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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第三章 過去と現在

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第3話 後宮脱出計画

 瑛児は顔を上げて頷いた。


「聖華公主様に訴えられたら、私はもう終わりです。終わりなら、皇后様の顔色を伺う必要もありません。私は田舎の両親の身の安全と引き換えに、皇后様付きとなり、命令に従っておりました」

「従わなければ、両親を傷つけると言われていたの」

「はい。命を奪うのは簡単なことだと。従えば両親と妹弟たちにも報酬を贈ることになっていました。実際に、時折宝飾品などが贈られて家族は大層喜んでおりました」


 娘が脅されているとは知らず、皇后様に能力を買われて出世していると無邪気に喜んでいたのだろう。


「そう、それで今日も、何か命令を受けて私のところに来たのね」


 私の母が重用していた瑛児を引き抜くことで、痛手を与えられると皇后は考えたのだろう。内情を聞くこともできただろうし、こうやっていざとなれば刺客のようなこともさせられる。瑛児なら私の部屋の場所も寝台の位置も知っている。


「聖華公主様の顔を傷つけるようにと言われました。顔に醜い跡が残れば婚姻は難しくなるという考えからです。永陽公主様はどうしても、朱将軍の妻になりたいようです」


 私は呆然とした。

 そんな理由で人を傷つけ、そのために家族を人質同然にして侍女を従わせた。

 なぜこんな目に遭わなければならないのだろう。

 今日は難を逃れられても、この先、同じようなことは繰り返される。後宮にいる限り。そんなことのために常に警戒し、誰にも心を許さず生きていくなんて、それは死んだも同然では。

 死んだように、このままここにいるの?


「私が聞いた事情は口外しないけれど、顔を傷つけるという命令を遂行できなかったことで、瑛児は罰を受けることになるのでは」

「鞭打ちぐらいで済めばいいですが」

「鞭打ち?」


 そのようなことを、「鞭打ちぐらい」と言わなければならないくらい、いつも無理を強いられているのだろうか。


「でも、この方法が失敗したのなら、また別の方法でとなるかもしれません。朱将軍はもうすぐ来ます。求婚する前に阻止しようとするでしょう」


 終わらない。

 瑛児は命令を拒否すれば傷つけられ、家族が危険な目に逢うのではと怯えることになる。

 私はずっと自分一人が虐げられていたと思っていたし、我慢するか、受け流せばいいと思っていたけれど、私だけではないのだ。私を傷つけるために、巻き込まれてつらい思いをしている人もいる。


 終わらせなければ。

 すべてを捨てて、ここを出る。

 誰も傷つけず、傷つけられず、自分の人生を歩む。


「瑛児、私は死んだということにできないかしら」

「公主様……?」

「自ら命を絶ったことにして、後宮から脱出するの。池に身を投げたとかでは遺体を探されてしまうので、焼死で遺体が残らないことにするしかない。夜は人がいない小さなお堂があるでしょう。あそこで油をかぶって火をつけたことにする」

「……でも、ここを出てどうされるのですか。すべてを捨てるなんて……」

「身分も豪華な衣装も宝飾品もいらない。母上は天から見ていてくれる。惜しい物なんて後宮には何ひとつない。外で上手くやっていける自信なんてないけれど、ここでだって身の危険にさらされている。それなら自分が選んだ場所で生きたい」


 瑛児はまだ戸惑った顔をしている。


「私が罰を受けないためにですか? 私のためにそんな苦労をさせるわけには」


 私は首を横に振った。


「自分のため。それに私が死んだことになれば、瑛児は命令を遂行できなかったことを責められないだけじゃなく、自由になるかもしれない。私と母を困らせるために雇われたのだから、その役目がなくなる。ほかの侍女と同様に理由をつけて里下りすればいい」


 考え込むような表情をしていた瑛児の目に強い光が灯った。


「わかりました。公主様を脱出させるために全力を尽くします。早朝に荷を乗せた馬車が出ることになっています。そこに荷を装って乗せましょう」

「ありがとう」

「骨が残らないほどの火力で燃やさなければなりません。念の為、公主様が身につけていた装飾品で火に強い物を置きましょう。公主様が確かにいたと思わせるために」

「わかりました。用意します」


 父からもらった紅い宝石の指輪にしよう。いただいた物なのに申し訳ないが、脱出時に持っていける量は限られている。どちらにせよ残していく物だ。

 母の形見の腕輪だけ身に付けていくことにしよう。


「では私はこれから油の用意と、馬車に紛れさせるための準備をします。少々時間が掛かりますがお待ちください」

「お願いします。準備が整うまで、私は遺書を用意します」

「はい、ではまた後ほど」


 瑛児は礼をして素早く部屋を出ていった。

 失敗すれば、協力した瑛児が罪に問われるだろう。皇帝を騙したとして処刑されるかもしれない。

 聖華公主が亡くなったと確実に思わせなければならない。

 私は卓の前に座り、紙を広げて筆で文字を書き始めた。

 母が亡くなった現実をどうしても受け入れられない、時間が経てば慣れると思い続けていたが無理だった。私も母の元へ行きます、という内容だ。

 誕辰祭は予定どおり行ってください、天からその様子を見たいので、と書き加えた。

 亡くなったことで他の何かまで変えてほしくはない。いてもいなくても変わらないぐらいがいい。

 この遺書を部屋に置く。

 瑛児が訪ねてきたときには私の姿はなく、遺書に驚いて私を捜し、お堂で命を絶つ瞬間を目撃するという筋書きだ。

 これで瑛児は皇后に責められずに済む。顔を傷つけるよりも良い結果になったと満足するに違いない。私が消えたことで、朱将軍が真珠を妻として迎えるかはわからないが、皇后がいろいろ手段を講じるだろう。

 


 準備ができたと瑛児が迎えに来た。


「公主様には先に荷車の方に移動していただきます。火事が起きてからだと人が多くなり姿を見られる可能性があります。荷車は夜明けと共に出るため既に荷を積んだ状態で備蓄庫にあります。ひとまずそちらに参りましょう」

「はい。そうだ、これを」


 指輪を差し出すと、瑛児は受け取って頷いた。



 倉庫の方へ移動した。主に食品を収蔵していて、高価は物はないので守衛はいない。

 荷台の上に置かれた麻袋に、私は足から入った。


「上の紐を縛りますが、少し力を加えれば解けるようにします」


 瑛児は麻袋を私の肩まで上げた。


「聖華公主様、馬車が休憩で止まる機会を逃さないようにしてください。皇后様の親戚へ届ける荷物に紛れさせますので、途中で降りないと見つかってしまいます」

「……瑛児、このような危険なことに巻き込んで申し訳ありません」

「いえ、賢妃様や公主様にはとても良くしていただいていたのに裏切るようなことをしてしまい、ずっと胸が苦しかったのです。お役に立てるのでしたら私も救われます。何より、これで私と家族が自由になるのでしたら、公主様には感謝し尽くせません」

「私の方こそ、協力してくれてありがとう。私一人では何もできませんでした」

「公主様、どうかご無事で。自由に生きられるよう祈っております」


 私は大きく頷いた。


「瑛児も、自由に、元気でいてください」


 幼い頃、姉のようにいつも傍にいてくれた瑛児。もう二度と会えないだろう。だけど、互いに自由になれるのなら、この決断は間違っていないはずだ。

 袋が閉じられる。

 瑛児が去っていき、気配が消えた。

 これから瑛児は私が命を絶ったと偽装するために火をつける。大騒ぎになるだろう。だけど私はしばらくここで息を潜めていなければならない。眠らずに。

 沈黙の時間は長かった。

 そろそろ火は着けられただろうか。お堂が炎に包まれるまで待って、瑛児は人を呼びに行く。


 どれくらい経っただろう。

 遠くから、ざわめきが伝わってきた。

 ここは後宮から距離があるから、何を話しているかまでは聞こえない。近くを駆ける足音が聞こえた。


「火事?」

「後宮の方だぞ」


 予定どおり燃えているようだ。

 夜明けまで、まだ時間は長い。

 お堂の方は上手くいっただろうか。

 気づかれずに、この荷車は宮廷の門を抜けられるだろうか。


 どうか、どうかすべて上手くいきますように――。


 ふと、身につけていた腕輪のことを思い出した。未来を見せてくれる腕輪。脱出が上手くいくか教えてくれるだろうか。

 もし、後宮に戻っている自分が見えたら――。

 知ってしまえば絶望する。その絶望は逃げ切る気力を失わせる。

 私は小さく首を横に振った。

 そうだとしても、引き返すわけにはいかない。この腕輪の力が絶対に正しいのかはわからないし、正しいとしても、その運命を乗り越える強い意志がなければ、生き方は選べない。

 震える手でそっと腕輪に触れた。


 脳裏に浮かんだのは、どこまでも広がる黄金色の小麦畑。青空。私は揺れる穂を眺めている。

 その光景は静かに消えた。

 これが私の未来?

 どこなのかはわからない。だけど、後宮ではないことは確かだ。

 逃げられる。きっと成功する。

 成功させる。


 祈るような気持ちで、動かずに耐えた。

 どれほどの時間が流れただろう。

 気が遠くなりそうだった。

 やっと、倉庫の扉が開く音がした。


「昨晩、翡翠宮で火事があったんだってな」

「燃えたのはお堂で、翡翠宮自体は無事だったようだ」


 男が二人、荷車に近づいてくる。


「それは良かった」

「いや、良くはないだろう。なんで使っていないお堂が全焼するんだ。誰かがいたのか、火を着けたやつがいるのか」

「物騒だな。後宮もいろいろあるんだろう。まあ俺らには関係ない。いつもどおり仕事だ」


 急に荷車が揺れた。驚いて声を上げてしまいそうになり慌てて口を塞いだ。動き出した荷車は近い距離で止まった。

 麻袋越しに明るい日差しを感じた。まだ早朝の弱い光だけれど、ずっと暗闇にいた私には眩しいぐらいだった。

 馬がいななく声が聞こえた。

 荷車を馬に繋いでいる。

 男二人の会話から、お堂は焼け落ちたことがわかった。公主が亡くなったという話はまだ下級の者たちには伝わっていない。確かに亡くなったか調べているか、逝去を知らせる頃合いを測っているところだろうか。

 聖華公主が脱出した、という話にはなっていない。


「じゃあ、荷は頼んだぞ」

「わかった」


 皇后の私的な荷物ということで、大掛かりな警備などはつかないようだ。

 御者が乗り込んだ。

 馬車が動き出した。

 がたがたと音をたてて前へと進む。


 早く、もっと早く――。


 もどかしい。

 火事による自害が捏造だと気づかれたら、公主を逃さないようにと門が閉じられてしまう。


 早く――。


 馬車は走り続ける。

 宮廷内なので速度は上がらない。

 馬車が止まった。

 やっと門まで辿り着いたようだ。


「待て」


 門番の声。

 心臓が、どくんと跳ね上がる。

 荷を調べる、そう言われるのでは――。

 どくどくと鼓動が早まる。


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