幕間 灰被りの花嫁候補 二
おかしい。おかしい。おかしい。
わたしは不幸なのに。可哀想なのに。十分苦しんだのに。
悲劇のお姫様には、素敵な王子様が現れて救われるものじゃないの?
可哀想なだけで救われるお姫様とわたし、何が違うの?
わたしはずっと自分の事ばかり考えていた。けれど、一度周囲に意識を向けると、これまで目にも映らなかったことがどんどん気になってきた。
その花嫁候補は澄珠という名前で、わたしより一足先に後宮入りし、花神様とは幼なじみのように育ったらしい。彼女に与えられた屋敷は神殿の北、歴史的に花神様の正室が住むことが多かったとされる場所に位置し、わたしの屋敷よりも広くて大きくて立派だった。屋敷にいる女中の数も、わたしの屋敷とは桁違いだった。
――わたしと彼女の間には、最初から優劣があった。
わたしはそれでも諦めなかった。
今は花神様が悪い女に騙されているだけで、本物のお姫様はわたしだ。いつか花神様も目が覚める、と。
わたしは花神様が来るたびに、母に打たれた話や、母が仕向けた男に集団で襲われた話、親族がわたしを花神様の花嫁とするために厳しく育てた話、そこに愛情など微塵もなかった話を繰り返し聞かせた。
すると、ある日を境に、花神様はわたしの屋敷へ訪れなくなった。
代わりに、医者がやってきた。その医者は、花神様に頼まれたという本を何冊か持ってきて、こう言った。
「花神様に、貴女様の心理的援助を頼まれました。よろしければ、今後も定期的に会って、貴女様が今困っていることなどを聞かせていただけませんか? 大丈夫、ゆっくりでいいですよ」
男だった。男の、医者だった。
花神様が来るたびに泣くわたしは、花神様に、手に余ると思われたらしい。他の誰かに投げたくなるほどに。
知らない男に屋敷に入られたわたしの動揺は激しく、癇癪を起こして本棚を全て倒し、泣き叫びながら暴れたそうだ。この時のことは後から聞いただけで、ほとんど記憶には残っていない。ただ、激しい怒りを抱いたことだけ覚えている。
ふざけるな。わたしが会いたいのはお前じゃない。花神様だ。
わたしは、治療をしてもらいたいんじゃない。花神様に可哀想なわたしを幸せにしてほしいのだ。
目が覚めて数日、放心していた。
医者を追い払ってからも、花神様はわたしの屋敷に訪れなかった。
わたしはようやく理解した。
――現実は物語とは違う。世界は思い通りにならない。
〝可哀想である〟というだけでは、王子様の気を引けないのだ。
そう知った途端、あんなに好きだった物語の中のお姫様たちが、どんどん邪悪なものに見えてきた。
何の努力もせずに、ただ可哀想というだけで王子様の横に立っている女には虫唾が走る。
物語は嘘吐きだ。わたしがいくら可哀想でも、こんな風にはならない。
わたしは、子供の頃から擦り切れるくらい読んだ古典の、三章を墨で塗り潰した。
そして、三章ばかり読んでいたその物語を久しぶりに、一章から読み返した。
子供の頃は一章が苦手だった。花神様が、愚かにも女狐に騙されるからだ。しかし、不思議とその物語の方が、今の自分の中にすっと入ってきた。
女狐に騙されている王子様。傾きかける香霞の地。傷心の花神様を献身的に支える真のお姫様。
――これだ、と思った。
三章のように結ばれるのが難しいなら、一章のように結ばれてしまえばいい。
初代の国が滅びかけた時、まず最初に起こったのは社の放火であるという記録がある。
女にうつつを抜かした初代の悪政により、花神の支配に反意を抱く勢力が謀反を行ったのだ。
わたしはその歴史を、一章をなぞるため、反政府組織に手を伸ばし、唆して放火を促した。
しかし、ここでも誤算が起こった。
放火は成功しなかった。間諜として反政府組織に忍び込んでいた神官により、放火計画の日付などの情報が全て漏れていた。同時に数カ所を襲ったので多少の被害はあったものの、放火は阻止され、結局のところ、社まで火は広がらなかった。
放火を止めたのは、水の術を扱う、琴という美しい巫女だった。後に調べれば、彼女は女狐の妹のようだった。
わたしはよいことを思い付いた。
あの女狐に、わたしと同じ思いを味わわせてやろうと。
だからわざと、女狐役を増やした。
偽りの花にわたしが花神であると認識させた後、醜男を後宮に呼んで、彼に関する後宮の人々全員の認識をすり替えた。その男は、子供の頃に母の命令でわたしを襲った気持ちの悪い醜男の一人だった。大きくなってからきつい仕返しをしたので、彼はわたしの命令なら何でも聞く。
精々他の花嫁候補も、こんな醜い男のことを花神様と勘違いして、必死になればいいと思った。その滑稽な姿を想像すると、よい気分だった。
花神様の姿をした醜男に、琴を後宮に招かせた。そして、できるだけ琴に寵愛を向けるよう指示した。女好きの醜男は、鼻の下を伸ばして琴と仲良くし始めた。
その姿を見て、最初の女狐は泣きそうな顔をしていた。よい気味だった。
しかしこれは、長い物語の前段階に過ぎない。
わたしがあの古典よりも――現実と乖離したあんなくだらない物語よりも、素晴らしい物語を描いてみせる。現実という紙のうえで物語を作り、それを記録する。百年、千年残るような物語を。
わたしは紙を広げなから心を踊らせた。
この作戦が成功し、この地が傾けば、きっと素晴らしい物語が書ける。
全てが終わる時、真に愛されるのは、きっとこのわたしだ。
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