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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第二章 変わっていく茶房と私

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第5話 お別れ。そして、知られてしまう。

 阿花を抱きしめていた腕を緩める。阿花は不安そうな表情で英さんの方を見て、ゆっくりと戻ってきた。


「母上」


 ぎゅっと足にしがみつく。慰めるように。

 斉氏は立ち上がった。


「英を不安にさせたことは謝る。私が悪かった。帰宅が遅かったのは仕事が忙しいのもあったし、仕事後に通っていたのは按摩師あんましの女性の家だ」


 英さんは「え」と声をあげた。


「近場にあった医館が後継者が見つからず閉館して、うちに来る病人が増えて毎日疲れていた。身体の疲れを取りたくて、仕事後で遅い時間になってしまうのを、頼んで特別にお願いしていた」

「……身体を揉むぐらい、私じゃ駄目だったの?」


 斉氏は首を横に振る。


「少し揉めば治るという程度の疲労ではないし、特別に腕が良い按摩師を探したんだ。育児や家のことは英に任せているのに、夜は長時間私の身体を揉めとは言いにくかったし」

「……ずっとそっけなかったのは、疲れてたからなのね」

「自分では家では変わらず接していたつもりだったんだが……。ちゃんと話すべきだったな」


 斉氏は英さんに負担をかけないように、すべて隠していた。英さんも何も言わず家を出た。二人に足りなかったのは愛情ではなく、正直に気持ちを打ち明けることだったのだろう。


「私も、出ていく前に話を聞くべきだったね。仕事で疲れているのに察することができずごめんなさい」


 英さんは反省というよりも、少し安堵したような表情をしていた。憎しみあって喧嘩して離れたわけではない。阿花のためにも夫婦一緒に暮らせるのが一番だ。


「いや……私が悪かったんだ。事情があるとはいえ女性の家に通っていた。静かな時間で、心身共に癒やされていた。他所でそんな風に思うなど英は不快だろうと、どこか後ろめたくも思っていた。だから話せなかったんだ。本当にすまない」


 阿花が二人の顔を交互に見た。

 英さんの手を引っ張り、斉氏の方へ連れていく。


「仲直り! 仲直りしたら、握手だよ」


 斉氏の手も取り、二人の手を重ねた。

 夫妻は顔を見合わせて、そのまま強く握る。

 斉氏が阿花を見て微笑んだ。


「阿花も」


 満面の笑みを浮かべた阿花が二人の手に自分の手を重ねた。

 ――良かった。

 畑の見回りに出ていた柳さんが帰ってきて、様子を見て目を見開いた。英さんの母親が柳さんに頭を下げる。


「英がお世話になりました。ご迷惑おかけして申し訳ありません」

「いや、二人が来て私は楽しかったですよ。老人の一人暮らしが続いていたのが、最近急に賑やかになって。少し若返りました」


 そう言って笑った。

 英さんは阿花の手を引いて母親の前に立った。


「母上、ご心配おかけして申し訳ありませんでした。改めて紹介します。娘の阿花です」

「……阿花」


 ずっと険しかった母親の表情が緩む。

 不思議そうな顔をしている阿花に、英さんがゆっくりと言った。


「阿花のおばあさま。おうちにいるおばあさまの他に、もう一人おばあさまがいるんだよ。私を育ててくれた人」

「もう一人の、おばあさま。母上の母上?」

「そう」


 阿花はうれしそうに祖母の方を見た。


「おばあさま!」


 呼ばれて愛おしむように阿花の頭を撫でた。


「阿花」

「おばあさま、一人増えた! やった!」


 茶坊は笑みに包まれて、なごやかな空気に満たされた。


 ※


 斉氏が乗って来た馬車で、母娘は帰ることになった。英さんの母親も同乗し、南陽に立ち寄るという。

 阿花は私の手をぎゅっと強く握った。


「雪羅、一緒に行こ」

「阿花と離れるの寂しいけど、私の家はここだから」

「……そっか」


 今にも泣きそうな表情だ。


「いつでも遊びに来てね。姉妹でしょ」

「うん、姉上!」


 英さんも私の手を握った。


「いろいろありがとう。自分で考えて稼いで生きていくのって大変なんだって、雪羅を見ていてわかった。雪羅ならこの茶坊やっていけるよ。今度は客として来るね」

「こちらこそ、英さんのおかげで思いついたこともあって、いてくださって助かりました。またぜひ来てください」

「うん、またね」


 手を振って母娘が客車に乗り込んだ。ほかの二人も続く。

 その様子を駿が見ていた。


「駿は、一緒じゃなくていいんですか」

「俺は口を挟める状況じゃなかったし、ねじねじでも食べて帰らないと、ここまで馬車出した甲斐ないだろ」


 私は思わず吹き出した。

 馬車が遠ざかっていく。客車の入口にかけられた布を上げて、阿花と英さんがいつまでも手を振っていたが、それもやがて見えなくなった。


「では、ねじねじをお出ししますね。お客様」

「よろしく」


 二人と柳さんとで店舗へと戻った。



 長机の真ん中に駿が座っていた。私が茶を淹れる様子を無言で眺めている。柳さんは一休みするからと自室に向かった。


「上手く収まって良かったですね」

「そう。英がどうするのか気になってたから。俺も少し肩の荷が降りた」


 姉たちに何ができるのかと考えていたのだろう。両親に話すなという英さんの頼みを優先しつつ、物事が上手く進むための機会を逃さなかった。おせっかい過ぎず、他人事でもなく。常に人をよく見ているのだろう。

 駿は軽やかだけど面倒見が良い。手助けのために動きたいというよりも、情が深いみたいだ。

 私の面倒を見てくれているのは、柳さんのためだ。茶坊を存続させるため。それはわかっている。だけど、利用されているという感じはしない。根本の動機が優しさからくるものだからだろう。

 湯を注いだ蓋碗を駿の前に置いた。麻花巻も皿に乗せて、隣に並べる。


「どうぞ」

「いただきます」


 駿は麻花巻を掴んで頬張った。


「うん、やっぱり美味い。毎日食いたいな」

「じゃあ、毎日来てください」


 微笑みかける。

 さすがに毎日は無理だとわかっているので、冗談みたいなものだ。

 馬車の音が聞こえてきた。店舗前の道路を時折通り過ぎていくが、止まった。来客だろうか。

 常連客か、看板を目にして興味を持ってくれたのか。

 いらっしゃいませ、と声を出す心の準備をする。第一声で店の印象は決まる。 

 男性客が店に入ってきた。

 その姿を見て、息を呑んだ。

 長い黒髪に、全身白色の衣装。膝下まである衣装は遠目に見ても仕立てが良く、高貴な人のみがまとうものとわかる。

 華やかな顔立ちは、よく知っている人のものだった。


 ――逃げられない。


 後ずさり、棚に背中をぶつけた。男がこちらに視線を向ける。その目が大きく見開いた。


「……どういうことだ」


 一瞬足を止めたが、近づいてきた。その歩調が早くなり、駆けるような速度ですぐ近くまで来た。長机を挟んで対峙する。

 私は視線を逸らした。


「人違いです」


 言ってから、失敗したと気づく。相手はまだ何も具体的に言っていない。


「どうしてここにいる。いや、なぜ生きているんだ。私は貴女の葬儀に参列したのだ。なぜ――」


 私は目を瞑り、天を仰ぐように上を見た。

 終わった。

 見つかってしまった。

 目の前にいるのは、幼いころ何度も顔を合わせた朱千帆しゅせんはん。朱氏は皇室の血を引くので、皇族の集まりには必ず来ていた。人違いで押し通せるほど遠い他人ではない。

 連れ戻されるだろうか。

 だけど葬儀までしているのに、どうなるのだろう。以前いた場所にただ戻るのではない。もっとひどい状況になるのでは。

 指先が冷たくなり、微かに震える。


「雪羅、私は幻を見てるのか。……貴女が亡くなったと思いたくないばかりに」


 幻です、で通せるわけがない。

 私は首を横に振った。

 言葉が出てこない。

 言い訳が思いつかない。

 がたり、と音がした。駿が立ち上がっている。その場で膝をつき、胸の前で手を重ねて礼をする。


「朱将軍にご挨拶を」

「……柳駿。なぜここに」


 朱千帆は呆然としている。

 私も、頭が混乱して今にも気を失いそうで、だけど倒れるわけにはいかなかった。

 気づかれてしまった、そのことで頭がいっぱいで恐怖すら感じているのに、駿と朱千帆が顔見知りとか、何がどうなっているのか。


 私が生きていることを知られてしまった。

 逃げられない。

 逃げ場などどこにもないのだから。

 

 

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