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偽り咲く花神さまの後宮  作者: 淡雪みさ


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香霞の地の民ならば



 澄珠は、自分の中で一つの仮説を立てていた。

 今の千夜は、姿が同じでも中身がまるで違う。であれば、千夜のように他の人間も、中身が入れ替わっている可能性はないか? と。

 だから聞いたのだ。琴に、川に行ったことを覚えているかと。


 今でこそ水の術を扱い、水と親和性が高いと思われている琴。けれど彼女は、子供の頃は水が大の苦手だった。家の近くの川の氾濫に巻き込まれたことをきっかけに、水を怖がるようになったのだ。術を扱えるようになるまで比較的時間がかかったのはそのためだろう。

 川遊びなんて、琴とは一度もしていない。


「……信じてもらえないかもしれないけど、夕映が会った私は、私じゃない」


 夕映の目が細められる。夕映も、澄珠の発言の意味を測りかねているようで、その表情には困惑が浮かんでいる。しかし、澄珠に刃を向け続けることには躊躇いが生じたのか、その刀身は鞘へと収められた。


「私だけじゃない。琴も、千夜様も、何かおかしい。別人のようになる時がある。この後宮全体で、何か起こっているのかもしれないの」


 互いに知らぬうちに怨霊に取り憑かれているのか、あるいは――。

 澄珠は思考をそこで一度区切り、夕映に確認したかったことを直接聞いた。


「あなたが反政府組織と関わりがあると密告してきた者がいるのだけれど、それは本当?」


 もしかしたら、反政府組織と繋がっているのも、夕映ではない夕映なのではないかと疑っての質問だった。

 しかし、夕映はあからさまに動揺した様子で顔をしかめる。


「お前……なんでそれを知ってる?」


 まさかこんなにもあっさりと認められるとは思っておらず、澄珠は狼狽えた。


「……本当に、千夜様の統治に不満があるの?」


 問い詰められた夕映の喉がわずかに鳴る。彼は唇を動かしかけたが、言葉が出てこないようだった。代わりに、ちらりと周囲へ視線を走らせる。誰かに聞かれていないかを確認するような、警戒の仕草だった。

 その反応に、澄珠は即座に「……〝雲隠れの術〟」と呟き、手を動かした。

 次の瞬間、足元から白い靄のような煙が立ちのぼり、澄珠たちを包み込む。やがて庭の一角は外から完全に見えなくなった。

 雲隠れの術は、隠密に特化した術だ。自らを覆うだけでなく、他者を隠すこともできる。


「これで他の人の目には映らない。……お願い、本当のことを教えて。回答によっては、私はあなたと敵対しなければならない」


 澄珠の声音は切実で、縋るようでもあった。

 夕映は歯を強く食いしばり、逡巡の色を見せる。そして、長い沈黙の末、渋々といった様子で口を開いた。


「俺は、この後宮に来る前、神官組織からの命令で反政府組織に接触してた。奴らの動きを探るために。あの火事だって、俺が情報を掴んでいなけりゃ止められなかった。全部任務のためだ。俺は花神に逆らう気なんて、これっぽっちも持っちゃいねえ」


 打ち明けられた真実に、澄珠は心底安堵した。

 夕映は裏切り者ではなく、間者だったのだ。神官組織からの極秘の命令ならば、栗萌が知らずに怪しむのも無理はない。


「夕映たちは、花神の信徒として捉えていい?」

「当たり前だろ。神に仕えるのが神官だぞ。琴に至っては花嫁候補だ。花神と敵対していいことなんてねえよ」


 互いに視線を逸らさず、数秒だけ刺し合うように見つめ合う。

 澄珠は、やがてふうと息を吐いた。

 まだ夕映の言うことを全面的に信用できる段階ではないが、ひとまず伝えるべきところだけ伝えることにした。


「今度、私がこの屋敷に来たら、本物かどうか確かめてほしい。姿が同じでも別人の可能性があるということ、心に留めておいて」

「……それは、人を化かすような怨霊がいるってことか? この神域の結界の内側で?」


 夕映の声には信じ難いという色が濃く滲んでいた。


「最近、神域の結界も弱まってるから、おかしな話ではないと思う」


 昼間でも怨霊が後宮を徘徊するようになったことを、神官たちも気付いているはずだ。

 しかし夕映の眉は、やはり訝しげにひそめられる。


「琴をいじめていたお前の言うことなんか、信じられるわけないだろ」

「……信じる必要が出てきたら信じてほしい。あなたが私と同じ、千夜様への信仰を共にする、香霞の地の民ならば」


 澄珠のまっすぐな眼差しに、夕映の瞳がわずかに揺れる。

 澄珠は一度俯いてから、駄目元で口を開いた。


「今ここにいる琴に、直接会うことはできない?」

「会わせるわけねえだろ」


 短く切り捨てられ、澄珠は小さく苦笑するしかなかった。それはそうだろう。夕映にとって澄珠は、これまで琴をいじめてきた存在なのだから。

 澄珠は諦めて踵を返し、指先で術を解く。周囲を漂っていた霧がほどけるように薄れ、朝の光に溶けて消えた。

 横目に振り返った夕映は、何か言いたそうな顔をしながらも、結局は無言で澄珠の背を見送る。


 澄珠は歩を進めながら、胸の内で思った。

 ――一刻も早く、琴や夕映を疑っている栗萌にこの事実を伝えなければ。誤解を正し、この後宮で起こっている異変を共有しなければならない。


 足は自然と、早足で栗萌の屋敷へ向かっていた。




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