新しい人生と愚か者の企み
その後、寮まで送ってもらい、
お風呂から上がってベットに入ると、黒曜石板が光った。
見ると文字が浮かんでいる。
“ 今日は楽しかった。ありがとう ”
…ヴァレリー様からだ。
こんな風に文字が浮かび上がるんだ。
“ 私もとても楽しかったです。本当に色々ありがとうございます ”
“ よかった。またね。お休み ”
“ はい。お休みなさい ”
ふふっと無意識に笑っていた。
こんな風に普通に会話できる友人がいるのは、
本当に楽しいし、心強い。
明日はまだ片づいていない荷物の整理でもゆっくりしようかな。
寮とはいえ、小さなキッチンやお風呂やトイレも備え付けで凄く快適である。
久しぶりに料理やお菓子でも作ろうか。
令嬢らしくないとよく言われたが、自分の身の回りのことぐらい
最低限出来なければ、没落したときに生きていけないと考えていた私は、
小さな頃から子爵家で使用人の仕事をこっそり学んでいた。
だから、今では嫌な思い出の王宮侍女時代は器用で気が利くと、
王弟妃には気に入られていたから、結果的に助けてもらえたし、
謝罪と慰謝料まで得られたのだ。
そうして、元旦那様と恋人さんの接触もないまま、
地味ながらも私の平穏な日々は、落ち着きを取り戻していた。
「奥様!」
「アンナ?え…どうしたの?」
「私、本日から司書見習いとして、ここに就職いたしました!」
「ええっ!?」
「内緒にしてたんです。ビックリさせようと思って。
まだ、必要な単位と講習修了が終わってないので、
国家資格の試験受けられなくて、当分見習いです」
「嬉しいわ…また一緒にいてくれるのね。住む場所はどうしてるの?」
「寮に入居しました!」
「あら、まあ。準備万端ね。ふふっ」
「またお側で支えます!奥様!」
「あー駄目よ。リリィって呼んで。もう奥様じゃないから」
「そうでした。リリィ様…」
「様もいらないわ」
「ええっ!」
「早速その元気な見習いに、台車で荷物運びお願いしましょうか?」
「エレノア司書長、ありがとうございます」
「どういたしまして。
その子がどうしても、あんたを側で守りたいって聞かなくてね。
最近人手不足だし、見習いならいいかなって」
アンナがずっと側に寄り添ってくれたお陰で、
私はあの侯爵家での日々を耐えられたのだ。
もう侍女という関係以上の絆だったから、本当に嬉しい。
侯爵家は相変わらず元旦那様と恋人さんがギスギスしていて、
使用人離れが進み、求人を掛けても訳アリの人ばかりで、
品位が落ちているとアンナは嘆いていた。
奥様がしっかり管理されていたから、今までは大丈夫でしたけど、
旦那様とあの恋人では無理でしょうね。とため息を付く。
家令も嫌気が差しており、近いうちに辞めるそうだ。
何でも引き継いだ領地経営で出来た伝手で、
いろんな事業から引き抜きが来て、そちらに転職するらしい。
ベルモントには凄くお世話になったし優秀な人だったから、少しホッとした。
ああ…元旦那様と恋人さん以外には何の恨みもないのに…
自分が逃げるのに精一杯で、使用人のみんなには本当に申し訳なく感じる。
* * * * * * *
「ちょっと!」
「はい、何でございましょう?」
「クロスはどこ?」
「今日は、領地視察で外出しております」
「あっそ」
「他に御用が無ければ失礼します」
「紅茶煎れて」
「申し訳ありません、ジャンヌ様は当家の女主人ではありませんので、
ご自分でどうぞ」
「は?私はここの女主人よ!あの女出ていって離縁成立したんでしょ?」
「ですが、あなた様は妻ではなく、旦那様の愛妾でございます。
この家では部外者です。
そんな方に仕える義理はありません。失礼します」
「ちょっと‼︎ 待ちなさい‼︎」
ああ、面白くない。やっと名ばかりの正妻が出ていったのに…
何なの本館の使用人達は!ちっとも言うこと聞きやしない!
クロスも急に冷たくなるし…自由にしていいって言ったくせに。
私との生活の為に契約婚した妻の方が、健気で可愛いとか言い始めるし。
離宮の窓から馬車に乗る姿を何度か見たけど、
貧相な体つきの地味な色味の女だった。あんなの何処がいいのか理解出来ない。
離宮の使用人もみんな生意気な態度だし、最近は特に入れかわりが激しくて、
全然仕事覚えなくて使い勝手悪いし、まったくくつろげない。
妾だからって見下しやがって。
クロスに言えば、面倒くさそうに自分で何とかしろ自称女主人なんだろ?
と嫌みを言われる始末。
美麗な騎士クロスにあらゆる方法で媚びまくって、
娼婦からやっと苦労して足を洗って、贅沢な生活を手に入れたっていうのに、
貴族社会はマナーだの教養だの身分だの息苦しいったら…
その面倒くさい部分を契約妻に押し付けて、
私達は悠々自適に暮らすはずだったのに…
クロスは心変わりするわ、そのせいで契約妻は出ていくわ…
全て台無しだわ。
このままでは、追い出される。
クロスは手に入らない逃げた契約妻に執着している。
反面、私が機嫌を取ろうとすればするほど不機嫌になる。
性欲に忠実な単純な男だと思っていたのに…
最近はいつもの方法じゃ全然籠絡できない。
契約妻に懸想しているのは、気に入らないけど、背に腹は代えられない。
離縁して接近禁止令が出てるけど、連れ戻して閉じこめてしまえば
バレないし、クロスも機嫌を直してくれるわ。
そうすれば、あたりが強い私にも優しくしてくれるはず。
体の関係は無いらしいから、媚薬でも盛って性交させれば逃げられなくなる。
娼館では、借金の肩で売買された、ウブな貴族令嬢達の躾で
良くやっている手だ。
そして、あんな貧相な体の女なんて、そのうち抱き飽きて
私に目を向けてくるはず。
連れ戻す事に協力すると言えば、
絶対に乗り気になって機嫌を直してくれる。
そうよ…そうすればいい。
絶対に、この裕福な生活を手放してたまるものですか。
* * * * * * *
「お飾り妻に離縁されたって?宮廷一の色男も形無しだな」
「…何の用だ?」
「おっと、機嫌悪ぅ」
「禄に話し合いも出来なかった。
到底納得いかないのに、契約内容と彼女に少し怪我を負わせた件で
有無を言わさず離縁申請が受理されたんだ。
俺なりに彼女の事情も考慮しての内容だったのに…」
「契約婚だって立派な侮辱だろ。しかも怪我って…それは不味ずぎ」
「わざとじゃない。少し腕を掴んだだけだ…逃げようとするから…」
「お前な…男と女どれだけ筋力の差があると思っているんだよ。
しかも、お前は元騎士だぞ?軽く掴んだだけで骨なんか折れちまう」
「それは悪かったと思っている。
しかも、彼女はその怪我を俺に隠していたんだ…
その後から家に帰ってこなくなって。謝りたかったのに…
そうしたら2週間後に粋なり調停官が離縁受理状持ってきて
…酷くないか?」
「まあ、どうぜ、お飾り妻だったんだろ?
同じ契約内容で変わりの令嬢見つけてくれば?」
「そういう問題じゃない。俺は彼女と本当の夫婦になりたいんだ!」
「でも、彼女は嫌だった。だから離縁されたんだろ」
「彼女は奥ゆかしいから、俺とジャンヌに遠慮して自ら身を引いたんだ…
俺の気を引こうと領地経営も完璧にこなしていた。
本当に健気で可愛い女性だ」
「いや、2年間無視されてたんだろ?何で今になって離縁したんだ?」
「俺を好きになってしまって、目の前で逢瀬を繰り返す俺たちを見て、
契約婚に耐えられなくなったんだろう。可哀想に…」
「いや、お前が契約婚辞めようとしたから逃げたんだろ?嫌われてんじゃん」
「違う!お前には俺達の関係なんて分からないんだよ!」
「はいはい。だがな、諦めろ。お前は彼女の2年間の人生を
自分勝手な理由で利用して縛り付けていたんだ。もう自由にしてやれ」
「もう一度ちゃんと話し合いたいんだ…そうしたら彼女も分かってくれる!」
「…ジャンヌがいるだろ?欲張るな」
「あいつは…もういい。強気で素直で奔放で貴族令嬢らしくない
ところが魅力的だったが、一緒に暮らすとなると煩いし、
酷い癇癪持ちのヒステリーで…マナーも教養もない
それに、後5年もすればあいつの自慢の美貌もやがて枯れてくる
年を取ったら何の価値もない女だ」
「ひでぇ男…そら契約妻も逃げるわ」
「はっ!結婚もしてないお前に何が分かる?」
「してなくても分かるよ。お前が女心を理解してないってね」
何も知らない同僚に軽口を叩かれ、不愉快だった。
2年も彼女の想いに気づかず、本当に申し訳なく思っている。
あんな契約内容でも、文句1つ言わず俺の側にいてくれたのだ。
王家の冤罪事件で傷モノになりながら、
それを利用して契約婚を申し出た俺を責めもせず、受け入れてくれた。
俺はその想いに答えてあげないといけない。
そうだ。
離縁したなら、もう全てリセットされたと同じだ。
また再婚すればいい。
別れた夫婦が復縁するなど良くある事ではないか。
俺を拒む女など、今までいなかった。
だから、どうしても彼女の拒絶は違和感がある。
ああ、彼女は試しているのか?俺の愛が何処まで本物か。
そうだ、俺が見つけだして迎えに来るのを待っているんだ。
君なりの俺への我が儘なんだね。
待っていて、必ず見つけて迎えに行くから、
可愛いリリィ。




