第六話 虐助
朝6時、いつも通りマルクスを散歩に連れていく。
本来ならば、散歩などせずに素早く支度し、学校に行き、玲奈との勝負に勝つ。それが普通なのであろう。ただ最初から新太には勝負するつもりなど全くなかった。
玲奈があの女どもに会わなければ良いだけの話であった。
あのタイミングといい、持ち物など、総合的に判断して、彼女たちは玲奈を待ち伏せしていたに違いない。
ただ玲奈も馬鹿じゃない。登校時間をずらせば、会うこともない。そんなことは分かりきっていたはずだ。
しかしどうしてか巡り合ってしまう、彼女たちに。
いくつかの理由が考えられるが、推察するに登校などどうでもよく、長時間待ち伏せている、が一番濃厚であろう。
今日の散歩ルートはいつもと違った。
「マルクス、少し鼻を貸してくれ」
そう言うと新太は鞄の中から、玲奈のキーホルダーを取り出した。
昨日新太はこっそり拾っていた。
匂いをかぐと、マルクスが時より吠えながら、道案内を始めた。
マルクスの指示通り進んでいくと、一か所の立派な豪邸へと辿り着いた。
「もしかしてここが、玲奈の家か……」
すると大きな門が開き、中から玲奈が歩いてきた。
お互いの存在に気づく。玲奈はまず初めに少し驚きを見せたが、その次の瞬間からその目はストーカーなど気持ち悪い存在を見るような目へと変化していった。
「お、おはよう。偶然だな」
「おはよう。何でここにいるの?」
「何でってほら見ての通り犬の散歩だよ。散歩」
新太は必死にマルクスをアピールする。
玲奈は少し腑に落ちていないようであったが、近づいてきてマルクスに触れる。
「よーしよし。名前はなんて言うの?」
「マルクスだ」
「そう。マルクス。よしよーし」
新太はマルクスに感謝してもしきれなかった。
「ていうか、今朝は勝負するんじゃ?」
「あ、ああそのつもりだったけど。少し寝坊してな」
「寝坊って。まだ朝の6時半だけど…… まあいい。私の価値だね。ジュースでも奢ってもらうよ。それじゃ」
新太は立ち去ろうとする玲奈の右腕を掴み、引き止める。
「ちょっと、な、なにするの?」
玲奈は少し動揺する。それとは正反対で冷静に新太は喋る。
「一緒に登校しても良いか?」
「な、なんで?」
「ちょっと気になることがあってな」
「き、気になる!?」
玲奈の顔の色は次第に赤くなってきていた。
「ていうか、その格好でしかも犬も一緒に学校に連れていく気?」
「そのつもりだけど。高校に行って勉強するわけじゃないから良いかなと」
現在の新太の格好は上下水色のパジャマで、外に出歩くのも憚られる格好であった。
そう。新太は他人の目を全く気にしない。少年院時代にずっと独りであったためでもあろう。
玲奈はこの時、新太のネジが外れた一面を知った。しかしそれはまだほんの片鱗であった。
この新太の提案は玲奈にとっても好都合であった。
あの女達に絡まれないで済むと、玲奈は心のどこかで安心していた。
歩いているといつもの襲撃スポット周辺に辿り着こうとしていた。
すると途端にマルクスが吠え始めた。
「ワンワンワン!」
吠えている先には公園の草陰に隠れている女3人組がいた。
女たちは当然吠えられていることに気づき、同時にこちらの存在にも気がついた。
「…………クソ玲奈!」
女達は草陰から出てきて、こちらに近づいてきた。
「何見とんじゃ、ボケッ!」
中央の女が大声で新太と玲奈に向かって怒鳴って来た。
「あれ? 玲奈の彼氏さんですか? そんな気持ち悪い厨二病、つるんでいるだけで頭おかしくなりますよ」
「まあ確かに」
「でしょ? 早くそんな奴見捨てた方が良いと思いますよー。なぁ玲奈、お前の本性見せてやりなよ」
両脇を固める2人の女子も笑い始めた。
「やってみろ。玲奈」
新太は真面目な面持ちで玲奈を催促する。
玲奈は何か覚悟を決めたように右拳を握った。
「…………童は神とドラゴンの混血にして、この新世紀に転生した勇者、レナ・クイーンエリザベス! お前らごとき駆逐してやる!」
「……だから、それがウザいって言ってんだよ!」
そう言うと女子の1人が玲奈に向かって殴り掛かって来る。
新太はその行為を止めに入る―――と思いきや、その傍らで光景を眺めていた。
1人の殴打を皮切りに3人がどっと玲奈のリンチに取りかかる。
「おらおらおら!」
「あ、ら、た、助けて……」
ここぞとばかりに殴る蹴るがヒートアップしていく。
するとそこに2人の男性が現れた。
「君たち、やめなさい!」
「なんでここに……!」
予想していなかった来客に女達は驚きを隠せなかった。
男性たちは暴行を受けていた玲奈の下に駆け寄る。
「大丈夫かい? 安心して、警察だよ」
「お前……! 図ったな!」
強烈な視線で女の1人が新太を睨みつける。
「なんのことですか?」
警察官は新太の下に駆け寄り、感謝の意を述べた。
「君の言った通りだったね。ありがとう」
「どうも」
警察官は女達を交番まで連れて行った。
「大丈夫か? 玲奈」
「うん。新太は何をしたの?」
「いや、別に。特にすごいことは何もしていないさ。警察を呼んだだけだよ」
***
遡ること1日前、今朝と同様、玲奈は女達に絡まれていた。
新太はその光景を公園の片隅からじっと見ていた。
新太が近所の人にその争いのことを伝えたことで、注意された女達は公園を退散していった。
「うっぜーわ、あのジジイ!」
「朝からうるさい声で怒鳴りやがって」
女達は注意しに来た大人の愚痴を漏らしていた。
新太は学校に遅刻しないように時計を見ながら、公園を後にして歩いていた女達に接触する。
「すいません。これ落としましたよ」
新太は玲奈が落としたキーホルダーを差し出す。
「なんだ、お前?」
女達の一人がキーホルダーを見て、その後、新太の顔を見た。
新太の表情は非常に恐ろしかった。怖いという恐ろしさではなく、何かを蔑むような憐みの眼差しの無に近い表情をしていた。
場が凍り付き、女達が一斉に鳥肌を立てるほどであった。
「…………なんだ、こいつ」
「ねえ、逃げない?」
「うん、そうだな。逃げよう」
女達は丸聞こえの耳打ちをし始めた。
「オレをそんなに怖がらないでください」
明らかにさっきまでの口調とは違った。真正面にいるにもかかわらず、何か耳元で呟かれ、脳に直接響き渡るような鋭い声であった。
女達はその場から立ち去ろうとした。
「待ってください。お話はまだ終わっていませんよ?」
「…………」
「あなたたち、さっき1人の女子をいじめていましたよね?」
「…………」
新太が一方的に喋り、女達は黙って聞いている。
「そこでオレに1つ提案があります」
「提案?」
「あなたたちはもっとあの女子をいじめたいと思いますか?」
「もちろん。あいつが泣いてわめくところが見てみたいよ」
「でしたら、明日の朝、6時45分頃、もう一度あの公園に来てみてください。あの女子に会えますよ」
「何でそんなことがわかる?」
「オレはあの子の同級生、ですから…… 誘導します」
この時、新太は女達と話し合い、玲奈のに対するリンチを扇動した。
そして時は経ち、同日の下校の時刻となった。
新太は玲奈と別れた後、近くの交番へと行った。
交番内には警察官が2人出勤していた。
「すいません」
「どうしたんだい?」
「さっきちょっと怖い噂聞いちゃって、明日の朝、あそこの公園でリンチが行われるらしいんです。どうにかしていただけませんか?」
「そうか…… その話だけじゃ、ちょっとなぁ」
「信頼に欠けますか?」
「いやいや、そういうことじゃなくて……」
少し困り顔の警察官に新太はある物を突きつけた。
「これ聴いてみてください」
そう言って小型の録音機を取り出した。
『もっとあの子をいじめてみたいと思いますか?』
『もちろん。あいつが泣いてわめくところが見てみたいよ』
『でしたら、明日の朝、6時45分、もう一度あの公園に来てみてください。あの女子に会えますよ』
その音声は今朝の女達との会話のものであった。
音声には一部細工が施されており、新太の発言部分は声が明らかに変わっていた。
「これは…… わかった。明日の朝、取り締まりをしよう」
「お願いします」
こうして新太は警察官を味方につけた。
この一連の流れには新太の性格の一面が垣間見えていた。
それは―――目的のためなら手段を選ばない、ということだ。
人間、特殊な能力などない。
少年院時代に研ぎ澄まされた、常人ならぬ思考と態度、言わば新太の裏の顔であった。
今回の行動はその片鱗の片鱗に過ぎないのであった。