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偽り咲く花神さまの後宮  作者: 淡雪みさ


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8/12

食事



 湯から上がり、湯殿を出て縁側へ戻ると、昼下がりの陽射しが床に斑模様を落としていた。木陰に花影が腰を下ろしている。その指先には、先ほどと同じ、細長い煙管があった。銀色の軸に花模様の彫りが入っていて、淡い煙が、陽光の中にゆらゆらと漂っている。


「……お湯、ありがとうございました」


 澄珠は静かに頭を下げた。

 花影はこちらを振り向くと、煙管を口元から外し、少し目を細めた。


「湯加減はどうだった?」

「ちょうどよかったです……」

「それはよかった」


 花影はふっと笑みを漏らし、再び煙管を咥える。


「……あ、あの、差し出がましいようで恐縮ですが、神域でお煙草は使用禁止なのではないでしょうかっ」


 澄珠はどうしても気になって、おそるおそる声をかけた。ここは一応、中心から外れているとはいえ後宮の一画。そこで煙管を吸うなど、巡回の神官に見つかれば注意では済まないだろう。澄珠はじっと花影の手元を見つめた。

 しかし花影はまるで気にも留めぬ様子で、ゆったりと煙を吐き出す。陽に透けるその煙は、まるで薄紫の花びらのようだった。


「これは通常の煙管ではないよ」


 澄珠は目を瞬かせる。煙管は一見すると美しい装飾が施された、普通の品に見える。

 何か違うのだろうか。他の煙管を見たことがないから、分からない。


「吸ってみる?」


 花影が試すような視線を澄珠に向けた。

 澄珠は勢いよく首を横に振る。手をぱたぱたと振って否定の意を示すと、花影はすぐに肩を揺らして笑った。


「冗談だよ。君の嫌がることはさせない」


 花影の笑い声は昼下がりの静けさの中で心地よく響いた。穏やかな日差しの下で、澄珠は少しだけ緊張の力を抜く。

 ふと、花影が澄珠の方へ体を近付けた。澄珠が「?」と瞬きをするより早く、すっと花影の手が伸びる。指先が澄珠の頬の近くに触れそうな位置まできたかと思うと、花影はそのまま、ゆっくりと顔を近付けてきた。


「……!」


 思わず息を呑んだその瞬間、花影は澄珠の髪の傍に顔を寄せ、くんと音を立てるように香りを嗅ぐ。


「うん。いい匂い」


 低く、愉快そうに漏らされた声が、すぐ耳の横で囁かれる。あまりに急接近した距離に、澄珠の心臓はどくどくと音を立て、頬が燃えるように熱くなる。


「は、花影さま、近いです」


 澄珠は戸惑いながらも、精一杯落ち着いた声を出そうと努めた。花影はそんな澄珠の反応を楽しむように、少しだけ身体を引いて、微笑を浮かべる。


「花影でいいよ。花嫁様に様付けをされるのは落ち着かない」

「……は……花影、ち、ちか、ちかいです」

「うん、そうだね。髪が乾いたら食事にしよう。どうせ、屋敷では用意されていないのだろう?」


 見透かすような言葉に、澄珠は気まずくなって俯いた。

 屋敷の女中たちは、最近ではもう、澄珠の部屋に食事を運んでこない。澄珠が自分で炊事場に立ち、余った材料で朝食や夕食を作っている。

 なのでここで食事をもらっても問題はないのだが、とはいえ長居をするのも図々しい気がする。


「そこまでしていただくのは申し訳ないので、そろそろ帰――」


 言いかけた澄珠の唇の前に、すっと人指し指が立てられる。


「ここで遠慮はいらない。それに、食材をもう用意しているんだ。君が食べてくれないと困るよ」


 食事のことを想像すると、ぐううう……と、澄珠の腹の虫が主張した。

 澄珠は羞恥心から、お腹を押さえて花影から顔をそらす。そういえば、朝からずっと汚れた廊下の掃除をしていて、何も口にしていなかった。

 花影はふふ、と唇の端を上げて微笑む。


「ほら。やはりお腹が空いてるじゃないか。分かりやすくてかわいいね」


 言いながら、彼はくるりと踵を返し、花庵の奥へと歩き出す。その背に、澄珠は一瞬戸惑ったが、やがて後を追った。



 案内されたのは二階の一室。立派な掛け軸のある、広い和室だ。

 そこで澄珠の前に並べられた膳は、思わず息をのむほどに華やかだった。

 重箱の蓋を開ければ、まるで花が咲いたような彩りが目に飛び込んでくる。鯛の姿造りに、艶やかな海老と帆立の焼き物、柚子の香りを閉じ込めた蒸し鮑。旬の山菜の天ぷらは、揚げたての衣がまだかすかに音を立てている。

 小鍋では、山の幸と海の幸を丁寧に炊き合わせた寄せ鍋が、ふつふつと湯気を立てている。汁物には、白味噌仕立ての椀に三つ葉が色を添えていた。


「……こ、こんなに……」


 澄珠は目を丸くして呟いた。

 普段食べているものとは違い、あまりにも豪華すぎる。

 しかし、卓の向かいに花影の膳はない。彼は部屋の片隅に立ち、窓の外を眺めている様子だった。

 不思議に思った澄珠は、そっと問いかけた。


「……あの、花影は食べないのですか?」


 すると、花影は煙管を片手に、こちらに視線を移す。

 そして、口元の笑みをそっと消した。やがて寂しさを滲ませた目で、ぽつりと答える。


「俺は食事ができないんだ。君だけで食べるといい」


 淡々とした声の奥に、何か深い事情があるように思えた。澄珠は驚きつつも、それ以上は聞けなかった。


「……では、いただきます」


 体調でも悪いのだろうか、と疑問に思いながら小さく頭を下げ、箸を手に取った。

 その場にはしばらく、澄珠の食事の音だけがしていた。




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