しそうにしてたじゃない」


 楽しそうに話しながら、いつもと同じ壁際の席に座る。

 朱将軍が見逃してくれたおかげで、この光景が守られた。

 私だけではない、たくさんの人の想いでここは成り立っている。

 感謝しながら、いつものようにもてなした。

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