第二話 入学
今年の春はかなり冷えていた。特急列車の足元から吹く温風を新太はしみじみ感じていた。ぼんやりと外を眺めていると、風景には次第に緑が増えていった。
香織は新宿駅構内の売店で購入した朝ご飯を袋から取り出す。
「新太は昆布、明太子、鮭、ツナマヨ、どのおにぎり食べるー?」
「姉さん先選んでいいよ。姉さんが買ったんだし」
「もぉ、その考えやめなー。誰が買ったなんて関係ないよ、家族なんだからー。新太のためにも買ったんだし、早く選びなー」
「……そう。じゃあ昆布と鮭で」
「じゃあって…… もっとお姉ちゃんに頼ってねー」
香織は言われた種類のおにぎりを新太に手渡す。
「えっ、あれって、もしかしてかおりんじゃね!?」
斜め前の座席の男子2人組がチラチラと香織を見ていた。
「姉さん。何か視線を感じるよ。排除しようか?」
「やめてよー。怖いこと言わないでー」
男子たちは何か心に決めたのか、走行中の車内で立ち上がり、香織の方に近づいて来る。
「あ、あの、女優の香織さんですよね?」
「はい、そうですよ」
「もし良かったら、サインいただけませんか?」
男子たちは用意していた色紙とペンを差し出してきた。
「もちろん。いいですよ」
慣れた手つきで2枚分のサインを書き上げる。
男子たちはサインを書いている香織の姿に見とれていた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
男子たちは自分たちの席へと戻っていった。
「いいの? 俺と一緒にいるところ見られたと思うけど」
「大丈夫だよー。自意識過剰だよー」
香織は静かな車内でクスクスと笑う。
『もう間もなく“甲府”です。お降りのお客様はお荷物の準備をお済ませください』
甲府駅に着く車内アナウンスが流れてきた。
「もうそんな時間かー。あっという間だったねー」
香織は大きなあくびをしながら、伸びをする。
その傍ら、新太は静かに俯いていた。
「どうしたー?」
「…………酔った」
久々すぎる特急に新太は撃沈した。
颯爽とキャリーバックを引きずり、甲府駅に降りたった。
正直、香織のオーラは隠しきれていれなかった。
香織に気がついた周りの人間は声をかけようかどうかで踏みとどまっているが、隣にいる新太の姿を確認して、気を使ってか見ているだけだった。
「姉さん、やっぱりいろんな人の視線を感じる。排除した方がいいと思うよ」
「だから大丈夫だってー。もー、新太怖いよー」
甲府駅北口のエスカレーターを下り、駅下のコインパーキングに向かった。
「確か、ここら辺のはず…… あ、いたいた!」
香織の視線の先には黒色のワンボックスカーが停まっていた。
「姉さん、あれは?」
「えっ、あ、あれはロケバスだよー。驚かせちゃったかなー? この後、舞鶴城で撮影だから、ついでに高校まで送ってもらうんだよー」
香織の説明も間もなく、ロケバスの扉が開いた。
「お疲れ様です。今日もよろしくお願いしますー」
「ああ、今日もよろしくな、香織ちゃん。そちらが弟さん?」
「はい、そうなんですー」
ロケバスの運転手は眼鏡をかけた白髪交じりの中年のおじさんであった。
「よろしくな。俺は運転手の小島だ」
「……よろしくお願いします。お、俺は平新太です」
人との関わりをあまり持たない新太は、突然の他人との会話に言葉を少し詰まらせた。
ロケバスに乗り込み、早速高校へと発進する。
車を走らせてから、数分間沈黙が続いていたが、思いついたかのように新太が言葉を発した。
「あの、高校じゃなくて、最寄り駅までで降ろしてもらえませんか?」
「えっ、どうしたのー? 新太」
「いや、少し歩いて外の空気を感じたくて」
「そういうことかー。小島さん、お願いできる?」
「もちろんいいぜ。じゃあ酒折で降ろすぞ」
間もなくしてロケバスは酒折駅に到着した。
「じゃあ学校終わったら、電話してねー。迎えに行くからー」
「うん。わかった」
新太を下ろした後、プッとクラクションを一度鳴らし、ロケバスは去っていった。
新太は目の前にあった自販機でお茶を購入しようとした。
「……高いな」
しかし、その値段を見るとすぐに買うのをやめて、目的の高校へと向かう。
「おはよう!」
「ああ! おはよう!」
周りの女子高生たちの挨拶が聞こえる。
この酒折駅は高校の最寄り駅ということもあり、とりわけ通学の時間帯は同じ高校の制服を着た生徒の数が多い。ただ幸いなことに都会ではないため、人の数は東京に比べると大したことはなかった。
新太は高校までの道のりをあまり把握していないため、その女子高生の集団の後ろをつけていく。そうすると必然的に聞きたくなくても女子たちの会話が耳に入ってくる。女子たちはその仲の良さからして、上級生だと見当がつく。
「ねえねえ、聞いた? 今年の1年からなんか8組っていうクラスができるらしいよ」
「聞いた聞いた。特別育成クラスらしいね」
「噂によると頭のおかしい奴の集まりらしいよ」
「そうそう、何かしらの裏があるとか、マジ超怖いんですけどー」
新太は複雑な気持ちで前の集団の会話を聞いていた。
(俺がその8組の生徒なんだが…………)
そのままついて行くと、必然的に前方には大きな校舎が見えてきた。
山梨県立青龍高校、新太が今日から通う高校だ。制服は青を基調としたワイシャツにブレザーを羽織っており、パンツは黒チェックのスラックスを指定している。偏差値は70で県内でも有数の進学校である。
なぜこんなエリート校に新太が入れたのか、自分自身でもわかっていない。
正門から入って、左手に体育館がある。入学式はそこで執り行われる。
床前面に緑色のシートが敷きつめられた体育館の中は既に多くの新入生、保護者でいっぱいであった。新入生用のイスは体育館前方に配置されていたため、新太は8組の存在を探しながら、前へと歩いて行った。
前方を向いて右から1組という順で並んでいたことから、8組は一番左側に位置されていた。
体育館前方左に行くと、明らかに浮いている5つのイスが並べられていた。そこには既にクラスメイトと思しき人物が2人席についていた。
1人は一番前のイスに座っていた赤茶髪の女子であった。髪の長さはショートボブ。身長は150台半ば程で、胸の大きさはまあまあである。そして花粉症なのかマスクを着用しており、なにより特徴的なのが右目にかけられた黒の眼帯である。少しヤバい匂いはする。
もう1人は前から二番目に座っていた青髪の女子である。髪の長さは当人の胸の位置辺りまである。身長は140台後半といったところで、澄んだ紫色の瞳をしている。胸は断崖絶壁という感じである。
新太の席は名簿順的に前から4番目の位置であった。
入学式開始10分前、依然として残りの2人の姿が見当たらない。周りは既に多くの新入生たちが着席しており、トイレに行くために席を立つだけでもかなりの視線を浴びるという仕打ちである。
すると突然新太のイスが後ろから蹴られた。ドンッという音と同時に新太の体がフワッと前方によろけた。咄嗟の癖で後ろを振り返って構える。
「おーっと。わりぃわりぃ。つい蹴っちまった」
何の気配もなかったが、後ろには金髪ツーブロックのヤンキーが腰を掛けて、足を組んでいた。
新太は一瞬イラっとして睨みを利かせたが、相手の気配を窺うとすぐにその血の気は引いた。
(こいつは―――脆い)
「そんな睨まないでくれよ。蹴っちまったことは悪いと思ってるからさぁ」
にやけ面でそう口にするヤンキーに反省の色は全く見えなかった。それどころかこの状況を楽しんでいるようだった。
新太は再び前を向き、開式を待っていた。前を向くと1つ前の席はすでに埋まっていた。後姿であったが、緑色の髪が新たに新太の視界に加わった。
体育館の照明は薄暗くなり、スポットライトが向かって右手に立っている司会の教師に当てられた。
「えー、それではこれより入学式を始めます。まずは開式の言葉と兼ねまして校長の言葉です。校長先生お願いいたします」
校長と思われる人物が立ち上がり壇上へと上がっていく。
「新入生と保護者の方々はご起立お願いいたします」
各々がその場に起立する音が体育館に響いた後、再び静寂に包まれた。
「礼」
会場にいる一同が一斉にお辞儀を始める。
顔を上げると校長が話し始めた。
「皆さんご入学おめでとうございます。こうして本日皆さんとお会いできること大変うれしく思います。今朝は―――」
ここから長い長い校長の話が続いた。今朝の天気の話から始まり、新入生に共有する必要があるか疑問に思う趣味の話、自らの学生時代の話、最近の気になるニュースの話、これらのどうでもいいような話題が約5分の間語られ、周囲の生徒の中には睡魔と戦っているものも現れた。
「そして最後に一つ、皆さん学校生活は後悔しないように一生懸命取り組んでください。特に8組の皆さん、健闘をお祈りいたします、以上」
新太は最後の最後に8組について触れられたことを聞き逃さなかった。
校長は一礼して壇上から降りていく。
「それではこれにて入学式を閉式させていただきます」
校長の話の後にもPTA会長の話、来賓代表の話、教頭の話と続いていたが、新太は校長が最後に言った言葉がどうも引っ掛かり、それ以外の話はあまり頭に入ってこなかった。
入学式が閉会すると、それぞれ担任の先生が各クラスの席が集まる所に来て、教室まで一緒に行くという形で、もちろん8組にも担任の先生と思しき人物がやって来た。
ガタイが良く、スポーツ刈りとオラオラの体育会系という印象である。
「よしお前ら、俺についてこい!」
「…………」
先生のテンションについて行けないのか一同無言で先生の後をついて行く。
***
1年8組、同じ1階でも他のクラスとは少し離れた場所に教室はあった。教室の広さは通常の半分程度の広さで、狭いようにも感じるが、先生を含め6人に対してでは、それほどの圧迫感は感じない。
「それじゃあ番号順に席についてくれ。1番、市川玲奈。2番、笛吹鈴。3番、平新太。4番、武田遥。5番、中田英明」
一つ一つ先生が席を指定してくれていた。この時、新太はあることに気がついた。
(入学式の時の席順……間違えたぁ)
まあ今となっては過ぎてしまったこと、気を取り直して席に着席する。
「まずは俺の自己紹介からだな! 俺は―――」
喋りながら黒板に自らの名前を書いていく。
「このクラスの担任の―――石橋明だ。よろしくな」
「…………」
石橋とは裏腹に生徒たちは大人しく沈黙を貫いている。
「なんだお前ら、さっきから静かだなぁ。まあいいか、端から軽く自己紹介をしてくれ。まずは……市川」
その瞬間、場の雰囲気が少し変わった。
赤茶髪の少女はその場に立ち上がった。
「ふっふっふ、童は神とドラゴンの混血にして、この新世紀に転生した勇者! レナ・クイーンエリザベス!」
左手でフレミングの法則をつくると顔に当てて、ポーズまで決めた。
「…………」
新太は静かに引いていた。
(こいつ、ヤバい……)
その奇抜な自己紹介に動じることもなく、石橋は次の生徒に振る。
「それじゃあ、次は笛吹」
青髪の幼げな女子は静かに立ち上がり、無表情でお辞儀をした。
「…………鈴。よろしく」
その小さな体から発せられる言葉は今にも消えそうな、実にか細い声であった。
あっという間に新太の番が回ってくる。
「えっと…… 次は平」
「平新太です。出身は東京で、好きな食べ物は麻婆豆腐です。よろしくお願いします」
とっさに出た自己紹介が出身地と好物という当たり障りはないが、謎の組み合わせに少し後悔していた。
(まずった。出身地と好物って…… もっと他にアピールポイントあるだろ……)
「じゃあ次は武田」
緑色のツインテールがなびく、起立と共にニヤリと八重歯を光らせる。
「ウチの名前は武田遥。前の人にならって、出身は長野で、好きな食べ物は……カレー、かな。よろしく」
何故だか新太が始めた、出身地と好物という自己紹介が継承された。
新太はこれを受けてひと安心した。
(良かった。これであんまり浮かない)
「それじゃ、最後に中田」
金髪の男は勢いよくその場に立った。
「おっす、俺の名前は中田英明。えーっと、じゃあ出身は山梨で、好きな食いもんは肉だ!」
「お前ら、自己紹介ありがとう。それでは早速だが、お前らに少し聞いてほしい話がある」
石橋は一息つくと一言尋ねた。
「……っとその前に、お前らちょっと一服しても良いか?」
皆は無言で頷く。それを確認すると石橋はポケットから煙草を取り出し、一服をし始めた。
「あーっと、このことは内緒にしといてくれ…… でないと俺の首が飛ぶ」
それも当然だ、校内で喫煙などしてはいけない。高校生なら誰でもわかる。
ふーっと、煙を吐き捨てると手元の灰皿に煙草を一度こすりつけ、5人の顔を見渡した。
「お前たちは何故このクラスに配属されたか、わかるか?」
5人はうんともすんとも言わず、特に反応がないまま石橋に視線をぶつける。
「その反応は、恐らく分からない、でいいな? まあいい、お前らが分からない呈で説明させてもらおう。まず第一にお前らは優秀だ」
そう言うと煙草を再び口にくわえては離す。
「実はお前らはこの高校でトップクラスの頭脳の持ち主だ。偏差値70のこの高校でも抜きん出ていると言っても過言ではない。だがなそれと同時にお前らには重大な欠点がある。何だと思う?」
当然その問いかけへの返答はあるはずもなく、少し間をおいて石橋は再び話し始めた。
「それは一言で言うと―――社会的貢献力といったところだ」
ピンと来ている者は1人も居なかった。全員が無言で石橋に視線を送り続ける。
石橋は三度煙草をくわえては離し、話の続きを始める。
「社会的貢献力っていうのはな、要するに社会に良い影響を与えている度合いといったところだ」
相変わらず全員が無言で表情を変えない。話を聞いているのか、いないのか分からない、話し手にそう思わせるほどであった。
石橋は少し表情を強張らせた。
「例えを挙げた方が分かりやすいか…… 他人をいじめたり、公共物を破壊したり、他人依存の代償を被らせたり、他人の企業を潰したり、―――他人を殺してしまったり、などだ」
教室に一瞬の緊張感が走り、空気が揺らいだ、新太はそんな気がした。
新太もまた表情には出していないが、動揺していた。
(こいつ……知っているのか)
ここで一区切りしたかのように、石橋は煙草を灰皿に捨て、新たな煙草を取り出してはライターで火を点ける。強張った表情も元に戻った。
「そこでだ。このクラスでは社会的貢献力の向上を目指すって訳だ。いいかこれはお前らの更正活動も兼ねている―――拒否権などない。このクラスの詳細なカリキュラムは明日説明する。それじゃ、今日のホームルームはここまでだ」
そう言うと、石橋は煙草を処分し、懐から消臭スプレーを取り出し、自分の服とその周りに吹きかけ始めた。
「じゃあな、お前ら。また明日」
石橋は自分の服の臭いを嗅ぎ、満足すると颯爽と教室を後にしていった。