7話 宿屋での出来事
ヒュオオオオオオオオオオオオと風の音が響く山頂。かつてドワーフが繁栄していた都に私は来ていた。私が見ているのは周囲の空気を吸い込んでいる謎の裂け目。周囲を見渡すと数人の部下が辺りの調査をしていた。
「ふむ...実に興味深い。計り知れない魔力をこの裂け目から感じられる」
「アルディッヒ様、ご報告があります。城の中につい数日前誰かが過ごしていた痕跡が残っていました。「世界」殿が仰っていたことは本当かと」
私が裂け目に興味をそそられていると、フードを深く被った男が膝をついて報告する。
「ご苦労。ではドワーフの遺産を回収せよ。厄介なトカゲも消えてくれたことだしな」
「はっ」
そのまま男は走り去る。私はとある魔道具を出し、裂け目に向かって掲げた。
「サンプルはこれくらいでいいだろう。既存の魔力に見えるが、大きく変異しているな...ふふふ、これほど愉快な気分は久しぶりだ。彼と研究成果について語り合っていた時以来だろうか」
私は裂け目の魔力を吸収した魔道具をしまい、背を向けて歩き去る。
「そういえば、王国にいるのは『女帝』だったか。彼女には忠告しておかねばな...」
そう呟いたアルディッヒと呼ばれた男は、不敵な笑みを浮かべ森へと姿を消した。
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「はぁ〜...あー、いい湯ね〜」
数日しか経っていないが、数カ月ぶりに入った心地がする。私、紗月芽唯は宿のお風呂に入っていた。どうやら共有らしく、デカい浴槽が一つ置かれている。その周囲にはシャワーなどがいくつもつけられており、そこで体を洗うようだ。なぜヨーロッパ風の街にこんな浴槽があるのか不思議ではあるが、今はそんなことどうでもいい。旅で疲れた体を湯船で癒やしたい。もう夕方になるはずだが、私以外に入っている人はおらず、静かな空間が広がっていた。
「とりあえず、川で体を洗う必要がなくてホッとしたわね。バルリエさんには感謝しないと」
数十分の入浴後、体を拭いて宿の部屋へと戻る。ベッドにダイブするとさわり心地抜群の毛布が眠気を誘う。
「あ〜...きもちいいー...」
そのまま寝そうになるのをぐっとこらえて、状況の整理を始める。
(ぱっと見た感じ中世ヨーロッパの文化に見えるけどおかしな部分があるわね、あのお風呂とか。水源は?近くに川が流れてる様子もなかったし、降水量が多そうな感じもしない...)
そもそもとして中世ヨーロッパ時代、水というのは汚物だ。直接水を飲むのではなく、ビールやワインなどで水分を確保していたはず。歴史好きの研究員がそんなことを言っていた。そんなところにお風呂があるのは場違いにも程がある。飲料水として使える水すらないのに入浴に使う水など存在しないはずだ。しかし事実、この宿には風呂が存在していた。ならばどこかに清潔な水を採取できる水源があるはずなのだが、それらが見当たらない。
(うーん...今考えられる説はマナを使って水を生成するってとこかしら)
正直それ以外思いつかない。
考え事をしていると、ぐぎゅ〜と音が聞こえた。音源は私のお腹。急激な飢餓に見舞われる。
「お、お腹すいた...」
今思えばこの世界に来てからまともな食事を食えていない。あくまで空腹を凌ぐための食事であり、お腹を満たすための食事ができていない。つまり何が言いたいのかというととにかくたくさん食べたいのだ。さすがに限界である。
よだれを垂らしながらふらふらと立ち上がると、扉からノック音が聞こえ、「入るぞ」と声が聞こえた。「きぃ」と扉の開き、入ってきたのは竜馬だった。若干髪が湿っていることから私と同じく風呂に入っていたようだ。
「...腹でも減ったか?」
「ええ、もう限界。とりあえずメインディッシュとして肉を2000g用意してほしいんだけど」
「余裕があれば...な」
金銭が入った小袋を手にため息をついた竜馬と一緒に食堂へと足を運んだ。
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がつがつむしゃむしゃと。食堂の中で、食事の音が鳴り響いていた。音の原因である場所の机には、幾つもの皿が重なっており、大量の食事が運ばれていた。紗月が暴飲暴食しているのである。周囲の人々は唖然としながらその光景を見ており、食事の手が止まっていた。
(このままじゃ金がなくなるな...)
分かってはいたが食費がかなりかかりそうだ。早急に仕事を見つけないと路地裏生活となるだろう。
「水」
紗月が言う。
「おい、水くれるか」
「え、あ、はい!」
呆然と見ていた店員の少女に水を注文する。幸い、水は有料ではなく無料提供だった。
「がーはっはっは!こいつはすげぇ!ちいせぇのによく食うじゃねぇか嬢ちゃん!」
突如、体格のいい2メートル以上の巨漢がビールの入ったジョッキを片手に紗月の隣へドカッと座る。顎に立派なひげを生やした大男は50か60くらいの外見をしており、髪はオールバックに決めている。いきなり大男がとなりに座ってきたのが驚いたのか、紗月は食事の手が止まり男を凝視している。
「こんなに清々しく食うやつは久しぶりだ、気に入った!嬢ちゃん、奢ってやるからじゃんじゃん食いな!」
「だーっはっはっは!」と高笑いしながら大男はジョッキの中身を飲み干す。それと同時に周囲にいた男たちも食事の手を再開し、活気が満ち溢れる。中には紗月がどれだけ食うか賭け事をしたりしてる者もいる。
「あんたは?」
「オレァジェラールって言う。この街のハンターをやってんだ」
「ハンター?」
正直に言えばこの男は狩人というよりも戦士と言われた方がしっくりくる。それにこの男の言うハンターとは狩人のことを指しているわけではなさそうだ。
「ああそうだ。おいおい、まさか兄ちゃんハンターを知らないのか?」
「すまんな、外の世界と交流のないド田舎から来たもんだから情報に疎いんだ」
「はは、そうだったのか。確かにここらじゃ見ない服装してるからな」
店の従業員にビールを注いでもらいながら俺たちを一瞥する。
「ハンターって言うのはいわば一種の傭兵だ。ハンター協会ってところから依頼を受けて、魔物の討伐だの薬草の採取だのをやる者たちのことさ」
肉をがっつりと食いながら説明を続けるジェラール。一気にビールを飲み干すジェラールも紗月に劣らず清々しいほどの食べっぷりだ。
「ほう。そのハンターってのはすぐになれるもんなのか?」
「ああ、数日かかっちまうがハンター協会に行ってハンター試験ってのに合格すればすぐになれるぜ。兄ちゃんもハンターになるつもりか?」
「報酬と内容次第でな。そのハンター協会ってのはどこにあるんだ?」
「この宿から北西にある。結構デカいからすぐに見つかると思うぜ」
もう何杯目になるかわからないビールを飲みながら言う。すでに十数杯は飲んでいるはずなのにまだまだ余裕そうである。
「そうか、助かる」
「いいってことよ。ほら、兄ちゃんもただ座ってるだけじゃなくて飲みな!」
そう言いビールの入ったジョッキとつまみの肉を目の前に出してくる。
「いや、俺は必要...」
「遠慮しなくていいさ、俺のおごりなんだからな!嬢ちゃんみたいにがっつり食っていいぞ!」
「がっはっはっは!」と高笑いするジェラールに悪意は感じない。
(はぁ...食事の必要はないんだがな...)
しかし、この世界の食事に興味がないわけではない。ここは言葉に甘えて食べることに使用。
「...うまいな」
肉を食べた後にビールを一飲み。肉は厚く、決して柔らかくはないが歯ごたえがよくジューシーだ。ビールはのどごしがよく、キレもあって飲みやすい。だが、やはりビールはあまり好きではない。アルコールを即座に分解しつつ、主食であるパンを食べながらジェラールにとある質問をする。
「一つ聞きたいことがある。俺たちは人を探すために旅に出てるんだが、高身長で痩せた中年の男を見なかったか?」
俺は紙に軽く佐々木の絵を描き見せる。
「いや、見てねぇな」
「そうか」
期待はしていなかったので、特に落胆はない。引き続き聞き込みをしつつ、元の世界への帰還方法を模索する必要があるだろう。
「それにしてもきれいな紙だな。羊皮紙じゃねぇな?」
ジェラールが興味深く紙を観察する。
「故郷で作られた紙さ。植物の繊維を使ってる」
「植物?そういや南の方ではそんなの使ってるとかって聞いたような気もするが...」
どうやらこの国では羊皮紙が主流のようだ。なら、紙を売れば多少の資金になるかもしれない。
「ふぅ~...久しぶりによく食べたわね...」
紗月が満足そうにお腹をさすっている。机の上は皿の塔が出来上がっていた。
「大量の金額になりそうだな...」
「あ...ごめん、考えてなかった...」
「安心しろ、こいつが払ってくれるらしい」
「え、そうなの?」
「だそうだ。本当にいいのか?大量だぞ」
ジェラールに確認を取る。
「ああ、問題ねぇ。遠慮はするな」
「遠慮するなって言ってるぜ」
「あ、ありがとうおじさん」
「ありがとうだってよ。俺からも礼を言う」
「ああ、こちらこそ。あんなに勢いよく食べる姿を見るのは久しぶりだったからなぁ、楽しませてもらったぜ」
そしてくいっとビールを飲み干すジェラール。どうやらこちらはまだまだのようだ。
「それじゃあ俺たちは自室に戻る。またな」
「おう」
そうして、俺たちは部屋へと戻った。
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「ぷはぁ~...結構食ったわねぇ...」
久しぶりの食事に少し食いすぎてしまった。少しきついが、横になっていれば問題ないだろう。
「明日はハンター協会に行くぞ」
「何?ハンター協会って」
「いわゆる傭兵のような仕事をしてるやつらの組織らしい。内容次第で試験を受けるつもりだ」
「大丈夫?毎年死者が出てたりしない?」
すごく難しそう(小並感)。
「さあな。だが、金銭確保が最優先の状況においてやるべきことは職探しだ。今日はゆっくり休んで明日に備えろ」
そう言って退出しようとした竜馬。そこでふと思い出す。
(そういえば宿の鍵って一つしか受け取ってなかったような...)
「ねぇ竜馬、あなた一部屋分しか買ってないわよね?」
「ああ、俺に睡眠は必要ないからな。不要な出費は抑える方がいい。街の探索にでも...」
私は全力で竜馬を睨む。
「...どうかしたか?」
「どうかしたかじゃないわよ。私だけ宿のベッドで寝てあなたは徹夜で街の情報収集なんていたたまれないじゃない」
「だから俺に睡眠は必要ないと言っただろ」
「そういう問題じゃなくて、私が申し訳なさでいっぱいになるの。私が寝るんだったら、あなたも寝なさいよ」
人間かどうか怪しいところはあるが、すくなくとも生物ではあるだろう。睡眠をしなければ不調になるかもしれない。それ以上に自分だけが寝るのは嫌だった。すると、ため息をつきながら竜馬が言う。
「...しょうがねぇな...でも部屋は一つだけだぞ」
「...あ」
となると、同じ部屋で寝ることになる。そう思うと、急に恥ずかしくなってくる。
(い、いや、でも野宿の時とか一緒に寝てたじゃない...何を今更...)
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。
「の、野宿とかで一緒に寝てたじゃない。今更そんな...」
「それもそうか。じゃあ、早めに寝るとするか」
そう言って床に寝転がった竜馬。
「え...ゆ、床で寝るの...?」
「ああ。まさか同じベッドで寝るわけにもいかねぇだろ」
そのまま両手を頭の後ろで組み、目を閉じた。自分はベッドで寝るというのに、竜馬は床で寝るのは、やはり申し訳ない。私は覚悟を決めて口を開く。
「...そ、その...床は固いし...ベッドで寝なさいよ...」
「...正気か?」
片目を開け、こちらを覗く。
「...ッ!いいからベッドで寝なさいよ!」
竜馬を起こそうと両手で引っ張るが、微動だにしない。
「...はぁ、分かったよ」
そう言った竜馬は起き上がって、部屋の明かりを消した後、ベッドに寝転がる。私もそれに続き横になる。
(ち、近い...)
一人部屋のベッドなので、もちろんシングルだ。なので、必然的に密着してしまうことになる。顔がかなり熱くなるのを感じながら、掛け布団の中に潜り込む。すると、心地よい匂いが鼻をくすぐる。
(これは...竜馬の匂い?)
男性の体臭は臭いと聞いたことがあったが、この匂いは不快ではなかった。それどころか心地よく、いつまでも嗅いでいたかった。
(な、何考えてるのよ、私の変態!)
さらに顔が熱くなるのを感じる。もうこれ以上余計なことを考えないよう寝るために目を閉じる。
(あったかい...)
とても暖かく、心地よい感覚は、私を深い眠りへと誘った。