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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第三章 過去と現在

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第2話 あの日を振り返る

 あれは、皇帝の誕辰祭を三日後に控えた日の出来事だった。

 誕辰祭とは重臣や親族、関係各国からの貴賓が、皇帝の誕生月日に宮殿に集まり祝う日だ。街中では布で作られた長い胴体の龍が大人数に繰られて舞い、庶民たちも祝う。爆竹が至る所で鳴らされる。各店が安売りしたり特別な品を用意するので、多くの人々が繰り出して賑わう。


 皇女たちも誕辰祭に合わせて新しい衣装を用意していた。

 私が暮らす翡翠宮に、衣装作りを担当している尚服局の官女が来た。ほぼ完成した衣装を実際に着て、問題がないか確認するためだ。

 私は襟元に細かな刺繍が入った薄水色の衣装を着て官女の前に立った。

 官女が微笑む。


「よくお似合いです。お身体にも合っていて、お直しするところはありませんね」


 正面からだけではなく、横から背後まで回りじっくりと検分している。


「素敵な衣装をありがとう」

「お美しい聖華公主様の衣装は、私どもも作りがいがあります。朱将軍がお選びになるのも納得です」

「……朱将軍が、何をお選びに?」


 官女は口元を押さえた。慌てるような仕草だ。


「申し訳ありません。もう決まったことかと思い」


 いつもなら噂話の内容など追求しないが、嫌な予感がして問わずにはいられなかった。


「朱将軍が何を選ばれて、私がどう関係しているのか教えてください」


 丁寧な口調で尋ねても、官女にとっては命令に等しい。

 官女は膝をつき、両手を胸の前で重ねて頭を下げた。


「誕辰祭のために朱将軍が都に戻られますが、聖華公主に求婚するらしいという話が官女達の間で広まっています。それでもう決まったのだと思っておりました。軽々しく口にして申し訳ありません」

「頭を上げてください。あなたが作り話を広めているわけではないでしょうから、お詫びは不要です」

「温かいお言葉、感謝いたします」


 官女は立ち上がった。


「私と朱将軍の間にそういう話が出たことはありません。お会いするのも一年振りになりますし。以後この話が出たら、何も決まっていないと私が言っていたと話して結構です」

「わかりました」


 私は別室で衣装を脱いで侍女に渡した。最終的な仕上げをしてから誕辰祭前日に受け取ることになっている。

 官女が立ち去ってから、ため息をついた。

 この噂は皇后と妹たちも耳にするだろう。

 すぐ下の妹、蘭真珠らんしんじゅ永陽公主えいようこうしゅと呼ばれている。真珠は幼いころから朱将軍を慕っていた。朱将軍が私に話しかけると、間に入ってきて引き離そうとする。五年ほど前、真珠は庭園の池に落ちて朱将軍に助けられたことがあったが、泣きながら「雪羅に突き落とされた」と訴えていた。

 もちろん私は突き飛ばしてなどいないし、朱将軍も信じなかったようだ。朱将軍は庭師の柳さんに話を聞いて、真珠の作り話だと知ったらしい。

 気を引くために自ら池に落ちた真珠が、求婚の噂話を聞いて黙っているとは思えない。


 何をしてくるだろう。

 中傷程度で済めばいいけれど。


 たとえば私が朱将軍と結ばれたいと強く思っていれば、対抗して、朱将軍の心を射止めようと頑張ったのかもしれないけれど、そういうつもりは全くなかった。私にとって朱将軍は強くて優しい兄上みたいな存在だ。実の兄は後宮の揉め事に関わりたくないからか、私に親しげに話しかけてくることはなかった。

 皇帝は一時期、私の母を寵愛した。ほかの妃とは一風違う話術を面白がり、長い時間共に過ごすことが多かった。皇后はそれを不満に思い、ほかの妃も巻き込んで敵意を向けるようになったらしい。

 そのような状況でも、自然に接してくれる朱将軍が心強い存在であったことは間違いない。

 噂話から問題が起きて、朱将軍に迷惑をかけるようなことにならなければいいけれど。

 心配はしたものの、何をされるかわからないから打つ手もない。


 日中は庭を散策したり、部屋で刺繍をしたりして時を過ごした。

 夕刻になると、皇帝と妃たち、子どもたちが宮殿に集まった。

 皇帝と皇后が中央で、その前の空間に左右向かい合うように低い几と椅子が並んでいる。食事を取りながら和やかに歓談していた。

 皇帝は四十四歳。剣技が得意で身体をよく鍛えているからか、年齢よりも若く見える。光沢のある黄色い衣装には細かな刺繍がほどこされていた。


「準備は滞りなく進んでいるようだな」


 皇帝の言葉に、皇后はうなずいた。


「娘たちも誕辰祭を華やかに彩ろうと、新しい衣装を用意してますよ」

「それは見るのが楽しみだな」

「父上」


 真珠が尋ねた。


「朱将軍は、もう都に入られたのかしら。お久しぶりなのでご挨拶したいです」

「そういえば幼いころは、皆とよく遊んでいたな。将軍として立派な働きをしているから、なかなか都には戻ってこられないが。会って思い出話もしたかろう。明日来るから、時間を作るといい」

「ありがとうございます。朱将軍はそろそろご結婚ではと言われてますが、父上は何かお話を聞いてますか」

「いや、私が良い娘を見つけてやろうと言ったのだが、心に決めた人がいると言っていた。近々報告があるかもしれないな」


 皇帝は深く微笑んだ。

 真珠は私の方を見た。


「姉上は何か聞いていますか。幼いころ朱将軍とは親しくされてましたよね」


 探るような目。口の端は上がっているが、目は笑っていない。


「いいえ、何も。私も真珠と同じく、朱将軍とはしばらく会っていませんので」


 本当のことを言っているのだが、真珠が素直に信じるとは思えない。

 一見、よくある姉妹の会話に見えるだろう。だけど真珠が私に話しかけてくること自体が珍しいのだ。宣戦布告とまでは言わないが、嫌な予感しかしない。

 ただの牽制ならまだいい。

 胸騒ぎは収まらず、何を食べたか記憶にないぐらい落ち着かない気持ちのまま、食事を終えた。



 退室し、翡翠宮に戻った。

 噂話を信じたままなら、これから何かしてくるだろうか。

 新しい衣装を汚すとか、池に突き落とすなどの嫌がらせでは、婚約は阻止できない。

 嫌な噂を流す、とかだろうか。

 ほかの男性と関係を持っているとか。

 それが一番ありそうな線だ。

 しかしずっと後宮にいて、親族以外の男性と触れ合う機会もない中で、噂をたてても真実みに欠けるだろう。

 朱将軍の名前を使って密かに呼び出して、ほかの男性と建物に閉じ込める、ぐらいはやるかもしれない。


 気をつけよう。

 しばらくは一人では行動しない。朱将軍が都に来て、本人がほかの女性との婚約を予定していると説明すれば、私への嫉妬は収まる。


 寝台に腰を下ろし、深いため息をついた。

 こんなことばかり考えて、私は何のために生きているのだろう。

 母を失ってから、話し相手は侍女しかいない。侍女たちの中には、皇后が遣わせた密偵が紛れ込んでいることもあるから、心情を語りすぎるわけにもいかない。

 一人で部屋にこもっているときだけが、気を抜ける希少な時間だ。

 時折、母のように筆を手にして絵を描くこともあるし、それは楽しいけれど、現実逃避でしかないとも思う。

 聖華公主として行動する時間こそが、現実なのだ。

 この先、公主として生きていくしかないのだろうか。

 父が選んだ誰かと結婚し、後宮を出ることになる。夫は側室を娶るだろう。そうすればまたそこも、後宮のような世界になるのではないか。女性たちは夫に尽くし、嫉妬と探り合いで傷つけ合う。

 明るい未来があるとは思えない。

 私は、どう生きたいのだろう。


 寝支度を整えて寝台に横たわったものの、なかなか寝付けなかった。これからどんな攻撃をされるのか、などと考えていては、気が休まらず眠れないのも当然だけれど。

 目を閉じ、時間が経って眠気がくるのをひたすら待った。微かに音がした。扉の向こうからだ。


 足音?


 眠っていたら気づかないような、本当に小さな物音だ。

 一瞬だけだったので、近づいてきているのかもわからない。

 音をたてず、忍び寄っている。

 気のせいかもしれないけれど、それならそれでいい。

 万が一に備えて、私は静かに寝台から離れた。扉がある壁際に背中をつけ、耳を澄ます。

 片隅にある燭台のみ灯を消さずに寝たので、部屋は微かに明るい。もし誰かが侵入してきたら、扉の横は見ずまっすぐ寝台の方へ向かうだろう。

 息を潜めて反応を待つ。

 考えすぎであってほしい。

 そう願ったが、静かにゆっくりと扉は開いた。

 侵入者が寝台に近づいたときが、逃げる最大の機会だ。私の方が扉に近くなり、廊下に飛び出して大声を上げれば、守衛が駆けつけるだろう。

 だけど上手くやらなければ、守衛を呼ぶ前に捕まってしまう。侵入者が入ってきても、すぐには気づかれないよう息を潜め、背中を見送ってから飛び出さなければ。

 人が入ってきた。顔はよく見えない。だけど大男ではない。細身だ。


 女性?

 闇に紛れるためか全身黒色の衣装だ。髪も黒い布で覆っている。だけど、女性的な体つきに見えた。

 顔はよく見えないけれど、横顔の鼻筋や口元、知っている気がする。


 ――瑛児?


 子どものころ、よく遊んでくれた侍女。今は皇后付きになっている。

 まさか。

 瑛児らしき人影は、寝台に近づいていき何かを振り翳した。

 小刀だ。

 逃げなければいけない。

 なのに、視線が釘付けになっていた。


 何をする気?

 その刀を、寝台で眠る公主に振り下ろすつもりなのか。優しかったあの侍女が――。


 瑛児は動きを止めた。

 寝台には誰もいない。

 動揺したのか、一瞬体を震わせた。

 逃げる機会を失い立ち尽くしている私の方を、ゆっくりと振り向いた。


「……聖華公主様?」

「動かないで」


 瑛児は凍りついたように足を止めた。

 かつては母と私に仕えていた侍女だ。命令に従うよう身体に染み付いている。


「私が廊下に飛び出して叫べば守衛が駆けつけます。今ここから逃げられても、私が瑛児が侵入したと話せば捕まるでしょう。でも、幼いころ優しかった貴方が私を傷つけるとは思いたくありません。何があって、何をしようとしていたのか教えてください。そうすれば見なかったことにできるかもしれません」


 瑛児は動きを止めたままだ。

 表情はよく見えない。


「母は、皇后付きとなった貴方を責めるようなことは一言も言いませんでした。侍女たちの中にはお金がほしくて皇后に乗り換えたのだと言う人もいましたが、私は母が言うことを信じました。何か事情があったのだろうと。それに瑛児の身体能力の素晴らしさを私たちも知っていましたし、重要な仕事をもらえたのなら喜ばしいことだと」


 瑛児は崩れ落ちるように膝をついた。額を床に擦り付けるように頭を深く下げる。


「……申し訳ありません」

「顔を上げて。事情を話してくれますか」


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