第八話 悲劇
手紙にはこう書かれていた。
『天音へ、明日の放課後テニスコートに来て―――』
翌日の放課後、新太は嫌々ながら遥と一緒にテニス部の練習場所である、テニスコートへと向かった。
遥の姿を確認したテニス部の女子たちが手を振ってくる。
また意外そうな顔をして新太のことを眺めていた。
「おつかれー! 来ちゃったよ!」
「うれしいです! 平先生もご一緒なんですね」
「ま、まあね、ついでに誘ってみた感じ」
「ついでって……」
新太はテニス部の女子たちの視線に反応した。
「そんなに嫌なら、お暇するぞ」
「そ、そんなことないですよ! 意外だなって思っちゃって。ねー」
「う、うん。そうそう。平先生ちょっと怖いし、人と話すのあまり好きそうじゃないから」
「どんなイメージだよ。それ」
「まあまあ、そんな風に見られていたんだね!あはは!」
遥はクスクスと笑い始めた。
「改めまして、テニス部の大原です」
「同じくテニス部の諏訪です、よろしく、先生!」
左の大原という女子は後ろで髪を結ぶお団子スタイルで身長は150半ばといったところ。胸はさして大きくないが、少し日焼けしていて美しい。
右の諏訪という女子はショートヘアの色気を感じるボイン。身長も160半ばほどあり、一瞬中学生であることを忘れさせてくる。そしてなによりとにかく明るい。
「先生たち、折角ですから、ダブルスしましょうよ!」
「いいねー! やりましょやりましょ!」
「う、うん。そうだね。やろうか新太」
遥は明らかに乗り気じゃなかった、言葉には出していないが周囲ににじみ出ている。
「ところで先生。天音、見ませんでした?」
「いいや、見てないけど…… 新太見た?」
「いや、見てないな」
「そうですか」
大原は少し残念そうに俯く。その表情はどこか憎悪に満ちていた、新太はそんな気がした。
各々がダブルスの配置につく、最初は新太が後衛で遥が前衛だった。
大原のサーブからゲームが始まる。
「1ゲームでお願いしまーす!」
その発声を合図に思いきりサーブを打ち込む。
もちろんテニス未経験の新太が取れるはずもなく、あっけなくサービスエースを取られてしまう。
「ちょっと! 新太、何やってんのよ!」
「あ、悪い悪い」
遥にサーブの出番が回って来る。
「見てなさいよ。ウチのウルトラカットサーブ! ……んっ!」
思い切り力を込めたサーブは無情にもネットに引っかかる。
「フォルト! もう一回です」
「えっ! もう一回チャンスくれるの! 優しー!」
「そういうルールだからな」
案の定、次はコートラインを大幅にオーバーしてしまった。
その後も醜態晒しが続いた。最初は真剣なゲームかと思っていた他の部員たちからもある意味で明るい笑いの声援が送られていた。
意外にもゲームはガヤのおかげでだいぶ盛り上がった。0-40というスコアは目に見えていたが、実際に見てみると茶番だ。
「ありがとうございました!」
「うん。ありがとう。やっぱり強いねぇ」
「私たち県ではそれほど強くないんですよ」
「そ、そうなんだ……」
遥はラケットで、だけでなく、言葉の称賛においても見事に空振った。
テニス部との試合の後、新太は待ち合わせをしていたある人物とファミレスで接触する。
「こんばんは。先生」
「ああ、こんばんは。付き合わせて悪いな」
「どうだった?」
「ビンゴ、だったよ。相沢の言っていた通り、手紙が城ヶ崎の下駄箱の中に入っていた」
「中身は?」
「それも言っていた通りだ」
相沢という男子、この生徒は新太が1日目に唯一会話をした生徒。
「これからも情報の提供を随時頼むよ。これは俺からのお礼だ」
目の前に運ばれてきたのは甘いもの好きなら誰もが喜ぶ特大パフェ。
「ありがとうございます」
上に乗っかっているアイスから手を付け始めた。
「ところで…… 相沢は今のクラスをどう思っている?」
「どうって、俺は基本ぼっちで誰ともつるんでいないから、どうも」
「じゃあ、聞き方を変えてみよう。相沢から見た今のクラスを俺に教えてくれ。もちろん相沢の個人的感情は考慮しないでいい」
「うーん。一つの大きな山と、俺と、城ヶ崎っていう感じかな」
「一つの大きな山?」
「うん。委員長の田中を頂点とするカーストだね。傍から見たら静かで優秀な集団のように見えるけど、裏では田中がほとんどを仕切っていて、誰も逆らえないっていう感じだね」
新太は、やっぱり人間というものは見かけによらないなぁとしみじみ感じていた。
「気に入らない人や反抗する人は排除する。それが田中のやり方でね。新学期始まって間もなくだけど、俺と城ヶ崎は孤立してしまったっていう感じかな」
「なんで田中はそんな権力を持っているんだ?」
「それはいくつか理由があると思うけど、一番は人を操る力じゃないかな」
「操る力?」
「特殊な何かじゃなくて、田中からは一種の宗教的なものを感じるんだ。あいつは新学期早々にクラス会を開き、勉強会も開き、相談会も開く。だから人からの信頼が集まりやすい」
「で、相沢と城ヶ崎はそれらの催しに参加しなかったわけだ」
「そういうこと」
「じゃあ実際、相沢も狙われているんじゃないか?」
「わからない。今は城ヶ崎がターゲットっていう噂だけど……」
「とにかく気を付けろよ。何かあったら俺に報告してくれ」
「はい。ありがとうございます」
パフェをペロリと平らげ、ファミレスを後にしてそれぞれ帰宅の途についた。
そう、実はあの手紙には続きがあった。
『―――もし来なかったら、明日マジで殺すから』
もし手紙の通りであれば、明日確実に誰かが城ヶ崎を殺しに来る。
***
昼休み、城ヶ崎天音はファッション誌を読んでいた。
その1ページ、1ページにはキラキラとした世界が広がっていた。天音の視線は服というよりかはモデルの方にいっていた。
クラス唯一の金髪ということもあり、浮いた存在であることを天音自身自覚していた。
この居心地の悪い場所から立ち去りたいと常日頃から考えていた。
今年度になってから周囲の目は一層冷たいものになっている、そんな気がしていた。
そこに場の空気など読むこともなく、1人の男が近寄って来る。
「ちょっと隣失礼。1人で寂しくないか?」
「別に…… ていうか、急に何ですか。平先生」
「あ、名前覚えてくれたんだ」
「ええ、周囲の生徒と溶け込めていない教育実習生で噂になっていますから」
「そんな噂が……」
「昨日もテニス部の生徒にボコボコにされたんですってね。ご愁傷様です」
天音はファッション誌に目をやりながら、新太に目を向けることもなく、平然と毒を吐く。
「ま、まあ……」
新太は言い返すこともなかった。話の上手い人ならここから『もー、馬鹿にすんな! この野郎ー!』とか言って生徒と打ち解けることもできるだろうが、新太はそういうタイプじゃない。
新太は天音の読んでいるファッション誌に目がいく。
「ファッション誌読んでて、面白いか?」
「先生には関係ないでしょ。私の勝手よ」
「もしかして、こういうモデルさんとかに憧れてたりして」
冗談交じりに言った新太の一言を聞いて、天音は少し動揺したようだった。
「だ、だったら何が悪いっていうのよ!」
少し顔を赤らめたかと思うと、思いきり椅子の音を立て、教室から出ていった。
それからというもの何事もなく放課後を迎えた。
「それでは授業を終わります。号令」
「起立! きょうつけ、礼!」
「「「ありがとうございました!」」」
新太は昼間のごとく天音の下へと駆け寄る。
その様子を見ていた遥に足を引っかけられそうになった。
「って! そこは引っかかってくれよ」
「何すんだよ急に! 危ないな」
「もしかして新太ってあういう女子が好みなの?」
目線と首遣いで明らかに天音のことを指していた。
「そういうことじゃないよ」
新太は遥を軽く払った。
「ちょ、ちょっとー!」
荷物を整理して今にも帰宅しようとする天音が新太に気づく。
「何ですか? まだ何か」
「この後は家に帰るの?」
「いいえ。バイトがあるんで」
「バイト? 中学生がバイトなんて―――」
新太の言葉を遮るように横から割り込んできた者がいた。
「ですよね、先生。中学生がバイトなんてしちゃいけませんよね」
おかっぱ頭に丸眼鏡。そして何よりこの聞き飽きた声。そう委員長の田中だ。
田中の存在を察知した天音はすぐさまリュックをもって走り去った。
「ちょま!」
もう既に遅かった。
「田中。お前城ヶ崎と何かあるのか?」
いきなりストレートな質問をぶつけてみる。人間は大抵自分の本音を押し殺す。特に日本人の場合はそうである。
そこから感じ取れる間や動揺というのはかえってわかりやすい時もある。
「……特に何も」
この間からして、新太は田中が嘘をついているということが窺い知れた。
案外、田中という人間は分かりやすいのかもしれない。
「そうか。わかった」
そう言って新太は天音の後を追った。
幸いにも教室のある2階の窓から、天音の後ろ姿が目視できた。
新太は全力で走り、50m後方まで追いついた。
その後はどこぞの探偵のように尾行を続けて、目的地の建物へと辿り着いた。
その建物は明らかに民家とは思えない。誰がどう見ても個人経営の喫茶店である。
店名は『喫茶 天』、こじんまりとしている。
「やっぱりバイトしてんのか…… いやまだ手伝いっていう可能性もある」
店内にはお年を召したマスターと思しき老人が1人でお店にいた。
新太も店内に入ってみる。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませー……って何で先生がここに?」
「よう。たまたま通りかかったら、お前の姿が見えたからな」
「先生でしたか。私は天音の祖父の茂です。いつも孫がお世話になっております」
「おじい様でしたか」
新太は内心少しホッとした。
「なんだ、手伝いだったら、バイトなんて言わないで素直に言ってくれたらいいのに」
「先生には関係ないでしょ」
新太はカウンター席についてホットコーヒーを注文した。
店内を見回すと喫茶店らしいレトロな装飾の片隅にファッション誌、モデル誌の本棚がポツリと置かれていた。
「やっぱり城ヶ崎はモデルとかに興味があるのか?」
「だから先生には関係ないでしょ」
「天音の小さいころからの夢は女優さんでして、子供のころなんかはテレビに出ている女優さんなんかの真似をして演技なんかをしていたんですよ」
誇らしげに孫のアピールをする茂であったが、その傍らで天音は顔を真っ赤にしていた。
「おじいちゃん! 余計なことは言わないで!」
そう言うと天音は店の奥に入っていってしまった。
そんなことは関係なしに茂の孫自慢は終わりを知らない。
奥からなにやらアルバムを取り出してきては、どうだ、と言わんばかりに幼いころの天音の写真を見せた。
「これが幼稚園の演劇のときで、これが子役の劇団の頃の舞台の写真で、これが小学何年生か忘れてしまったけれど、演劇の写真です」
そこには今の天音では考えられないほどの表情がいくつも見られた。
「孫はお芝居をしているとき、本当に生き生きしているんですよ」
茂は満面の笑みで語ってくれる。
天音は茂にとって本当に自慢の孫なんだなと、新太はしみじみ感じていた。
そんな明るい時間は、そう長く続かなかった。
「なんか焦げ臭くありませんか?」
「そうですか? ちょっと鼻が悪くて。今は火は使っていないはずですけど」
「ちょ、ちょっと! おじいちゃん! 外の花壇が燃えてる!」
天音はすごい勢いで店の奥から走って来た。
「まずい! 消火しましょう!」
火は次第に燃え広がり、木造のこの店にも燃え移る。
「早く!」
ようやっと奥から消火器を持ってきた天音が勢いよく消火を試みる。
火はそう簡単には消えなかった。煙を吸い込み過ぎてしまった茂はその場に座り込んでしまった。
「おじいちゃん!」
「城ヶ崎! これは消えない! 外に逃げるぞ!」
「はい!」
既に火に囲まれてしまった店内であったが、天音は勇気を振り絞って火の海へと繰り出す。
追いかけるようにして新太は茂をおんぶして店内から脱出する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
脱出から間もなくして消防車、警察、救急車が次々と駆けつけた。
新太、天音は救急車に運ばれたが意識はあり、やけどを負っていた。茂は意識不明の状態で救急車で運ばれた。
「大丈夫か? 城ヶ崎」
「うん。私は平気。先生は?」
「俺も何とか」
それでもなお、天音は心配そうな面持ちで病院のイスに腰を掛けていた。
「おじいさん、無事だといいな」
「……うん」
医師の1人がこちらに向かってくる足音がしていた。新太は顔を見上げなかった。下を向いたまま、1人、目を見て話を聞く天音の会話を片耳で聴いていた。
静かな空間が一層静かになった。そう思ったとき、静けさは消え、心が痛くなるような甲高い少女の泣き声が耳に刺さってきた。
その泣き声は心によく響いた。
18時50分、薄暗い病院の中、2人はその訃報を聞かされた。