第2話 充実の休日
翌日、点心と麻花巻を作り、英さんに店のことを説明して茶坊を出た。
入口で阿花が大きく手を振って見送ってくれた。
「いってらっしゃい、雪羅!」
「いってきます」
笑みを浮かべて、馬車に乗った。
小麦畑に挟まれた道を馬車が進んでいく。
隣には駿が座っている。
「姉さんと阿花は上手くやっていけそう?」
「隣の部屋に寝泊まりして、阿花も泣いたりせず過ごしてます」
「急にこんなことになって迷惑かけてすまない」
私は首を横に振った。
「迷惑なんてかけられてません。私だって突然頼み込んで働かせてもらってますし、今日も英さんがいるおかげで出かけられます」
「でも雪羅が考えている店のやり方があるだろう。突然、私にもやらせてって他人が入ってきたらいい気はしないだろう」
そこまで考えてくれていたのか。
身内が迷惑かけていないか心配という気持ちもあるだろうけれど、茶坊のことも考えてくれている。
茶坊ではなく、私のことも、だろうか。
「英さんも、わかってくれていると思います」
自分が茶坊を仕切ろうとまでは考えていないはずだ。
「まあ、何かあったら俺に密告してくれれば」
「密告ですか」
ふっ、と笑ってしまった。
「面倒なことになりそうなら、親に話して二人を客桟の方に連れて行く。ずっとこのままというわけにはいかないだろうし」
「駿の、お姉さんや妹さんとの関係、とても良いですね。遠慮がないけど不仲でもないという、絶妙な感じ」
「ええ? 仲がどうとか、考えたことなかったな」
「私は遠慮のない親しい関係を築けなかったので」
兄二人、妹二人、弟が一人。一皇子は貴妃の息子で、二皇子が皇后の息子だから、この二人と母親は常に火花を散らしていた。妹たちは私を敵視していた。長女の私を見習うようにと、皇帝からことあるごとに言われていたからだ。唯一、六皇子だけが私を慕ってくれた。母親同士が親しかったから。とはいえ異性だから、年齢を重ねるにつれ接する機会も少なくなった。
六皇子は今、どうしているだろう。
私が亡くなったと聞いて、少しは悲しんでくれるかもしれないけれど、あまり気にせず忘れてほしい。この先進んでいく道は交わらないのだから。
駿は何か言いたげにこちらを見たが、すぐに視線を前へと戻した。
青空に浮かぶ白い雲。風が微かに吹いて黄金色の小麦の穂を揺らす。馬が駆ける足音とかたかた鳴る車輪の音。
心地よい。
沈黙が流れても、気まずさなどなかった。
※
南陽に到着した。
恵は自室で待っているというので、私は客桟に入り恵の部屋に直行した。扉を軽く叩く。
「恵、入ってもいい」
「どうぞ」
扉を開ける。恵は卓に向かい何かの作業をしていた。
「何をしてるの」
背後から覗き込んだ。
木製の柄を握って持つ円形の団扇だ。花嫁の顔を覆うときに使ったりする。その団扇の面に墨で文字を書いていた。
姫遠亭。
面いっぱいに大きく。
「できた……! でも、なんか地味かなあ。面を白じゃなく赤にすれば良かった?」
納得いかないのか首を傾げている。
「これ、どうするの?」
「終演後に挨拶に出てくるから、これを振って見せるの。あなたを応援します、って伝えるために」
「そういうのがあるんだ」
知らない世界だ。
「でも同じようなことする人ほかにもいるし」
「目立ちたいわけね」
「はっきり言うねえ。そのとおりなんだけど」
私は団扇をじっと眺めた。
赤地よりは白地の方が文字は読みやすいので間違ってはいない。でも皆が墨で文字を書いていれば、似たような印象になる。
色を付けるような道具はないけれど――。
「赤い色粉を使ったらどうだろう」
「色粉? 厨房から持ってくる」
目立つ団扇を作るためなら何でもする、という勢いで恵は部屋を飛び出した。
すぐに戻ってきた。
息を切らしながら、色粉が入った陶器を私に手渡す。
「どうするの? 指先で文字を書くとか」
文字を書く隙間はあまりないし、隙間に合わせて書けば小さくて遠くからは読めない。
私は色粉に指先を付けて、文字の隙間に印を入れた。唇の形で。
「これで伝わるでしょ」
接吻したいくらい大好き、という印だ。
「うわあ……、すごい天才。目立つわ」
「良かった」
「あ、もう行かないと!」
姫遠亭様に会えるからなのか、恵は落ち着きがない。団扇を手に持ち、もう一方の手で私の腕を掴んで部屋を飛び出した。
※
金華楼という名の煌びやかな建物で、演劇のほか舞踏や演奏会、宴会など、催しものによく使われるらしい。
二階建てで内部は吹き抜けになっている。正面に一段高い舞台、その前に厚手の布が敷かれていて、着飾った女性たちが百人ほど座っていた。少し興奮気味に友人たちと話している。
「前方席確保できて良かった」
恵も興奮気味に話している一人だ。やや端寄りだが、この距離なら団扇の文字も見えるだろう。
銅鑼の音で静まり返った。
真紅の貴族風の衣装をまとった男性が、精巧に作られた蓮の花を持って舞台の奥から出てきた。観客たちは感嘆の息を漏らし、熱気が上がる。
舞台の最前まで来た麗しい男性の姿を見て、私は息を飲んだ。
――あの男性だ。
腕輪の力で見た、恵と共にいた人だった。
演劇の内容は、蓮の妖精である女性に恋をした男性の悲恋物語だった。観客は嗚咽し、役者たちが挨拶のために前まで出てきたとき、立ち上がって割れんばかりの拍手をした。
私も立ち上がり拍手を送る。隣で拍手している恵も前のめりで興奮気味だ。役者たちが舞台を去っても拍手は鳴り止まず、再び姫遠亭様だけが出てきたときには、高い悲鳴が上がった。
姫遠亭様はこちらとは逆の方に向かい、歓声を送る人々に手を振った。恵と同じように団扇を掲げている人もいる。
「もー、こっち来てよ」
恵はくやしそうにつぶやく。
姫遠亭様は手を振りながら舞台の中央に戻り、近づいてきた。
「姫遠亭様!」
恵が声を上げ、団扇を振る。
姫遠亭様はこちらに視線を向けた。
団扇に目が止まる。
微笑みをさらに深くして、唇に手のひらを当ててから、こちらに投げるような仕草をした。
大きな悲鳴が上がる。
恵も悲鳴をあげ、興奮のあまりふらついたので、私が肩を支えた。周囲の女性たちがこちらを見る。羨望と嫉妬の目で。
姫遠亭様は舞台の中央で礼をしてから、奥へと去っていき姿を消した。
名残惜しそうに拍手をしたり、呼んだりする人もたくさんいたが、もう出てはこなかった。
「……どうしよう……、私もうすぐ死ぬのかな……」
「死んだら姫遠亭様見られなくなるから、生きて」
「そうだね。そう」
私に寄りかかっていた恵が、やっと自力でしっかり立った。
女性たちは姫遠亭様を絶賛しながら、立ち去っていく。
私はこの光景を見て気づいてしまった。
腕輪の力で見た恵の未来は、客席から姫遠亭様を見つめる恵の姿だったと。
未来の夫ではなさそうだよ。
と言うのは気が引けるので、黙っておこう。
※
金華楼を出て川沿いの通りを歩いた。
「お店に入って何か食べよう。茶坊あるかな」
前にここに来たときは、市場で食材を買うことばかり考えていたが、改めて眺めていると飲食の店も多い。店名の看板だけではなく、「茶」「酒」「餅」「粥」など、その店で何を出しているか、一目でわかる旗のようなものを掲げている店もある。
百花茶坊も、通りすがりの人にもすぐわかる何かを、店の前に掲げたら良いかもしれない。茶坊だから茶を出すだろう、というところまでは想像つくが、点心や麻花巻を出していることは、私と会話しないとわからないのが現状だ。
こうして歩いていても、似たような店があるなら、何を出しているかわかるところの方が入りやすい。
薄緑の壁に赤い扉の茶坊に、若い女性客三人が入っていった。同じ並びの飲食店は少し薄汚れていたりもするが、ここは新しくて色合いも目を引く。
「雪羅、この店にしようか」
私は頷いて、恵と一緒に店内に入った。
赤い小さな円卓が並んでいて、女性客が多い。荷物が多い人のために足元に籠があり、団扇が入っている籠もあるので、私たちと同様に観劇後にここに来たようだ。
空いている卓に向かい合って座った。
恵は足元の籠に団扇を入れた。
すぐに店員が来て、提供している飲食名が書かれている厚紙を卓に置いた。
女性店員は若くて顔立ちも美しく、身体の線がわかるような衣装も着こなしている。
「決まりましたらお呼びください」
微笑んで去っていった。
品名一覧の厚紙は花模様の透かしが入っていて美しい。細かなところまで、店主の美意識を感じさせる。
「うわ、高っ」
声を上げた恵が、慌てて自らの口を塞ぐ。それから耳打ちするように小声で言った。
「こんなに高いと思わなかった。茶なんて百花茶坊の倍するよ」
「……本当だ」
茶葉は十種類以上ある。菓子は点心と餅菓子、干した果物と木の実。どれもなかなかの値段だ。
隣の卓では女性二人が茶を飲んでいる。花が描かれた椀は一目で高価だとわかった。
店主は高額でも納得させる自信があるのだろう。ここに来れば贅沢な気分が味わえる、そこにもお金を払っていると思わせる。
茶坊と言っても、いろいろあるのだ。
何を出すかだけではなく、どんな店にするのか、それに見合った値段がある。
「この値段ってわかってれば他の店にしたな。だって少しでも貯めて姫遠亭様の舞台見に行くのに当てたいし。珍しい菓子ならともかく、茶は百花茶坊でも美味しいでしょ」
恵のような人もいる。
何が正解か、ではない。
私は考え込むように目を伏せた。
「どんな店なのか、入る前にわかった方がいいのか……」
「どれにするか決めた?」
「お茶と点心かな」
どんな点心を出すのか興味がある。
「じゃあ私はお茶と干し杏にしよう」
恵は手を上げて店員を呼び、注文した。
「もう、雪羅には感謝の気持ちでいっぱい。ここの代金私が全部払ってもいいぐらいだよ」
「ええっ? 私はお礼を受け取るようなことしてないよ」
「だって姫遠亭様が接吻投げてくださったの、雪羅が団扇に描いてくれたあれのおかげでしょ」
拝むように両手を重ね、うっとり目を閉じる。籠に置いた団扇には私が描いた赤い唇の印がある。
「役立ったのなら良かった」
言ってから、ふと気づいた。
絵には文字にはない情報がある。
読まずに一瞬で訴える力がある。
母の話を思い出す。茶坊で働いていたとき、店頭に絵を描いた黒い板を出していたと。黒い板に色が乗る筆記用具が何種もあり、母が菓子を絵で描いていたらしい。それが評判で、足を止めて絵を見て店に入る人もいたとか。
黒い板も色数豊富な筆記用具もないけれど、色は色粉でなんとかなりそうだ。旗のように風で揺れてしまう布だと絵が見にくい。板に紙を貼り付けるのが良いか。
「雪羅ー、聞こえてる?」
恵が私の目の前で手を振った。
「聞こえてる。茶舗に役立ちそうなことを思いついたの。今日休みもらったのは、市場でいろいろな情報を得たいと思ってたのもあるから」
「そっか。熱心だなあ」
店員が来てそれぞれの前に腕を置いた。小皿に乗った点心と干し杏も卓上に並べる。
「ごゆっくりどうぞ」
礼をして、店員が去ってく。
「いっただきまーす」
恵は早速干し杏を手にしてかじり、茶を飲んだ。
私は青磁の小皿をじっと眺める。点心は桃の形をしていて、下に向かうにつれ白色から淡い桃色へと自然に色づいている。
添えられていた竹製の小さなへらで、点心を切り口に運んだ。もっちりとした食感でしっかりとした甘味がある。
周囲の卓では女性たちが楽しそうに話をしている。贅沢感がある器や品、内装は、価格が高いことを納得させるものがある。それにやや高額でも店に入るという客のみだから、客質も悪くないという安心感もあるのだろう。それがこの茶舗の戦略なのだ。
「百花茶坊は点心も評判で客も来始めたって聞いたけど、まだ考えることあるの?」
「以前よりは来るようになったけれど、徒歩で来れるような距離の人ばかりではないから、頻繁には来られないでしょ」
「そっかあ、通りすがりの新しい客も必要なわけね。私たちがこの店入ったみたいに」
「それに、噂で聞いてもわざわざ辺境まで足を運ぶ人は滅多にいないと思う。ここみたいに他の用事に出かけたついで、というわけにはいかないし」
「美味しいだけじゃ、便利な場所の茶舗の方がいいもんね」
恵は目を閉じて眉根を寄せ、考え込むような顔をしてから、思いついたとでも言うように手を叩いた。
「そうだ、占い茶舗とかどう? ここの並びにも占いの店がいくつかあって、女性が並んでたりしたよ」
興味がなかったので占いの店があることに気づいていなかった。
確かに、よく当たる占い師がいる茶舗と評判になれば、辺境でも足を運ぶかもしれない。
恵はひそめた声で言った。
「その腕輪で未来を見られるんでしょ」
「占いができるとか考えたことなかったから、どうかなあ……。未来の場面が一瞬見えるだけだし」
「占い師なんて口からでまかせのところもたくさんあるでしょ。雪羅のはでまかせじゃないし、口が上手い人なら、一瞬の場面から良い感じに言えるんじゃないかな」
たとえば私が見た恵の未来も、相手が姫遠亭様で、舞台後に送られた声援に投げ接吻で応えた場面だとわかっているわけだけれど、そこまで話してはいないから恵は知らない。
恵が自分好みの男性を見つけて結ばれたら、私が見た占いどおりになったと考えるかもしれない。それくらい占いは、当たっていると思わせることが可能なものなのだろう。実際に占える能力と、当たると思わせる能力、両方あれば最強だけれど、片方だけでもやっていける。
「お金が取れるような占いは私にはできないけれど、すごく良い提案で参考になった」
占いでお金を取る茶坊にはできない。
でも注文してくれた客への特典で占うというのなら、ありだろうか。お金を取るわけではないから、当たらなくてもご愛嬌。もし当たるようなことがあれば、それを聞きつけた人が足を運ぶかもしれない。
「参考になったなら良かった。ところでさ、姫遠亭様どうだった? 雪羅もやっぱり、夢中になった?」
恵の目が輝いている。
「恵ほどではないけど。美しい人だなって思ったよ」
「でしょ!」
それから恵はいかに姫遠亭様が素晴らしいかを語り始めた。私は相槌を打ちながら、楽しい時を過ごした。




