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百花茶坊で休息を 〜聖華公主は死にました——ということにして後宮から辺境へ。茶坊営みます〜  作者: 水無月せん
第二章 変わっていく茶房と私

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第4話 看板作りと来訪者

 翌朝、朝食を食べてから、いつものように点心と麻花巻を作った。その間、英さんと阿花は卓や椅子を手巾で拭き、柳さんが持ってきた花を飾った。

 準備ができると、入口の扉を開けた。

 阿花が声を上げる。


「開店でーす」


 中の様子が見える方が入りやすいので、雨の日以外は扉は開け放している。

 すぐに客が来ることはない。

 全く来ない可能性もある。

 人がいない時間は、新たなことを試す機会だ。

 私は昨日購入した大きな紙を長机に広げた。

 英さんが不思議そうな顔で眺める。


「これ、どうするの」

「店で出している品を描くんです。入口に飾ろうかと」

「なるほど、絵入りの看板か」


 食後の休憩で隣の椅子に座っていた柳さんに私は話しかけた。


「倉庫に木材がありましたよね。使っても構わないでしょうか。この紙を貼れる大きさの板があれば使いたいのです」


 柳さんは紙をじっと見る。


「横幅が肘から指先くらいまでの長さ、縦はその二倍近くか。板に貼るだけでは風で破れてしまうかもしれません。紙を押さえる額縁のような物を作れば固定されそうです」

「そのような物が作れるのですか」

「真っ直ぐな木材を切って釘で打つだけですから簡単ですよ。作りましょう」


 柳さんは拳を軽く掲げた。やる気満々という顔つきだ。楽しそうな様子に、私もうれしくなってくる。


「お願いします」

「早速取り掛かりましょう」


 軽い足取りで中庭の方へ向かい、倉庫になっている棟へ入っていった。

 縁を額で押さえるのなら、紙の端に絵や文字を書くと隠れてしまう。余白も計算して、筆先を墨に浸して描き始めた。

 左上に大きく点心の絵。牡丹の形と春黄菊の形。横に「点心」と書き、値段も添える。店に入らずとも金額がわかるのは客にとって親切だと、南陽の経験でわかった。

 その下、右側に麻花巻の絵。横に品名と値段。一番下に、蓋を少しずらして茶の上に花が浮いているのがわかる蓋碗を描いた。花茶と記し値段を書く。

 無言で見つめていた英さんが声を上げる。


「すごい! さらさらと、こんなに上手に。絵を習ったことがあるの?」

「母が得意で、たくさん描いてくれたんです」


 絵はまだ完成ではない。

 私は立ち上がり、色粉が入った器を三つ持ってきた。小皿も三枚。紙の横に置いた小皿に水を注いでいく。長机の端の席に座って陶製の動物で遊んでいた阿花も、視線をこちらに向けていた。

 紙に描いた墨は乾いただろうか。

 斜めから見て、光沢を確認する。上からもそっと触れてみる。

 乾いたようだ。

 小皿の端に赤い色粉を乗せた。指先を滑らせて水で湿らせると粉は液状になった。水を加えすぎると色が薄くなってしまう。

 濃い赤色を指先に付け、墨の縁取りに重ならないよう牡丹の絵を赤く色づけていく。とんとんと軽く叩いたり、滑らせたりしながら。

 墨の線に触れてしまい、若干にじんだ。それも味わいとして見てもらえるかもしれないけれど、次に描くときは薄い色粉で主線を下描きして、彩色した後に墨で朱線を描く方法を試してみよう。

 春黄菊の花びらは白色だから、紙の素地をそのまま生かす。中央を黄色で円形に塗る。

 麻花巻は赤と黄の色粉を皿の上で混ぜて色を作った。指先で濃淡をつけながら塗る。


 花茶の絵も彩色して、完成。

 ふう、と息を吐いて、椅子に座り込んだ。

 英さんは絵の正面まで回ってきて、じっくり眺める。


「……これを店の前に置いたら、何を出しているか一目でわかるね」

「わかるなら良かったです」

「わかるよ! もう見ればすぐ。なんで今までこういうことする店なかったんだろうってくらい。天才だわ」

「天才なんかじゃないです。母が言っていたことを思い出して」


 母が茶舗で働いていたときにやっていたことを、想像して描いてみただけだ。


「そうだとしても、描いたのは雪羅だよ。同じこと私がしたって、こんなふうには描けない。自分の力だって自慢していこうよ!」


 柳さんが板を手にして戻ってきた。ずっと中庭で作業してようで、絵に集中していた私は気づいてなかった。

 柳さんは左手で板を、右手で額縁状の木材を床に立てた。


「この板に紙を貼り、上に額縁を重ねれば紙を挟み込めます」

「ありがとうございます」


 素敵なことになりそうで胸が高鳴った。

 そろそろ紙が乾いただろうか。少しぐらい生乾きでも、触れなければ大丈夫だろう。

 柳さんは板を長机の横に置いた。縦に置くには奥行きが少し足りない。

 私は紙を静かに持ち上げ、板に貼るように合わせる。そこに額縁を重ねると紙の端が板に挟まり、多少の風ではめくれないようになった。

 柳さんは板がずれないよう軽く釘を打った。


「今日のところは釘を打ちますが、もし頻繁い入れ替えできた方が良いようでしたら、他の方法で固定できるよう考えます」

「ありがとうございます」


 今は絵に描いた三種が主だから、しばらく紙を入れ替えることはないだろう。ただ新作が出たときや、紙が破れたりしたときは替えなければならない。

 完成した看板を、柳さんが両手で縦に持ち、私たちの方へ向けた。

 完成だ。

 英さんが拍手をすると、阿花も小さな手で拍手をした。


「柳さん、ありがとうございます。額縁のおかげで想像していた以上に素敵に見えます」

「絵が素敵だからですよ。額縁は引き立て役です。さて、入口に飾れば良いですか」

「はい」


 柳さんと一緒に外に出る。鴨の親子の散歩のように英さんと阿花も並んでついてきた。

 私は柳さんから看板を受け取り、入口の横に置いた。

 悪くはないが、目線が低くなる。

 柳さんが私の方を見た。


「椅子の上に置いたらどうでしょう。使っていない椅子が倉庫にあるので持ってきます」

「私が行きます!」

「では一緒に行きましょう。看板が動かないよう押さえる煉瓦もあると良いので」


 二人で倉庫替わりの奥の棟へ向かった。

 大人数で住んでいたころ使っていたらしい家具が並んでいる。その中から古びた木製の椅子をひとつ柳さんが掴んだ。端に積まれている道具の辺りに煉瓦がある。


「柳さん、煉瓦はこれでいいですか?」

「はい。念の為ふたつ持っていきましょうか。重いなら私が煉瓦を持ちます」


 私は煉瓦を二つ両手で持った。


「これくらいなら全然平気です」


 頷いて、二人で店舗の入口へと戻る。

 英さんと阿花は看板の前にしゃがみ込み、眺めながら楽しそうに話していた。

 柳さんが椅子を置き、その上に看板を乗せる。後ろは背もたれに支えられているので、前に滑らないよう私が煉瓦を置いた。念の為もうひとつも、看板を煉瓦で挟むように後ろ側に置いた。

 英さんが最初に声を上げた。


「いいね! 椅子の感じで店内の素朴さが想像できるし。前の道路通る人も視線が向く」


 阿花が「いいね!」と英さんの口調を真似した。


「英さんのおかげで、なんだか勇気が出ます」

「じゃあ、私がここにいる意味あるね」


 英さんは声を上げて笑った。

 自分一人でだと、本当に良いのかどうか、すぐには自信は持てないだろう。実際に効果があるのかは客が来ないとわからない。だけど、来るかもしれないという希望が湧いてくる。

 理想の店が少しずつできてくる。

 まだもっと、いろいろなことができる。

 こんな気持ちは、後宮にいたら味わえなかっただろう。

 今日も百花茶坊の一日が始まる。

 店内に戻り、新たな菓子の試作をしているところに客が来た。

 英さんが出迎える。


「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」


 働き盛りの男性だ。


「ここ、仕事で時折前を通ってたんだけど、何の店かなって思ってたんだよね。看板にねじねじが描かれてたから、お、ねじねじ! って。疲れて甘いもの欲しいからちょうどいい」


 言いながら壁際の奥の席に着く。英さんが注文を受けて調理場に戻ってきた。


「ねじねじと龍井茶ろんじんちゃ

「はい」


 私が茶の用意をしている間に、英さんが麻花巻を皿に盛る。私に身体を寄せて耳元で言った。


「早速お客様来たね。看板の効果絶大」


 目を合わせて微笑みあった。


 看板を見て来てくれた男性客は、「また仕事で近く通ったら来るよ」と言い残して去っていった。馬車で荷物を運ぶ仕事をしているらしい。

 午前中はほかに常連客が一人、昼過ぎには噂で聞いて来たという夫婦が来て、点心と花茶を楽しんでいった。

 少しずつ客は増えている。

 それは新しいことに挑戦し続けているからだ。これからも漠然と客を待っているだけでは駄目だろう。茶坊自体はゆったりと穏やかな場所だけれど、維持するためには、ゆったりとはしていられない。

 今は石花菜を使った菓子を試作しているところだ。煮溶かして冷やすと固まる。薬味をかけると料理になるが、甘みをつければ夏に合う菓子になるかもしれない。

 透明に近い白色は清涼感があるが、色粉を混ぜたらどうなるか。

 市場で長方形の器を購入したので、そこに流し入れて固めた。青い色粉を混ぜた物だ。


「英さん、どう思いますか? 着色はせず透明のままの方が良いでしょうか」

「青色も奇麗で良いと思うよ」


 阿花が背伸びして覗き込もうとするので、私は器を持って阿花に見せた。


「どう?」

「湖!」


 英さんが苦笑する。


「湖じゃないよ」

「じゃあ、空!」

「空じゃなくて、食べ物」

「食べ物? 食べられるの?」


 二人の会話を聞いていて、ひらめいた。

 皿の上にある柔らかい塊は、湖にも空にも見立てられる。

 英さんが私の方を見た。


「着色か透明のままか決めかねるなら、両方出してみたら。点心だっていろいろな色形があるんだし」


 一色にこだわることはないけれど、点心のように色を部分的に混ぜたりはできない。


 重ねたらどうだろう。

 青色の上に無着色の心太を重ねたら、水辺のように見えるのでは。


「ちょっと試してみていいですか」

「どうぞどうぞ。お客さんが来たら私が対応するから」

「お願いします」

 再び石花菜を溶かすところから始める。同じ皿をもうひとつ用意して、そちらには黄色の色粉を加えたものを流し入れる。既に固まっている青色の方には色粉を加えてないものを上から重ねるように入れた。

 桶に二つの皿を並べ、皿に水が入り込まない程度の冷たい水を張り、冷やす。冷めれば自然に固まるので、さほど時間は掛からない。冷やすのは固まる速度を早めるためだ。

 作業を終えて、一息つく。

 阿花は長机の椅子に座り人形遊びをしていて、英さんはその様子を隣で眺めていた。

「すみません、集中してて」

「大丈夫。来たのは常連客一人だけだったから私でも対応できたよ」

「いてくださって助かりました。ありがとうございます」


 一人なら作業を中断しなければならない。人の助けがあるから、いろいろなことができる。

 馬車の音が近づいてきた。

 英さんが入口の方に視線を向ける。


「お客様かな」


 阿花も同じ方を見て、真似をする。


「お客様かな!」


 二人が立ち上がった瞬間、険しい顔をした女性が入って来た。

 英さんが口を開けたまま硬直する。

 女性は五十歳ぐらいで、商人風の薄茶色の服を着ていた。その後ろに駿が立っていた。


「英!」


 女性は呼んでからすぐ、阿花の方に視線を移した。目を細め、愛おしむような表情をする。


「……母上、なんで。駿が告げ口したの?」


 母上様は首を横に振った。


「なぜ黙ってたの。昨日斎様がうちまで来たのよ。英と娘を捜してるって。驚いて、全く知らないと答えて一度お帰りいただいたけど、その話を駿にしたら、ここにいるって」

 斉様とは、英さんの夫のことだろう。

 駿の背後から男性が一人姿を現した。膝下まである濃緑の衣装で、長髪は後ろで縛っていた。頬がこけているのは、痩せているからではなく、やつれたからだろう。

「……英、阿花」

「父上!」


 斉氏はしゃがんで、両手広げた。阿花が勢いよく駆けていき抱きついた。


「阿花、おうちに帰ろう」

「うん」


 英さんは険しい目で二人を見ている。


「阿花を丸め込んで、うやむやにして私も連れ帰るつもりなの? 妻子が逃げたとか、名家にとっては体裁悪いものね」

「体裁なんて考えてない。英こそ、阿花と二人で実家も頼らずどう生きていくつもりなんだ。ここは……」


 斉氏は店内を見回して、少し言いにくそうに続けた。


「この店で働いていくのは無理だ。母娘で生きていけるほどは稼げない。それに英には雇われるような腕も経験もない。なのに賃金を払うとなると店の人も迷惑だろう」


 夫婦の問題に口出ししてはいけないと傍観していたが、思わず前に出た。


「確かにお二人にじゅうぶんな生活費は出せません。それは英さんも理解されていて、ほかの仕事を探すおつもりでした。私は迷惑していません。外出時や試作に没頭したいときに、英さんがいて助かりました。腕や経験がないから迷惑、ということはないはずです。誰でも最初は何も経験ありません。それでも受け入れてくれる人がいたから、私はこの店で働けているんです」


 英さんは涙目で私の方を見た。


「雪羅……」

「ですから、この店がどうとかは理由にしないでください。迷惑をこうむった人など存在しないので。それよりも、どうしてこうなったのか、もっとお二人で話し合ってはいかがですか。母娘二人では生きていけないから帰ってこい、では解決しません。問題はそこではないのですから」


 斉氏は怒ったりはせず、少し考え込むように目を伏せてから口を開いた。


「確かに、ご指摘のとおりです。英が出ていった事情が私にはわからないのです。突然いなくなったので、使用人に尋ねて、私の動向を英が調べさせてたと知った。何が気に障ったんだ」

「調べさせたってわかってるなら、何のことかわかるでしょう。知らない振り? 夜に……」


 そこで一旦言葉を切った。

 阿花に聞かせたくないのだろう。私が人形か菓子で誘って遠ざけた方がいいだろうか、と考えたが、阿花は父親にしがみついて離れない。

 英さんも諦めて、抑えた声で続けた。


「夜に女性の家に通ってるのを、黙認するのが良い妻なの? 夫のためじゃなく阿花のためと言われたら我慢はできるけど、家にろくに帰らない父親を容認するのは、阿花のためになる?」


 斉氏は目を見開いた。


「……そのことか」


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